機関誌『半文』

紙魚日記

しみ屋

第1回 紙魚

夢から醒めて、その夢の中身はすぐに忘れてしまったが、仕留められる、仕留められずとも奴の正体をしかと見るに違いない、という得体のしれない予感に包まれていた。寝床から這い出し、黝い面を覗き込むとやつれた顔が映り、乱れた髪を搔き上げるとフケが花弁のようにはらはらと舞った。閃光。眩しさに慣れるまで瞼を閉じている。そっと開くと、まず目に飛び込んできたのは白い面に浮かぶ黒い点々。仮眠の前に撒いておいた擬似餌。だが次の瞬間、何かが違っていることに気がつく。

ああ、喰われている、喰われている。残された部分もかろうじて読めるが擦れている。そしてまたもや逃げられた。いつも気づいたときは逃げられた後なのだ。痕跡を目の当たりにして地団駄を踏む。食痕を見る限り、確かに紙魚の仕業に思えるのだが……。


紙魚同好会の会誌『紙魚日記』の記事と言えば「シミ目シミ科最新知見」や「今年の虫干報告(地域別)」などが定番であったが、近頃それらに混じって奇妙な報文が寄せられるようになった。それはパソコンのディスプレイ上の文字が紙魚被害に遭っているという突拍子もないもので、会長以下初めは悪戯だろうと意に介さなかった。今のご時世、昆虫愛好家とりわけ鱗翅目(チョウ目)や鞘翅目(コウチュウ目)を愛する「チョウ屋」「コウチュウ屋」に対する風当たりが強いと言われ、そんな中「害虫」とされる総尾目(シミ目)や双翅目(ハエ目)については採集しようが何しようが批判されることはあるまい、「シミ屋」「ハエ屋」は蚊帳の外と高を括っていたのだが、ついに嫌がらせの余波が来たかと思えば感慨深い。もしやレピ(Lepidoptera鱗翅目)とレピ(Lepismatidaeシミ科)の、とんだレピ違いなのだろうか。しかしそれにしてもあまりに執拗であるし、仮に悪戯でないとすればわざわざ紙魚同好会を頼って貰ったことが嬉しくもあり、例会にて津々浦々の「しみ屋」に呼びかけて電子紙魚、通称「でんしみ」調査に乗り出すことに相成った。

そもそも紙魚とは、その外見が魚のようであることから「魚」の字を付され、英語でsilverfish(銀魚)、フランス語でpetit poisson d'argent(小さな銀魚)であるが、生物学的分類においては節足動物門昆虫綱シミ目シミ科に属するれっきとした昆虫である。無変態、無翅の極めて原始的な昆虫で、修行のように死ぬまで脱皮を繰り返す。そして紙を食らう。ゆえに「紙」「魚」と書く。紙魚は文月の季語で、それは書籍、書画、経典などを風に晒す虫干の季節である。

だが紙を食い荒らす虫の最たるものは実は紙魚ではなく死番虫、本の中を縦横無尽に掘り進む坑道のような虫害は、鞘翅目多食亜目ナガシンクイ上科シバンムシ科のフルホンシバンムシ、ザウテルシバンムシ等の幼虫が食った痕であることは意外に知られていない。一般に紙を食うものを一緒くたに「紙魚」と呼ばれることも多いが、シミ目シミ科のヤマトシミやセイヨウシミ等の名誉のために言っておくと、数ページ纏めて穴を空け読解不能にするシバンムシとは違い、シミは紙の表面を慎ましく食らう。シミは「紙魚」のほか「書魚」、「衣魚」、「白魚」、「蠧魚」の漢字を宛てられることもあるが、その中で「書魚」というのは紙の表面の「書」を舐めとるかのような食い方ゆえであろう。また「蠧魚」という字を「とぎょ」と読ませれば、シミの意の他に「やたら本を読むばかりで、その真意を知らず、これを活用する才のない者」の意がある。あたかも「本を読む」かのような食い方なのである。

「しみ」

此蟲蠧衣帛書畫姶則青色老即有白粉觸干手即落碎之如銀可打紙箋其形稍似魚其尾亦分二岐故得魚名俗傳衣魚入道經中食神仙字則身有五色人得呑之可致神仙

この虫は衣服や書画に食い入る。はじめは青色で老いたものは白い粉があり、手でふれれば落ちる。これをくだけば銀のようである。紙で打つがよい。その形は魚に似ており、尾もまた二又に分れている 故に魚の名を得た 俗に伝えられるのに、衣魚が道経の中に入って神仙の字を食えば、体に五色が具わり 人がこれを飲めば、神仙となることが出来る。1

以上は寺島良安『和漢三才図会』(1712年)の「しみ」の項と昆虫学者加藤正世によるその訳文で、ほぼ同じ内容がすでに李時珍『本草綱目』(1596年上梓)の中に見られる。「俗に伝えられるのに」紙魚は「道経の中に入って神仙の字」を「食」う。「神仙字」「神仙の字」の意味するところが、「神仙」が書いた「字」なのか、「神仙」という「字」なのか定かでない(澁澤龍彦は後者をとっている)が、いずれにせよ紙魚が「食」うのは「字」である。すると忽ち紙魚の「体に五色が具わ」る。食ったのが「道経の中」の「字」であるからして「五色」とは単に色彩のことではなく、それらの色が表すところの、この世を成り立たせる万物の元であろう。その「五色」を「体」に「具」えた紙魚を、「人」が「飲めば、神仙となる」。

「人」が「神仙となることが出来る」のは「字」を「食」った紙魚を「飲」むことによってであり、「字」と直に密に関係を結ぶのは紙魚なのだ。なにせ等身大(等シミ大)の「字」を「食」って体内に取り込んでしまうのである。そんな芸当は「人」にはできない。「人」が「字」に対してできるのはせいぜい読むことぐらいである。「人」の能力に鑑みれば、「飲」むというのは実は読むことで、「字」を「食」い「体」に「五色」を「具」えた紙魚というのはすでに文字なのではないだろうか。考えてみれば人文学において、この世の成り立ちを表す万物の元とは文字である。さすれば紙魚は文字を食い、文字になるのだ。そしてそれを人が読(「飲」)み、「神仙」となる。紙魚が「神仙」という「字」を食うのかどうかわからないと既に述べたが、少なくとも手当たり次第ではなく文字を選り好みして食っているらしい。『今昔物語集』(12世紀前半)の中の紙魚も文字を食うのだが、それは「靉靆」という見るからに食べ応えがありそうな字である。

紙魚は文字を食う。本を紙の束としか捉えていない死番虫とは明らかに違う。そんな紙魚の食い方にこそ底しれぬ魅力があると、紙魚同好会の会員たちは酒が入ると口を揃えて言う。会員は概して古本街をうろつくような輩であり、はじめは紙魚を目の敵にしていたが、対策を講じるうちに憎むべきは死番虫であるとわかり、さんざ痛めつけた紙魚に対する罪悪感と自らも所詮「本の虫」であるという同胞意識が、やがて紙魚同好会の門を叩かせるに至ったのである。紙魚同好会では長年、紙魚は紙を食うのか文字を食うのかという「かみもじ」論争があり、当の会員たちもいずれかに軍配が上がることはあるまいと思っていたのだが、突如として持ち上がった「でんしみ」調査はこの件に何らかの決着をつける可能性を秘めていた。

紙魚が文字を食うのならば、文字がある所なら迷い込んだとて不思議はない。どこでも、たとえディスプレイ上であっても、生き延びられるものが現れて棲みつき、亜種となることはあり得ない話ではない。だがそこにはいくつもの謎が潜んでおり、兎にも角にも「でんしみ」を採集しないことには始まらないのだ。そこでまずは擬似餌を撒くことにした。飽くまで疑似餌なのは、体内に取り込める繊維質のなさそうなディスプレイ上において「でんしみ」が何を摂取しているのか解明されていないからである。そこで手始めに本家の紙魚が好んで食いそうな文字を、疑似餌としてディスプレイ上に配置してみた。

「神仙」

「靉靆」

「紙魚」

最後の「紙魚」は、友釣りを狙ったのである。紙魚同好会の面々は「でんしみ」をおびき寄せるべく、疑似餌の試行錯誤にいそしんでいる。より一層の専心のために、勤めを早期退職した者も数名出た。その甲斐あって擬似餌が食われていることが確認されたが、「でんしみ」の姿を見た者は今もってない。「でんしみ」は擬態して人の目を欺いているのではないか、という説がもっぱらの話題である。文字を食った紙魚が文字になるならば、文字を食った「でんしみ」が文字になることもまた十分に考えられるからである。

紙魚同好会の会誌『紙魚日記』は当面「でんしみ」特集を組み、ほんの僅かでも「でんしみ」の手がかりになりそうな記事は鋭意掲載していく方針である。「しみ屋」の意地にかけて「でんしみ」を採集し、謎に包まれた生態を解明するつもりだ。そのためにも従来の紙魚研究を怠るようなことがあってはならない、文月には紙魚との邂逅の場である虫干を忘れないで欲しいというのが会長の願いである。

2018.4.18

第2回 螢火

「でんしみ」の「し」は、紙魚の「し」であり、電子の「し」である。紙媒体と電子媒体は狭間にvs.なぞ入れてしばし対立させられ、それぞれの支持者は紙派、電子派と呼ばれたりするが、紙魚のわく書物と共生する「しみ屋」という輩は元来、圧倒的に紙派が多い。中にはパソコンなど生まれてこのかた触れたことがないという人もいるし、この「でんしみ」騒動を機に思いきって同好会誌『紙魚日記』をwebへ移行したものの、結局は仲間や家族に頼んで画面を印刷している者が後を絶たない。だが紙媒体と電子媒体の間で蠢く「でんしみ」を採集するためには、ディスプレイを見ることは避けて通れないのだ。ディスプレイとは何であるか。春の例会にて議題に上がった。そして、それは発光であろうという意見が出た。紙の本は真っ暗闇の中では読めない。夜には蛍、雪、月、何かしら紙面を照らしてくれる明かりがないと読めない。しかし電子媒体は暗がりで読める。が、真っ暗闇では読めない。なぜならディスプレイは自ら光を放ち、周囲の真っ暗闇をただちに真っ暗闇でなくしてしまうからだ。読書灯の光を受けてきらめく、紙の上のsilverfish。では、ディスプレイ上の「でんしみ」は自ら光を放つのか否か。結局その場では埒があかず、各自が活動拠点に持ち帰って検討することとなった。発光とは何であるか?

言うまでもないことだが「しみ屋」の活動拠点とは、初夏の稜線の花畑や、樹液の匂い立つ広葉樹林や、林道の日当たりの良い湧水や、牛舎脇の肥溜めなどではない。(もしそうであったなら、webやnetに対してそんなにも抵抗感を持ちうるだろうか。露できらめく蜘蛛の巣。こだわりのネット(素材は絹、ナイロン、色は白、赤、青、緑、黄、黒))。燻蒸されていない自室の書棚(webはその天井にだって張られているはずだが)。そこには古本屋からこつこつ買い集めてきた本が詰めこまれている。紙魚がわくような書物のペエジを繰り、紙魚が好みそうな文字を丹念に読み取ることを得意とし、そして虫屋の端くれでもある「しみ屋」たちは、紙魚を発見でき尚且つ虫の情報も集められて一石二鳥の昆虫関係の古書に手を伸ばしがちである。したがっておのおのが遅かれ早かれ、『ホタル』という一冊の書物に辿りついた。

その函入りの500頁におよぶ大著は、著者である神田左京(1874-1939年)がほうぼうの出版社で断られた末の1935年、借金をして自費出版し、1981年の復刻まで長らく幻の奇書とされていた。七夕に生まれ七夕に逝った神田は「“光るもの”にとりつかれた人」1で、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ウミボタルなど蛍と名の付く発光生物のみならず、不知火、人魂、狐火……光るものならば何でも研究対象にした。苦心して集めた資料を九大医学部の大火で失ったり、遺著の原稿も戦災で焼失するなど火光に翻弄され続けた。そんな神田いわく『ホタル』という本は、ホタルと「無理心中」2した「心中の墓碑」3である。

ちなみに日本初の本格特撮テレビ映画『ウルトラQ』(1966年)において、闇夜に明滅する発光生物綺譚といえばケムール人の登場回、第19話「2020年の挑戦」である。その中で特殊な光波を介してケムール人と交流した記録本を世に送り出し、ケムール星に連れ去られとされ、キーパーソンでありながら一度も画面に姿を現さなかった博士の名が「カンダ」であるのは単なる偶然だろうか。神田左京博士もまた、つねづね「写真に撮られることを非常にさけて居られた」4のだ。「カンダ博士」は神田左京博士ではなかったか。そんなことに気づいて眠れぬ夜を過ごした特撮好きの「しみ屋」もいた。5

さて、神田左京『ホタル』は大きく「1分類」「2生きた形態」「3發光器」「4生態」「5發光」「6生理」「7化学」「8物理」「9考證」「10雑文」の十章から成る。2の「形態」には「生きた」が付されている。虫の死骸である標本を研究しては「生物學」ではなく「死物學」6になると、図版にしても標本画家をホタルの生息地まで連れて行って、「生きた」ホタルの色彩画を描かせた。しかし「畫家が幾色でも自由に使って,生きた標本から寫生しても,自然色そっくりのものができあがるものでわ斷じてありません。ただ自然色に似た圖ができるだけです」7と、神田は出来映えにいささかも満足していなかった。さらに、そこから本にするとなれば製版、印刷の工程が入り込むので、「この原圖を手本にして4色刷で,ホタル類の複雑な自然色を出せとゆぅのわ無理です」、「生きたホタル類の自然色にそっくりなものが,4色刷でできると考えるのわもちろん間違いです」と述べている。最後は「あきらめて」いるが、そこに至るまでには「できるだけ原圖に近い4色刷を期待し」、「たいへん犠牲をかけさし」たらしい。「この本だけでわありません。本わ印刷所,製版所と著者の合作です」としているが結局のところ、「印刷所」、「製版所」、「畫家」、皆が腕を振るっても神田の「期待」にぜんぜん応えられなかったのは、印刷物において「自然色」を表すことが「斷じて」、「無理」、不可能だからであり、それはこの『ホタル』という本においては、技術的な限界としてあらゆる「自然色」が紙の上に再現不可能だということよりも、ほかでもない「生きたホタル」の「自然色」が再現不可能ということなのだろう。

神田にとっての「生きたホタル」とはどのようなものであったか。『ホタル』という書物は次のように幕を開ける。

 原始の人間が初めて火を發明したのわ,20萬年か25萬年ぐらい前らしいです。燈火にわ初めたき草,木などが使われていたよぉです。それから動物のしぼぉなども貝殻や,動物のされこぉべの中で燃やして,燈火にした時代もあります。こぉしてたいまつ,魚の油の燈火の時代を過ぎ,ろぉそくができたのわよほど後です。1800年ごろでさえ,クジラの油,植物の油などがまだ燈火に使われていたくらいです。石油が燈火になったのわ1670年ごろ,ガス燈ができたのが1782年です。アーク燈の發明わ1801年,カーボン白熱燈が1880年,それから今の白熱燈までにこぎつけたのです。がこのいちばん高級の電燈でも光の能率わ4パーセントぐらいに過ぎません。このほかの大部分のエネルギーわ,無駄な熱ふく射になっています。つまり25萬年ばかりかかって人間の知慧わ,やっと光の能率4パーセントの白熱燈までこぎつけたわけです。

 ところでどんなに割り引して考えても,ホタル類わ5千萬年ぐらいの大昔から,能率が85パーセントから95パーセントの光をとぼしています。とゆぅわけわホタル類わつめたい光を平氣でとぼしているのです。8

神田にとっての「ホタル」とは、いの一番に「光をとぼして」いるものであった。「人間」が現れるよりずっと「大昔から」、「つめたい光を平氣でとぼしている」ものであった。

「夜が明て虫に成たる螢哉」(阿言)9

With the coming of the dawn, they change into insects again, - these fireflies!(小泉八雲訳)10

「夜が明て」、草の合間に指の爪ほどの大きさの、胸部は紅、その他は黒々とした「虫」(insects)がしがみついていたとしても、それは「螢」(fireflies)ではない。螢、火垂る、fireflies、その名からしてすでに発光するものとして在る。「“光るもの”にとりつかれた人」である神田にとってホタルとは、虫であるよりもまず発光生物であり、「生きたホタル」という言い回しは「ホタル」という言葉から、生きていない「ホタル」、発光不可能な「ホタル」が含まれる余地を取り除く。神田が『ホタル』という書物の中に籠めようとしたものは、蛍火だったろう。その試みが、図版において「生きたホタル」の「自然色」を「できるだけ原圖に近」づけて留めようとすることによって(たとえ結果が「期待」はずれであっても)なされようとしたならば、文章においてはどのように試みられたのか。「しみ屋」としては、もちろん気になるところである。

先に引用した『ホタル』の冒頭、「火」や「光」という文字よりも目を引くのは、「しぼぉ」、「されこぉべ」、「ろぉそく」、「とゆぅ」などである。現代仮名遣いでは「う」とすべきところである小書きの「ぉ」や「ぅ」の字は、原本の中では上に引用したよりもずっと小さく、日本語を書き表すとき通常用いられる捨て仮名、助け仮名と呼ばれる小書きの仮名にしては小さすぎるように見える(蛍火の明滅を思わせなくもない)。そして「しぼぉ」、「されこぉべ」、「ろぉそく」は、「たいまつ」、「つめたい」などとともに、一見して受けるひらがなが多い印象の要因となっている。しかしひらがなは多いが、漢字もけして少なくはない。「されこぉべ」、「ろぉそく」を見れば画数の多い漢字を避けているようだが(髑髏、蝋燭)、漢字にしたらそれほど画数の多くない「しぼぉ」、「たいまつ」(脂肪、松明)もひらがなであり、その一方で「發明」や「貝殻」は漢字である。法則性を見出すことが難しい。最も腑に落ちる説は「ぉ」を頻出させるため、というもので、もっとも「たいまつ」や「つめたい」の説明にはなっていないが、しかしこの文章で一番目につくのは何と言っても、異様に小さい「ぉ」などの文字である。ペエジをめくると、「凡例」が現れる。

 國語と字音の歴史的かなずかいわ,どんなに努力しても,私にわとてもつかいこなせません。つかったらきっと間違えるにきまっています。間違えるぐらいなら,初めからつかわない方が氣がきいています。といってもかなをつかわないで,文をつずるわけにわいきません。ですから私にできそぉな發音どおりのかなをかくとゆぅことにしたのです。がこの發音とゆぅやつがまたうるさいのです。東京の發音の真似をやってわいるが,私の發音わ正しいかどぉかわかりません。國なまりを多量に持っていますから。

 私の發音どおりのかなずかいに賛成する友人,知人わただの1人もいません。第×高等學校長をしている親友わ,私のかなずかいわ鼻もちがならないといっておこっています。この家族達も總立ちになって反對します。1人の友人わ國語をぼぉとくするといいます。またこんなかなをつかった本だから内容もろくなものでないと思う人人が多くなるともいいます。つまりかなずかいがわるいから,本の賣行にも影響すると心配してくれる人人もありますいちいちもっともな批評だと思います。がこんな悪評判わ千萬承知の上で,このかなずかいをやるよりほかに仕方わありません。とゆぅわけわ文部省あたりの國語調査會などでも,かなずかいの議論わあるよぉだが、だれにでもつかえる標準的かなわまだきまっていないよぉですから。11

著者曰くこの本は、「私にできそぉな」「私の發音どおりのかなずかい」で書かれている。そうする理由は、「私」が「國語と字音の歴史的なかずかい」を「つかいこなせ」ないことにあり、できることなら「つかわない」でいたいものだが、「文をつずる」こともしたいわけで、妥協策として「私の發音どおりのかなずかい」が生じた。これが「私」にとって「文をつずる」ための唯一の道なのだ。「このかなずかいをやるよりほかに仕方わありません」という言い回しには、それしかできないという意味合いを読み取れるが、その文の直後、「とゆぅわけわ」以下に説明されている理由は、「文部省あたりの國語調査會などでも、かなずかいの議論わあるよぉだが、だれにでもつかえる標準的かなわまだきまっていないよぉですから」というものである。「私」が「私の發音どおりのかなずかい」で書く理由は、それしかできない「私」にあると同時に、「だれにでもつかえる標準的かなわまだきまっていない」という「國語」にもある。

「國語」の話をすると、『ホタル』出版前夜の1920年代というのは「カナモジカイ」の設立(1920年)、ローマ字運動の隆盛、森鴎外を会長とする臨時国語調査会の設置(1921年)とその調査に基づく常用漢字表の発表(1923年)など、「新聞というメディアや印刷技術との連関のなかで「国語改良」運動が展開されていった」12時代で、1930年代も「国語国字問題の議論のたかまり」13は続いた。当時「カナモジカイ」の要人には岡崎常太郎(1880-1977年)、いや、「オカザキ ツネタロー」という昆虫学者がいて、1930年に『テンネンショク シャシン コンチュー 700シュ』(以下、『コンチュー 700シュ』)という全文表音式カナモジの図鑑を出している。「ユケ カナモジ!」で始まるこの本は、「セカイジューデ イチバン ヤサシイ モジ、イチバン スグレタモジ」である「カナモジ」を「ヨノナカエ オクリダス」ための「ホン」であり、そして同時に「オモシロイ コンチューノ セカイニ フカイ キョーミオ モツ」ために「コンチュー」の「ナマエオ シラベルニ テガルデ ベンリナ ホン」でもあった14。「カナモジ」を「1ジ 1オンデ」、「ハツオンドーリニ カク」、「ナルベク モジノ カズオ スクナク」することが徹底され15、また表題にもなっている標本の「テンネンショク シャシン」は、「これが昭和初期のものかと疑いたくなるくらいすばらしい」16ものであった。「國語」の議論が活発だった当時は、昆虫への関心が高まり「昆蟲黄金時代」と呼ばれた時代と時を同じくし17、双方の流れが結実した『コンチュー 700シュ』は、幼児を含む多くの読者が「コンチュー」の名前を覚えるのに一役買ったという18(「しみ屋」たちの手元にある本にも子供の筆跡らしいカナの書き込みが散見される)。ペエジを繰っていって「ゲンジホタル」、「ヘイケボタル」という「ナマエ」に対応している「ズハン」を見ると、「タマムシ」のそばで控えめな赤と黒の小虫の標本写真が現れ、「イノカシラ」産と「コマバ」産だそうだが、それ以上の解説はない。(ちなみに「700シュ」の中にシミは入っていない。こんなに身近なのに。)

『ホタル』における図版の印刷と「かなずかい」への拘泥それ自体は、時代背景に照らしたとき突飛には見えない。しかし『コンチュー 700シュ』と『ホタル』では、その拘泥の様相が大きく異なっている。『コンチュー 700シュ』の読者は、「700シュ」の標本の「ジツブツカラ」「ウツシタ」「テンネンショク シャシン」を見、そして「700シュ」について「ニッポンジン」の「ハツオンドーリニ カク」ことが徹底された「カナモジ」の文章を読む。そうして「700シュ」の「コンチュー」を知る道は、万人に開かれている。この本は「ニッポンジンニ ヨマス モクテキデ」(「ガイコクジンニ ヨマス ホンデモ,エンリョナク」「カナモジ」で)書かれ19、「ヨマス」ことによって「ヨノナカエ オクリダス」ことが目指されている。だが『ホタル』はそうではない。「生きたホタル」から「畫家」が「寫生」した「圖」は、本になるまでの間に「畫家」、「印刷所」、「製版所」が介在し、「自然色」を再現するなど到底不可能だとことわられる。「私にできそぉな」「私の發音どおりのかなずかい」で「つず」られた文は、「私」でない読者にとっては、読めるけれど読みにくい。読者は図版からも文章からも、「生きたホタル」に容易には近づき得ないことを突きつけられる。「生きたホタル」を見て、「私の發音」が可能であったのは「私」ただひとり。

『ホタル』は「私」がホタルと「無理心中」した「心中の墓碑」である。「心中」は一人ではできず、発光もまた感知する相手がいなければならない。そこにもう一人。この「心中」は出版されているという意味では世に送り出されているわけで、読者は「墓碑」銘を読みとることによって「心中」と関わりあいになる。読者は「墓碑」に刻まれた、明滅を思わせる小さな「ぉ」や「ぅ」、「私の發音どおりのかなずかい」を介してのみ、蛍火を垣間見る。夜の墓地で光っているのは、「ホタル」と「人魂」である。

2018.6.10

第3回 人魂

紙魚が「ろぉそく」や「白熱燈」やLEDの明かりを受けて煌めく夜、墓場では「ホタル」と「人魂」が自ら光を放つ。その名からしてカブトムシやクワガタの魅力が兜や鍬の形にあるように、スズムシやカネタタキの魅力が鈴や鉦の音にあるように、ホタル、螢、火垂る、星垂る、その魅力は光にある。発光生物である。 「ホタル」と「人魂」はしばしば夜の墓場で混同されてきた。露と消え果てた人の魂が「ホタル」に化ける伝説もある1。人は、肉体が光らないという意味では発光生物ではない。だが、魂は発光する。

ひとだま なるきみ ただひとり 相有之あへりしあま 葉非左思所念しおもほゆ2

人魂ひとだまのさなる君がただひとり逢へりしあまの葉非左し思ほゆ3

万葉の時代から「人魂」とは「夜」に現れる「さ青なる」ものである。現代語訳は、「人魂のまっ青な君の、ただ一人で出逢った雨夜の「葉非左」が思われることだ」で、「作者がただ一人でいる雨夜に、人魂の「葉非左」に出逢った恐怖を詠うものか」と考えられている4。「さ青なる」「人魂の」「葉非左」とは何か気になるところだが、「葉非左」は「難読」で、「誤字説も種々あるが未詳」であるという5。ゆえに上の引用で「葉非左」に振り仮名がふられていない。折口信夫による口訳では、結句を「久しとぞ思ふ」としたうえで、「真青な人魂さんよ。私とお前さんとが以前出会った、あの雨降りの晩からは、随分、待ち焦れていたことです」6となっている。しかし「葉非左」とは何か、謎が解けたわけではない。個々の漢字「葉」「非」「左」は常用漢字である。が、三文字が連なったとき、読み方も意味も定まらない。『万葉集』に多く見られるため万葉仮名と呼ばれる、漢字を表音文字としてもちいる用法だとすれば尚更、読み方が定まらなければ意味に近づきようがない。「作者」は、「ただ一人でいる雨夜に、人魂の「葉非左」に出逢った恐怖」を詠ったという。だが時を経て、歌を文字によって受容する読者が直面させられる「恐怖」があるとすれば、それは読めそうであるにもかかわらず読めない、「作者」「ただ一人」にしか正体のわからない三文字に「出逢った恐怖」に他ならないだろう。

文は書かれているからには、「作者」「ただ一人」にだけ読めれば良いのだとはあまり考えられないようである。「作者」にとってしっくりする表記が読者にとって読み得る場合でも、読みにくいならば、文体として許容される範囲を逸脱するならば、「悪評」に晒されることになる。

私の發音どおりのかなずかいに賛成する友人,知人わただの1人もいません。第×高等學校長をしている親友わ,私のかなずかいわ鼻もちがならないといっておこっています。この家族達も總立ちになって反對します。1人の友人わ國語をぼぉとくするといいます。またこんなかなをつかった本だから内容もろくなものでないと思う人人が多くなるともいいます。7

「ゎたしゎ、きょうゎ部活がないの」「ぁたしゎ、中一です」――。女子児童や女子中高生同士がやりとりする携帯メールやインターネットの掲示板で、一部の文字だけを小さく記す文章が目に付くようになった。「小文字」と言われ、どの文字を小さくするのか、独自のルールもあるらしい。子どもたちがキーボードを操るようになって登場したユニークなスタイルだが、「間違った書き方じゃないか」と眉をひそめる大人もいるようだ。8

「悪評」は『ホタル』に限ったことではない。二つ目の引用は「書き込みゎ小文字っかぅょ」「ネット時代の自己表現⁉︎」「10代女子に流行 難解・新表記」という見出しが躍る2006年の記事である9。「大人も読むネット掲示板で、子どもが小文字を使って記し、それを見た大人が『まじめに書いているのか』と注意したケースがあった」という。「ネット時代の自己表現」とされる「小文字っかぅ」文が「「間違った書き方じゃないか」と眉をひそめ」られることと、「私にできそぉな發音どおりのかな」が「國語をぼぉとくする」と批判されることでは、71年の時を経て世間の反応に相通ずるものがある。「國語」で書かれているように読める以上、それが自費出版であろうと「ネットの掲示板」の「書き込み」であろうと世に送り出されている以上、読者にとって読みにくい文は、いつの世も多かれ少なかれ叩かれるらしい。

『ホタル』の読者は、文を読む、まさにそのことにおいて蚊帳の外に追いやられる。蚊帳の内にいるのは「私」と「ホタル」である。

蚊帳の内に螢放してアヽ樂や (蕪村)10

『ホタル』の「私」は「悪評わ千萬承知の上11」で、「このかなずかいをやるよりほかに仕方わありません12」と言い放ち、世間から許されぬからこそ「心中13」する。そして読者が対峙するのは「心中の墓碑14」であるという本、『ホタル』である。ほとぼりが冷めた後の閑かなる墓地。墓碑の前に佇み、埃を払い、文字に嵌まり込んだ苔やら青蛙やらを取り除け、ときに拓本し、汗を拭きふき読みとっていく。目を凝らして、読みにくい文を読み進むことこそが、おそらくは書き手である「私」が感知した「ホタル」の「つめたい光15」を、読者が文を通して透かし見ることのできる唯一の術なのである。

そうして垣間見えた「つめたい光」。「ホタル」は何故にそれを「とぼしている16」のか。

音もせでおもひにもゆる螢こそ

    なく虫よりもあはれなりけれ (源重之)17

日本でも昔から戀にこがれてなくセミよりも,なかぬホタルが身をこがす,とうたってホタル火の戀愛觀を表明して來ました。〔……〕今でわ萬人はもちろん,生物學の専門家でもほとんど全部,ホタルの合圖説の信者です。私も一時わ合圖説を信じていました。18

「交尾をやるため、相手の異性に合圖をする道具に、火を使っているとゆぅのが世界的定説になってい」19るという。しかし「私」は「今わまったく懐疑派です」20と、その「世界的定説」に異を唱える。では「私」は「発光」を何故と考えるのか。

私の説明わ簡單です。ホタル類の發光器の中にわ發光物があるから,發光物ができるから,ホタル類は發光するのです。21

蚊帳の内から色気のない答えが返ってくる。「私」が「心中」する相手は「おもひにもゆる螢」などではなく、「發光物」なのだ。

ホタル類の生活史わ發光物ができるよぉな仕掛け,新陳代謝の生きた機械になっているまでです。だから卵,幼虫,サナギ,ホタル類わ機械的に發光しているのです。地球の上にホタル類が出て來たのわ,幾百萬年幾千萬年の昔かわからないが,ホタル類の發光物わ幾百萬年幾千萬年の昔に創生されて以來,生活史を輪にして,引き續いて來ているわけです。とゆぅわけわ卵,幼虫,サナギ,成虫のホタルわ每年每年かわってわいるが,發光物だけわ創生の時代から,れんめんと連續しているのですから。そぉしてみると目的論をはなれて逆に,發光わ生殖のためでわもちろんなく,生殖こそ發光のためだといえるかも知れません。發光物わ生殖によってのみれんめんと續くのですから。22

「ホタル」は「機械的に發光している」にすぎず、「幾百萬年幾千萬年の昔に創生されて以來」「れんめんと連續している」「發光物」の容れ物。謂わば「ホタル」そのものが、「螢籠」23や「袋」24なのである。

螢狩袋の中の闇夜かな (子規)25

はて。と、ここまで読み進んできたしみ屋は思う。「發光物」の容れ物。それこそが、ディスプレイではないのか。ディスプレイの中身の「發光物」は光源のLEDであり、その光を受けた液晶が光って見える。では、ディスプレイは「發光物」を「れんめんと連續」させる容れ物なのだろうか。しかしディスプレイはおそらく「生殖」しない。たとえばディスプレイの中のLEDが他のディスプレイに受け継がれるというふうには考えにくい。ではディスプレイの容れ物によって何が「れんめんと」受け継がれるのかと言えば、少なくともディスプレイの前にいるしみ屋にとっては何よりもまず、引用され映し出される文字であろう。

ひとだま なるきみ ただひとり 相有之あへりしあま 葉非左思所念しおもほゆ

「さ青なる」「人魂の」「葉非左」。万葉の時代に「作者」が「ただ一人でいる雨夜に、人魂の「葉非左」に出逢った恐怖」は、現代の読者にとって、正体のわからない三文字に「出逢った恐怖」である。「恐怖」を引き起こす要因が「人魂の」「葉非左」の文字にあるとき、「葉非左」が読めないことによって「人魂」もまた、その意味するものよりも、文字の「人魂」として読者に受容される。文字である「人魂」は、文字だから「發光」しない。しかしディスプレイ上ではそうとは言いきれない。なぜなら「發光物」を内包するディスプレイに映し出される文字は、それ自体は黒く見えるのであっても、「發光」によって現れているからである。そのときディスプレイとは、「發光物」の容れ物であり、「れんめんと」引き継がれる文字の容れ物であり、文字であることと「發光」によって出現する「人魂」の螢籠である。

2018.8.12

第4回 鱗粉

夜中、よく、近所の者は本屋の硝子窓越しに、灯がちらつくのを見かけた。その明りは近づいたり、遠のいたり、昇ったり下ったりし、そのうちに消え去ることもあった。すると、近所の連中は表戸を叩く音を耳にする。ジャコモが風で吹き消された蠟燭の火を貰いにきたのである。1

文学新聞『蜂鳥(Le Colibri)』(1837)に掲載されたギュスターヴ・フローベール『愛書狂(Bibliomanie)』の一節である。当時バルセロナで実際に起きた「ドン・ヴィンセンテ事件」に触発され書き上げられたという。僧侶ドン・ヴィンセンテは稀覯本を盗むために本好きの人々を次々と手にかけたが、小説の主人公ジャコモもまた書物のために神を見棄てた僧侶崩れで、スペインで最初に印刷された本、スペインに一冊しかない聖書を手に入れるべく放火したかどで告発される。しかしジャコモが火を放ったという明確な記述はなく、裁きの場でも特赦を願い出れば聞き届けられる余地が残されていた。たしかにジャコモは火事場で珍本を手にしたが、彼が辿り着いたときすでに本屋は炎に包まれていたのだ。しかも弁護人はその聖書の別本を発見し、そもそも本がスペインに一冊ではなかったという新事実を突きつける。だが本が二冊あったというジャコモを救うことになるはずの新事実は、彼を激しく失望させ死刑判決を受け入れるほうへと促すことになる。ジャコモは別本を愛おしそうに手に取ったかと思えば涙ながらに引き裂いて「あの本はスペインに一冊しかないんだ!」と叫ぶ。

「あの本」。書物のために神を見棄てたというジャコモが「自分の血とひきかえにでも」手に入れたいと望んだ稀覯本とは「ギリシア語の註釈がついた、ラテン語の聖書」だった。しかし彼は「ほとんど文盲に近い男」であり、読むことやそれに付随する「文学的価値」や「精神的効能」といったものを求めて書物を愛でていたのではなかった。「彼が書物を愛する理由は、それが書物であるから、つまりその匂いや、体裁や、表題を愛していたのだ」とある。

本を一冊手にとると、頁をくったり、紙面を撫でたり、金箔や、表紙や、活字や、インキや、綴じ目や、finis(大尾)という文字の意匠の具合などを調べたりする、それから、場所を変えて、高い棚に置いてみたりして、何時間も表題や外形に見とれるのだった。

書物において、どこまでが外観でどこまでが内容かというのは難しい問題だが、ジャコモの愛の矛先は「頁」「紙面」「金箔」「表紙」「活字」「インキ」「綴じ目」「文字の意匠」「表題」「外形」といった言葉で表される、内容よりは外観と称されるものに偏っているようである。ジャコモにとって書物が、あれほど大事に慈しんでいるにもかかわらず破れ、燃える可能性と常に隣り合わせで、しかも喪失をもたらすのが他ならぬジャコモ自身であったりするのは、物質的に失われるものであることが重要だからではないだろうか。ジャコモは「あの本」が「スペインに一冊しかない」ことを切望するが、印刷されている以上は複数あると想定され、だからこそ世界に一冊とは言わないまでも「スペインに一冊しかない」ことを望み、その実現のために別本を自らの手で引き裂くという物質的な方法で葬る。おそらくはそれによって物質的に残る一冊こそが彼にとって重要なのである。

物語上、彼は放火の犯人ではないかもしれない。しかし小説には冒頭から「蠟燭の灯」が点っていた。あるいは「書物を照らすランプ」が。書庫は暗く、そのうえ愛書家は夜更かしである。ジャコモの傍には明かりが点り、書物が燃える可能性がある。だが命がけで炎に飛び込み、すんでのところで本を救い出すのもまたジャコモである。


***


『昆虫記』のジャン=アンリ・ファーブルが書物について記した文章がある。Le Livre d'Histoires, Récits Scientifiques(1882)に収録されたその文章は、日本では『フアブル科學知識叢書 科學の不思議』(1923)という名で虐殺前夜の大杉栄と伊藤野枝による共訳が出されている。ポオル叔父さんがエミル、ジュウル、クレエルという三人の甥姪に語って聞かせるという形で、科学の話を一般向けに説いた本である。78章から成り、その途中は第16章「亜麻と麻」(le lin et le chanvre)、第17章「綿」(Le coton)、第18章「紙」(Le papier)、第19章「本」(Le livre)、第20章「印刷」(L'imprimerie)……と続く。「亜麻」「麻」「綿」は着物になり、着古されると「ぼろ」から「紙」がつくられ、「紙」に「字を書いたり」「思想を載せ」たりすると、原稿が印刷屋に送られ、植字工の手で活字が並べられインキを塗られてべつの「紙」に「印刷」され、「本」が造られ「無くなると云ふ心配」がないだけ複製される。ここでなされている「科學」の話においては、「紙」の章や「印刷」の章などとの連関のなかで「本」というものが語られる。

「クレエルはきつと其の美しい銀鈿の附いた祈禱書がぼろハンカチや、道ばたの泥の中から拾ひ上げたぼろきれなどで出来てゐるんだと云つて聞かしたら、びつくりしませうね」とジュウルが云ひました。

「クレエルは紙の本質を知ったら喜ぶだらう。が、あの子は其の祈禱書が、初めそんな卑しいものだと分つたところで、決してそれを卑しめるやうな事はしないと思ふよ。工業は賤しいボロを貴い思想を収めた本に変へる奇跡を見せる。」2

このやりとりにおいて「祈禱書」が尊ばれているのは「美しい銀鈿」がついているからでもあろうが、それにも増して「貴い思想」が収められているためである。今いちどジャコモにご登場願おう。ここで語られていることは一見すると聖書の内容を無視して外観を重視するジャコモの態度とは逆行するようだが、果たしてそうだろうか。「亜麻」「麻」「綿」「紙」「本」「印刷」という流れと、次の章との連関も見ておく必要があるだろう。頁を繰ると、このように始まる。

まあ何んて綺麗だろう。まあ本當に、何んと云ふ綺麗な事だろう。中には暗紅色の地に赤筋の通つた翅や、黒い輪のついた眞青な翅や、オレンヂ色の斑のる眞黄色な翅や、さては又、金色に白い縁をとつた翅がある。蝶は額に立派な角、即ち二本の触角を持つてゐる、それは鳥毛のやうに縁がとられてゐたり、羽毛の先のやうに裂けてゐたりする事がある。頭の下には、髪の毛のやうに美しい、そして渦巻いた吸口の、嘴を持つてゐる。蝶が花に近づくと、蝶は其の嘴を伸して、蜜を吸ふために花冠の底へそれを差し込む、まあ何んて綺麗だらう、まあ本當に、何んと云ふ綺麗な事だらう。若し人が蝶に触らうとしようものなら、其の翅は萎れて、指と指の間に、貴金属のやうな美しい粉を塗りつける。

第20章「印刷」(L'imprimerie)に続くのは第21章「蝶」(Les papillons)である。「蝶」の後は他の虫の話に移ろっていくが、書物の話は「蝶」の章まで繋がっているのではないだろうか。「翅」の「筋」「輪」「斑」「縁」そして「触角」「嘴」「美しい粉」。「蝶」への感嘆は「金箔」「活字」「インキ」「文字の意匠」等々へのジャコモの傾倒を彷彿とさせる。ジャコモの書物への賛美は、「蝶」への賛美に似ているのである。「印刷」の後に「蝶」がくる理由は、「賤しいボロ」が「貴い思想を収めた本」へと変わる「奇跡」と、「穢い虫」が「花と優美を競ふ事の出来る綺麗な活きものになる」という「変態」とが重ねられていると考えられる。しかしそれだけではないだろう。「蝶」の直前の章は「印刷」であり、翅の質感や鱗粉が形づくる斑紋にはしばしば印刷物との共通点が見出される。たとえば現実の蝶の中にはシータテハ(種名c-album、白いCの意)など翅の斑紋に文字を読み取って名付けられたものがいる。またウラジーミル・ナボコフ『道化師をごらん!(Look at the Harlequins!)』(1974)には蝶の翅に句読点型の斑紋を読み取り、それの無いことが「自然界の誤植(a typographical caprice of Nature)」3と呼ばれる一幕がある。

「蝶」と訳されているLes papillonsだが、フランス語papillonは蝶と蛾の総称である鱗翅類(Lepidoptera)を意味する4。Lepidoptera(lepis(連結形lepido-)鱗+pteron翅)はその名の通り鱗片に覆われた翅をもつ昆虫である。鱗粉には飛行、防水、交尾、体温調節など生きるために必要な役割があるが、色彩や光沢は死後もすぐに褪せることなく翅に留まり続ける。しかし「若し人が蝶に触らうとしようものなら、其の翅は萎れて、指と指の間に、貴金属のやうな美しい粉を塗りつける」ほど剥がれやすくもある。鱗粉の移ろい易さを利用して「鱗粉転写」と呼ばれる技術があるが、翅を紙に押し当てることで鱗粉を紙へと移すのである。そうして紙の上に転写された鱗粉は翅の形をしているが、もはやLes papillonsよりL'imprimerieに近いものになっているだろう。

書物と一体となる虫の最たるものは鱗翅類かもしれない。そしてpapillonの語意に、日本語でいうところの蛾が含まれていることについて考えてみたい。生物学上、蝶と蛾の間に明瞭な区別はないが、日本に生息する鱗翅類に限れば引用文にある「鳥毛のやうに縁がとられてゐたり、羽毛の先のやうに裂けてゐたりする」触角は一般に蛾の特徴とされ、蝶の触角は棍棒状であるとされる。「蛾」の漢字のつくり「我」は「おの」の象形でそのぎざぎざの触角を表し、他方「蝶」の漢字のつくりは薄く平たいという意味である(魚偏ならば鰈(かれい)となる)。また蝶と蛾の違いとして日本で広く知られているのは蝶は昼に飛び、蛾は夜に飛ぶという習性であろう(例外も多いのだが)。蛾は夜間に活動し、光源に向かう正の走光性(positive phototaxis)をもっているとされる5。しかし蛾はつくりが「我」だからといって自らすすんで灯に集まってくるわけではない。太古の昔、夜を照らす唯一の明かりであった月を頼りに飛ぶための習性が、人工の明かりに惑わされるためなのだ。だがそうとは知らない江戸時代の人びとは行灯を消してしまう蛾を火取蛾、火盗蛾と呼んだという。他にも飛んで火に入る蛾への言及は古今東西に見られる。

如飛蛾之赴火(『梁書』「到漑伝」7世紀)6

千里をも遠いとしないで

お前はつかれたようにとんできて,

ついには火をもとめて

焼死する,蛾のお前。(ゲーテ「昇天のあこがれ」Selige Sehnsucht、1814年)7

中国語には日本語の場合と似たような蝶(蝴蝶)と蛾(夜蛾)の言葉の区別があるようだが、ここで「蛾」と訳されているドイツ語Schmetterling8はフランス語papillon同様、鱗翅類(蝶と蛾)を意味する。Schmetterlingやpapillonという語が用いられるとき、ドイツ語圏フランス語圏の人々がそれらの語をどのように捉えているかは定かでないが、日本語で蝶と蛾にまつわりついているしばしば相反するイメージ、昼夜、明暗、美醜などが分かち難く含まれていると推測される。

L'imprimerie(印刷)を思わせる翅をもち書物と一体となる虫の最たるものはLes papillons(鱗翅類)かもしれない。そして鱗翅類の中で蛾は、否応なしに灯に引きつけられる。時には書庫の「蠟燭の灯」や「書物を照らすランプ」にも飛び入るだろう。ジャコモの点した火によって、ジャコモに救い出されることなく燃えるのだ。「ジャコモが風で吹き消された蠟燭の火を貰いにきたのである。」物語の冒頭で火を消したのは本当に「風」だったろうか。ジャコモはすでに書物を燃やしていたのではないだろうか。

2018.10.14

 

(しみや/一橋大学大学院言語社会研究科)

*絵は寺島良安『和漢三才図会』(1712年頃)の「しみ」の項を模写したものです。