「あのよ、ハル。ちょっと――訊きてえことがあんだがよ」
「何? 改まって」
「そのう――おまえに訊くのもどうかとは思うんだけどよ。おまえ、『あゝ、荒野』て映画見たことある?」
「ああ荒野。あー、ボクシングのやつ。寺山修司原作の? なんか一時JINOで話題になってたから、見たことは見たけど。なんで?」
「見たことは見た、てことは、あんま印象に残んなかったってこと?」
「ていうか、長かったね。前後篇一気に見たら大変だった」
「それはそれとしてよ。どう思った?」
「何が?」
「最後さ」
「最後。あー、そうね……まあ、やりすぎだろとは思ったけど、言いたいことは、わからなくもない、って感じかな」
「わからなくもねえってことは、少しはわかんのか」
「んー、まあ共感はしないけどね。シロおまえは、何、わかんないわけ? どこが?」
「どこがっつか……全部」
「全部」
「ていうか、おれ最後のとこ、正直ちょっと見てらんなくってよ」
「おまえが? 見てらんなかったって? へえ、そうなんだ――」
「だってゲームだろ? 勝ち負けがつきゃいいんだろ? なのによ、あんまりそのう、無駄に血塗れじゃねえ? いくら嘘っこにしたっても――おれ意味わかんねえんでさ。見たあと夜中じゅう、すげえ気分悪くて……あれ自殺?」
「てわけでもないと思うけどね。バリカンは愚直だから、「ここにいる」って言いたいからそこにいたんだろ。ガードが身上だから、受けて受けて、がんばって立ってたら死んだっていう、それだけで」
「だけって、おまえ――」
「うん。だって当然死ぬじゃないか、あんなの。そうじゃない? 死なない?」
「死ぬね」
「だよね。当然死んじゃったら、当人も当然死ぬと思って打たれてんだろと思うから、自殺に見えてもしょうがない。他にも余計な自殺文脈の入ってる映画だしさ」
「あの自殺志願の話、要らなくね? 何で入ってんの、あれ?」
「原作にもあの話は一応あるんだよ。おれもあの映画、妙にイライラするから、寺山の原作も読んでみたんだよ実は。したらやっぱり自殺文脈があってさ、けど映画と違って、自殺研究会のリーダーの川崎っての、原作だとはるかに軽薄なんだ。映画だと自分が死んじゃうけど、原作では死ななくて、人ひとり殺しかけたけどドコ吹く風で、大学卒業したら普通に雑誌記者かなんかになって最後試合見にくんのな。そっちのほうがいい、おれ」
「そっちって?」
「クズみたいな学生だけど最後にドローンの自動吹矢で見事に自殺しました、悲劇ですねって、だめだろそんなの。自動発射の狙いが惜しいとこではずれて、血だらけになってワアワア喚いてるのをみんなで唖然として見てるなか大騒ぎで救急車で運ばれてさ、けどそのうちアッケラカンとして首に包帯巻いて、何でだか知らないけど試合見に来る、とかのほうがさ? 活き活きしたクズって感じで」
「はあ」
「だってあまりにも活気がなさすぎるもの、全体に。出てくる人間全員、半分死んでるみたいなありさまなのが、荒野だ、って言いたいんだろうけど。でも荒野って、もともと詩語なんだよね、たぶん」
「死語?」
「詩の言葉。寺山修司って詩人だろ。荒野とか荒地って、単に荒れ果てた不毛の地ってだけじゃなくて、人を何か彼方に駆り立てる、すごく荒々しい場所なんだ、制御不能な原始の、四大のエネルギーが吹きすさんでるようなさ。原作だとそれがわりとはっきり見える感じだよ。最後バリカンが殴られながら、ああ荒野が見える、って思うんだ。映画では最後ギャラリーがみんなで泣きながらバリカンを、っていうかふたりを応援するだろ、でも原作ではかなり違って、みんな熱くなってるけど、それぞれ自分の苦々しさや遣る瀬なさや、破れた夢とか憧れみたいなものをてんでんばらばらにリングの上のふたりに投影してるだけなんだよね。それが一見盛大な応援になるんだけど、その熱狂的なコールを浴びながら、だからバリカンはリングの上でとても孤独なんだ――ああ、荒野だな、って」
「ははあ。その荒野がバリカンを、そのう、駆り立てるわけ? ああいう死に方へ?」
「死に方じゃなくてむしろ生き方へじゃないかな。あそうそう、原作でも、最後殴られながら八十何発かまで数えるんだけども、数えてるうちに小説が終わるんだ。だから小説が終わった時点でというか終わった後もというか、彼はずっと永遠に数えてることになるんだ」
「永遠に数えてる?」
「うん。だってそうじゃない? 数えてる最中に、数えながらそこで終わっちゃうんだよ? 数え終わるということがないんだ。つまりずっと数えてるわけで、てことはずっと永遠に数えながら生きてるわけだよ。な」
「あー」
「だからいいんだ。小説のほうは、けっこうおれ好きかも。いや好きとはいえないけど、嫌いじゃないと思ったな。結果的に死ぬとしても、そこまで見せるかどうかが、原作と映画の一番大きな違いかもね。映画だとあからさまに死んじゃうけど、やっぱ最後は原作みたいに、ぎりぎり生きてるところを見せながら終わるんでないとダメなんじゃないかって思うよね」
「死んじまったらダメか?」
「うん、おれはそう思うなあ。荒野のエネルギーって、負のエネルギーもふんだんに混ざってるけれども、だからこそ人を、生きてるほうへ暴力的に押しやるんだろうって。それがどんな生き方でもさ」
「暴力的ね。ああいうの、暴力的っつの?」
「原作のほうの話だよ」
「映画は? 最後なんであんなことになるわけ? ま暴力的っつや暴力的かもしんねえけどよ、それよかもっとこう……だってあんなのいくらボクシングだって故殺になるだろ、過失致死とかよ。普通もっと早くタオル入んだろ。つながりたいとか言って、自分は死んで、相手を喰らい込ましてどうすんだろと思うよ」
「そこが気になってたのか?」
「いや、うーん、そこ、ってかな……そもそも「つながりたい」ってな、どういうことなんだ? あんなんでツナガレルもんなのか? シンジのほうはどうなんだ、一方的なのか? ガチで殺し合ってそれで、ってんならまだわかる気がするけども、そうじゃねえんだろ? 考えりゃ理屈はわかんのかもしんねえがよ、頭ごちゃごちゃして何だかわかんねえからよ。おまえに訊けばわかるかと」
「は、は、おれに、殺し合いの理屈を訊くの、おまえがね?」
「そもそもボクシングってな、憎まなきゃ勝てねえもんなのか?」
「ええ? そんなのわかんないよ、けど少なくともあの映画では、小説でもだけど、そういうことになってるよね。だからそういうことにしとくしかないんじゃないか」
「うう。じゃあそゆことにしとこう……しといて……結局バリカンは誰も憎むことができなかったけども、シンジとは闘いたいんだよな? 憎めねえから負けるけど闘いたい? なら普通に負けるまで闘えばよくね? なんでまた、黙って突っ立って殴られてなきゃなんねえの?」
「えー……と……」
「だって明らかにバリカンのほうが強えって話なんだろ? 憎くなくたってさ。技術もパワーもやつの方が上ってことになってんだろ?」
「小説では、腕力だけはバリカンが圧倒的に強いけどトータルには明らかにシンジのほうが強いって設定みたいだったよ。けど映画だとそうでもないよな。目を開けて相手を見てる限りバリカンのほうが強い、みたいな?」
「だろ? ならガチでやりゃいいじゃねえか、目ェ開けてよ。ゲームなんだし、ほんとに殺し合わなくたっていいんだろ。つながりてえってのがどういうことかわかんねえが、何つかその、しっかり、ゆるぎない関係を……そのう……」
「構築したい」
「構築したいんなら、そのほうがよほど有効だと思うがな?」
「うーん、バリカンがシンジと闘いたいっていうのは、ほんとに闘いたいわけじゃなくて、闘うという形で、別の関係を結びたいんじゃないの? だってほら移籍する直前に、シンジとスパーリングしてあっさりノックアウトするシーンがあってさ、目さえ開けてられれば充分シンジに勝てるっていうか、普通に勝つだろうってことを、言わばこっそり確認した上で移籍するんだよね、あれ」
「そうだっけ?」
「だから、臆病だったケンジががんばって勇気出してシンジにガチの勝負を挑んで、死ぬまで本気でやりあうことでようやく対等の絆らしい絆が結べるとかそういう話じゃないはずなんだ。いい勝負だったぜ、で晴れやかに終われるような成長物語じゃないんだと思うな。何かもっと別のものだよ」
「……なんかわかんねえけど、にしても、あんまりひでえだろう、ってなつまり……そのう……」
「これ見よがしに血塗れすぎる?」
「ああ。そう。そんな感じ……かも。だってただのマゾとどう違うんだあれ? 打たれても打たれてもブワアッって起き上がってきてよ、キミ悪いじゃねえのゾンビみてえで。ノスリのアニキがよ、そういうのが必要な人も世の中にはいんだろって言うんで、そりゃそうかもしんねえとは思うけども――」
「必要って? なにおまえ、組で見てたの?」
「あ。夜中に、暇だったんで何人かで」
「あんなの見るんだ、ソリューションズで。へえー」
「たまたまだよ。変なもん見ちまったと思ってよ。みんな何となく目が泳いでて――話にろくにつきあってくんねえしよ」
「あははは! 〈ポイズン・モス〉も?」
「いやアニキはさすがにいなかったよ。いなくて、のどかだったから見たっつか。けどあんまり長くて退屈なんで、途中寝ちまったりなんかして、そんで流れっつか、あんまよくわかってねえってのもあんだけどよ」
「ボクシングとか見るわけ、おまえたち?」
「そりゃ見るよ、参考に。真似ごとぐらいはするしな。ホンモノのチャンプの試合とか見ると普通に、おーすげェな速えなとかって、何も考えねえで楽しかったりするけども、そういうのかと思ってうっかり見たらぜんぜん違って」
「はははは」
「えれえ気の滅入る話じゃね? そいうのおれにゃ珍しいからつい見ちまって、なんつか、ぜんぜん違う世界の話みてえな、設定から何からサッパリわかんなくてよ。ハチャのアニキなんか呆れて、さっさと寝ようぜってんだけども、おれむしろそのぜんぜん違う感じの世界がなんで、どやってできてんのかがあんまり謎なんで最後まで見ちまったんだよな」
「参考にはならなかった?」
「まあそりゃ多少、トレーニングのしかたとか……でもそりゃ、どうすりゃ自分がダメージくらわねえで効率よく相手を、そのう、倒せるかの参考に見るんで、どうすりゃ相手や自分を血塗れにできるかの参考に見るんじゃねえからさ。無駄に血塗れなのは、おれはごめんだよ」
「〈ポイズン・モス〉は血塗れが好きなんじゃないの」
「好きかどうかは知らねえが、少なくとも効率よく血塗れにするね、アニキは」
「効率よくって、どうやんの?」
「どうって……薄刃の斧みたいなやつでズサッ、て切って、なんだかを認めりゃ接いでやる、つって、ひどいときはダルマにすることもあるな。それはそれで見ちゃいらんねえが」
「効率いいわけ?」
「2、3本切るつったら大概は認めるか吐くかするからよ、切った手足と一緒に病院運んで、後は頼んだよって。まあ効率のいいほうだろ。最近じゃめったに麻痺も残らねえしな。ポイントは腕のいい外科をあらかじめ予約しとけるかどうかだけども」
「ダルマにしても吐かなかったらどうすんの?」
「場合によるね。しょうがねえから接いでやることもあるけどな。けどダルマにしても吐かねえようなら、どうせ何したって吐かねえんで、そのまま放置すりゃすぐ出血多量で片付くから、やっぱり効率はいい」
「掃除が大変だろうね」
「そうなんだよなあ。まず臭いがひどいしな。それに、ねとねとでよ……後片付けのほうによほど時間も手間もかかるんで、なるべく自分らで掃除しなくていいような場所を探すんだが、そのうえ、近くに腕のいい医者がいるような好都合な場所となるとね」
「あははっ! ロケハンにずいぶん手間かけてるんだね、おまえたち」
「そういう意味じゃ効率も何もあったもんじゃねえし、おれはやっぱ好きじゃねえけどな、そういうのは。もちっとうまく損傷抑えるやりかたがあんじゃねえのって思うけども、そうそう逆らえねえから。ともかく殴る蹴るして血塗れにするってなめったにねえ――」
「効率が悪いから?」
「あ。それにどうしたって後にダメージ残るからな、それもやりようだけども、あれはねえよ、あの映画は」
「……何とも言いようがありませんね、先生」
「そもそも、あの、ブッ殺す!とかいうセリフがな、どういう感じに聞けばいいのかよくわかんなくってよ……いや普通に普通の冗談として言うんならそれゃそれでいいけども、あれ本気で言ってるだろ、けどリングの上で、なんだろ。リングの上ならあそこまでやっていいのか? リングの外ではしねえんだろ? おれは、そのへんがこう、あー……」
「釈然としない?」
「釈然としねえな」
「まあそれはおれもちょっと思ったよ。これ、おまえが見たらどう思うんだろうなっての、訊いてみたかったからちょうどいいっていうかね。鼻白む感じ?」
「鼻白む? あー……そう、ともいえるかな……何つか……てか普通につまらねえカンフー映画か何かなら、特にどうとも思わねえけどよ。けどあれ、妙にリアルで……さっき何つった? そうそう、これ見よがしに血塗れってな。いや、あー、見よがしに血塗れな映画はいっぱいあるけどよ、てか、あー、つまり〈ウララ・ショップ〉で売ってるようなのはべつに構わねえよ、そゆのが好きなら見たけりゃ見りゃいい。けどあれはさ、何つの、あれでこう、人をこう、感動させようみてえな?」
「ああ、うんわかるよ」
「何に感動すりゃいいの? てか何を感動させてえのあれ? ほらギャラリーがみんな泣いて見てんだろ最後。あれ何に感動してんの?」
「むすかしいこと訊くね、おまえ……ええと……あの社長がゴング抱えて「最後までやらせろよ」って叫んでたから、何かしらないけど最後までやらせたいと」
「んあ」
「シンジのほうは、えーと確か、宿敵?のユージ?だっけ、との対戦が、中途半端に終わったのが口惜しそうであったと。「おまえそれでほんとにいいのかよ!」とか言ってたもんな。彼はユージを「ブッ殺す!」つもりでやっていたのが、ユージが意外にあっさり負けたんでブッ殺すに至らなかった。ユージがぎりぎりまで闘って殺されてくれなかったのが不満であったと。だから――」
「いやその「ブッ殺す」てのがよ、そもそも、ぜんぜん現実感ねえよ。そんなにブッ殺してえんならさっさと殺りに行きゃいいじゃねえの。なんでわざわざ試合組んで、そこでブッ殺すわけ? リングの上でなら殺っていいんだとか言ってたが、そうなわけ? 殺っていい場所で、そのう、合法的にならぜひ殺りてえとかってんなら、そりゃたいして殺りたかねえんじゃねえ?」
「あー、おまえがそう言うのは、わからなくもないけどさ。一般人は、そんなもんなんじゃないか? だいたい、〈銀麟〉とか存在しない設定なわけだしさ」
「けど半グレみたいのは存在するんだろ。実際、傷害して年少入ってんじゃねえの。傷害はよくて殺しは嫌なのか?」
「おまえだって最初に手を染めたときには、踏ん切りが要っただろ」
「そりゃまた別の話だよ」
「そうだ原作はね、あのユージのエピソードはないんだよ。「ブッ殺す!」とかってのも、そんなに出てこない。一度くらい出てきたかなあ。ブッ殺すモチーフは原作にはほぼ、ないといっていいね。映画のほうにはそれがくっついてる。えーと、半グレ仲間だったユージが裏切って、シンジの兄貴ぶんだった何とかいう人を鉄パイプで殴って半身不随にしたんだっけ?」
「あ、確かそんなような話だった」
「なのでシンジはユージを恨んでいて、「ブッ殺す!」と言っていると。ボクシングは憎まなきゃ勝てないけど、ユージのことならいくらでも憎めるというので、シンジはユージに圧勝する、と。えー、つまりユージのエピソードは、シンジに、人を憎むということの理由を、というか正当性を与えるわけだな……」
「はあ。正当性」
「原作には、そんな正当性というかエクスキューズは一切ないんだよね。憎むが勝ちなら、憎んでやる、そこに他の要素は別に要らない。けど現代では、理由が要るってことかな……」
「そもそもいつの話なんだ? 映画では、現代だろ」
「現代ってか近未来なんじゃないか、2021年とか2年とか字幕に出てたよ確か。原作は70年代――いや60年代かな。もう50年以上前だよね。もちろんネットなんかなくて、電話も固定電話しかなくて。舞台は新宿だけど、おれジュクは2度くらいしか行ったことないんだけど昔のジュクってちょっと〈アゴラ〉っぽいかも」
「へえ」
「けど、だいぶ広い感じする。〈アゴラ〉は濠に囲まれてるし起伏が多いから、荒野っていうよりジャングルとか、見通しのきかない藪とか、無限迷路みたいな感じだろ? おっきな樹がいっぱいあるし。けど〈新宿〉は植物もろくになくって、なんかだだっ広くてさ、けど部分部分は小さく細かい箱に分かれてて、それぞれの生活があって。その生活ぶりがちょっと〈アゴラ〉っぽいと思うんだよね。いろんな事情の人がいてさ、もう最低の生活してる人から、いい暮らししてるようでもフリーキーな人とか、あんまり、いわゆる普通のまともな人って出てこなくてさ。それぞれがそれぞれの、しっちゃかめっちゃかだけど穏やかともいえる思いを抱えたり抱えなかったりして住んでて、今日はこう思ったり明日はこう思ったりで、それが時々ニアミスしたりぶつかったり、それもその時限りで、互いにあさっての方向いてスパークしたりしなかったりさ。それでみんなそれぞれに自分のことしか考えてなくて、かといって思いやりがないわけじゃなく、人どうしの交流も時にすごくあったかい、けど必ずしも永続的じゃなくて、他人の事情には深入りしないのが原則、キズナみたいなものがあるときにはむしろ腐れ縁、みたいなさ。そういう、なんか、わりとしっくりするあれで」
「あのジュク――映画のって、震災なかった設定? 震災はあったけどどっか東北のほうっていう設定だよな。新宿々々言うんだがぜんぜんジュクっぽくねえ」
「そうだね。JINOで話題になってたっていうのもつまりそれでさ。仁礼さんっていう英文学の人が寺山の原作のわりとファンで、さっきの荒野とか荒地の話って半分は仁礼さんの受け売りなんだけど、実際読んでみたらそんな感じでさ、田村隆一の詩とか。あ、それでその仁礼さんと御大たちが昔、まだ震災前の若いころにジュクのバーかなんか根城にしてたことがあるとかで、あれのどこがシンジュクなんだって、別にシンジュクでなくても、どこだっていいんじゃないか、製作者は昔のシンジュクなんか行ったことも見たこともないんだろって、さんざんなケナシかたでさ。あれどこでロケってるのかわかんないけど、ジュクっていうより、なんか荒涼とした地方都市みたいだ。索漠としてるっていうか」
「サクバク?」
「うん。生活感がぜんぜんないよね。メインの登場人物以外はぜんぶただの背景になっててさ。酒場なんかでも、シンジやらコーチやらが盛り上がってるとき他の客はおとなしく遠くの席に座ってボカシがかかって、人形みたいにうっすら微笑んで見てるだけでさ。普通もちょっとわさわさするだろ、グラスがぶつかる音とか他人の会話とかで店じゅうわんわんする中で、顔近づけて声張り上げて話さないと聞こえないとかさ、それで他の客に背中にぶつかられながらリングネーム考えるとか、逆に周りは徹底して無関心で自分たちの内緒話に夢中とか、そういう、店のというか街のふだんの様子も喧噪もいっさいなくって、あれじゃあまるで死に絶える寸前の街っていうかね。荒野っていうよりディストピアだよね」
「ディストピア」
「みんなひたすら無気力でさ。原作では、どんな最低な状況の人でも、なんかすごく活気があるんだよ。エネルギーを持て余してて、そのやり場がないっていうようなね、それでしょっちゅうセルフ・スパークしてるんだけど、映画のほうは、そりゃあの社長だってコーチだって一生懸命ではあるけど、なんか活力なくって、頽れてる感じするよね」
「くずおれてる感じ。あー。「チクワ」とか?」
「あははは、チクワ、そうそう、あの社長がね、勃たないチクワ振り回しながらそれでも元気で、ていうか元気に振り回しながら暮らしてて、彼はちょっと悪くないとは思ったけど、それでも空元気っていうか、行動力はまるでないよね。「金策に駆けずり回ってる」とか他の人が言うんだけど直接そういう描写はなくて、出てくるときは、だーめだなーっていう諦めモードの画面ばっかりで、なんかいっつも遠い目しててさ。セルフ・スパークも不発で、擦っても擦ってもかすかな火花しか出ないライターみたいだ。要するにあのチクワ設定が、映画全体の「荒野」とやらの表象になってるんだろうな」
「表象」
「象徴っていうかさ。社長が唐突にシンジに言うだろ、人はみんな半分死んで生まれてきて、一生かかって完全な死体になるそうだ、とかって。あのわざとらしい唐突さは、つまりわざとやってるんだよきっと。わざと活力をなくして、シンジとケンジとボクシングまわりの話にだけ活気があるっていう、その対比を際立たせようとしたんだろうな」
「ボクシングまわりの話だって、それほど活気があるようには見えなかったけどな。ブッ殺すとか憎むとか叫ぶわりには」
「そうそう。憎めばいいのか、じゃ憎もう、で憎めちゃうくらいエネルギーにあふれてるんだけど原作ではさ。でも映画のシンジは、活力にあふれてるように見えるけど、やっぱ基本、無気力なんじゃないかなあ。目的とその正当性が与えられてはじめて駆動できるっていうか。あそうだ、「おまえの時代」って話があるんだ原作に。村田英雄の歌かなんかで「おまえの時代がくる」って歌ってるのがウソっぱちで、「おれの時代」しかないんだ、おれはそれをつかむんだっていうのが原作のシンジなんだけどさ、映画のシンジは、憎まないと勝てないぞって言われて、ユージのエピソードを与えられて、つまりは憎む枠組みを与えられてはじめて憎めるんで、結局、「おまえの時代だぞ」って言われてがんばってるだけみたいだ」
「難しいなおまえ。憎まないと勝てないぞって言ったのはコーチだろ。エピソード与えたのは映画の製作者だろ、脚本家つか。ぜんぜん違う話じゃねえ?」
「いやそうなんだけどさ。コーチがそ言ったのだって脚本家が書いてるんだから、結局は同じことになるんだよ。映画の俳優は与えられたセリフをしゃべって、与えられた設定の上で動いてるわけだから」
「それを言や何だってそうじゃねえ? 映画に出てる人間は全員あやつり人形だっていう――」
「うん、だからおれ映画って好きじゃないんだよ。それわかっていながら、なんか感動させられたりとかして、腹立つ」
「あそうだ、そんで最後ギャラリーが感動してんのは、結局なんでなんだ? あれバリカンに、最後までやらせろっつってんの? 何を?」
「バリカンは、シンジと闘いたいからってことで移籍する。技術的には勝てるから、あとは憎めさえすればいい、でも結局憎めないから勝てても勝ちにはならないだろうとわかってる。じゃ何のためにシンジと闘うのかといえば、「つながりたい」からだと」
「だから「つながりたい」って何なんだよ……なんか気色悪いじゃねえの。そいやハチャのアニキが「ホモ映画」だつってたけどよ」
「えー? あー、確か試合中盤でクリンチ繰り返してんの見て誰かギャラリーが「ホモってんじゃねえ」って叫んで、社長が「てめえ黙ってろ」とかって怒鳴るシーンあったな」
「おまえよく細けえとこまで覚えてんなあ」
「けどあれって逆に、これはそういう特定の属性にかかわる物語じゃないんだってことをわざわざ言うために入ってるシーンなんじゃないのかな。原作にもゲイのモチーフは出てるんだ。普通にゲイの人いっぱい出てくるし、そんでバリカンも何となく、シンジへの愛みたいなのを自覚してたりする」
「愛!」
「60年代にはさ、ゲイとかそういうのってあからさまな悪徳で、タブーだったと思うから、小説にそういうの描いたりしてあればすごく鮮烈だったんじゃないかと思うよね。セルフ・スパークの一要素としてさ。けど現代に移すと、なんか普通っていうか、またかー、もういいよって感じする。最近じゃ、ボクシングに限らずレスリングでもバレーボールでも水泳でもダンスでも、ライバルと闘って競いあう物語ってみんな、何でもかんでもボーイズ・ラブの話だってことになってて――」
「そうなのか?」
「みたいだよ。ロンブンなんか読むとそんなのばっかりだ。だから、そうだ、おれたちなんかだって、そういうロンブンにかかったらBLにされちゃうよきっと」
「げっ。冗談きつえ。マジで?」
「マジで。月イチだか月二だかで2人で約束して会ってさ、木陰でシッポリ、待ち合わせて音楽なんかやってさ、「ホモってる」ねって、けけけけ」
「けけけじゃねえよ、気色悪いな本気で」
「おまえ、そんなあからさまに気色悪いとかいうと、ポリコレ違反で炎上するよ?」
「だっておれは気色悪いもの、しょうがねえだろ? 個人の嗜好なんだからよ。納豆が気色悪くて食えないやつが納豆受けつけねえのと同じじゃねえ? 他のやつがゲイだろうが何だろうが一向に構わねえさ」
「ま、おれも自分ではご免蒙りたいけどね。おまえのアニキ、〈ポイズン・モス〉はゲイだって話だけど」
「そうらしいけども、普段それらしい様子もねえけどな。ボクシングとか見て喜んでる感じでもねえし、あんま関心なさそうだな」
「好みが違うのかもね。あ、そんで、つまり何だっけ「つながりたい」話だっけ、それがゲイ方面の要素を含んでいようがいまいが、あからさまに抱き合って寝たいという意味でないとすれば――あそうだ原作ではバリカンは「愛するために、愛されたい」んだそうだよ。どっかで読んだそのセリフが妙に琴線に触れたんだとか」
「そうかよ。んで、そのアイするためにアイされる関係がコーチクされるまでに、なんで八十何発も殴られなきゃなんねえの?」
「そこだよな……んーと、つまりギャラリーが感動してんのは、殴る/殴られるという能動/受動の関係において、唯一可能な人間関係を構築しようとするバリカンの起死回生の試みに……」
「何だかわかんねえよ。難しく言わねえで平たく言えよ平たく」
「おまえが難しいこと訊くからじゃないか。難しい問いに平たく答えるのはそれこそ難しいよ。映画のほうの話で言うなら、さっき言ったみたいに「ぼくはここにいるから」っていうのがたぶんキモでさ。「ぼく」はここにいて、シンジにもそこにいてほしい。試合やってる間は、シンジはそこにいてくれる。正面から本気で相手をしてくれるわけだよね。で、バリカンは強いから、カウンター出したら勝ってしまって、試合が終わってしまう。終わったら、シンジはいなくなる。試合が終わってほしくないので、彼はカウンター出さずにひたすら耐えてる。耐えてさえいれば、ずっとシンジは、彼のこと殴りながらそこにいてくれる……」
「………やっぱ気色悪くねえ? 別の意味で……」
「……そだね……自分で語ってて気色悪い……」
「それよ、もしバリカンが女だったら?」
「ええー?」
「女で、シンジと関係をコーチクしてえと思って、そのためにさんざん殴らして耐えてたらそれも同じなのか?」
「それ単にDVじゃないか。おまえすごいこと考えるね」
「だって特定の属性と関係ねえんだろ? てことは男でも女でもいいってことじゃねえの?」
「まあそりゃ、男女混合ボクシングってのがあれば、そうも言えるだろうけどさ。男女でも女々でもいいのかもしれないけど、今回は男性ボクシングの話だからつまり男どうしの「つながり」の話にするしかないとすれば、逆にゲイ文脈をあらかじめ排除しとかなきゃならない。ほらバリカンが女に誘われて、寸前までいったけど「ごめん、あなたとはつながれない」とかいって逃げるだろ、あれって最後シンジとボクシングで殴り合うしか他人と「つながる」方法が彼にはないっていう伏線だろ、けどそれが、彼がゲイでシンジを愛しているから、ってことで終わっちゃダメなわけだよ。だからあの「黙ってろ」のシーンがあるんだろうね、でなきゃ、あれだって唐突すぎるもの」
「けど、明らかにシンジに執着、つか恋着?してるだろ、バリカンは」
「そうだけど、けどその上で、最後はその文脈から離れないといけないんだよきっと。だって最後、ぼくはここにいる、「みんな」ここにいてほしい、って言うじゃないか。シンジに恋着してるっていうのはあくまでも動機でさ、「つながりたい」と思える唯一の相手をそやって設定しといて、最後はもう殴り殴られるっていう関係性だけにスポットが当たらなきゃいけないんだろ。文字通り、「みんな」がそれを見るためのスポットライトがさ」
「はあ。関係性ね……つまり死ぬまでずっとアイする人に殴られていたいと。それがバリカンの、あー、唯一の、あー、イノチガケのアイのカタチで、それをみんなに見てほしいと」
「うーん、一言で言えばそういうこと、とも言えるかもだけど……」
「……んじゃ、まあバリカンのほうはそれでいいとしてもよ、シンジのほうはどうなんだよ? 最後なんかキョトンとしてんじゃね。バリカンは死ぬまで殴られ続けて、そんでシンジと何か関係を結べた気になったとしてよ、シンジのほうはいい面の皮じゃねえか?」
「うん……彼は、シンジは、原作のほうではうすうす感知してるんだよね、バリカンがある意味で自殺したがってて、その道具に自分が使われようとしてる、自分に責任を押しつけといてバリカンは死に逃げ?する気だなってのをさ。でもそれがわかってて何で殴り続けるのかは、書いてないからわかんない。映画のほうだと、えーとどうだったかな、バリカンは自分と「つながろうとしてる」、「その手に乗るか」とか言ってたけど、結局はその手に乗っちゃったんだろうなあ。起き上がってくるやつは自動的に殴るようにプログラムされてるみたいな、それだけ、憎しみが強いほど勝てるっていう設定にきちんとのっかってるやつだから、バリカン相手にしても、その時点ではきちんと憎めてるんだろう、移籍したバリカンが「恩知らず」の「裏切者」だっていう、憎む動機をちゃんと与えてもらってるからね。そやって憎しみを持続させてる間は、彼も充実している、と」
「ジュージツ? あー。充実。で試合が終わればその充実感もなくなって、抜け殻になると。ユージとやった後みてえに?」
「ああ、そう――抜け殻っていうか、灰になるんだよ、ははッ! 『あしたのジョー』っていう有名なアニメがあってさ、70年代初めにさ、最終回に宿敵とやった後で燃え尽きて灰になるっていうのが『ジョー』ぽいってクチコミに書いてあったから、最終回だけ見てみたらさ、ほんとに灰になってるんだ、つまりスツールに座った形のままモノクロの静止画になって終わるんだけど、確かにいかにもそのパロディっぽい、最後ぽつねんとスツールに座って。けど燃え尽きたっていう感じはしないよね。なんでカメラ目線なのかわかんないけど、恨みがましくこっち見てる感じでさ。憎むのも闘うのもプログラムされてて、バリカンをやっちゃいました、愛したと思った女も逃げちゃって、ジムも潰れて、次はおれどうしたらいいんですか?って」
「あの女、なんで逃げたんだ?」
「さあね。彼女も、誰とも「つながれない」人なんだろ、親とも、友達とも恋人ともさ。原作では逃げないんだ、刹那的ではあってもいろんな人とちゃんと関係持ってる女だしね。けど映画だともうイヤほど設定くっつけられてて、片親で母親が売春婦で、被災して仮設で母親捨てて逃げて、それ以来エンコーとカッパライで生き延びてきましたっていういかにもアリガチなさ、ああそれなら何かのきっかけで恋人をふっと捨てちゃったりしても仕方ないよね、人と「つながる」のが怖いんだねって観客が思ってくれるだろうと期待した造形になってる。最後のクライマックスのためにシンジもバリカンと対等にコドクにさせなきゃならないから、そのために逃げるんだろ。他に理由はないよ。シンジを最後に捨てるための役に作り替えられてるんだ」
「何だそれ。えー、つまり台本がそういうふうに仕立てられてるってことか?」
「映画ってそんなふうなんだよ。映画じゃなくてもさ。人が作ってるんだから、自分が作りたいもの作るために、いろいろ操作するんだよ。けどあの映画はその操作が見え見えすぎるね。彼女だけじゃなく出てくる女みんな似たような感じで、誰もかれも、つながりたいけどつながれない的な悲劇面しててウンザリするよ。何であんなもの最後まで見たんだろうおれ。ああ。なんか言ってて嫌んなってきたな――」
「悪かったな、ハル。もういいよ。もうそんなに考えなくっても。だいたいわかったから――」
「いや、ちょっと、こうなったら最後まで考えないと、おれのほうが今夜眠れないよ。結局シンジにとっては最終的に、人との本気の関係を構築する唯一の手段が憎しみしかなくなった、とそう考えれば――そう考えれば、バリカンは、シンジに思いっきり自分を憎ませて、自分は思いっきりその憎しみに耐えて立ってるという形を作ることで、双方ともに極限まで充実した一対一の関係性を持とうとした――そしてシンジもそれに応えざるをえなかったと」
「……ははあ。……なるほどな……つか、けど……」
「ただの理屈だよ。理屈なら、たぶんいくらでも言えるんだ。理屈言うのに便利なようなセリフが、わざとらしくいっぱい入ってるもの。なるほど社長の言う通りこの映画に出てくる人たちは背景の人たちを含めてみんな半分死体みたいなもんだよな、最後バリカンだけは完全な死体になれるんだなとかって、いくらでもそういう便利な解釈ができるようになってるんだ。誘導きつくてさ。「作者の言いたいことは何ですか」っていう問題として模範的にできてる感じで、それ自体がディストピアだよ、言ってみれば。ガイドに従って手すりに沿って歩いていけば教訓が得られるってだけで、途中見るべきものはほとんどない。まあね、練習のときグローブの上から目だけ出して相手を見てるバリカンは、ウサギみたいで愛らしいっちゃ愛らしいし、「ブッ殺す」話にしても――前篇の最後にシンジがリングの上から叫ぶだろ、「ブッ殺すからな!」って、観客席のユージに向かってさ。「てめぜって殺すかんな!」って、ちょっとエコーとかかかって、聞いてるユージの顔がアップになって、「コロシテヤルカラナー!」っていう、あれだけは、歌みたいで悪くないと思ったけどね。ユージに刺さってるのがわかって。そんな歌はおれ嫌いだけど、それでも後篇へのフックとしては効いてる感じでね。結局グダグダだったけどね」
「……あのよ。おれさ――そのう――憎んだことねえんだよ。相手をさ」
「え?」
「誰もさ。ブッ殺してやる!とかも思ったことはねえ。ただ、殺さなきゃなんねえなら殺そうと思うだけで。そんでそう思ったら殺すだけで」
「……」
「殺すことと、憎むことが、なんでそんなに――そんなに――ええと――」
「直結するのか?」
「直結すんのか、わかんねえんだ。だから――殺してえほどの憎しみとか――それが唯一の充実でとか――逆に、誰かにずっと目の前にいてほしいから自分を憎ませて無抵抗で殴らせるとか――理屈はわかっても、まるで本当のこととあ思えねえ。そういう話で、ギャラリーが感動してるとか――そこがよ、つまりまるで別の世界の話のようでよ。実際味が感じられねえ。おまえは、感じるか? そういう話で」
「実際味は、感じないね、正直なところ。だから理屈なんだよ、本当にただの。おれは――至って利己的だから、憎しみに我を忘れて復讐に燃えるなんて、みっともないだけで損だと思うけど、ほんとに憎かったらリングの上なんかではやらないだろう、暗闇で、背後から刺すか何かするだろうね。それにそういう相手と一対一の関係をとり結ぶためにわざと死ぬまで殴らせるなんて麗しい自己犠牲の精神なんかかけらもないもの――っていうかそこまで追い込まれたことない」
「おまえは、誰か憎んだこと、あるか?」
「ん――どうなんだろう。特定の誰かを憎んだことは、ないような気がする……少なくとも、憎いとか憎むとかっていう言葉にふさわしいほどには。けどおれの中に憎しみみたいなものが全然ないかっていえば、そうでもないんだろうな、というか――そんな感じ? あ、そうだ――缶が憎いな、おれ」
「は? カン?」
「缶詰の缶。じっと見てると、ギリギリギリって暴力的に缶切りで切り裂いて、キィッパカッて無理やり口開けさせたくなるんだ。ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろって……クククっ……ふふふふ」
「……はあ。缶」
「ふふ…あはっは、は、は、あああ、可笑しい……おまえは? 殺すのとは関係なく、誰かを憎んだりする?」
「……わかんねえ……そもそも憎むってのがどういうことなのか、わかんねえし。誰かが嫌いだとかっていうのとは違うだろ?」
「違うんだろうねきっと。憎むっていうのは、すごくエネルギーのいることで、さ――おれは嫌いなやつはゴマンといるけれども、いるからこそ、いちいち憎んでたら身がもたないだろうと思うよ。ネット上には憎しみというか憎悪がふんだんにあふれ返ってるけど、みんななんで日々あんなに活力を浪費できるんだろうと思うよね。おまえだって殺すたびに憎んでたら、命がいくつあったって足りないよきっと」
「ボクシングってスポーツがどんなものか、おれには本当のとこはわからねえけど……憎むが勝ちだとして、最初にガンつけ合うだろ、あれって闘志を高めるための儀式みてえなもんなんだろうが、やっぱ直感的に、私情抜きで憎めなきゃダメなんじゃねえかと思うけどな。それを憎むって言うのかどうかは別としてよ。そういう意味じゃ、そのつどおれだって憎んでんだろうけどよ」
「ああ――そういえばこれもクチコミでさ、シンジのイっちゃってる演技が素晴らしいとかっていうのがいっぱいあったんだけど、おれは全然そうとも思わなかったんだ。怒ってるときというか、戦闘モードのおまえのほうがよっぽどイッちゃってる感じするもの。こう言っちゃ何だけど、怖いよおまえほんとに。それ見慣れてるとね」
「はは……例えば――例えばミチャのことでおれが〈砂〉を憎むかっていや、そういう感じでもねえんだよな……〈砂〉を完全に掃討しねえ限り〈パンゲア〉からミチャを救い上げるこたできねえんで、会いに行くたびに、なんつかその、な――けど、ミチャを沈めたから〈砂〉が憎くて憎くてブッ殺してえかっていえば、そうでもねえ。〈砂〉をなんとかするってのがソリューションズの今いちばんでかいミッションなんで、それはむろんおれらの実力で何とかするしかねえし、するんだがよ。けどまだ相当時間がかかるし――そりゃ、ミチャのこととは、なんか全然別のことだっていうか――」
「……」
「……ミチャとの関係も、なんだかよくわかんなくなってきてよ、最近はもう――会いにいくつっても、要するに〈パンゲア〉行って普通に金出して買うわけで――大概もねえ金額で、よ。行かねえとミチャが待ってるだろうとは言っても、もう、おれを待ってるんだか客を待ってるんだか――あっという間に、崩れちまうのな。いろいろ。ミチャが何かを憎んでるとして、〈砂〉をじゃなく、もうむしろおれを憎んでんじゃねえかと思うこともあるさ。とうとう来月にはサツの手が入るらしいんだが、何となくふたりして、そいつを待ってるような具合で。〈砂〉はJIPの面倒みねえから、手が入りゃ送還はまぬがれねえから。……結局そんなぐだぐだなことになっちまってるのが、おれに力がねえからだとか、実力が足りねえのが口惜しいとか、まあ思ったこともあったが、思ったとして、絵空事さ――誰かを思いっきし憎んで何かどうにかなるようなら、そりゃ至って幸せなケースなんじゃねえ?」
「……」
「……」
「……幸せっていえば、前に薄田さんが、幸せの記憶、っていう話をしてくれたことがあるんだけど」
「幸せの記憶?」
「まだものごころつくかつかないかのころに、少しでも、幸せだったことがあるかどうか――幸福の記憶をひとつでも持っていれば、その後どんなにひどい人生でも、道をはずさずに生きていけるんだってさ」
「……」
「それ聞いて、おれ、けっこう納得したんだよね……高媽も、るいちゃんも、早々といなくなってしまっておれはすごく泣いたけども――高媽が死んだとき泣いたかどうかは実は覚えてないけど、少なくとも高媽がいたとき、るいちゃんがいたとき、おれはけっこう幸せを感じていた、ときがあった、それは確かだと思う。だから、いなくなったとき泣いたんだし――いなくなった後も、やってこられたんだろう。いつかまた同じような幸せな時間を持てるかもしれないって、期待することができるから。それがなかったら、ふたりともただいなくなっただけで――生きるのに必要だったモノがいなくなった、欠損したっていうだけで――そこには欠乏があるばかりだろう、きっと。飢えがさ」
「……飢え」
「パンドラの箱って、あるだろ、神様が大切にしまっておいた秘密の箱を開けたら、病気やら災害やら、悪いものがブワッと湧き出して、世界中にそういう、ありとあらゆる悪いものがあふれてしまったんだけれど、箱の中にひとつだけ、小さいものが残ってて、それは希望、だっていうさ。あれって、その幸福の記憶のことじゃないかな。それが残ってる限り、人は、廃れずにいられるんだ、きっと」
「……オヤッさんが生きてたころは……そう……確かに……おれは飢えてはいねえ……のかな……」
「ボクシングなんてさ。あれ減量するだろ、すごく厳しく。試合前なんて、ほとんど文字通り飢えてるんじゃないの? そういうぎりぎりの飢餓状態にわざわざ身を置いて、それで闘うんだよね。おまえたち減量とかする?」
「しねえな。いや普通に食事には気ィ遣うけども、なるべく体調よくしとけるように。体重はあんま関係ねえ」
「だよね。だからやっぱり時代錯誤なんだよ。今だったらさ、減量のときだって、適切にバランスよく調整された、それ用の栄養食品使うだろ。グルコマンナン入りか何かのさ。惨めったらしくメンマなんか食わないよ……まあそりゃよほど貧乏な、時代遅れの、潰れかけたジムなら、ありえないことでもないだろうし、どうしてもラーメン屋につきあわなきゃならないんならそりゃメンマも食うだろうけど。あそうだ、ジムが潰れかけてて決戦の日に立ち退きって設定も映画独自の設定のひとつなんだ。そやって社長もコーチも、希望を全て失ってシンジとバリカンの勝負に賭ける。全ての設定が、最後カタルシスに向かって収斂するように作ってあるんだな」
「カタルシス」
「ギャラリーが熱狂して、みんなして涙流してカタルシスに陥ってるのは、それを見てる観客を同じようなカタルシスに引っ張り込もうってわけなんだろうけど――それで実際ハマったやつも多いみたいだけど」
「それもクチコミか? おまえよくマメにクチコミなんか見るなあ」
「まあ、あくまでも参考にね。自分の見方がひどく偏ってるんじゃないかっていうのはいつも気になるもの。もちろん鵜呑みにはできないけどさ、ネットのクチコミなんて。シンジュクが新宿らしくないとか、メインの登場人物が妙に昭和っぽくて近未来設定とチグハグだとか、長くて退屈だとかもけっこうあったからそれなりに安心したけどね。みんながみんなハマるわけじゃ決してないって」
「そうか。けどハチャのアニキなんかは、実はちょっと感動してたりすんのかもな……設定がシンジと似てるから」
「設定?」
「ハチャのは、どういう事情でか知らねえが院に2,3年いて、出てすぐソリューションズに拾われたんだよな、18のとき。ジムとは違うけども、ソリューションズだって言ってみりゃ暴力を事とする団体だろ」
「ブッ殺す!とか叫んだりすんの?」
「あー。わりと叫ぶね。ただの気合みたいなもんかと思ってたが」
「あそう。へえー」
「憎まねえで殺せるなら楽でいいじゃねえかって言われたんだよ。ハチャのには、わりとわかるところがあんのかもしんねえな。けど、どうかな――ひょっとしてハチャのも、荒野にいたりすんのかな……」
「原作ではさ。観客が熱狂してる中でバリカンはひとりで、ああ荒野だなって思いながら、くらうパンチ数えながらぎりぎり生きてる、そんでそのまま終わって、死んだかどうかはわからない。死んだかもしれないけど、八十何発まで数えてるのがそもそもキゼツした後の妄想かもしれないし、ともかく死んだっていうはっきりした描写はないんだ。最後死亡検案書がついてるけど、それは父親の死亡検案書でさ。バリカンの生死とも勝負とも何の関係もなく勝手に父親死んでてさ、ははッ! 映画でもそうすりゃいいのにな。社長は相変わらずチクワ振り回しながら彼女だか彼氏だかに言い寄ってさ、川崎は自殺研究会のことなんか忘れたみたいに新しい馬鹿な企画について隣のやつに吹っ掛けてさ、横目で試合見るとも見ないともつかないような、みんな酔っぱらってメチャクチャになってる画面の端っこでバリカンたちがやってて、あるときワァッてなって社長も川崎もリングのほう一斉に振り向くと試合は佳境に入ってて、と思ったら切り替わってグデングデンの父親が酒瓶持ってよろめき歩いてて、シンジのストレートが決まった瞬間、道ですっころんで死んでたりとか、社長はフラレて泣いてバリカンと一緒にボディにダメージ喰らって、同時に川崎は隣のやつにひっぱたかれて、その途端にバリカンはふらっと倒れそうになって、でも倒れないで不意にリングが白く光ってあたりがシンとなって、ああ、荒野だなって――あ! そうだ、あの映画、ユーモラスなところが全然ないんだ! 全篇ずっとむやみに深刻でさ、原作では自殺研究会の話なんてほとんどコメディなのに。映画だってそうすればいい。おれだったら最後はもうスラップスティック・コメディみたいにしたいかもな――血みどろにする必要なんか何もない、むしろ調子のいい、あっかるーい音楽かけて、サルサかなんか、したらゾンビみたいに起き上がってくるところなんかだってそれなりに楽しめて、荒野もかえって荒野らしくなったりしないかな」
「あー、おれ見てみてえな、それなら」
「まあやっぱいくらでもやりようがあると思うよね。原作をそのまま映画にしようと思うんなら、そんなふうにでもすれば少しは詩に近づくんじゃないかなあ。でもそんなことやりたいわけじゃないんだろう。実際には映画では、バリカンは「ぼくはここにいる、みんなにここにいてほしい」って言って、みんな泣きながらそこにいて、父親さえそこにいて、みんなで最初からずっとバリカンたちに集中してるんだ、他に何の希望もないからさ。希望もなければユーモアも諧謔もない、灰になってるのは彼らのほうなんだ。それで死亡検案書はバリカン自身ので、みんなで泣きながら彼の死を悼むんだ。ああ――なんて麗しいんだろう! 「この上なく汚らしく、この上なく美しいこの国で」とかって誰かのセリフにあったけど、そういう場所を設定されて、そこでひとりでバリカンがWeltschmerzを背負って屹立してるみたいな――」
「ヴェルト……?」
「世界苦。世界中の苦しみを一身に背負わされたみたいなさ。ヴェルトシュメルツ。ドイツ語の単語って音がすごく強烈だと思わない? 子音の組み合わさりかたがさ」
「ヴェルトシュメルツ。シュ、と、ツ、が効いてんな、とは思う」
「いま強調して発音したから攻撃的に聞こえたかも。ほんとはもっと柔らかいんだけどね。フランス語だって、上品でソフトでおしゃれな言語だと思われてるけど、いくらだって攻撃的になれる。どんな言語だって、この上なく汚らしくも発音できるし、この上なく美しくも発音できるんだ。国だっておんなじだろ――国って何なのかは別としてさ。おまえ汚らしいと思った?」
「え? 国が? あの映画の? あー、クニてのがどこを指してんのかサッパリわかんねえが、全体の、背景?ってことなら、むしろ小ぎれいだと思ったな。それほど汚らしくも美しくもなかったつか、別にどうとも思わねえ。映画は、確かに何か汚らしかったけども」
「そうだよね。冒頭で爆発かなんかあって、ラスト近くでも爆発があって、そこら中テロが頻発してる世の中ですって思い入れなのかもしれないけど、あんまり安手だよ、子供向けの戦隊モノかなんかみたいなチャチな爆発でさ、そういう陳腐な手で、汚らしさとか荒野とかが表せるとか思ってるとしたらその心根が汚らしいよ。爆発だって、どうせやるならもっと金使って作れよと思うよな。何十人も酷たらしく死んで、手足の千切れたのが吹っ飛んでくる中で平気でラーメン食って、スープに指入ったとかいって――」
「はッ、は!」
「――店員に文句言ったり、いやそんなのだって今もうアニメとかでは全然珍しくも何ともないだろうし、どころかソリューションズじゃ実際に日常茶飯事なのかもしれないけどね。爆発すら低エネルギーで活気がないところが、ひょっとしたら、荒野だってことかもしれない――思うんだけど、60年代にはシンジとかケンジとかああいう境遇の子供って普通にいっぱいいて、それほど珍しい生い立ちでもなかったんだろう、そのころの小説でも随筆でも読むとそんなのばっかだもの。戦災孤児っての? 空襲とか、戦後の混乱の中で親をなくした子供がいっぱいいて、60年代半ばにはちょうどシンジケンジくらいの歳になってるわけでさ。ケンジの父親の話は原作にもあるけど、シンジのほうは院出たってだけで親の話はいっさいないんだ。要らないからだろう――院出て、これからどうしようってだけで、必要十分なんだろう。けど映画ではわざわざシンジの母親が出てきて、父親が自殺したあと母親に捨てられたって設定で、愛されなかった子供、的なモチーフがてんこもりなんだ、バリカンのほうだって原作では父親はそれなりに、やっぱり活気があって、自分勝手だけど彼なりに毎日セルフ・スパークしてんのに、映画ではいろいろ設定ついてるけど結局は子供を愛さなかった父親ってとこにキャラ押し込まれて。親に愛されなかったから、憎しみでしか、暴力を介してしか人とつながれません的な? ああそうか。憎しみと暴力を介して人とつながる話が作りたいけど、単にそれやったらただの暴力映画になっちゃうから、親に愛されませんでした物語をくっつけて、ああそのために都合よく震災あったじゃん、そういう子供またごろごろ出てきたじゃん、それ設定に使えばうまいことやれんじゃね?ってふざけんなよ――」
「ハル――」
「ユージのライバル設定も余分だけど親設定も余分だよ。親とか関係ないってことだけあればいいんだよ、原作のシンジみたいに。それをあれこれ理屈をつけて整合性つけて、心理学的にこうであれば正しいでしょうみなさん? 畜生、カンが憎い、カンが憎い、カンが憎い――」
「ハルって」
「……」
「おい、またイシキ飛んでねえだろな?」
「え。いやトンでないよ、なんで? えーそれではここでソリューションズの〈クーザンのシロ〉さんにお話をきいてみましょう。介護問題をどうお考えになりますか?」
「え……ええ? あー。あ?」
「介護は、今コーポレーションのほうの任務で、それもほとんど主要任務のひとつになっているのではありませんか?」
「あ。はい。けど表だ……ですよ。財源はAISAで。介護詐欺みたいなのもまだ山のようにある……ありますが、少しづつコーポレーションが取り込んでいってるところ……です」
「ソリューションズが介入することもあると聞きますが」
「……ありますよ。一度そういえばありました、田舎のほうの組が介護のシノギやってて、けど本気になっちゃって、そのまんまNPO法人になっちまうかもって言って。ました。これは、えー、まさしく、公……公的、な?補助が必要なケースだと思います」
「田舎のほうだと、比較的やりやすいってことなんでしょうか。ジュクなんかでは、どうでしょう」
「あ。それこそ〈砂〉が裏で噛んでたりするか……しますからね。むずかしいです」
「現実は現実として、なんであの映画に介護が出てくるのでしょう?」
「えー、わかんねえって、だから」
「シンジくんが、社長のやってるラブホ改築したケアホームでバイトしてますね。入居してる老人たちはみな認知症で、半分死んだようにかろうじて生きてるのがやがて完全な死体になるところが描かれています。つまりいわば一種のチクワとして描かれているわけですね。自殺研究会が急ごしらえで作ったキャンプに入れられる自殺志願者もみなゾンビですが、えー自殺については、どうお考えですか?」
「あ、は……自殺?」
「「自殺は、弱者にとって最後に残された美しい抵抗手段だ」というようなことを、川崎くんが言っていますね。それで自分もドローン自殺をするわけですが、これを念頭において理屈で解釈するならば、最後のバリカンの死も、目に見えない権力に対する最後の美しい抵抗だったということになるでしょう。これをどうお考えになりますか?」
「権力て? え? 弱者? 誰が?」
「バリカンは幼いときに無理やり父親に韓国から連れてこられて、そのせいか吃音があって日本語が不自由です」
「だから弱者なわけ? だってそれでがんばってジム入って誰よりも強くなってんだろ。最後にゃ吃音だってほぼ消えてんじゃねえの、弱者呼ばわりしたら失礼だと思うけどな? 川崎だっけその、自殺研究会の会長だってあんだけ好き勝手やって女の弱みにつけこんで孕ましたりしてどこが弱者なわけ?」
「ピー。弟が自殺していて自分も自殺したくて社会不適応だから、そういう人から弱者である権利を奪ってはいけないのです。自殺志願者を支援するプログラム、みたいなのもそのうちできますよ」
「え、だって志願しねえやつを支援するだけで手いっぱいじゃねえの? そもそも支援て何だよ。人のこと放っときゃいいじゃねえの……ねえでしょうか。ほんとに自殺したいやつはすりゃいい。けど自殺してえつってても大抵ホントには死にたくねえもんだから、放っときゃ生きてんでしょう。ほんとにほんとに死にてえやつは、死なしてやりゃいい、そりゃほんとに死にてえんだろうから。そんでも助けたきゃ、助けられるんなら助けてやりゃいいし。何を理屈こねる必要があんだかな――」
「介護は、汚らしい、って誰か映画の人物が言っていましたね」
「そんなこと言ってたっけ。汚らしいのは支援っておためごかしじゃねえのかな」
「当たーーりーーーいーい!」
「あ! びっくりさせんなよおまえ――」
「大当たりシロさん! おめでとうチャンプ! 見事な洞察! 真理の剔抉! 一発knock out! Fine! Super!」
「はあー?」
「Tremendous! Perfectment! Good job! Good dog、好狗子! 好了好了好了――」
「哎,不要! 別摸头! 你要干什么,白痴,我能打你吗?」
「你看! ほらね、すぐ殴るでしょうあなたは。無礼なやつはただちに殴る。困ってる人はただちに助ける、あるいはただちに見棄てる! 理屈不要、支援なんてまだるっこしくおためごかしなことは願い下げですよ、弱者だなんてね! なんて万能の言葉だろう! 誰もが弱者、弱者がスタンダード! 憎くて殺したいやつは強者に仕立て上げてやればいい、仕立て上がりさえすればもう誰はばかることなく大っぴらにブッ殺せるわけですよ。強者のためのリング! 介護も支援も汚らしいけど、ケンジシンジを支援するのは美しい! 恵まれない不幸な境遇の子供たちをさりげなく支援してうまいこと育てれば、見ておもしろいエログロ血塗れ暴力シーンを見事に演じてくれます! 世界苦を背負って、何だかわからないディストピアのどっかにいる目に見えぬ権力者に抵抗の炎をブチ上げてくれます、カンドーします! 弱者はちょっと餌ちらつかせればすぐに言うこときいてスクスク育つから、面白いですねーえ、あはッ、は、は、は……」
「なにハルおまえは、要するにそこにイラついてるわけ?」
「あー、そうかもね、そんな気がしてきたね。もともと嫌いなんだおれ、弱者設定っていうのが。あの映画はことさらそれがあからさまで、けど映画でもドラマでも今もうそんなのばっかりでさ、幼いころの不幸な思い出ってのが必ず、うるさいほどくっついててさ。こういう生い立ちだから大人になってこういう犯罪に走ったのも無理はありませんとか、人と関係を持てないのも無理はありませんとか、だから罰を与えるのはかわいそうだ、当人に非はなくって世の中が悪かったんだ、必然の悲劇だねって。何したっておまえに責任はないんだから、安心してケアと支援に身を委ねなさいとか言われて、それで「みんな」の同情と共感が集まるみたいなのって、要するにそやって消費されるために自己決定権をまるごと奪われるってことだろ。おれはいやだ。奪われたくない」
「ははあ」
「おまえだってそうなんじゃないの? おまえが反社の側にいるのは生い立ちと環境のせいで、おまえに責任は何もありませんとか言われたいか?」
「あー、まあ、生い立ちと環境のせいって言われりゃ、そりゃ、せいではあるけどな? オヤっさんが死ぬとき言ったんだよ、人生は選べねえって。けど全部、自分で決めるんだ、ひとに決めてもらうんじゃねえ、ってな」
「そんなことを、オヤっさんが。初めて聞いたよ」
「そうだったか?」
「けど、その通りだろう、そう思うよ。おれなんかだってたぶん、生い立ちってことで言えば至って容易に弱者設定されちゃうだろう、地震っ子でこれこれだからって責任を取り上げられて、気持ちのいい同情と共感のために無力にされて、支援とかされて」
「金の支援なら、してもらえるんならうまいこと利用すりゃいいんじゃね?」
「そりゃね。月に5万でも3万でもあったらどんなに楽だろうとは思うけどね。けど支援には逆に必ず弱者設定がくっついてくる、それがたまらなく嫌なんだ。それが嫌だっていえる程度には、つまり強者だってことなんだろ。いちおう親というか親みたいなモノがいて住むとこがあって、しかもJINOがあって御大たちが助けてくれるし。けどそれはさ、金ねえのか、じゃメシ食わしてやるよ、本も読ましてやるよっていうようなさ――それは支援じゃなくて、単に、恩ってやつなんだよ。恩には、おれは甘える、けど支援はごめんだ」
「どう違うんだ? おれだって恩は数えきれねえほどあるっつか、それがなきゃやってこられなかったけどな。けどコーポレーションは底辺の連中めっちゃ「支援」してるぜ?」
「それは建前だろ、アッパー向けのさ。弱者とかマイノリティとか一律にレッテル貼って支援してるわけじゃないだろ、ほんとに困ってる個々人に対してそのつど〈窓口〉を介してテキトーに援助してるのを「支援」て銘打ってるだけだよね?」
「あー、ほんとにテキトーだから見落としもいっぱいあんだろうけどな。けど孤独死みてえのは〈アゴラ〉じゃほとんどねえらしい、少なくとも飢え死にして何週間も発見されねえみてえのはな、隣近所の目があるからよ。けどそのぶん、不公平だとか、おれにもよこせとか、るっせェてめえは我慢しろとかトラブルも多くって、それおさめる人手が足りねえんだよな」
「はは……いいんじゃない? いいと思うけどなおれはそれで。完全な公平なんて、どんな形の支援にだって無理だもの。〈銀麟〉はそやって、つまり盛大に恩を振り撒いてるわけだろ、ファミリーだってことでさ? けどその恩を無理やり返させたりしないだろ? 援助を恩にきせて身売りさせるとか」
「そりゃ恩じゃなくって、単に借金で追い込むって話だろよ。それやったら〈砂〉とおんなじだろ。ま、売人くらいはやらすかもしんねえけどな……強要はしねえよ」
「そのへんが〈銀麟〉の、ヤクザと一味違うとこなんだろうね。けど恩っていうのは、本来、いつか返すべきものだ、実際には返し得ないとしても、返そうとするもんなんじゃないか? そこに最低限の責任が保留されてるんだよ」
「保留」
「つまり、膨大な恩があったとして、そんなの絶対に直接には返せないと思ったとして、したら代りにどうしたらいいだろうって考えるもんだと思うんだよ。「支援」に対しては、そんなこと考える義務はない、それを受けるのは当然の権利なんだからっていうのが「支援」だろ。人間はみな平等なはずだって建前でさ。けど平等なわけない、そりゃ存在論的には平等だろうけど」
「存在論」
「一個の人間として存在しているという意味では誰もが同等だって。けどだからって収入とか暮らしぶりが同等であるべきだってことにはならないと思う、それは短絡だよね。おれがいま貧乏なのは人権に照らして不当だなんて別に思わない、思えないというか、何か違うと思うんだよな……恩はさ、それを受ける権利がもともとあるわけじゃない。だからどうすればせめて返せない恩に報いられるだろうって――少なくともおれはそう考えるよ。考えない?」
「あー。けど考えても、かいもく見当がつかねえからな、今自分がやれる限りのことを、めいっぱいやるだけだなおれは」
「そうだろ。おれだって他にどうしようもない。今できることだけ。将来のビジョンなんか何もないし」
「ほんとにねえの?」
「ないよ」
「そんだけイイ頭してんのによ」
「だから勉強してるじゃないか、他にできることはないもの。けど――そうだね――実のところおれだって、昔からもしおまえやるいちゃんがいなかったら、誰とも「つながれない」人になってたかもしれないとは思うんだよね。あんな孤島みたいな教会で、すごく優しいけどほぼ英語しか喋らない謎に無口で生活無能力な義父と、言葉通じないままふたりでずっと暮らしてたらさ。だから「つながれない」とかいうのが所詮は自業自得な甘ったれだとまでは言わないよ。誰かに助けてもらう必要はあって、それが恩でも支援でも構わないといえば構わないんだけれど、けど、何というのか――それがスタンダードになるのはおかしいと思うんだ。「つながれない」のが現代のスタンダードで、普通に暮らせる人は特殊に恵まれているんだから、そうでない人を支援する義務がありますみたいなのは。そうじゃなく――人間が社会的生物だというのがほんとなら、やっぱり、それなりに何とか人とつながって暮らせるのが普通で、暮らせないのはあくまでも特殊事例ってことにしとかないといけないんだよ。だからこそ回りの人が助けてやんないと、ってなるんだろ、自然にさ。JJだってごく自然に、周りの優しい信者たちにさりげなく助けてもらいながら暮らしてるわけで、つまりおれもその余恵に預かってるんだけれど、それは決して支援ていうシステムに組み込まれてるからじゃない。どんなに困ってる人だって、弱者だから支援を得る権利があるんじゃなくて、端的に困ってるから助けてもらう必要があるわけだろ。それをわかった上で助けてくれるんでなけりゃ、ほんとの助けにはならないだろうと思うよ。でなきゃ、同情するなら金よこせ、ってのに機械的に応えるだけの話でさ。形式的な「支援」が全面的にシステム化されたら、弱者のレッテルを貼られた人々と、強者の側に回されて無理やり「支援」を義務づけられた人々との間に、大きな溝ができちゃうだけじゃないのかな。亀裂というか、分断が生じて――却って、お互いに全くつながれなくなってしまうんじゃないだろうか。私たち「弱者」のことはあなたたちにはわからない、じゃあなたたちには「強者」の気持ちがわかるんですか、って、それこそどんどん世界が違ってしまうんだ。そんなのは、おかしいよね」
「……去年、いやその前の夏だったかに、おまえ言ったよな――世界は違わねえ、ひとつなんだって、な。けどおれは――正直いうと――やっぱ違うもんは違うんじゃねえかと思うよ。今だから言うけどよ……気ィ悪くしねえでほしいんだが」
「ああ」
「今の、その分断ができちまうっていうのだって――こ言っちゃ何だが、とっくにできちまってんじゃねえのかな? それこそ60年代とか、もっとはるか昔っからよ。おれがあの映画見て、何だかサッパリわかんなくって、設定もわかんなけりゃ話もわかんねえ、共感どころかリカイもできなかったっつのが、そのいい証拠じゃねえ?」
「そうだね……世界は違わないっていうのは、所詮は麗しいリネンにすぎないってのは、その通りなんだろう。あのときもおまえにそう言われたよ。けど世界ってそもそも何? 原理的にひとつでしかありえないようなものを世界って呼ぶんじゃないのか。だとしたら違うのは世界じゃなく世界観てやつにすぎなくて、そりゃ、人間は認識の束なんだから世界観が違えば世界は違いますねっていうのは、理屈としては納得するけどさ――」
「ニンシキの束って、何だっけそれ?」
「ヒューム。現代の哲学では、まあそれも普通の考え方かもしれないけど。でもおれはその考えには与したくない。世界観は違っても世界は違わない、っていうのは、本当にあくまでも理念なんだ。でも、無理してでも保持しないといけない理念なんだ。世界が違うって考えるほうが、楽なんだけど、たぶん。それに、実際にはどうしたって別の世界としかいいようのない世界があるってことも、わかってると思うけどね」
「わかってるつったっても――」
「おれはたぶん、おまえの世界を、というか世界観を本当には理解していないだろうし、おまえだっておれの世界観をまるごとわかってるわけじゃないだろ。けど話ができるし、音楽もやれるし、おまえにひっぱたかれれば痛いわけでさ。一昨年のなんかほんとに忘れられないよ? ビンタで死ぬなんて――」
「蒸し返すなよ! 悪かったって言ってんだろ」
「蒸し返すつもりじゃないよ。けど本気で死ぬかもと思ったもの、三日も寝込んで――つまりおまえはその気になれば手のひら一枚でいつでもおれを瞬殺できるってことで、せめてそれを実感としてわかってることは、おれには大事なことなんだよ」
「……」
「おまえはどうなんだ? おまえたちにしたって、もっぱら暴力を仕事にしてるといっても、そこにはおまえたちなりの節度があるんだろう? ましてや、戦争やら内戦やら圧制やらが今だって世界中にある、そういう場所で、節度なんて薬にしたくもないような暴力がどんなに残忍に吹き荒れてて、そこで暮らすのがどんなことかなんて――」
「……」
「――話に聞くだけで、おれなんかにわかるわけない。それでも、世界は違わないんだ」
「……それ、よ――それって、けど単に言い方の問題なんじゃねえの? 世界観は違っても世界は違わねえ、つのと、例えば、あー、世界は違うけどもこの世はひとつしかねえ、つのとよ。どう違うってんだ? この世ってな、そりゃひとつっきゃねえだろうさ。この世とあの世しかねえんだからな。この世はひとつっきりしかねえってのを、世界は違わねえって言いてえなら、そりゃ構わねえ、好きに言やいい」
「……」
「けどよ……おまえが、どう思ってるか知らねえがよ。今こやって話してても、明日の今ごろにゃ――どころか今晩中にもおれあ死んでるかもしれねんだ。いつ誰に捕まってどんな目に合ったっておかしかねえ、それが正当だとか不当だとかなんだとかって話じゃねえし、人間誰でもいつかは死ぬよナとかそういう、悟りすました理屈の話でもねえ。日常的にそれが普通で、世界が違うと思うからこそこやっておまえんとこへ来て喋ったり音楽やったりってのが、慰めっつか気晴らしっつか、いっとき気が休まるっつか、そんでもその場になりゃその場以外のことあ頭から吹っ飛んじまう、だから「戦争」つんだよ。他にどんなセカイがあろうが、どこで内戦やってようが関係ねえ、潰されりゃ同じさ。世界が違わねえってな、おれにとっちゃそういうことでしかねえ、やっぱ、どうしたっておまえにゃわ――」
「――だからわからないって言ってるだろ! 前にも言ったしさっきも言ったし今も言うけど、それは、わからないよおれには、わからないってことをわかってるだけだよ。だから話するんじゃないのか。話さなくてもわかりあえるんなら、じっと黙って座ってればいいだけだ、わからないから話さなきゃいけないんだ、お互いに、自分がわかる限りのことを。そしたら、話さなければ決してわからなかったことがわかるかもしれないからね? 話せばわかるってのは、そういうことだ、相手のことがわかるわけじゃない、自分が何をわかっていて、何がわかっていないのか、いなかったのかがわかってくる――そしたらまた別の言葉を――そのために言葉があるんだよ――歌とかも」
「……」
「……世界が違わないっていうのは、以前のおれの言い方がよくなかったかもしれない。世界は違わないとか、ひとつだとかいうのは、なにも全体主義的な意味で言ったんじゃない、つまりどの世界も生活の本質は同じはずだとか、同じ価値観で統合されうるはずだとかいう意味じゃないよ。むしろおまえが言ったみたいに、この世はひとつしかないっていうような意味で、世界は結局ひとつしかないっていうことなんだ。たくさんあって、SFみたいにパラレルワールドを自在に移動したりできるわけじゃない。ヴァーチャルでそんな気になったとしたってそんなの所詮は幻想だろ。隔絶した孤島に隔絶した文明が栄えていたとしても、それはいつのころか人間が船か丸木に乗ってそこへたどりついたからだ。要するに地球っていう物理的な球体の表面はどこもかしこもつながってて、そこから逃げることはできないんだ、誰も」
「……」
「そういう意味では人間はみんな最初からつながってしまってて――「つながりたい」ってのがどういう意味かよくわからないけど、つながれないとか思ってたとしても、嫌でもつながっちゃってるのが人間なんじゃないだろうか。そりゃ場所によって環境によって生活も価値観もさまざまで、他人の生活がどんなかなんて、たいていの場合はわからない、少なくともおれには。内戦に巻き込まれるのがどんなことかはもちろん、近所に住んでるやつのことだって、たいしてわかりゃしないんだ……始終話をして、わかったような気になってても、いつなんどき逆鱗に触れるか知れたもんじゃないものね――おまえ、さっき、戦争地域とくらべりゃおまえのいる場所なんかお花畑だって言われたと思ったんだろ。そんなふうに思われてるのかって」
「…………いや……すまねえ、悪かった」
「謝ることない。おれが、言い方間違ったんだよ――ごめん、おれまた喋りすぎ? また理屈がうるさいって言う? こざかしいとか」
「はは……ま今回は、おれが持ち出した話だしな」
「……」
「……」
「……」
「それによ……そうだ、前までおまえ、朝のランニングにずっとしぶとくつきあってくれてたじゃねえ? こっちも、話にくれえつきあう義理はあんだろ?」
「義理でつきあってくれなくたっていいよ――けど――そう、ああ、確かにね、ロードワークのシーンがいくつかあって、それ見ておれもちょっと懐かしい感じがしたかな。最初キッツかったのがだんだん楽々ついてけるようになってくあたりがね。シャドウとかも」
「今でもたまには走ってるか?」
「走りたいと思わなくもないけど、さすがに余裕なくてね今。おまえは? 当然走ってるよね」
「朝のロードワークは一応日課なんで、やるんだが、毎日ってわけにもいかねえ――なにせジョブの時間帯がメチャメチャだからよ」
「そっか」
「……」
「……」
「……」
「……結局のところさ……あれじゃないのかな、あの映画――ネットが全面的に普及して、みんな携帯でソーシャルメディア使うなかで、肉体的、ていうか肉弾的なつながりがキハクになっているとか――実はそういう、ごく単純なテーマにすぎないのかもな。それで60年代的な肉弾的つながりが、一種のアコガレの対象になるっていう」
「……ええ…? そうなのか?」
「いや知らないけどさ」
「……〈アゴラ〉にいると肉弾的なつながりなんて別に普通ってか、珍しくもねえ――だいたい端から端まで歩いたって2時間かそこらだろ。10歩歩くごとに挨拶しなきゃなんねえ相手に出くわすみてえな」
「確かに〈アゴラ〉じゃそうだけど、それこそ実は時代錯誤だったりするのかも。濠に囲まれてここだけ陥没しててさ。時代に取り残されて――外では、そうでもないのかもね。シティの、ガッコなんかではさ」
「おれはソーシャルメディアやらねえから、わかんねえけどな。基本ソリューションズじゃソーシャルメディア禁止だから。何かの拍子に身バレするといけねえから」
「あ、そうだったんだ?」
「けど、だとすると――ええ? 要するに、ヴァーチャルでなく殴り合いがしたい? そゆことか?」
「ま、身も蓋もなく言えばそうかもね。だって今、小学校でさえ駆けっこで順位つけちゃいけないんだよ、シティではさ? はけ口がないんじゃない?」
「それだけかよ――そんなら、みんな揃って〈銀麟〉に入りゃいい、毎日〈道場〉へ通ってよ。え? けどそれはナシなんだろ? 設定にねえんだから」
「しょうがないよそれは、反社会的ってことになってるわけだからさ。ボーリョクダンを賛美するような映画、作るわけにいかないだろ。ジュクなのにヤクザ出てこないしさ。本来あの、社長の土地買収しちゃう「二代目」っての、ヤクザの役回りなんだろうけど」
「けど暴力に憧れんだろ? そんで感動すんだよな? ははッ――けどそれはお話の中だけで、実際に暴力ふるうのはNGなんだよな?」
「〈銀麟〉のかわりに自衛隊が設定されてるよ。若者は介護か自衛隊かどっちかを選べるってね。映画に暴力団を出せないから、〈美しい暴力〉を表象するものとしてかろうじて自衛隊が設置されてるんだろ、いかにもおざなりで自衛隊に対してそれこそ大いに失礼なんじゃないかと思うけどね。ていうかそういうものとしてせいぜい自衛隊しか選択肢にないっていうこと自体、どんづまりだって言いたいのかもしれないけどね――おれがさっき「弱者」とか「支援」とかについて喋ったようなことを、実はあの映画の作り手もひそかに思ってて、そんな半分死んだような手段じゃ全然「つながれない」からみんなで60年代に戻って直接殴り合ってジュージツしようぜみたいな主張が、実は隠れてるのかも――けどそうだとしても、たぶん、はっきりそうは言えないんだろうな……」
「言えないって?」
「暴力に憧れるけど、それは暴力に見えてそうじゃない、切実な愛のカタチなんだとかって、そういう言い訳をつけないといけないことになってるんじゃないのかな、世の中の傾向としてさ。これこれの理由で仕方がなかった、けど結果として暴力を奮ったんだからバリカンは死刑にしないとね、シンジも牢屋に逆戻りで無期懲役だねとか、そういう、なんか捩れた倫理規範のようなものに、あの映画、がんじがらめになってるんだきっと。憎しみにはそれだけ正当に根拠づけられた枠組みがなきゃいけない、「つながれない」のには不幸な過去って理由がないといけない、暴力にも正しい理由がないといけない――」
「どんな理由だろうと暴力は暴力じゃねえ? 正しい理由って?」
「さあ……何が正しいのか、正しいってどういうことか、おれにはわからないけどね。例えばおまえたちが暴力で〈砂〉を退治するのが、正しい、とおまえ思う?」
「ええ? 正しいかどうかなんて、わかんねえよ。退治する必要があると思うからやってるだけで」
「〈砂〉を退治すること自体は、いいことだろうって気もするけどね。でもイイことと正しいことは違うよね」
「いやそれ、いいこと、って言っていいのかだって実際わかんねえよ? そこで取り上げた利権は〈銀麟〉が懐に入れるんだし――それを福祉とかそういうイイことにたっぷり投入するにしてもよ。おれがとってんのがどのくらい正当な報酬なのかだって、わかりゃしねえしな、どんぶり勘定で。年寄りをだましてなけなしの資産をとりあげるような連中を片付けて、まともなのに置き換えてくにしても、そのために使う手段はそれなりの手段で――何が正しいのかなんて――おれら正しくねえことをやってるってつもりはねえが、正しいとも別に思わねえな。正しいってな――正しいってな、そうだな――例えば、職質に合いかねねえ場所を真昼間チャカ持ってうろつくのは正しくねえ」
「あ、はっは、何おまえそんなマヌケなことしでかしたの?」
「まあだいぶ前だけどな……そんでチャカ取り上げられたらアニキに報告して制裁喰らうのは正しい」
「ははは……そうか法体系が違うんだもんな、おまえたちって。だから反社なんだよな、暴力ふるうからってだけじゃなくて」
「暴力って言われても、今いちピンとこねえけどな本当は。けどまあ、麻薬商売だって相変わらずやってるし――それに末端はそれこそ借金トラブルが多くて昔ながらのヤクザそのものだったり、ま反社会でもしょうがねえんだろ、社会の側からすりゃ〈銀麟〉も〈陌陽〉も〈砂〉もアブレも一緒くたなんだろうからよ。それに文句があるわけじゃねえけども。だから映画に〈銀麟〉の設定がないのあ別に構わねえ。けどリングの上なら何やってもいいってのは、つまり独自ルールをつくっときゃ、そん中ならいくら暴力ふるってもいいってことだよな? なら〈銀麟〉と変わらねえ、節度って言っていいのかどうかわかんねえが、おれらにだってそれなりの独自ルールがあんだからよ、な? ならなんで〈銀麟〉を設定から消して、わざわざ別のルール作って、ああいう――ああいう――暴力の――」
「描写を?」
「描写をしなきゃなんねえのかね。弱者設定のことは、それはそれとして、それ以前におれは、なんか――設定と一緒におれら自身が消された感じがして――ああ、それでみんな目が泳いでたのかな――」
「設定は、設定にすぎないよ。けど……ああいう映画を作る人たち――暴力を一方では本気で否定しながら、もう一方では暴力に切実に憧れるような人たちが、おまえたちみたいなのをほんとに消しちゃいたいと思ったとしても、不思議はないとおれは思うな。純粋な憧れを観念として成立させて正当化するためには、実働するおまえたちは邪魔なんだよ。だって映画はがんじがらめになってるのに、おまえたちは全然がんじがらめじゃないんだもの、羨ましくて、憎いんじゃないだろうか。状況が許しさえすれば、設定を消すだけじゃなく、実際に寄ってたかっておまえを消しにかかってくるに違いないよ、おまえの仕事がどんなで、生い立ちがどんなだろうと、天涯孤独だろうと人種的にマイノリティだろうとそんなことはいっさい無視して、非の打ちどころのない強者に仕立て上げた上で、都合のいいリングとやらを設定して、合法的にさ。それが善意の人々ってもんだよ。おまえそれ、わかってるだろ本当は。ハイグレードなジョブに最初に手を染めたときに踏ん切りが要ったのはそこだろ、だって。自分がいつ消されても文句言えない立場に、決定的に落としこまれるって」
「……まあ、ある意味、そうだけども。けどそれは現実の世界の話で――現実に消されるんなら、仕方ねえ、それにそうそうは消されねえ、抵抗して、生き延びられるかどうかわからねえけども、生き延びようと悪あがきだってできるさ。けどあれは映画だろ。架空の世界で、そこで最初から消されたら、抵抗のしようがねえ。なんつか、おれが抵抗しようとするかどうかもひっくるめて、まるごと消されて、死骸も残らねえっつかな――」
「うん。インターネットの世界っていうか、ヴァーチャルな世界ってきっとそういうもんなんだ。あれは映画で、別にネットじゃないけど、そこは本質的に同じなんじゃないかなと思うよ。好ましくない人を排除するのにセキュリティガードも要らない。はじめから存在させなければいい。存在させるかどうかをあらかじめ自由に選べる。消したければブロックボタンひとつで消せる」
「さっき、ほら自殺が最後の手段とかって話があったよな? 弱者に、最後に残された抵抗手段が自殺だってんだっけ? けどそもそも設定になかったら、自殺しようとどうしようと抵抗手段も何もねえんじゃね?」
「そうだね。けど実際に暴力を奮える者は、つまり強者だから、あらかじめあらゆる抵抗手段を取り上げちゃって構わないのさ」
「ああ、はははッ――」
「そやってひとを専断的にまるごと排除することこそ暴力なんだけど、そういうことに慣れて――自分が暴力をふるってるって意識すらなく人を消すことに慣れてくると、消すことも、逆に「つながる」こともどんどんキハクになっていくんだろう、それで暴力に幻想を抱いて、けどほんとの暴力がどんなものかも、わかってるつもりでやっぱり忘れていくんだろうな、ていうか、最初からそんなもののことなんか何ひとつ知らないんだってことを、忘れてしまうんだろうきっと――あああ……なんか腹へっちゃったなおれ。おまえ腹すかない?」
「あーいや……」
「なんでみんなあんなにラーメンばっかり食うんだろう。ラーメン屋ってやっぱアイコンなの?」
「アイコン?」
「貧乏人のさ。実のとこ、そう安いわけでもないのにさ。「昭和」のころには安かったのかもしれないけど。隣で豪勢な大盛チャーシューメン食ってんの横目で見ながら素ラーメン頼むってシーンが冒頭にあったよね。あれはちょっと身につまされたよなあ」
「ははは……」
「あーあ、疲れた……映画はさ……てか視聴覚モノはさ、なんというか、それこそ自己決定権をはなから捨てさせられるというか、捨てないと楽しめないようなところがあってさ。これを見よう、って自分で決めて見始めても、自動的にどんどん進んでいくだろ、途中から、なんでおれがそれを見てるんだったか、わからなくなるんだよね。というか、それ見てるのは本当におれなのかどうか、だんだんわからなくなってくるんだ。知覚の主導権を奪われるというか、脳に、無数の映像と音声が無理やりザクザク差し込まれる感じで、こわいから、普段あんまり見ないんだよ。たまに見ると、変なものとか、ろくでもないものに当たっちゃってね……くだらないものは、わりと見るけどさ。気晴らしに」
「くだらないものって?」
「それこそゾンビ映画とかさ、はは……今回のだって、まあその類だったからよかったようなものだよ、いろいろ考えることがあったって意味では、見てよかったんだろうしね……テクストはさ……本はさ、決して無理に押し入ってはこなくて、こっちからアプローチしなかったら応えてくれないから、それ読んでるのは本当におれなんだろうかとか、思わなくてすむ、普通はね――それにテクストは、常に、部分なんだ。ていうか、部分なんだということがわかる、それが決して世界全体ではないことがさ。だって文字しかそこにはないんだから……そこに世界の全てがあるようにすることもきっとできるんだろう、でもそれでも、その世界全体の外に、他のものもちゃんとある――スクロールキーを押す指とか、ページをめくる指とか――指の冷たさとか、その指がくっついてる体が感じてる寒さとか、その寒さをもたらす外気とか――今そこに見えてないだけで、あるいはその人の固有の世界観にないってだけで、その外にはいろんなものがあるってわかる――それが、邪魔だと思うこともあるんだけどね」
「邪魔?」
「うん。むしろ逆に、読んでるのがおれだとかっていうことが、なかったらいいのにとか――表紙の手触りとかそういう、懐かしい本だとか好きな本だとかっていう個人的な愛着が、余計で、邪魔だと思うことがあるんだよね。全部が電子だったらいいのにっていうか、おれ自身の言葉も含めて全部の言葉がただの電子として跳ね回っててくれたらいいのにとも思わないこともないんだけど、そうしたら今のテクノロジーだと、単にソーシャルメディア掻き回してるのと何の変わりもなくなっちゃうかな、とかね」
「……おれ、ソーシャルメディアやってみるべき? おまえ、ずっとやってる?」
「ずっとでもない。いつも長続きしないんだよ。アカウント作っては捨てて逃げてる、ははは……何度でも自殺できるし、復活できるんだ。便利だよ。うん、おまえも一度やってみれば? なんでも一度はやってみないとさ。アニキの目盗んでさ」
「あ。そのうち――も少し、いろいろ落ち着いたらな」
「おまえ100パーセントのリア充だもんなあ。そういやおまえ、今どんなバイトしてんの。ていうかまだバイトとかしてんの?」
「え、なんで?」
「いや単に、どやって食ってんのかなと思ってさ。ソリューションズだけで行けるの?」
「ああ、だいたいは……つってもジョブ次第なんで、いつどれだけ貰えるのかわかんねえから、ちゃんとやってこうと思ったらそれなりに工夫しなきゃなんねえけど。結局、例のもの入りがあるから、ぎりぎりだな……」
「そうか」
「バイトは、今は、ひとつだけで。ほら例の自転車屋のな」
「ああ、自転車屋か。まだ続けてるんだ、あれ」
「いま週イチで、かろうじて――けど急にジョブが来ることも多くて迷惑かけるし、それに、何つか――そろそろ名が知れてきちまって、そすっと店の評判に傷がつくかもしんねえからな。おっちゃんはそんなことねえって言ってくれるし、おれあのバイトは好きなんで、やめたくねえが――けど店に万一のことがあっちゃいけねえし、まあしょうがねえんだろう。おまえは? 飯店?」
「うん。チュンの復習を兼ねて、週4で入ってるけど、ほら改装したほうの菜館があるだろ、新館ていうか、あっちへ移動したんだ、少し前から」
「……え。〈廬山〉? あすこに入ってんのかおまえ。そりゃ知らなかった」
「あっちのほうに似合いそうだからあっち行けってさ。似合いそうって何なんだよ……時給上がったからいいけど」
「あすこにゃ、個室がふたつほどあんだろ?」
「あるね。何おまえたち、あそこ使うことあるの?」
「いやおれらが使うわけじゃねえが。けっこヤバそうなのが出入りしてねえか?」
「してるね」
「おまえ入ることある?」
「しょっちゅうだけど」
「しょっちゅうか。そういう客と顔なじみになったりしてねえか?」
「それなりには……なんで?」
「気をつけろよおまえ。何かうまい話持ちかけられてもぜって乗るな。似合いそうてのがどいう意味かわかんねえが、そういう客に、こいつ使えそうだと思われたら――出身上海だとか言ってねえだろうな?」
「……言ってる」
「えっ」
「いや親の出身が上海らしいって。それだけ。台湾って言うとまずいだろと思ってさ」
「そうか。まあしょうがねえ。くれぐれも話に聞き耳立てたりすんじゃねえぞ。なるべく近づくな」
「……そんなに? いやおれだって用心してないわけじゃないよ、もちろん、そっち系の人だくらいのことはわかるもの。けど――」
「最近あすこは〈砂〉の会合場所になってるらしい。時々だがな」
「え。〈砂〉」
「〈砂〉の東司ってのが、本来の根城は房総らしいんだが――」
「房総?」
「ここらの本拠はジュクで、けど〈アゴラ〉にもこっそり入り込んできてる。折々の連絡にあすこを使ってるって話だ。用心しろよ。できれば別のバイト探せ」
「……そんなこと聞いちゃったら、ますますやめられないよ」
「だから! ぜって手ェ出すなよ! おまえはすぐ何でも面白がるからな、危ねえからわざわざ言っとくんだ。手も口も耳も出すな。ただのヤクザじゃねえんだからな。やつら、おれらと違って、シロウトだろうとお構いなしにすぐ殺るからよ。何かあったら即、言えよ。な」
「……わかった」
「おれとこやって会ってんのも、ひょっとしてまずいかもしんねえな……」
「ええー?」
「おれのほうが、たぶんもう知れてるからよ。……いや、けどそれがまずいようなら、どっちみちもう間に合わねえだろな。まあいい……用心して、とにかく何かあったら知らせな。そうだ、今度も一度、簡単な護身術よく教えとこう。な」
「そんなにか……参ったなあ」
「行こうぜ。メシ食いによ。話にさんざつきあってくれたからな、チャーシューメン奢ってやるよ」
2025.4.20
(おりば・ふじん/一橋大学大学院言語社会研究科)