機関誌『半文』

多摩川の食べられる仲間たち-明日を生き残る人文学徒に捧げる食料調達法-

井上 雄太

第6回「クコ、フキノトウ」

クコの実をご存知だろうか。中華スープや杏仁豆腐に乗っている細長く赤い木の実。干し柿と似た甘みとほんのりとした酸味のあれである。生薬としても用いられるそうで、嗜好品寄りの食材かと思っていたのだが、これもまた多摩川周辺で手に入ってしまった。

正月休みのある日の日暮れ前、これといった用事もなく川べりの土手をぶらついていると、蛍光色の上着を羽織った男性が藪の中でなにやらがさごそやっているのを見かけた。川べりで何かしら採取しているタイプの人々は、なぜだか遠くからでもよく目立つ格好をしていることが多い。何か派手な上着を着用する取り決めでもあるのであろうか。ともあれ近づいてみる。「学生さんかい?」とフレンドリーに尋ねる彼としばらく世間話をしていると、あたりに茂るトゲのついた低木になっているのはクコの実なのだと教えてくれた。せっかくなので1つ摘まんで味をみる。薄い酸味と渋味。甘みは感じられない。乾燥させないと甘みが薄いそうで、生でそのまま食べるには適さないようだ。12月半ばから実をつけていたそうで、そろそろ時期も終わりとのことである。この手のものは知見がないと全く目につかないのでありがたい。

クコの実。2019年1月2日撮影。

邪魔にならないようにと端で実を摘んでいると、近づいてきた男性が枝をハサミで切り始めた。どうしたのだろうと眺めていると、葉は煎じるとお茶にでき、冷え性にも効果があるのだという。手先足先の冷えやすい体質の筆者には嬉しい情報だ。相槌を打ちながら話を聞いていると、そのままいくつか枝を分けてくれた。トゲが少々痛いが、ビニール袋までおまけしてくれる親切ぶりである。その後もクコの実の採取を続け、両手いっぱいに集まった所で帰宅する。クコの実は早速干網にのせ、しばらく乾燥させることにした。せっかくなのでついでにクコの葉茶も作ってみたが、なんともコメントの難しい味であった。筆者の作り方が悪いのか、そもそもクコの葉茶が合わないのか。一度どこかでお手本となるものを飲んでみるのが良さそうだ。

きれいな実を摘むのは楽しいもので、同じものでも再びやりたくなってくる。そんなわけで1周間ほどした夕方に、もう少しクコの実を採りに向かうことにした。流れの近くの棘付きの藪の場所はしっかり覚えたはずなのだが、赤い木の実は姿も形も見えない。棘付きの藪自体は見つかったのだが、葉は萎れ元気を無くしている。前回が最後のチャンスだったようだ。草木の変化は想像以上に早い。酒に漬け込んでも良いという情報を得ていたのだが、これは来年の楽しみとする。手ぶらで帰るのも悔しいので、前号で紹介したセイヨウアブラナの葉をいくらか採って、余っていた餅と雑煮にした。コマツナよりはアクがあるが、慣れるとこれも悪くない。

2月前半の昼過ぎ、妙に気温が上がったので久しぶりの散歩に向かう。雨が少なかったせいか、昨年と比べまだ枯れたままの草が多い。ノビルやカキドオシも小さなままで、食材にするにはボリューム不足だ。クレソンならば手に入るのではと水面に近寄ってみるが、川の流れが変わっており、生えているのは浅瀬の中ばかりである。陸から手の届く箇所のクレソンは周辺2kmくらいでは見つからなくなってしまった。スニーカーで水に入る気には流石にならない。仕方ないので、鳥でも眺めるかとぶらぶらしていると、30cmくらいの生き物が水中で動くのが見える。食べでのあるサイズだ。鯉が出てくるにはまだ早いはずだが、と近づいてみるとアカミミガメのようである。唐揚げもいいし、煮込むと良い出汁が出るという記述をSNSでみかけたことがある。しかしながら亀を捕獲するのは何かとハードルが高い。道具もないので、写真だけで諦めよう携帯端末を構えたが、スーッと沈んでいってしまう。悔しいが手ぶらで帰ることに決める。

歩き出すと右足にどうにも違和感がある。枯れ葉が妙に張り付いてガサガサいうのである。なにやら柔らかい感触もある。右足を地面にこすり付ける。枯れ葉の塊は薄く広がるばかりで剥がれる様子は見えない。動物園の檻の近くで嗅いだことのあるような独特の匂いが漂い始める。よく見るとはみ出た茶色い物体がスニーカーに空いた空気穴から中に入り込みそうになっている。雑食性の動物の糞とみえるが、それを判別する余裕はない。急に頭の回転が早くなる。このまま靴を持ち帰って玄関をひどい臭いにするのは避けたい。この場で剥がそうと試みて、うっかり素手で触れて寄生虫等の被害に遭うのも恐ろしい。明日は丁度ゴミの日だ、もういっそ靴ごと捨ててしまったほうが良いのではないか。しかしながら突然新しい靴を買い換える余裕など財布にはない。近くに砂場と水場のある公園はあっただろうか?

とはいえ下手に水洗いしてかえって匂いが染み込んでしまうのもなんとなく嫌だ。動物の糞を踏むだなんて、もう20年は経験していない。野草が生え魚が泳ぎ鳥が集まるのだ、そこらで用を足す仲間たちがいるのも当然のことである。なぜ今まで考えもしなかったのだろう。近所で野草摘みをする人々が水に入るわけでも無いのに長靴を履いていた理由が今ならよく分かる。長靴ならば丸洗いも簡単だろう。慣れないアクシデントにショックを隠すことができない。周囲に落ちる石や木の枝では根本的な解決には至らず、近所のコンビニでウェットティッシュを購入して拭き取ることとした。隙間に入った汚れを落とすたびに、あたりの匂いが強くなる。通り過ぎる人に不審な目で見られているような気までしてくる。大変惨めな気分だ。帰り道、ハクビシンか何かを捕まえる箱罠を見かけた。普段馴染みのない攻撃性がむくむくと腹の中で起き上がる。あいつは煮込むと相当いけるらしい。

フキノトウ。2019年2月21日撮影。
芽が開いたフキノトウ。2019年2月26日撮影。

2月後半、再び外が急に暖かくなった所で思い出した。そろそろフキノトウがで始めているかもしれない。昨年採った3月頭はすでに旬の後半であった。早速自転車を漕ぎ出し昨年の採取ポイントまで20分。枯れ草だらけだ。フキノトウの姿は見えない。しかし、春の空気にあてられた頭はこんな所では止まれない。今日はフキノトウをいただくと決めたのだ。再び自転車を漕ぎ出す。昨年夏にフキの葉が茂っていた場所はしっかり覚えている。遊歩道の縁、小川のほとり、3ケ所目にてようやくフキノトウのお出ましである1。他のポイントとは異なり、小さな葉もずいぶん顔を出している。独特の青みのある香り。足場は悪いが量は多い。気分が良くなりSNSに写真のアップロードなどもしてしまう。土のついたものは無視してきれいなものだけを拾う。我ながら贅沢だ。上機嫌のまま帰宅。翌週確認した所、6割位のフキノトウが開き始めていた。1つのポイントで採取可能な期間は非常に短いことがわかる。もちろんその日も採取して帰る。かなりの量を入手できたため、新しいレシピも試すことができた2。うまくいったものを今号末尾に記載したのでご覧いただきたい。

土に埋めておいたギンナン。ようやく果肉が剥がれた。2019年2月26日撮影。

さて、そろそろ埋めて5ヶ月は経つギンナンであるが、2月の終わりにようやっと果肉が崩れた。かつて果肉であった黒いものが残るギンナンも、シャベルでさわるとすぐにきれいになる。ついにできあがりというところである。なお、埋めた場所近くの枯れ葉に混じっていたギンナンも同様に果肉が剥がれ落ちていた。知人に聞けば土中の微生物が少ない場所に埋めたのが問題だったのだろうとのこと。来秋は複数の場所に埋めて検証する必要がありそうだ。

2019.4.10

第7回「ナツミカン、フキ、タケノコ」

花粉症にかかってしまった。自分には関係ないと長らく横目に見ていたが、いざ当事者となると大変つらい。ちょっと草でも摘もうと玄関を出るだけで、鼻孔につんとした違和感が現れ、目が痒みを訴えだす。まだ縁のない幸せな人々も、春に野外にて食材の採取を行う際にはマスクなどの予防策を講じるのが賢明かもしれない。

マーマレードの調理過程。2019年3月1日撮影。

表に出ることはできなくとも幸い家の中に食材はある。昨年末からリンゴ箱で追熟を行っていたナツミカンだ1。3月頭、そろそろ甘くなる頃だろう。包丁で割り味を試してみる。酸味が程よく抜け、そのまま食すのに申し分ない甘みだ。とはいえ生で食べ尽くしてしまうのも味気ない。せっかくなので、皮ごと利用してマーマレードを作ることにした。剥いた皮を薄切りにして水に晒し、水を切った後果肉と合わせて砂糖で煮詰める。文字にすると40文字にも満たないが自分でやるとなると手間がかかる。食べる際に種が混じるのを嫌い、房から一つ一つ取り出す2と更に時間が過ぎてゆく。柑橘は油汚れの掃除にも使われるだけあって、途中で明らかに手肌がガサガサしてくる。皮膚の強さに自信がない場合ははじめからゴム手袋などをつけておくのが妥当であろう。そんなこんなで粘り気が出るまでコトコトと煮詰め、瓶詰めを終えるころには午前1時を回ってしまっていた。アク抜きの時間待ちが半分以上とはいえ、午後六時には取り掛かってっていたので、半日仕事だ。市販のマーマレードを買うよりかはずいぶん手間がかかるが、自分で作ると自由に味が調整できるのがうれしい。くどくならない程度に苦味を残し、甘みはあっさりめにするのが好きだ。そのまま食べるによいし、料理にも使いやすい。捨てずに洗って残しておいた調味料や漬物の瓶は、こういう時に活躍する。後日近所のワイン屋におすそ分けしたところ、グラスワインをご馳走してもらえた。マーマレードはミネラル感のある白ワインとも相性がいいことがわかった。

山椒の若木。2019年4月13日撮影。
焼き筍に山椒の葉を添えて。2019年4月13日撮影。

4月も半ばを過ぎると筆者を苦しめる花粉は収まったようで呼吸もだいぶ楽になってくる。調子に乗って普段は足を運ばない玉川上水の辺りまで足をのばしてみる。公園をはしごしながら草木の種類を確かめていると、人の通った跡の見える藪がある。せっかくだからと足を踏み入れてみる。足元を見ると、20cmにも満たないサンショウの若木がいくつか目に入る。更に進むと親木らしき2m超の木が現れる。葉の香りも、同じ箇所から対になって出るトゲの付き方もサンショウで間違いない3。近くに若木が生えるのならば梅雨前には実がつくことも期待できるだろう。煮物・汁物・冷奴にも合う万能な薬味のため待ち遠しい。機嫌を良くして葉をいくつか頂いた後、タケノコを買って帰宅。サンショウの葉は魚焼きグリルで程よく焦がしたタケノコに添えると香りが立って非常に好みだ。器に盛る際はそのままのほうが見栄えがよいが、食べる際には小さくちぎってまぶすと味が馴染みやすい。


地上に芽を出した筍その1。2019年5月7日撮影。
フキの葉。2019年5月7日撮影。

5月頭の昼下がり、大学への道すがらフェンス沿いにひょこりと顔をだす三角形を見つける。間違いない。タケノコである。幸い立ち入り可能なエリアだ4。近づいてみるとまだ他に2個ほど生えている。フェンスの向こうには50cmを超す巨大な個体も見える。都合よく近くにサンショウの木まである。明日はタケノコご飯に決まりである。とはいえ一人で掘りきる自信がないため、年始にヤマノイモを一緒に探した知人5に連絡する。途中寄り道して煮物用にフキをいくらか採取しつつ、スコップ6を取りに自宅へと自転車を漕ぐ。現地に戻り知人と合流すると、なぜだかスコップがカバンに入っていない。気が急いて近くの100円均一でスコップを購入する。ようやっと準備が整い、地上部が10cmに満たないタケノコを選びスコップで掘り始める。他の植物の根や石などが混ざりそれなりに手間がかかる。スポーツ経験があり筆者の数倍は体力があると見られる知人の協力がありがたい。タケノコの根本のブツブツした辺りが見えてきた所で折ることとしたが、根本が曲がっているせいでうまく力がかからない。知人がスコップをテコにしてどうにか採取する。20cmに届かないくらいの扱いやすいサイズだ。ここからが勝負である。アクが回らないようできる限り早く下茹でを始めねばならない。タケノコをたわしで洗った後、先を5cmほど切り、切り口に垂直に切り込みをいれる。鍋にタケノコを並べたっぷりと水を張り、糠と唐辛子を加える。落し蓋をして火にかけて沸騰させる。ここまで進めれば、後は弱火で火が通るまで2時間ほど加熱するだけだ。沸騰させるまではとにかく大急ぎであるのだが、我慢できず根本を一切れ薄切りにして味見してみた。エグみが無く生のままでも十分いける。はじめての体験だ。

地上に芽を出した筍その2。2019年5月8日撮影。
地上に芽を出した筍その3。2019年5月8日撮影。

地元の飲み友達に珍しい食材が手に入ったと自慢したところ、タケノコは朝取るものだと言われたので、翌朝はフェンスの内側に掘りに向かうこととした。フェンスの内側の藪は枯れ葉が多く、タケノコはなかなか見つからない。他にもタケノコ掘りをしている人が出入りしているようで、所々に皮が捨てられている。皮は下茹での際に残しておいた方が上手くいきやすいように感じるので不思議な気分だ。おそらく手法が違うのだろう。とはいえ皮があるなら中身もあるはずと、20分ほどうろうろしていると地上部が10cm程度のタケノコが目に入った。2度目となると慣れてきたもので、昨日より地面が柔らかいのもあり10分もせず粗方掘り終える。ちょろいものだと、根をねじ折る。前回と異なる軽い手応え。途中で折れてしまっている。それでもサイズは十分であるのだが、なんとも悲しい。アクを取らねばと家に向かい始めたところで、小さな黄緑色の葉を見つける。これがアクが少なく柔らかい高級品と飲み友達の言う穂先しか地上に出てこない状態のタケノコか。地上部は3cmにも満たない。幸運に感謝しつつ周りを掘り始める。20cmほど掘ってようやく根本にたどり着いたところで、背後からガサゴソと音がし始める。ナタを持った中年男性だ。声をかけてみると、驚かせてごめんと笑いつつ、伸びすぎたタケノコを切っている地元住民だと言う。この辺りに生える竹はモウソウチクで、放っておくとあっという間に伸びて固くなり、藪の手入れができなくなってしまうのだそうだ。こちらがタケノコを掘っていることを話すと、この藪には他の近隣住民もタケノコ掘りに来ており、奥に進めばもっとたくさん生えていると教えてくれた。男性のアドバイスを受けつつ今度は無事にタケノコを掘り出す。あと2週間は掘れるそうなので、しばらく朝が早くなりそうだ。

2019.6.10

 

(いのうえ・ゆうた/一橋大学大学院言語社会研究科)