機関誌『半文』

多摩川の食べられる仲間たち-明日を生き残る人文学徒に捧げる食料調達法-

井上 雄太

はじめに

野菜が食べたい。

ご存知、ものによっては例年の2倍を超える2018年はじめまで続いた野菜高については、日々スーパーなどに立ち寄っていれば、何かしらの出典を引くことなく了解可能であろう。安価な業務用の冷凍野菜も欠品が目立った。引っ越したばかりの筆者の口座残高は底をつこうとしていた。幸い調理と散歩は嫌いでない。少しでも余裕のある内に、と身近で採取できる動植物の食材化に着手することとした。この文章の目的は、いつか現れる、あるいは既に存在しているかもしれない、食うや食わずとなった人文学の担い手のため、得られた知見を書き残すことである。

第1回「ノビル・クレソン・カキドオシ」

クレソンを鶏とぐつぐつ鍋にするのである。後は長ねぎなりキノコなり豆腐なり好みで入れて、煮干しと昆布の合わせ出汁で炊く。器にとってポン酢なり柚子胡椒なりを適当に混ぜたやつが大好きなのだ。好きな人には定番らしいが、初めてやったのは昨年11月。1束138円の3束目をケチって当時はまだ安く買えた水菜や白菜と水で増やした豆苗でかさ増ししたのも今となってはいい思い出と言う他無い。今や水菜はお高く、安価な豆苗も品薄である。出来ればクレソンをたっぷり入れたい。そんなところに、知人がそこらの水辺に生えているぞ、というのである。

早速探しに向かった。1月半ば、勉強会を終えた帰り道、23時過ぎの近所の小川。じっくりと見るのは初めてである。確かに生えている。それどころかそこら中に。ところが、岸辺はコンクリートでしっかり舗装され、生えているのは水の中である。手を伸ばしても届き様がない。深夜にスニーカーで水に入るのには躊躇いがある。安全のために設けられたであろう水面との高低差が憎い。風邪を引いては元も子もないし、職務質問は避けたい。大きな川に合流するまで小川はほとんど舗装され、土手になっている箇所は明らかに民家の庭の延長であった。下駄で水に入れる季節を待つか、別のポイントを探すかしかなかろう。帰宅する頃には時計は2時を回っていた。

水辺に繁茂するクレソン。彼らは生命力が強く随所で散見される。2018年1月19日撮影。

暫くたった明るい時間、散歩がてらに河原を探してみた。注ぎ込む小川の周りには、ノビル、セリ、白くて太い根を持つアブラナ科らしき草が見られた。同定に自信がなく、そこらに落ちている枝で掘るのも大変な苦労であった。手の皮膚が弱いため持ち帰るのは断念せざるを得なかった。皮膚科の治療代は、無料の野草より高くつくのである。小石のごろごろしたあたりに確かにクレソンを見つけた。これも浅瀬の中であった。歯噛みして帰宅。

枯れ葉の中から密やかにその表情を見せるカキドオシ。食べ過ぎに注意されたし。2018年1月19日撮影。

後日、河川敷で行われた野草観察会の講師に写真を確認してもらうと、大根のようなものはセイヨウカラシナと言うそうである。大根ではなかった。食べることはできるらしいが、根は食用に適さないそうだ。セリについては同定が難しいらしく強く止められた。好物ではあるが目が慣れるまで諦めることとする。ドクゼリで死ぬのも面白くない。代わりに教えてもらったカキドオシという草は同定がしやすく、爽快な刺激感があり、そればかり摘んで食べていた。後日で白身魚と酒蒸しにした所、メリハリの有る味にまとまり、非常に気に入った。葱は足さないほうが好きだ。

2月後半の休日、釣具屋お勧めのポイントに小魚釣りへ向かう。ウグイ・オイカワ・カワムツあたりが狙いだ。小骨が多いと聞くが実山椒と甘露煮にするか南蛮漬けにでもすれば食べることはできるだろう。2時間ほど糸を垂らしたがアタリすら来ない。岸辺に親指ほどもないものは随分と泳いでいるが、これは釣り針で口をかけるというより手網ですくうほかないものであろう。生憎網の持ち合わせはなかったので諦める。早くから竿を伸ばしている男性に話しかけてみれば、この辺りの釣れる魚はほとんど鵜だの鷺だのに食べられてしまって、小魚は春まで待つしか無いそうだが、夏には鮎も登るそうで、昨年は50尾以上あがった日もあると言う。小魚釣りは継続しつつそちらに期待することとする。帰りしな水面近くの土の柔らかい斜面にアサツキを見つけた。端を指ですりつぶすとネギに似た辛い臭いが広がる。株が密集しており、根の形がラッキョウのようなので恐らくアサツキである。ブツブツすぐに切れるノビルと違い引っ張るだけで球根のような部分まで簡単に抜ける。生は怖いのでおひたしにして頂いた。

ノビルを掘りだしている。根は結構深いところにある。2018年2月3日撮影。

2月最後の休日、原稿の締め切りも近いのでノビルを掘りに河川敷に向かう。このあたりのノビルは厄介で、非常に深いところまで茎が埋まっている。シャベルで切らないように地道に脇から掘る。調理の際に楽になるよう軽く土を落としておく。玉ねぎを入れる赤い網の袋が2/3位になったところで水面の近くへ向かった。石の転がる河原のあちらこちらに、クレソンらしき葉が見える。今度は水の外にもある。顔を近づける。セリほどは癖のない、あっさりとしたワサビに近い臭い。齧ってみる。市販のものより香りが強いが間違いないクレソンである。取り放題だ。小石の間に生えているため、簡単に引き抜け、泥も少ない。そのままさっと川で洗い、3株ほど摘んでもう一つの玉ねぎ袋がいっぱいになった。

帰宅してみると、根をちぎりさっと洗えばすぐに調理できるクレソンに比べ、ノビルは大変厄介であった。葉の先の枯れた部分を取り除き、球根の皮をむく。数があると手間になる。小さな株も欲張ったせいで一袋処理するのに40分は苦手な単純作業に勤しむ事となった。ノビルはなるべく大きく葉の先まで青いものを採取すると後が楽である、ということが明らかになった。

ノビル・クレソンともに非常に有名なため、調理法については容易に入手できるかと思われる。とはいえ試した中で特に気に入ったレシピを挙げるので、適宜参考にしてほしい。

その他気に入った調理法としては以下が挙げられる。

ノビル
酢味噌和え、ねぎみそ風、ナムル
クレソン
ラム肉ともやしとクミン炒め、おひたし、カレー
カキドオシ
蒸し魚、オイルパスタ

今度はフキノトウを気の済むまで食べたい。


2018年2月28日23時59分、腹痛や吐き気等は発生していない。

2018.4.18

第2回「フキノトウ・カラシナ・ツクシ」

忘れもしない3月3日。ついに見つけた早春の香り。フキノトウである。これを味噌にしたものに目がないのだ。手早く刻んだものをゴマ油で炒め、味噌と味醂を足した後、弱火で水気を飛ばすのみ。白いご飯にのせてよし、そのまま酒のアテによし、豆腐に乗せても茶漬けに足してもクリームソースのスパゲティに和えてもその香りを遺憾なく発揮してくれる。味を知ったのは二十歳の春、背伸びして入った大学近くの小料理屋。どうしてもタケノコが食べたくて入ったものの、財布の事情で早めに勘定を頼んだところ、腹を空かせているだろうと握ってくれたおにぎりに添えてあったのがこれである。酩酊感をかき消す香りと苦味の爆発。以来春はフキ味噌と決めている。

枯れ葉の隙間からその蕾を覗かせるフキノトウ。これが春だ。2018年3月3日撮影。

母の実家の裏庭の井戸の辺りにはいくらでも出てくるのである。水気の多い多摩川近辺、見つからないはずはないだろう。1月の終わりごろから、どこかにないかと探していた。見つけたのは川沿いの小さなフェンスの足元。いたるところに黄緑色の小さな爆発物が顔を出している。間に合った。蕾が開き出す前に、群生地を見つけることができた。食べごろに膨らんだものを、空になったスーパーの赤い玉ねぎ袋に放り込む。数分で末端価格にして千円をゆうに超える量を入手することができた。運の良いことは続くようで、帰り道の小さな小川にも群生地を発見できた。こちらは花が開いていたので、来年の採取場所のアテが増えたということにする。翌日の「半文」編集会議では興奮してその話ばかりしていた気がする。フキノトウは味噌にするなりすぐに食べてしまったので、調理後の写真は残っていない。

大学と駅の間に桜並木がある。春になると花見客で賑わうのだが、この文章の主眼はそこではない。その足元である。3月も半ばとなると、ひょこひょこと頭を上げる菜の花のつぼみ。明らかに人の手が入っているようで整然と生えている。立ち入りを禁ずる旨の札が掲げられているし、黄色い花を楽しみにする近隣の住民とトラブルを起こしたくもない。大学院の勉強会で何度もうまそうだと話しつつ、採るのは他の場所でと決めていた。

3月の半ば、懲りずに近所の小川で小魚を狙う。1日前に鮒を釣り上げていた人に勧められた場所で、1時間ほど無為に過ごしていると、大きなビニール袋を持ち蛍光色の合羽をかぶった女性が通りがかった。袋を見るに野草摘みであろうと声を掛けてみる。聞けば、菜の花・セリ・ギシギシあたりを取っていると言う。成果のない釣りでも「いい趣味ですね」と持ち上げられるのは気分が良く、話が弾む。このあたりの魚の話題を交えつつ、ギシギシは湯がくと粘り気がでて大変美味との情報が得られた。日が暮れる前に、と竿をたたみ採取へ向かう。程なくして、玉ねぎ袋にはギシギシに菜の花、ついでに1月より世話になっている野草の講師のA氏に教わったカンゾウがいっぱいとなった。

種子が和がらしの原料にもなるセイヨウカラシナ。これも春だ。2018年4月1日撮影。

齧ってみると菜の花には辛味の強く葉がギザギザのものと、辛味の薄い葉の丸みを帯びたものがある。前者がセイヨウカラシナ、後者がアブラナと言うそうである。調理法にもよるが、どちらかと言えばカラシナのほうが好みだ。カンゾウは酢味噌和えとし、菜の花はカラシナのみより分けてさっと茹でたものを小海老等とご飯に混ぜ込むこととした。どちらも細かい下処理がいらず気軽に食べることができる。カンゾウは束の根元側の一部を残し、土に接していない部分から抜き取るのが楽だ。翌日の花見の持ち寄りの費用が浮いたのも大変ありがたいことといえる。

4月はじめの休日、役所の主催する春の植物の観察会に向かう。鮮やかに芽吹く草木の紹介が主旨であるのだが、筆者の目的ここでも講師を務めるA氏の付け加える食用の可否と判別法が目的なあたり、若干の申し訳無さがある。クワ・クルミといったこれからが楽しみな木の場所が季節に先んじて明らかになったのが収穫だが、何より嬉しかったのはツクシの存在である。年が片手に足らないころから1名前くらいは知っていた。袴と呼ぶらしい節のギザギザと丸い頭。本や映像で何度もみたことはあるのだが、実物を見る機会は一度もなかった。それが土手一面に生えている。地元の住人らしき男性が袋いっぱいに摘んでいる。集団行動のため、その場はやむなくやり過ごすこととした。

ちなみに私はツクシの神秘性を認めない立場なので、信じられない派です。2018年4月1日撮影。

会が終わって後、付き合いのよいA氏とともに先の土手でツクシを摘んでいると、二人組の老婦人が声をかけてきた。最近の若者は何を考えているか分からなかったけれど、自分たちの子供の頃と同じことをしているとなんだかほっとするのだそうだ。「立派だね」「えらいえらい」と、いまいち理由の分からないまま数年分は褒められたのち、老婦人とも講師とも道が分かれる。40分ほどぶらぶらしていると、珍しいことはあるもので、バスで移動していたらしい先の老婦人と再び出会った。今度は「すぐ先の溝にツクシがたくさん生えているから採って来なさい」のこと。何の権限でもって発言しているのかなんとも腑に落ちないものの、素直に礼を言い従うこととする。向かってみればコンクリートのふち沿いにびっしりと並んでいる。なんだか嬉しくなってきて夢中で袋に入れる。先端の房から緑の粉が出るのは少し見た目によくないが、キンピラにするとほのかなえぐ味が白米にも酒にも合う。袴を剥がすのが大変手間で、金欠の友人の力を借りることとした。その晩は、昼に拾った野草を調理してアテとした。ギシギシを湯がいて醤油をかけたものをはじめ、前回の図版に用いた白身魚など皿の数が多いと気分が良い。急に呼び出された友人からも満足が得られたようでほっとする。採取可能な場所にタケノコを見つけることはできなかったのが心残りだが、来年の課題としたい。

フキノトウ、菜の花、ツクシともに調理法へ容易にアクセスできる野草のため、ここでは気に入ったレシピを挙げるに留めておく、適宜参考にしてほしい。

そのほか気に入っている調理法としては以下のものが挙げられる。

フキノトウ
天ぷら、クリームソーススパゲッティ、油漬け
菜の花
ウドと酢味噌和え、オイルソーススパゲッティ、おひたし
ツクシ
おひたし、佃煮、卵とじ

暫く振りにあの小料理屋へ行きたくなってきた。

2018年4月30日23時59分、腹痛や吐き気等は発生していない。

2018.6.10

第3回「シジミ・アナゴ・ジコセキニン」出張編 瀬戸内の食べられる仲間たち

5~6月は気候の変動に体調が追いつかず、クサイチゴ・クワの拾い食いで平常の活動を終了した。下処理がいらない果物は、採集中につまみ、調理中にまたつまみ、と何かしらできあがる頃には随分と目減りしてしまうのが問題だ。6月頭のアユの解禁に備え竿の入手は済ませていたのだが、7月初旬現在32度超えの高気温が連続しているため、熱中症に弱い筆者が次号にて釣果を報告できるかは不明である。駅付属のショッピングセンターで閉店前に叩き売られていたチアユをミザンショウと甘露煮にしたものは、文句なしの出来であった。とはいえ自分で捕まえた新鮮なアユを食べてみたい。なお、近所の並木をビワと間違え、実がなるのを待つ間に旬を終えてしまったのは痛恨だった。調べてみるとホトノキのようだ。来年までにはビワとサンショウの木を見つけておきたい。

海辺に立つ小屋。2018年4月29日撮影。

ともあれ多摩川にはネタがない。しかしながら5月の初めに岡山に向かう機会があったので、こちらの活動を記すこととする。急な学会などで見知らぬ土地へ低予算で向かう際などに役に立てば幸いである。

シジミは赤味噌仕立ての味噌汁が好きだ。白髪ネギかミツバをあしらい、あとは気分で柚子の吸口か七味を振ってやる。酒蒸しも悪くない。ミツバをたっぷりかぶせて汁に香りを乗せれば、ビールにも冷酒にも申し分ない。こいつをザル一杯に拾ってくる機会に恵まれたのである。

大型連休を利用して四つ手網1をやろう、というのが最初の話だった。海の上に建てられた小屋から水中にある網を機械で持ち上げ魚を捕まえる、単純な仕組みである。東京からレンタカーに乗せてやる代わりに、面倒そうなものの調理は筆者に丸投げする、と悪友連中に誘われたのである。ところが誰が言い出したか1月前になって、移動が疲れるから各自新幹線で行こうという話になってしまった。当然そんな資金は持ち合わせていない。ゴネるのも面倒だし、指を咥えて土産を待つという気にもならない。5,000円の高速バスと一泊2000円少々でキッチンが使えるシェアハウスの一室を2泊ほど予約する。牛刀・菜切・中華包丁にフライパンをスーツケースに放り込み、本隊より2日ほど前乗りすることとした。外食する予算はないが地元の食材を調理していれば、生活費はさして変わらず旅の気分になれるだろうという目論見である。

本隊の到着前日、滞在二日目の昼下がり。初日の晩にシェアハウスの住民達に振る舞ったカキとイトヨリのアクアパッツァその他が好評で次の食費のカンパがもらえたので、食材の入手先の当たりをつけつつ観光がてら自転車を走らせる。市街地より東に5分ほどこいだあたり、大きな橋のふもとに何やらかがみ込んでいる人の姿が目に入る。自転車を河原において近づいてみる。女性のようだ。小型の熊手をもって何やら掘り返している。声を掛けてみれば、シジミを掘っている2のだという。この辺りではこれから2時間が一月の間で一番浅瀬が干上がりよく掘れるのだそうだ。

岡山産シジミ。出汁がうまい。貝の出汁には赤味噌が正義。2018年4月28日撮影。

しばらくこの辺りの釣具屋の情報などを交えつつ世間話をしていたのだが、ザルいっぱいのシジミがちらついてどうにも我慢がならない。自転車で市街地に戻り100円ショップで熊手とザルとボウルにビーチサンダルを購入し河原に降りる。この間15分。女性に教わりつつ、肌理の細かい砂泥を熊手で掻く。底からさっと水が湧き出す。そのまま水が澄むのを待つのが正統派だそうだが、自ら「いらち」と称する彼女はこちらのほうが早いと浮いた砂泥を手で搔き出す。艶のある黒い塊が姿をあらわす。野生のシジミである。大きいものでゆうに3cmを超える。気が長いとはとても言えない筆者も彼女に倣い、熊手で掻いては砂泥をよける作業を繰り返すこととした。

スーパーの袋をいっぱいにした彼女を見送った後、筆者もザルを一杯にするころには日もだいぶ傾いていた。片付けを終えせっかくだからと近くの庭園の周りを自転車でぐるりと一周する。戻ったころには、浅瀬は跡形もなく水に沈んでいた。その晩は世話になっているシェアハウスの住人と午前3時ごろまで盛り上がっていた3ため、砂抜きを終えたシジミたちは翌朝には早速大活躍であった。

岡山産アオノリ。2018年4月29日撮影。

ようやく3日目、新幹線で来た悪友連中と合流後、四つ手網のある小屋にて網のオーナーより説明を受けているとどうにも気になるものがある。水際のコンクリートに張り付いた、緑色の薄いひらひらとした海藻。母の実家房総の辺りではこれを剥がして食べてはいなかったか。アオサに見える。聞いてみるとアオノリであった。近くに養殖場があり種が流れてくるそうである。ついでに近くに生えている細く茶色い海藻はオオノリといって、茹でれば食べることができるという。刺身のツマの細い緑の海藻の正体だそうだ。これで魚がとれなくとも、最悪食べるものは確保できる。魚が取れるのは夕方からだそうなので、暇そうにしている友人を手伝わせノリ集めに励むこととした。湯がいたノリは冷水で締め、地元のスーパーで目についた味噌ポン酢と香味野菜で和える、悪くない小鉢ができた。

サッパと思われるの稚魚「ジコセキニン」。2018年1月19日撮影。

しばらくノリを食べていたのだが、いい加減しびれを切らせた連中が網を動かし始める。見れば親指の爪ほどもない小魚がドッサリと取れている。見る限りサッパ4の稚魚であろう。さっと洗ってそのままつまんでみる。ぷりっとした身にふわりと香るワタの苦味、臭みは少なくかなりいける。ワタを取れるサイズではないので、生食する場合寄生虫などの責任は取れないと話してみると、同行者達はこの魚を「ジコセキニン」と呼んでつまみ出した。後々帰り道でまさかあれを食べるとは、などと言われたが、薬味とポン酢で〆たものに、なめろう、さんが焼きと調理も簡単であるし大活躍であった。

日も落ちて「ジコセキニン」が鳴りを潜めだすと、ベイカ5にハゼ、カレイの稚魚などがかかり始める。ようやく現れた1cm超えの獲物である。はじめの内は串を打って屋外の焼き場で塩焼きなどにしてはしゃいでいたが、量が取れるのでトマトで煮込んでいただくこととした。嬉しかったのはシラウオである。高級魚であるし獲れたてをいただくのは初めてである。時折網にかかったので、おそらく同行者にも行き渡ったと思う。

そんなこんなで夜はふけて23時前、小屋の中から叫び声が発せられる。向かってみれば、長細くうねる体に鋭い牙、その割に愛嬌のある表情。アナゴだ。非常に嬉しいが、難しい。ぬめりが強くよく暴れるため掴むことができず、〆るのがまず困難。目打ちと木製のまな板があればいくらか楽になるのであるが、残念ながら準備をぬかっていた。その上アゴの力が非常に強く噛まれると洒落にならない。軍手をつけた上でキッチンペーパーを何度も替えたところでようやく、40cmはある体から頭を分離することに成功した。そこから先はぬめりを落とし、背開きにした後、背骨をおろす。ワタを外して酒と塩を振って休ませたところで仕込みは完了である。身は白焼き、中骨は炙って骨酒、ワタはさっと湯がいてポン酢漬けで頂く。ぐったり疲れた甲斐は十分にあった。

岡山産モクズガニ。2018年4月30日撮影。

その後、夜が明けるまでの間に、15~20cmほどのモクズガニが2杯入手できた。ハサミの周りの泥がヘドロに似た不快な匂いを発する。解決法が見つからず、ハサミのみ外したのちにいただけば味噌も足の付根も非常に満足の行く味であった。本来は数日から1週間の泥抜きが必要らしい。

ともあれ夜が明けてシジミとノリの味噌汁などを頂いたところで、新幹線の早いものから適宜解散である。余った資材と食材をシェアハウスの住人が引き受けてくれたのがありがたい。住人たちと余った酒を開けていたら、帰りのバスの出発駅を間違え、駅まで走る羽目になった。

2018.8.12

第4回「ギンナン、オニグルミ」

果実とナッツは嗜好品だ。暫く食べなくとも恐らく直ちに生命に影響はない。そんなことは分かっている。カキ、クリ、ブドウ、それにイチジク、多摩川沿いの田園地帯では、そこここに植えられている。とはいえ誰かの畑の中のことだ。手を出す訳にはいかない。秋の実りにあやかりたければ、流通にたよるのが常道だ。もちろん指を咥えて眺めていたわけではない。普段の経路を注意深く見守っていても、特に採取可能なものが現れなかっただけの話である。


10月頭、大学構内のところどころでギンナンの匂いが喉を突きはじめる。木の根元を敷き詰めるように転がっている。これをどうこうする 人の姿を見たことはない 。通り道になっている箇所に転がった実などはほとんど種ごと潰れるばかりである。種になってさえいれば塩で炒るだけで、十二分にいける。居酒屋で頼めばそれなりの値段のするツマミである。とはいえ実のままではあの匂いである。おまけに素手で触るとひどくかぶれる。ふと小学生の頃担任が1、2週間も埋めておけば種になると話していたことを思い出し、これだと試してみることとした。

収穫前の銀杏。2018年10月3日撮影。

バイト上がりの週半ば、ゴム手袋を持参し拾い始める。日が落ちるのは随分と早くなっている。匂いをどうにか我慢してスーパーのポリ袋の底が見えない程度に集め、埋める場所の確保に向かう。どのみち埋めるので、ゴミは混じっていても気にする必要はない。比較的 土の柔らかいところをシャベルで掘り起こし、浅めに埋める。ポリ袋と手袋をまとめてしまえば匂いも大して残らず想像よりは気楽なものであった。手袋は使い捨ての物を用いると価格も安く廃棄の際も気が楽だ。


路傍の毒キノコ。2018年10月24日撮影。

3週間ほど後、遠くから知人に不思議そうな顔で見られつつ、ギンナンをかぶせた土をよける。微生物の働きには1週後に確認したときから特段判別可能な進捗は見られない。そろそろ月も後半である。なにがしかさっと食べられる ものを手に入れたいと考えていた所で、春に見つけた河川敷のオニグルミの木を思い出した。そろそろいい具合になっているのではなかろうか。時間を見繕い自転車で向かう。途中大きな白いキノコを見かけた。ずいぶん肉厚であるがキノコの知識はなく判別は生命に関わると聞くのでこれは見過ごす。あとで調べるとオオシロカラカサタケという毒キノコのようである。

浅黄色の鬼胡桃の実。2018年10月24日撮影。

ようやく たどり着いてみると、木には既に緑色の実はついておらず地面にも実の落ちた形跡はない。クルミの木には雌雄の別があることを思い出し、気を取り直して別の木を探す。程なくして3、4本のクルミの木の集まる箇所にたどり着く。木にはやはり実はついていない。悔しいので地面を注意深く観察してみると、ゴツゴツした茶色い塊を見つけることができた。形からしてオニグルミで間違いないだろう。実は十分腐り落ちているようで剥がす手間もかからなそうだ。目がなれてくるとそこかしこに落ちているようで、程なくして20個ほどのオニグルミが集まった。実が青みをおび腐りきっていないものも大分あったので、これらは今暫く放置することとする。

実の詰まった鬼胡桃の種。2018年11月14日撮影。

さてこのオニグルミ味も香りも申し分ないのであるが、殻の硬さは洋グルミの比較とならない。学部時代にどこかの土産物で手に入れた際には、大学の中庭の空き地のレンガで叩き割るのに大変難儀した。時代小説に貧乏な武士が子供に隠れてクルミを小刀で割る場面があると聞いたので、これにならい加熱した後に刃物で割ることを試みる。表面をさっと洗い、中華鍋で10分ほど乾煎りする。素直なものはこれで殻の合わせ目に隙間が入る。途中コンロの温度センサーが反応し、何度も火力が弱まるが我慢して鍋を見張る。合わせ目の開かない頑固なもの1は、アルミホイルにのせ弱火の魚焼きグリルで焼くこととする。5分ほどするといくらか殻に隙間が現れる。隙間に包丁を食い込ませ、転がらないよう苦戦しながらも何度か叩けばぱかりとわれる2。爪楊枝などで実を取り出せばあとは塩も何も必要ない。いくらか焦げたのが残念だが、間違いない香ばしさと油の旨味。ウィスキー等洋酒と合わせるのが好ましい。


薄皮の向こうに透き通った黄緑色が見える。2018年11月3日撮影。

さて、10月も終わろうというわけだが、ギンナンの進捗は相変わらず遅々としたものである。ゴム手袋を着用していたとしてもかぶれにつながるため、実を手で剥がす作業はなるべく避けたい。大学の帰り道にふと地面を見ると、誰かに実を踏まれた後も無事だった 種がいくらか残っていることに気づく。物によっては実がほとんど残っていない。これを集めて洗えばさほど臭い思いもをせずに食べられるのではなかろうか。玉ねぎ袋になるべく実の落ちたギンナンを放り込む。もちろんゴム手袋は必須である。程なくして30個程のギンナンが集まる。見返すとひろった場所によってサイズがいくらか異なるようだ。なった木の個体差であろうか。まあ食べる分には問題なかろう 。近所の水場にて玉ねぎ袋ごとこすり洗いをする。小さなゴミは網目からそのまま流れていくので匂いも少なく比較的楽ができ、手肌への負担も少ない。オニグルミとは異なりギンナンはペンチで挟むなりハンマーで叩くなりすれば簡単にヒビが入る。あとは軽く炒るなり封筒に入れてレンジで加熱するなりして頂く。もちもちしてほんのり甘い、澄んだ黄緑色。ビールにも日本酒にも合う3。塩はついている方が好きだ。

マヨネーズが合いそうな銀杏の混ぜ物。2018年11月14日撮影。

それなりの量のギンナンが取れたわけだがこいつを食べるたびに日本酒やらビールやらを空けてしまっては財布が持たない。しかしできればお酒とやりたい。手持ちが寂しい時の友はといえばやはり焼酎・ウィスキーといった蒸留酒の普及品であろう。なんとか棚に残った瓶とギンナンをやれないものか。水割り・ソーダ割りにしたところで、炒りギンナンとの相性は今ひとつに感じる。幸いジャガイモを余らせていたのでこれを茹でる。粗く潰して塩・レモン汁・オリーブ油に粗挽き胡椒と砕いたオニグルミでまとめてみようという目論見だ。果たして爽やかな小鉢ができ上がるのだが今ひとつパンチが足らない。白ワインとなら合うのであろうが、それなりに値が張る。そのままでつまみともなるクリームチーズを足し、混ぜ合わせる。食べごたえは十分だが、今度はギンナンのツルリとした表面が気になってくる。スプーンで器の中のギンナンを半分にちぎり、かき混ぜた後ついでにレンジで軽く加熱する。チーズの混ざったイモの舌触りが喧嘩を止め、ギンナンとクルミの香りが引き立てられる。今の季節であれば冷たい飲み物とやるのに悪くなさそうだ。もう一度胡椒を削ったところで着地点とする。ウィスキーには物足りない4が、割ったジンとは相性が良い。味噌を足せば焼酎ともやれるのではと気づいた頃には、皿の上には何も残っていなかった。


とまれギンナン・オニグルミともに下処理が終わるまでの道のりが大変長い。市販のくるみもギンナンもそれなりの値段がするが、手間を考えると驚くほど安価であることがよくわかる。そのままつまみとすることが多く、料理の主役になることの少ない食材であるが、他にもいくらか調理方法は考えられるため以下に記す。


知人によると埋める場所の土の状態によって実が溶けるのにかかる時間は変わるとの話である7。件のギンナンが使えるようになるまでどれ位かかるか引き続き観察を続けてゆくこととする。

2018.12.10

第5回「ムカゴ、ユズ、セイヨウアブラナ」

秋も終わり冬が始まると草木は枯れ、野草はぐっと少なくなる。草刈りも行われているようで、枯草が積まれた小山もときおり見かけるようになる1。今冬は野菜の価格は落ち着いており、幸福にも流通の恩恵を得ることができるようである。とはいえ、昨年のような価格の高騰がいつまた起きるとも限らない。引き続き身近な食材の捜索を進めることとする。


ヤブツルアズキ。2018年11月11日撮影。 ツルマメ。2018年11月11日撮影。

11月中旬、暖かく天気も良いので近所の小川へ散歩に向かう。遊歩道沿いのオギやガマに絡む細い蔓に黒やこげ茶色をした豆のさや状のものがついている。さや状のものは2種類あるようで、細長いものは不用意に触るとすぐに弾け、中の実が飛び散ってしまう。短く平べったいものはさやが比較的短くふさふさと毛が生えている。知人の野草の専門家によると、前者はヤブツルアズキ、後者はツルマメといいそれぞれアズキとダイズの原種らしい。ヤブツルアズキは汁粉にもできるそうであるが、どちらも一粒2mm程度と非常に小さい。20分ほど拾ったところで、手のひらに半分の粒が集まるかどうかかどうかといった具合である。あまり細かい作業を続けるのも気が進まないため、まとめて白米と炊くことにした。帰宅後に試してみれば一昔前に喫茶店で流行った雑穀ごはんのような見た目になる。味は悪くない。

ヤマノイモの蔓。2018年11月11日撮影。
ムカゴ。2018年12月16日撮影。

話を遊歩道に戻そう。もうしばらく歩いたところでは、ツルのからんだ低木が見られる。ツルには茶色い玉のようなものがついている。ムカゴをつけたヤマノイモである。近くに現れるツル性の植物としてはヘクソカズラにオニドコロと毒のある植物が挙げられるが、どちらもムカゴのつかない種であるため2、見間違えはなかろう。塩で炒っても、軽く蒸してもつまみに十分であるが、実は生でも食べられるとのこと。試してみると、水気があり歯ざわりもよく臭みも少ない。おやつとしては申し分ないだろう。見分けがつくようになってくると、公園のフェンスなどにもときおり絡んでいるので案外に身近である。ツルから摘み取る際に近くのムカゴがついでに落ちてしまうことがあるので下にポリ袋などをセットして拾うと失くしづらい。さっと洗うだけで下処理が終わる点、どこかに埋まった銀杏とは大違いである。


12月に入ると身の回りの食べられる植物は本格的に少なくなってくる。近場で安定して見られるのはクレソン、ヨモギあたりくらいだろうか。代わりに川沿いの田園地帯では黄色い実が目に入ってくるようになる。ユズ・キンカン・ナツミカン、いわゆる柑橘類である。ときおり見かける無人販売3では形や量はまちまちであるが、驚くほど安価に手に入れることができる。

柚子の実。2018年12月18日撮影。
なつみかんの実。2018年12月16日撮影。

私有地以外に柑橘の木はないかと半日ほど自転車を走らせていると、無料でユズを配布している台を見つけることができた。自生する木になる実を見つけられなかったのは悔しいが、日没も近いのでいくらか頂いていくこととした。刻んでも薬味にしても、絞って煮物や鍋の香り足しにも使える万能選手である。どれを持ち帰ろうかと悩んでいると、ほっかむりをした女性に声をかけられた。話してみるとユズの木の持ち主だそうで、「最近の若い人はやったことないだろうから」とユズで作る酢味噌のレシピを教えてくれた。皮をおろして用いる我が家のふろふき大根用の柚子味噌と比べ、千切りまま混ぜ込んだユズの香りと食感が全面に出てくる。聞いた通り、ご飯に乗せても、こんにゃくに掛けても悪くない。ものの試しと小ねぎの茹でたのにも掛けてみたのだが筆者はこれが気に入った。後日、別のエリアの公園にて鈴なりになったナツミカンを見かけたので拾ってみたが、こちらは時期が早いらしく酸味が非常に強い。名前に夏とつくだけあって、見た目は立派に見えても食べるにはまだ早かったようである。誰にも取られず木になったままとなっていたのも道理といえる。調べてみれば追熟も可能なようなので、こちらは貰い物のりんごの入った箱において様子を見ることとした。


地中より掘り起こされた小芋。2019年1月2日撮影。

年が改まって1月頭、ムカゴの話で盛り上がった知人4とヤマノイモの生えるポイントを再訪する。ツルの根本をたどれば自然薯が手に入るだろうという目論見である。幸い天気もよく凍えることはなさそうだ。たどり着いてみれば、葉はかなりが枯れ落ちツルだけでは随分と判別しづらくなっている。仕方なくツルの巻き方を頼りに根本をたどるも、途中で切れてしまっていたり、伝っている間に切れてしまったりと道のりは困難を極めることとなった。ようやくそれらしき箇所にかがみ込み、シャベルを手に取る。しばらく掘ると2センチ程度の小芋のようなものが現れる。これは幸先が良いと堀り進めるが、少し進むと木の根が現れ、木の根をよけると硬い石、となかなか本体にたどり着かない。しまいには根も見失ってしまった。同行者は根気強く計5箇所ほど付き合ってくれたが、ついぞイモの根の本体に出会うことなく日が陰り始めてきた。体が足元からだんだんと冷えてゆき、関節が固まり始める。ヤマノイモの根の本体を探すのであれば日が長く葉も青い季節のうちに大きなシャベルを担いで行く必要があるようである。結局3つばかりしか取れなかった小芋は将来に期待して埋めることとした。

薄皮の向こうに透き通った黄緑色が見える。2018年11月3日撮影。
薄皮の向こうに透き通った黄緑色が見える。2018年11月3日撮影。

とはいえ手ぶらで帰るのも寂しい。日が落ちないうちにと10分ほどの距離にある河原へ向かう。テトラポッドを越えた中洲のあたりに、深緑色のこんもりとした葉が固まっている。1枚30cmを超えるアブラナ科らしき葉の形と半円状の茎。根本をつかみ持ち上げてみる。水辺で土も柔らかいためか、10センチほどの白く太い根がスルリと抜け出る。大根と似た辛味を帯びた匂いが顔を近づけるまでもなく広がる。食欲が湧いてくる。根はどう見ても大根の子供のような風体だが、葉の形は明らかに異なる。調べてみると、どうやら冬の間ロゼットとなっているセイヨウアブラナとのことである。もちろん食べられる。嬉しくなってもう一本抜いている間に同行者がしれっと3本ほど持ってきてくれたのがありがたい。あまり取りすぎると春に菜の花を食べそこねてしまうのでこのくらいとする。帰宅後に試してみるとやはりアブラナの葉は見た目通りアクの強い大根といった風情である。おひたしには向かないが、茹でた後で炒めたり汁物に入れる分には申し分ない。根はきんぴらにすれば食べられる。正月の野菜高に嬉しい援軍となった。

残念ながら前回埋めたギンナンは黒く萎むばかりで、種が顔を出す様子はない。実が溶けるのを今しばらく待つこととする。

2019.02.10

 

(いのうえ・ゆうた/一橋大学大学院言語社会研究科)