学会誌『氾文』

Cop Haterにおける「革命」の成立とその発展可能性について

阿部 修登

 

序. 警察小説

本稿はEd McBain氏が1956年に上梓したCop Hater1(邦題『警官嫌い』)を取り上げ、そこで発生したとある「革命」に焦点を絞り論述される。ラジオやTVドラマ、映画、小説、漫画、ゲーム等様々な媒体で旺盛に作品が作られ続けている警察物のうち、こと小説、つまり警察小説2に関しては先行するいくつかの作品、例えばLawrence Treat V as in Victim(1945)、Hillary Waugh Last Seen Wearing(1952)、J. J. Marric Gideon’s Day (1955)等を踏まえつつも本作に始まる「87th Precinct Novels 87分署シリーズ」を嚆矢とするのが専らの定説である。その理由として語られるのは、最近の作品にも受け継がれることの多い複数主人公体制(McBain氏本人の言葉を借りれば“conglomerate heroes”)を採用した群像劇的性格や、現実の警察が採用する科学技術を援用した捜査のリアリズム、などである3。本稿はこうした定説に異を唱えるものではない。またいわゆるSFジャンルにおいても、上掲作品群が刊行された1950年代初頭にAlfred Bester The Demolished Man(1953)、Isaac Asimov The Cave of Steel(1954)といった警察を中心に据えた作品が刊行され、以後決して多くはないものの今日に至るまでSF警察物作品が作られ続けている。

しかし警察小説を論じた文章には、警察物一般に広く見られる「警官殺し」のテーマとは一体何なのかという問いが根本的に欠落しているように見える。確かに往時のミステリにおいても警官はよく死亡するものの、死亡した警官が事件の被害者として扱われかつその捜査が本筋となるような物語が大量に作られ始めたのと「警察物」というジャンルの括りの発生とは時を同じくしているように見受けられる。であるならば各論者が述べるジャンルの本質と同様の注意を以てこの問題に取り組んで然るべきであろう。本稿で取り扱うCop Haterは定説としてジャンルの嚆矢であると共に、まさに「警官殺し」に至る憎悪の持ち主“Hater”は誰なのかを巡る物語である。そして本作の読解によって導き出された仮説が先に述べた「革命」である。本稿は「刑事」が「犯人」を追跡するという本作の物語に対して「革命」がメタレベルから幾度となく干渉する様子を確認し、それが何を転覆したのか、また「警官殺し」と「警官憎悪」にどう関わってくるのかを検討する。

なお論述の都合上作品の構成を分解・再構成しており、いわゆるネタバレが避けられない。すでに刊行から60年以上経過していることもありあまり気にされる方もいなかろうが、念のため注意を喚起しておく次第である。

1. 概要と設定

Cop Haterではいくつかの事件が発生しそれらをアマチュアおよび私立探偵ではなく「警官4」が捜査する模様が書かれる。各事件の発生時期を物語内の時系列順に並べると以下の通りになる。

このうち2は容疑者の取り調べ風景が少々記述されるものの1の事件にかき消される形でうやむやになり、その後の推移も不明である。aからdまでの英字を振った1・3・5・6の四件が冒頭から結末までこれらを巡って物語が進行する本筋の事件である。同一犯による犯行という点においてこれらはひとまとまりの事件であり、本稿ではこれを「「警官」殺し(の事件)」と呼ぶ。残った4は、突き詰めれば「警官」殺しに端を発するものの、犯人が異なるため別件と見なす。

すべての事件はアメリカ合衆国東部に位置づけられた架空の市、「Isora city アイソラ市」内で発生する。George N. Dove氏が行った同定によると、同市は地名を入れ替えればほぼマンハッタン島として通用し、ニュー・ヨーク市をモデルにしていると見なせるという5。時代設定は1956年の真夏である。事件を捜査するのは現場区域を管轄する「Isora City Police Department アイソラ市警」の「the 87th Precinct 87分署」「the Detective Division 刑事部」に所属する「Lieutenant Byrnes バーンズ警部補」揮下の「detectives 刑事」たちであり、とりわけ初登場時点で勤続12年目の「Steve Carella スティーヴ・キャレラ」の活動に記述の比重がおかれている。なお上記1a・3b・5cの被害者である「警官」は三名ともキャレラの同僚にあたる「刑事」であり、バーンズの直属の部下である。「刑事」以外の「警察」職員としては新米の「patrol man Kling クリング巡査」、87分署の「commanding officer 署長」を務める「Captain Frick フリック警部」、「lab technician 鑑識技師」のリーダー「Lieutenant Sam Grossman サム・グロスマン警部補」などが登場する。

「警察」職員以外に目を向けると、職員の親類縁者や捜査の過程で浮かび上がる参考人たち、「Whore Street 赤線6」に店を構えるオーナー、「a stool pigeon 垂れ込み屋」、有志の「an informant 情報提供者」、「a newspaper reporter 新聞記者」などが登場する。「警察」職員とその他、両者の顔ぶれから明らかなとおり、ミステリの範疇から見てとりたてて珍しい人物は登場しない。

2. 事件

2-1. 事件

まず本筋である1a・3b・5cの事件を概観する(2・4・6dは毛色が異なるため後述)。といっても、被害者の「刑事」三名は深夜の巡回中あるいは帰宅途中に私服で歩いていたところを45口径の拳銃で撃ち殺されており、犯行の手口それ自体はトリックも何もなく一様である。本作が手口の解明=謎解きに主眼をおく、いわゆる“clue-puzzle(Stephen Knight)”型のミステリと系統を異にするのは一見して明らかであり、捜査の方針は専ら誰が犯行を行ったのか(犯人の特定)と何故この三名が標的に選ばれたのか(動機の解明)の二点に絞られる。先んじて結末を述べておくと、「警官」殺しの事件を仕組んだのは第三の被害者「Hank Bush ハンク・ブッシュ」の妻「Alice アリス」である。「hated everything about him 彼の全てを憎7」んでいたものの、アリスに惚れ込んでいるハンクが離婚に同意しないだろうとわかっていた彼女は、「I wanted him dead 彼に死んで欲しかった8」と彼の死を願う。そこで彼女はとある「a mechanic 機械工」の男性を唆して実際の犯行に及ばせたのだった。真の標的ハンクだけを殺すと自身に嫌疑が及ぶのを見越して、彼の前に同僚の「刑事」二名を殺害しておくことで「警察」を狙った犯行に見せかけた、というものである。登場人物類型と同様に、この動機もまたミステリではいくらでも目にする夫婦間のいざこざに過ぎず特筆すべき点は見受けられない。本作末尾数頁で開陳される彼女の弁明に対して、昨今よく目にするような裏の動機を探るといったことはなされず、キャレラ以下87分署およびアイソラ市の司法機関は言葉通りにこれを受け入れているようである。

しかしこの事件に関して、殺した側にあまりに見るべきところがないのと裏腹に、殺された側および第三者の側に目を向けると、当人たちの思惑や行動と無関係とまでは言えずとも矛先を異にする、とあるムーブメントが進行している状況が観察される。手始めに被害者三名がどのように記述されているのかを確かめるところからこのムーブメントが如何なるものであるかを述べることにする。

2-2. 事件1a:Mike Reardon マイク・リアダン

「警官」殺し最初の被害者はマイク・リアダンである。冒頭より数頁かけて鳥瞰視点からアイソラ市の夜景が記述されたのち、一行の空白を挟んで、場面が7月23日午後11時にとある夫婦の寝室で目覚まし時計が鳴るところに切り替わる。隣で眠る妻の「May メイ」を起こさぬようベッドから抜け出し身支度を済ます彼こそ、第一の被害者リアダンその人である。11時41分、妻と二人の子供の顔を一渡り見て外出した彼が職場近くまで来たあたりで、二発の45口径弾が彼の後頭部を吹き飛ばす。11時56分、通りがかった通行人が彼の死体を発見し「警察」へ通報、事件が幕を開ける。

目覚まし時計が鳴ってから通行人が通報するまで3頁ほどで足早に記述されるこの場面には押さえておくべき点がいくつかある。まずリアダンの住まいおよび人となりについて。

The windows were wide open, but the room was hot and damp, and he thought again about the air-conditioning unit he’d wanted to buy since the summer begun.9

窓は広く開けられていたが、部屋は蒸し暑かった。そして彼は夏が始まって以来買いたかったエアコンのことを再び考えた。

簡潔な記述ながらここからは叙述の基本的な時制が過去形であり、地の文の語りがときに登場人物の“thought”を代弁する類のものであることが確認できる。続けて記述されるのは彼の容姿である。

He was a big man, his head topped with straight blond hair that was unruly now. His eyes were normally gray, but they were virtually colorless in the darkness of the room, puffed with sleep. He stood up and stretched. He slept only in pajama pants, and when he raised his arms over his head, the pants slipped down over the flatness of his hard belly. He let out a grunt, pulled up the pants, and then glanced at May again.10

彼は大柄な男で、頭を覆うストレートのブロンドヘアは今はボサボサだった。普段はグレーの彼の目は部屋の暗闇の中で実質的に色を失い、眠りに腫れぼったくなっていた。彼は立ち上がり伸びをした。彼はパジャマパンツ一丁で寝ていたが、両手を頭の上に持ち上げた拍子にパンツが引き締まって平らなお腹の上をずり落ちた。彼はブツブツ文句をいうとパンツを引き上げ、それからまたメイの方をちらっと見た。

“straight blond hair”や“His eyes were normally gray”といった描写から、彼が白人であると確認できる。何度となく繰り返してきたものだから「he knew just how long it took to どれほどの時間がかかるかわかっていた11」身支度を、それでも腕時計で時間を計りながら行う几帳面な様子が続いた後、以下の記述が現れる。

He liked to look at her asleep. He always felt a little sneaky and a little horny when he took advantage of her that way. Sleep was a kind of private thing, and it wasn’t right to pry when somebody was completely unaware. But, God, she was beautiful when she was asleep, so what the hell, it wasn’t fair.12

彼は眠っている彼女を見るのが好きだった。そのような状態の彼女につけ込むとき、彼はいつも若干のやましさとムラムラを感じた。眠りはプライベートな類のものであり、誰であろうとまったく意識を失っているときを覗いてよいものではない。だが、南無三、眠っている彼女は美しかった。だからフェアじゃないとわかっていても見ずにはいられなかった。

一文目と二文目は“liked”や“felt”といった動詞によって、妻の寝姿を見るのが「好き」でそこにいくらかやましさと欲情を「感じる」という彼の情動が記述されているように読める。やましさとは悪いとわかっているにも関わらずやってしまった行為を後ろめたく思う感情だが、一文目の「好き」と二文目の「やましさとムラムラ」の橋渡しをするのが、睡眠はプライベートなものだから何人たりともそれを犯してはならない、と一般論めいた形で記述される三文目である。それを受けて続く四文目は文章構造だけを見ると三文目と同じく一般論のようだが、“God”や“what the hell”といった詠嘆によって先立つ三文の総括が彼の思いとして記述されているように読める。“took advantage of”や“pry”といった動詞句が醸し出すいささか否定的なニュアンスと、続けて下される“it wasn’t fair”という裁定は、今日的な感覚からして奇異なものではなく、当時としても恐らく大差はなかっただろう。だが本文中で未だ名前も職業も明かされぬ彼ことマイク・リアダンが「警官」であることを踏まえると事情が変わってくる。本作以前にすでに百年近い歴史があるミステリの流れからすると、アマチュア・私立探偵であろうと「警官」であろうとdetectiveの役割を担う存在はいつだってずけずけと他人のプライバシーに侵入し、それを「pry 詮索する」ことによって謎を解き明かす存在だったはずである。詮索された側がどこかしら挙動不審な態度を表明しようものなら、何かやましいことを抱えているのかと推理(detection)および捜査(investigation)の材料になるだろうが、詮索する側がその行為をどう思っているのかはそもそも記述されなかった。にもかかわらずリアダンは自らの家のなかで近しい間柄の妻に対してさえやましさを感じ、それをフェアでないと断ずるのである。彼女を残し家を出る直前にも同様の記述が現れる。

He sneaked a last look at her from the doorway and then went through the living room and out of the house.13

彼は戸口からこっそり彼女に最後の一瞥を送るとリビングルームを通って家の外へ出た。

今度は“sneaked”である。この語には、眠りを妨げないよう音を立てずに「ひっそりと」という意味合いも無論あるにせよ、“a last look at her”との繋がりから「こっそりと」のニュアンスで受容されるだろう。この一文にはこれまで確認してきたやましさにまつわる語彙連関と、ここから先の展開を繋ぐ重要な単語が挿入されている。それが“look”を修飾する“last”である。状況と彼の振る舞いとを考え合わせばこの語は、家を出る前にもう一目だけ、という意味合いの「最後」であるとひとまずは理解できる。しかし、出立後一行の空白を挟み現れる以下の記述を見ると、

At 11:41, when Mike Reardon was three blocks away from his place of business, two bullets entered the back of his skull and ripped away half his face when they left his body. He felt only impact and sudden unbearable pain, and then vaguely heard the shots, and then everything inside him went dark, and he crumpled to the pavement.

He was dead before he struck the ground.14

午後11時41分、マイク・リアダンが職場から三ブロックのところにいたとき、二発の弾丸が後頭部に侵入し彼の顔の半分を吹き飛ばすと彼の体を抜けていった。彼はただ衝撃と突然の耐えがたい痛みを感じ、おぼろげながら銃声が聞こえ、彼の内部の全てが暗闇に沈んでいき、舗道へと倒れ込んだ。

地面を打つ前に彼は死んでいた。

まるで悪い予言だったかのように、生前「最後」の意味合いが遡及的に二重写しされることになるのである。この引用箇所に関して語彙連関とダブルミーニングを押さえた上で更に目を向けるべきは、ここまで「彼」としてしか記述されてこなかった人物の名前がこの段になって初めて明らかになる点である。“when”が指し示す通り、ここまで名を伏されてきた人物が命名によって特定されたまさにその「とき」を見計らったかのようなタイミングで、弾丸が発射される。先に触れたように、犯人の理屈からすれば、真の標的ハンクから目を逸らせられるのであれば彼の同僚である限り被害者は誰でもよいのであってリアダンその人でなければならない必然性はない以上、ある人物が撃たれたのとその人物がリアダンだったと判明したタイミングの同期が犯人の企図したものでないのは明らかである。この作為から作者の意図を読み解くこともできるかもしれないがひとまずそれは措くとして、ここまで確認してきた物語の流れを見直すと、この同期を招き寄せた原因はリアダンの振る舞いに求められそうである。繰り返すまでもなく、彼は妻の寝顔をのぞき見て仄かなやましさと欲情を覚えていたのであり、“took advantage of”、“pry”、“sneaked”という動詞句によって表されてきた行為こそその源泉である。これが“it wasn’t fair”すなわち正しくない、公正でないと判断される基準はごく普通に考えればモラルということになるだろう。しかしやましさを覚えた人物の名が明らかにされた「とき」と彼が殺された「とき」との同期がここに介在することによって、一見彼の抱えるモラルと見なせなくもなかった“fair”の基準が、あたかも彼自身がどうこうできない範疇に存在する、何らかの強制力を持った「法」であるかのような様相を帯びてくる。仮に彼はモラルに反したのではなく「法」を犯したのだと考えてみると、彼は誰とも知れぬ無名の時期に行った悪事を名が知れた途端断罪されたのだと見なせる。そして物語を先取りして述べておくと、被害者三名すべての殺害場面で命名と殺害とが現れ、三者三様に断罪されたらしいことが確認できるのである。「警官」殺しの事件が犯人の思惑と関係ないところでこの断罪に利用されているらしいことをこれから順次確認していく。

だが果たして、寝顔をのぞき込む行為は命を差し出さなければならないほどの悪事なのか。すぐ次の文を見ると、この断罪の拠り所となる価値基準の一端を垣間見ることができる。

He had been a citizen of the city, and now his blood poured from his broken face and spread around him in a sticky red smear.

Another citizen found him at 11:56 and went to call the police. There was very little difference between the citizen who rushed down the street to a phone booth and the citizen named Mike Reardon who lay crumpled and lifeless against the concrete.

Except one.

Mike Reardon was a cop.15

彼はこの市の市民の一人だった。そして今彼の破壊された顔から血が垂れ流れ、彼の周囲にべとつく赤い染みをまき散らした。

別の市民が11時56分に彼を発見すると警察を呼びに行った。公衆電話目指して通りを駆ける市民とコンクリートに命なく倒れ伏すマイク・リアダンという名の市民との間にはほとんど違いがなかった。

一つを除いて。

マイク・リアダンは警官だった。

リアダンは「市民」の一人でありながら、「警官」であるという一点を以て他の「市民」と区別されている、とここでは記述されている。「市民」と「警官」との二重のステータスは彼のこれまでの振る舞いの根拠として適切である。つまり彼には“took advantage of”、“pry”、“sneaked”を行う「警官」の側面と、それを悪いことと捉えやましさを感じる「市民」の側面があったのだ。ただこれだけでは死に至るほど苛烈な断罪が行われた理由はわからない。しかし、中期ヴィクトリア朝小説における「警察」権力の発現に関する D・A・Miller氏の論述を見ると見通しがよくなる。

事件の捜査を警察がおこなうのであれ私立探偵がおこなうのであれ、それは正常な世界にとってはまったくの侵入であり、この侵入が想定している世界は、いままで警察や探偵を必要としないがゆえに正常であるとされてきたものだ。捜査行為は犯罪を解決するだけではなく、さらに重要なことに、この異常事態のあいだ事件の「現場」と呼ばれてきた場所から自分もいなくなることで、この正常性を回復させる。犯罪者といっしょに、犯罪捜査もまたどこか遠くへ追放されるのだ。16

氏の記す「世界」とはヴィクトリア朝期における神聖不可侵の場としての家あるいは家庭を指している。この想定を本作の時代設定である1950年代半ばにそのまま適用することはできないが、しかし仮に本作ではこの神聖不可侵とされる「世界」が家にとどまらず個人にまで局所化されていると考えた場合、リアダンは自らを構成する「警官」の側面において妻メイの眠り=プライバシーに「侵入」していたのであり、従って「自分もいなくなることで、この正常性を回復させる」「どこか遠くへ追放される」ことを余儀なくされる。問題は「いなくなること」「追放」の激化である。かつてであればそれは事件を終わらせて現場から帰るあるいは離脱する程度であったはずが、本作の場合帰るどころの騒ぎではなく彼は殺されるのである。先の引用に現れた“Except one”の排他性は凄まじい。「警官」と「市民」とは生きている限り決して両立できないかの如き規制が働いているようである。

先のリストに挙げた1a・3b・5cの「警官」殺しの事件と4の「警官」襲撃事件の被害にあった「警官」たちの振る舞いをつぶさに見ていくと、リアダンと同様に「市民」の一人として扱われる、あるいは誰かのプライバシーを侵害する、この二つのどちらかに関する記述が必ず現れる。そうであればリアダン以外の死傷者もまた犯人の殺意を利用した形で断罪されたのだと考えられる。この断罪を行うのは何者なのだろうか。本編開始前に挿入された作者McBain氏による“Introduction”を見ると、当時の編集者Herb Alexander氏から新しいミステリ・シリーズの執筆を打診されたMcBain氏が、「警官」を主人公にしたシリーズを構想した当初から彼らを殺す物語を書く意図を編集者に伝えていることが確認できる。

But then, thinking it through further, it seemed to me that a single cop did not series make, (…).

So then, a squadroom of police detectives as my conglomerate hero. And, of course, New York City as setting.

I called Herb Alexander. I told him that I wanted to use a lot of cops as my hero, one cop stepping forward in one novel, another in the next novel, cops getting killed and disappearing from the series, other cops coming in, all of them visible to varying extents in each of the books.17

だがそのことを突き詰めて考えていると、警官一人ではシリーズが成り立たないように思えてきた(後略)。

それならヒーローの寄せ集めとしての刑事部屋だ。それに勿論、舞台はニュー・ヨーク。

わたしはハーブ・アレクサンダーに電話した。わたしは彼にたくさんの警官を使いたいと伝えた。一つの作品で一人の警官が名乗りをあげ、別の作品では別人が。警官たちは殺されてシリーズから消えるが、別の警官たちが入ってくる。それぞれの本の中で彼ら全員が様々な程度の見え方をする。

これを額面通り受け止めれば、「警官」を殺すことが作者の意図のレベルで既定路線だったのは確かだったようだが、彼が「警官」を殺すのは専ら“single cop”に対置される“conglomerate hero”構想を実現させるためであり、そこに「警官」を断罪する意図を読み取ることは不可能である。後に確認する通り、プライバシーを侵害された当人たちは事件と何の関わりもなく、また復讐を企てるような素振りも見せない。作者ではなく侵害を受けた当人でもないとすると、それは特定の誰かではなく、「警官」という一点を以てしてリアダンを「追放」した「市民」の総体なのではないだろうか。このように仮定してみると色々と理解できることがある。以下本稿ではこの「市民」による「警官」排除のムーブメントを「革命」と呼称し、なぜこれが「革命」呼びうるのか、そしてこの「革命」が本作にとって如何なる意味を持つのか考察することにする。

2-3. 事件3b:David Foster デイヴィッド・フォスター

「警官」殺し第二の被害者はデイヴィッド・フォスターである。少し前に名前だけ先行して出ていた彼が登場するのは、事件2のとあるバーで発生した客同士の刃傷事件の取り調べをする場面である。それが始まる直前に、富裕層が住む地区から犯罪多発地帯までを含む87分署管区の描写が挿入されており、そのなかに以下の記述が現れる。

There were sixteen detectives assigned to the 87th Precinct, and David Foster was one of them.

(…)And packed into this rectangle – north and south from the river to the park, east and west for thirty-five blocks – was a population of 90,000 people.

David Foster was one of those people.

David Foster was a Negro.

He had been born in the precinct territory, and he had grown up there, and when he’d turned twenty-one, being of sound mind and body, being four inches over minimum requirement of five feet eight inches, having 20/20 vision without glasses, and not having any criminal record, he had taken the competitive Civil Service examination and had been appointed a patrolman.

The starting salary at the time had been $3,725 per annum, and Foster had earned his salary well. He had earned it so well that in the space of five years he had been appointed to the Detective Division. He was now a third grade detective, and his salary was now $5,230 per annum, and he still earned it.18

87分署には16名の刑事が割り当てられており、デイヴィッド・フォスターは彼らの一人だった。

(中略)そして北は河から南は公園まで、東西35ブロックからなるこの正方形には90000人の人々が押し込まれている。

デイヴィッド・フォスターはこの人々の一人だった。

デイヴィッド・フォスターはニグロだった。

彼はこの分署の管轄区域に生まれ、そこで成長し、そして21歳になったとき、健全な精神と健全な肉体をもち、最低制限の5フィート8インチを4インチ超し、眼鏡無しで両目とも2.0の視力があり、どんな犯罪歴もなかった彼は競争の激しい公務員試験を受け巡査に任命された。

当時の初任給は年3725ドルだったが、フォスターは給料に見合う働きをした。彼はとてもよく働いたため五年もするうちに刑事課に配属された。彼は今や三級刑事であり、給料は年5230ドル、そして今も変わらずよく勤めていた。

彼の特徴は本作に登場するただ一人の「ニグロ19」の「警官」であることに加え、「健全な精神と健全な肉体をもち」あるいは「とてもよく働いた」と語られるその清廉潔白さである。彼の死後聞き取りを行ったキャレラに彼の母親が語って聞かせる人となりも、罪を犯さず誰からも愛される好青年である点を強調している。

“But he was a good boy, always. He would come home and tell me what the other boys were doing, the stealing and all the things they were doing, and I knew he was all right.”

“Yes, Mrs. Foster,” Carella said.

“And they all liked him around here, too,” Mrs. Foster went on, shaking her head. “All the boys he grew up with, and all the old folks, too. The people around here, Mr. Carella, they don’t take much to cops. But they liked my David because he grew up among them, and he was a part of them, and I guess they were sort of proud of him, the way I was proud.”20

「けど彼はいい子だった、いつだって。家に帰ると他の子たちがやっていることを教えてくれたものです、盗みだとかとにかく彼らがやっていること全部を。そしてあの子は潔白だったとわたしにはわかっていました」

「そうですね、ミセス・フォスター」キャレラは言った。

「それに彼らはみんなあの子を好いていましたとも」ミセス・フォスターは頭を振りながら続けた。「いっしょに育った子たちみんなが、それに年寄りも。ここらの人々はね、キャレラさん、彼らは警官になつきません。でも彼らはデイヴィッドを好いていました。なぜなら彼は彼らの中で育ち彼らの一部だったから。彼らは彼を誇らしく思っていたんじゃないかしら、わたしのように」

我が子を亡くしたばかりの親の発言であることを差し引いても、彼女が述べる彼の人物像は地の文による形容と合致している。だが「潔白」かどうか、よい「警官」かどうかに関係なく、リアダンと同様に夜道一人で歩いていたところを彼は殺される。なお以下の引用文中に現れる「they 彼ら」はキャレラとその恋人テディ(後述)を指す。

And while they made gentle love in a small room in a big apartment house, a man named David Foster walked toward his own apartment, an apartment he shared with his mother.

And while their love grew fierce and then gentle again, a man named David Foster thought about his partner Mike Reardon, and so immersed in his thoughts was he that he did not hear the footsteps behind him, and when he finally did hear them, it was too late.

He stared to turn, but a .45 automatic spat orange flame into the night, once, twice, again, again, and David Foster clutched at his chest, and the red blood burst through his brown fingers, and then he hit the concrete – dead.21

そして彼らが大きな住まいの小さな部屋の中で穏やかに睦み合っていた頃、デイヴィッド・フォスターという名の男が、彼の母親と共に暮らす自宅へ向かって歩いていた。

そして彼らの愛が一際高まりそれから再び穏やかになった頃、デイヴィッド・フォスターという名の男は相棒のマイク・リアダンについて考えていた。彼はあまりに考え事に没入していたため背後の足音に気付かなかった。ようやく彼がそれに気付いたときはもう遅かった。

彼は振り返りかけたが、45口径のオートマチックがオレンジの炎を闇夜へ噴いた。一度、二度、何度も。デイヴィッド・フォスターは胸を抱え、ブラウン色をした指の間から赤い血が迸り、それから彼はコンクリートにぶつかった――彼は死んだ。

「彼ら(警官)の一人」でありかつ「この人々(住民)の一人」としてすでに名を明かされている彼をそれでも名指す“a man named David Foster”のリフレインは、紛れもなく「革命」による断罪のロックオンである。ここまで善良さを押し出されたフォスターが断罪の憂き目にあった理由はなんだろうか。登場後まもなく「警官」かつ「人々」の一人、と二重ステータスを明らかにされた彼がその対象になりうるのは仕方がないかもしれないが、とはいえ彼が他者の眠りを覗き見るような悪事を働いている様子はうかがえない。リアダンの「相棒」だったから、と仮置きすることもできなくはないが根拠に欠ける。しかし今一度殺された彼の母親の言動を見てみると、善良さの下支えと彼女が見なす彼の行為それ自体が非常に問題含みであることがわかる。

家に帰ると他の子たちがやっていることを教えてくれたものです、盗みだとかとにかく彼らがやっていること全部を。

告げ口、それが彼の犯した罪である。彼の善良さは、単に「どんな犯罪歴もな」いだけでなく、他人の悪事(「盗みだとかとにかく彼らがやっていること全部」)を止めるのではなく差し出すことによって形成されたものなのだ。情報提供という行為それ自体は善悪を計れるものではなく、誰かが知っている情報を聞き出すこと、すなわち聞き込みは捜査の初歩の初歩である。しかし告げ口、すなわち非友好的関係にある他陣営への秘密裏の情報リークとなると話は別になる。万が一にもそれを行ったことが自陣に露見しようものならリーク者の命の保証はないし、その人物は往々にしてリーク先からも蛇蝎の如く嫌悪される。本作にも「a stool pigeon 垂れ込み屋」として87分署に遣われる「Danny Gimp びっこのダニー22」なる人物が登場するが、犯罪者界隈に顔が広い彼が金と引き換えに求められた情報をキャレラへ流した際も、親しみを込めて「スティーヴ」と呼びかけた相手から「Call me ‘Steve’ face-to-face, and You’ll lose your teeth, pal. 面と向かって俺を「スティーヴ」と呼んだら、破を叩き折ってやるぞ23」とすげなくあしらわれている。「ここらの人々はね、キャレラさん、彼らは警官になつきません」という母親の言葉から、フォスターの周りの「人々」が「警察」と非友好的関係にあるのは言うまでもない。フォスターは情報を母親へ伝えただけで、ダニーのような他意はなかっただろう。しかし仲間内の秘事を他人に漏らすという行為は、寝顔を見るのと同様にプライバシーの侵害に変わりなく、過去の行いを以て彼は断罪を免れえない。

善良さが売りの「警官」であっても殺されるという事態は、「革命」の苛烈さをなお一層印象づけると共に、このムーブメントが「革命」である所以をも明らかにする。フォスターは、後に出てくる彼らの上司バーンズ警部補の発言を借りれば、「法と秩序のシンボル」としてまさにうってつけの存在である。しかしこのムーブメントは、彼が執行しかつ体現する「法と秩序」とまったく異なる尺度でもって悪を計り、咎人だと判断された者を既存の「法と秩序」に拠らず断罪するのである。対象が「警官」に限られている以上、このムーブメントは「警官」およびその総体としての「警察」が担う範囲の社会制度に対する攻撃である。

これが「警察」権力へのテロリズムではなく「革命」と見なせるのは、断罪が発動する条件の一つ、命名に由来する。この「革命」が「市民」認定・プライバシー侵害・命名、この三つの条件が揃った者を標的としており、断罪されたリアダン、フォスターの両名が極めて的確なタイミング、構文のなかで名前を出されていたことを先ほど確認した。「警官」である彼らはMcBain氏の言葉を借りれば「hero ヒーロー24」であり、より一般的な言葉遣いをすれば「protagonist 主人公」である。自らが作り上げた「ヒーロー」に対して彼はこんなことを述べていた。

(…)one cop stepping forward in one novel,(…)

直訳すると「進み出る」という意味になる“step forward”は、同時に「名乗り上げる」というニュアンスをも含み持つ。例えば「登場・出演」を意味する“appear”ではなく“step forward”がここで選択された意味を考えると、“appear”では今ひとつ演出できない「警官」の入れ替わりの躍動感もさることながら、たとえ一作限りで殺されてしまうとしても「ヒーロー」である限りは名前をもって然るべき、と彼が考えていたのではなかろうかと想像できる。だがこれは至極当たり前のことだ。どんなミステリ作品であろうとも「ヒーロー」あるいは「主人公」には、本名か否かに関わらずほぼ必ず名前があり無名ではない25。ミステリには無名の「警官」などいくらでも現れ、彼らが命を落とす作品も少なくない。本作にも例えばリアダンの死体発見の通報を受け現場に駆けつけた「刑事」など無名「警官」が多数現れる。しかしMcBain氏の基準からすると彼らは「警官」であっても「ヒーロー」あるいは主人公とは見なせないことになる。本作ではMcBain氏からすれば「警官」から「ヒーロー」への格上げ・お墨付きを意味する命名を受けた者だけがその悪事を断罪されていたわけだが、作者が“conglomerate hero”構想にこめた「たくさんの警官を使いたい」という意図が看過されている点を考慮すれば、犯人の意図を無視してその行為だけが利用されたのと同様に、この「革命」は作者McBain氏をも利用していると見なせる。本来その活躍が作品の根幹をなすであろう「ヒーロー」「主人公」に対するこのような仕打ちには、例えば滝壺に落ちたホームズが無理矢理復活させられたときのような、「ヒーロー」である限り死んでも殺させないといった往時のミステリと真逆の転倒した価値判断が働いていることが見て取れる。一見「警察」権力へのテロリズムともとれるこの断罪が「革命」の手段たりうるのは、悪事を犯した者は「ヒーロー」であろうと殺すというところに肝があり、悪事=プライバシーの侵害を犯す者が「刑事」である以上、彼らの活躍と断罪が切っても切り離せない点に由来している。この「革命」は根本的に無名者の無名者による無名者のための「革命」なのだ。よって単なる「革命」ではなく「モブ革命」と呼ばれるべきである。

2-4. 事件5c:Hank Bush ハンク・ブッシュ

「警官」殺し第三の被害者はハンク・ブッシュである。キャレラとペアを組んで行動することの多い彼はギャップが目立つ人物として現れる。リアダンの事件現場にキャレラと共にやってきた二人は、先に到着し現場検証を済ませていた「北本部殺人課 North Homicide」の「刑事」から遅れてきた点を詰られる。以下はブッシュが詰問を遮る際に現れた彼の人となりに関する記述である。

“Talk English,” Bush said genially. He was a soft-spoken man, and his quiet voice came as a surprise because he was all of six feet four inches and weighed at least 220, bone dry. His hair was wild and unkempt, as if a wise Providence had fashioned his unruly thatch after his surname. His hair was also red, and it clashed violently against the orange sports shirts he wore. His arms hung from the sleeves of the shirt, muscular and thick. A jagged knife scar ran the length of his right arm.26

「英語を話せよ」ブッシュは愛想よく言った。彼は穏やかに話す男で、彼の静かな声は驚きをもたらした。というのも彼は6フィート4インチに贅肉無しで少なくとも220ポンドあった。彼の髪は荒々しく手入れされておらず、それはあたかも賢明なる神が彼の姓になぞらえてボサボサにこしらえたかのようだった。彼はまた赤毛で、それが彼の着ているオレンジのスポーツシャツと猛烈に合っていなかった。袖口から筋肉質で太い二の腕が下がっていた。右腕にはギザギザのナイフ傷が走っていた。

アイルランド系を思わせるちりちりの赤毛と巨躯に不釣り合いな物静かな話し方の持ち主と語られる彼の他の場面での発言をみると、アメリカ発のミステリ・犯罪小説において定型化して久しい粗暴なアイルランド系「警官」よろしく、自身の属する87分署や上司あるいは同行するキャレラへもすぐ反発して噛みつき、「刑事」に必要なのは「a strong pair of legs and a stubborn streak 強靱な二本の足と頑固な気質27」だけだといって憚らない人物である。しかし頭を使うことを嫌がりながらも、死に瀕しては犯人から体組織を摂取して犯人像の特定に貢献し、鑑識から「Hank was a smart cop ハンクは頭のよい警官だった28」と、自己認識に相反する評価を得る場面もある。

彼は先の被害者二名と少し毛色が異なる。まず彼が殺された場面を確認しておくと、押さえておくべきはリアダン、フォスターの際に確認できた地の文における命名=ロックオンが現れず、“the cop”と“the man in black”との揉み合いの体裁をとっている点である。以下は揉み合いの最中にブッシュから撃ち返され肩を負傷した“He”=“the man in black”がブッシュにとどめを刺す場面である。

His shoulder was bleeding badly. He cursed the cop, and he stood over him, and his blood dripped onto the lifeless shoulders, and he held .45 out at arm’s length and squeezed the trigger again. The cop’s head gave a sideward lurch and then was still.

The man in black ran off down the street.

The cop on the sidewalk was Hank Bush.29

彼の肩はひどく出血していた。彼は警官に悪態をつくと彼を見下ろす位置に立った。彼の血が死者の肩に落ちた。彼は45口径を腕いっぱい伸ばし、再び引金を引いた。警官の頭が横に跳ね、それから静止した。

黒衣の男はストリートを走り去った。

歩道上の警官はハンク・ブッシュだった。

殺しが先行し、命名がその後を追う。“the cop”がブッシュだと判明するのは彼の死後であり、先のときのような命名と殺害のタイミングの同期がここで発生していない。しかしこの場面の少し前、事件4:「警官」(クリング)襲撃事件と前後する頃に興味深い場面が現れる。日勤を終え帰宅したブッシュが「警官」殺し事件の主犯である妻アリスと会話を交わす場面である。スカートがまくれるのも構わず窓枠に脚を掛け夕涼みするアリスに対して、地の文でブッシュは以下のように胸の内を述べる。

He watched her silently, wondering what it was about this woman that was so exciting, wondering if all married men felt this way about their wives even after ten years of marriage.30

彼は静かに彼女を見つめた。一体、この女性の何がこれほどまでにそそるのだ。すべての既婚男性が結婚から優に十年経ってからでも妻に対してこのように感じるものだろうか。

ギャップといえば、彼の抱える最大のギャップは彼と妻アリスとがお互いに対して感じている想いだろう。二人でジントニックを飲んでいるうちに「It’s too damn hot. 暑くていやになっちゃう31」と、おもむろに服を脱ぎ始めるアリスに当然の如く欲情したブッシュは手を変え品を変え彼女をベッドに誘うが、“Don’t.”、“Can’t”、“No!”32と完全に突っぱねられてしまう。いい加減ふてくされて独り寝ることにしたブッシュにアリスがかける言葉とそれに続く展開がここで押さえ所である。

“Sleep tight, darling,” she whispered, and then she went into the bathroom.

He heard the shower when it begun running. He lay on the soggy sheet and listened to the steady machine-gunning of the water. Then, over the sound of the shower, came the sound of the telephone, splitting the silence of the room.33

「おやすみなさい、あなた」彼女はそう囁くと浴室へ行った。

シャワーが流れ出すのが聞こえてきた。彼はじめっとしたシーツに身を横たえ、機関銃のように絶え間なく流れ続ける水音に耳を傾けた。そのとき、シャワーの音に被さって電話の音が鳴り、部屋の静けさを破った。

この「おやすみなさい」を妻から夫に向けた就寝の挨拶と単純に受けとるのが憚られるとしたらそれは、リアダンの死の直前に現れた“last”と同じく“Sleep”がブッシュの死を予告しているかのように聞こえるからだ。彼女の発言は命名によるロックオンと同じく殺害予告の機能を果たしているのである。ただし“last”が地の文に現れたのに対し、“Sleep”が犯人であるアリスから真の標的であるブッシュに向けた会話のなかに現れるという違いは無視できない。振り返ってみるとリアダン、フォスターに対する「革命」の命名=ロックオンはともに地の文で行われ、殺害の場面にはただ“the shot”と“the footsteps”の音が鳴り響くのみで殺害者が登場せず、徹底して行為者の無名が貫かれていた。しかしブッシュの場合、アリスという特定個人によって死の宣告が下され、まだ誰なのかは不明ながら“the man in black”という特定の殺害者が現れている。殺害場面の前には“the man in black”が準備をして家を出る描写すらなされる。なぜこのような違いが生じたのか。

作者の創作事情を脇に置いて、これまで述べてきた「モブ革命」の視点から考えてみたらどうなるだろうか。そもそも彼が「革命」の断罪対象となりうるのかどうかだが、これはなっていると恐らく判断できる。条件は「市民」認定・プライバシー侵害・命名の三つである。第一の「市民」認定に関して言うと、本節冒頭で確認した限り彼が「市民」あるいは「人々」とはっきり言明されている様子はない。しかし先の「おやすみなさい」に続く段落を今一度見てみると、かなり変則的な形ではあるものの彼がそこに連なる人物として取り扱われていることがわかる。

シャワーが流れ出すのが聞こえてきた。彼はじめっとしたシーツに身を横たえ、機関銃のように絶え間なく流れ続ける水音に耳を傾けた。そのとき、シャワーの音に被さって電話の音が鳴り、部屋の静けさを破った。

独り寝ているブッシュが電話でその眠りを妨げられていることが確認できる。彼の状態は“completely unaware”からほど遠い覚醒状態ではあるが、自宅で妻もおらず独りベッドに横になっており完全にプライバシーが確保された状態であることは確かである。しかも電話の主は同僚の「刑事」「Roger Havilland ロジャー・ハヴィランド」である34。彼は図らずも「警察」にプライバシーを侵害される側にまわることになる。加えて「すべての既婚男性が(…)このように感じるものだろうか」と、自らを“one of them”の立場つまり「市民」の側に身を置くことになるのだ 。第二の点、プライバシーの侵害も彼は犯している。最初の死者がリアダンであると判明した直後に開かれた捜査会議において上司のバーンズ警部補から発破をかけられ外回りに出たブッシュは、突然同行したキャレラを放り出してアリスに電話をかけ始める。時刻は午前2時、無論アリスは寝ている。更に続けて、あるバーでの聞き込みから犯行に使われたのと同じ45口径の拳銃を所持しそれを見せびらかしていた人物の情報を得ると、その足で「Frank Clarke フランク・クラーク」なる男の住まいへ向かう。時刻は午前3時。ブッシュとキャレラは眠るクラークを叩き起こし事情聴取を行う。

“We didn’t mean to disturb your beauty sleep,” Bush said nastily.35

「あんた方の早寝を邪魔する気はなかったんだがね」ブッシュは意地悪く言った。

こう述べる彼が行っている行為は「邪魔」以外の何物でもない。第三の点、命名は若干判断に苦しむ部分がある。本節冒頭でブッシュが他二名と毛色が異なると述べたのはまさにこの点に関わるのだが、彼の場合アリスによる「おやすみなさい」が先行し、殺害後に殺された人物がブッシュだったと地の文による命名が続く。これはひとえに、彼のみが純粋に犯人の思惑通り殺されているからだと考えられる。ここまで本稿が抽出してきた「モブ革命」とは、被害者である各「警官」を殺す必然性を有していたのは誰なのか、言い換えれば誰がその「警官」を「憎んで」いたのかを記述から読み解いた結果浮かび上がってきたものだった。リアダン、フォスターに関しては犯人でも作者でもなく「市民」という殺意の持ち主が特定された。「市民」がどうやって「革命」の手段である断罪を成し遂げてきたのかについて、本稿ではこれまで事件を「利用」して、と述べてきた。「利用」とは一体どういうことなのかを今一歩踏み込んで考えてみると、そこには本作の地の文のあり方が関わってくる。本作の地の文はときに誰かの思考・情動が書かれることはあっても基本的に特定人物に紐付けられない三人称形式であり、極々一般的なものである。地の文は一文字一文進むごとに物語世界の共有資材あるいは現実を形成していく。作者がそうあれかしと綴ったはずの地の文が織り上げる物語にはしかし、往々にして作者当人の思ってもみなかったパターンや意味の連関が生じる。「利用」とは即ち、人為の産物である以上想定せざるをえないこのパターンや意味の連関の仮初めの創造者36に自らの名前を当てはめることである。「市民」や「人々」は本質的に無名であるがゆえに、この誰でもない創造者とすこぶる相性が良いのだ。だが「」で括られた会話文はそれを発言した特定の人物と分かちがたく結びついている。そしてミステリのようなジャンルの制約がはっきりした物語では、各人物と物語上の役割分担とが密に結びついている。アリスに結びつけられた役割は事件の犯人であり、彼女が真の標的ブッシュに向けて発する「おやすみなさい」は作者がかつてそう願った形、つまりアリスの憎しみがブッシュを殺したという形に物語を誘導する。リアダン、フォスターは「革命」に利用されたが、ブッシュは事件があるべき姿をとり「革命」は後手に回ったのだ。

以上「警官」殺しと「モブ革命」との被害者である三名はすべて「detective 刑事」である。 “pry”、“sneak”といった伝統的にミステリのdetectiveが行ってきた行動は「革命」の起動する条件に抵触しやすく、この「革命」の照準は「警察」全体というより「刑事」に向いているようにもみえる。ただし単にdetectiveを否定するだけならば、それこそミステリジャンルの発展はその都度detective像を刷新することによってなされてきた。通史的な書物37を繙けば、1930年代に定型化が進み密室の中で身動きがとれなくなっていた“clue-pazzle”型の探偵物語に対するアンチテーゼとして“Hard-boiled”型探偵が生まれたという説が必ず警察小説の項目の前に置かれているのを目にすることができる。この「モブ革命」が単にdetective像の刷新にとどまらない射程を持つものであるのは、事件4:「警官」襲撃事件に目を向けると理解できる。

2-5. 事件4:Bert Kling バート・クリング

第二の被害者が出た時点で「警官」殺しの一件は連続殺人事件として新聞にも大々的に報じられるようになる。そんな折、「a reporter新聞記者」の「Savage サヴィジ」なる人物がバーンズの元を訪れ「teenage gang 10代の不良グループ」の犯行ではないかと自説を開陳する。波風を立てないで欲しいと諫めるバーンズを歯牙にもかけず独自調査を開始したこの記者は、単身「Grovers グローヴァーズ」という不良グループのメンバーと接触し話を聞き出そうとするも、逆に怪しまれてしまう。この取材が行われていたバーに仕事明けで私服でやってきたクリングが、この記者と間違われグローヴァーズに襲撃され入院するほどの怪我を負う。

以上が「警官」襲撃事件のあらましである。この事件が「警官」殺しの派生物であることは確かだが、暴行を働いたグローヴァーズは「警官」殺しと何ら関わりのない集団であり、両者の事件の間に物語上の因果関係はない。加えてクリングは「市民の一人」と語られることもなければ、「patrolman 巡査」、日本で言うところの「お巡りさん」であり「detective 刑事」ですらなく、これまで見てきた「刑事」を標的とした「革命」の対象に入るようには見えない。だが彼もまた「革命」が動く条件に抵触する行動を取っている。

時はフォスターの死後に遡る。リアダン、フォスター両名による逮捕歴がありかつ犯行に使用された45口径を所持していたとして、「Louis ‘Dizzy’ Ordiz ルイス・「よろめき」・オルティス」なる麻薬中毒の人物が捜査線上に浮上する。折良くリアダン殺害直前に刑期が終わり世間に復帰していた彼に目星をつけたキャレラは前出の垂れ込み屋ダニーにオルティスの所在を探らせ、彼が「Mama Luz ママ・ルッツ」の店でヘロインにふけっていることを突き止める。普段はいっしょに行動するブッシュがたまたま別件にかかずらわっていたため、キャレラはクリングに車を運転させそこに向かう。ママ・ルッツの手引きによりオルティスの部屋に入った二人は以下の光景を目にする。

There was a bed in the room, and a night table, and a metal washbasin. The shade was drawn. The room smelled badly. A man lay on the bed in his trousers. His shoes and socks were off. His chest was bare. His eyes were closed, and his mouth was open. A fly buzzed around his nose.38

部屋にはベッドとナイトテーブル、金属製の洗面台があった。シェードは下ろされていた。部屋はひどく匂った。男がズボンのみでベッドに横たわっていた。彼の靴と靴下は脱げていた。彼の胸部はむき出しだった。彼の目は閉じており、口が開いていた。一匹の蠅が彼の鼻の周りをブンブン飛び回っていた。

そこにいたのはクスリで前後不覚の酩酊状態にあるオルティスだった。先の伝で言えば眠り=プライバシーの侵害が「革命」の起動条件だったわけだが、彼がいるのは自分の部屋ではなく、まして眠っていると俄に判じがたい状態でも眠りと見なせるのだろうか。ここで思い出すべきはリアダンの際に引いた一節であり、そのなかで眠りは「completely unaware 完全な無自覚状態」ともされていた。即ち“sleep”でなくとも“completely unaware”であれば眠りの条件を満たしているのである。オルティスはといえば「鼻の周りをブンブン飛び回って」いても気付かないほどの状態だったわけで、この条件を満たしていると判断できる。よってこの場に立ち会ってしまったクリングも断罪を免れなかったのである。命まで失わなかった理由は定かではない。「革命」の立場からしてもオルティスがあまりにまっとうな「市民」の枠から逸脱するアウトローだったため、この程度であっても断罪の対象になるということを示す程度にとどめ酌量されたのかもしれない。

ところで、ここまで確認してきた四名は「警官」であり、①他人の眠り=プライバシーの侵害、②「市民」「人々」認定、③命名、この三つの条件を共々に満たしていたわけだが、これを満たしながら最後まで殺されなかった人物がいる。度々名前の挙がっていたスティーヴ・キャレラである。彼は本作を生きのびたどころか、通算50作を越す大シリーズへと発展した87分署物の中心人物として最後まで登場を続け、シリーズ全体の主人公となった。後に見るとおりdetectiveとしてはお粗末極まりないこの人物は、果たして「モブ革命」の魔の手から如何にして身を躱したのか。彼を中心に展開する捜査の模様と合わせて確認することにする。

3. 捜査

3-1. 捜査1:Peter Byrnes ピーター・バーンズ

「警官」殺し第一の被害者リアダンの死体が発見された直後、キャレラを含む87分署の「刑事」15名を前に「the man in charge of the 87th Detective Squad 87分署刑事部主任」のバーンズが行う訓告を確認するところから、87分署の捜査模様を確認していく。

Lieutenant Byrnes was the man in charge of the 87th Detective Squad. He had a small, compact body and a head like a rivet. His eyes were blue and tiny, but those eyes had seen a hell of a lot, and they didn’t miss very much that went on around the lieutenant. The lieutenant knew his precinct was a trouble spot, and that was the way he liked it. It was the bad neighborhoods that needed policemen, he was fond of saying, and he was proud to be a part of a squad that really earned its keep.39

バーンズ警部補は87分署刑事部主任だった。彼は小さくまとまった体にリベットのような頭が乗っていた。彼の目は青く小さかったが、その目は膨大な物事を見てきており警部補の前を過ぎゆく物事を見過ごすことはあまりなかった。警部補は彼の管区がゴタゴタの多い地区だと知っていたが、それは彼の望むところだった。警察官を必要とするのは悪い地域住民だ、この言は彼の好むところであり、また彼は実にせっせと働く刑事部の一員であることを誇りにしていた。

小兵然とした見た目から想像される通りの頭脳派である彼は、ブッシュなど“legwork”を本分と心得る「刑事」たちからは「an old turd くそ爺い40」と蔑まれ受けが悪いが、キャレラからは尊敬され慕われている。リアダンの死体発見直後、彼は部下一同に向けて次のように語りかける。

“No pep talk,” he said suddenly. “Just go out and find the bastard.” He blew out a cloud of smoke and then waved it away with one of his short, wide hands. “If you read the newspapers, and if you start believing them, you’ll know that cops hate cop killers. That’s the law of the jungle. That’s the law of survival. The newspapers are full of crap if they think any revenge motive is attached. We can’t let a cop be killed because a cop is a symbol of law and order. If you take away the symbol, you get animals in the streets. We’ve got enough animals in the streets now.”41

「おしゃべりはそこまでだ」彼は突然言った。「外へ出て悪党を見つけてこい」彼は煙の雲を吐き出すと、短く幅広の手でそれを払った。「新聞を読んでそれを信じ始めたら、警官は警官を殺した者を憎むものだと思うようになる。そいつはジャングルの掟だ。生き残りの掟だ。もし復讐の動機がこじつけられると新聞が考えたら、たまったもんじゃないぞ。我々が警官を殺させたままにしないのは、警官が法と秩序のシンボルだからだ。シンボルを手放したら、路上の野獣になってしまう。もう野獣は充分だ」

彼がまず述べるのは自分たち「警察」の「motive 動機」についてである。新聞がいうように「憎む」「復讐」を捜査の「動機」に据えないよう彼は一同を諫める。その理由として彼が挙げるのが「警官は法と秩序のシンボル」であるという考えである。この文言は「警察」を言い表す言葉として取り立てて珍しいものではあるまい。バーンズはリアダン殺しが「警察」が体現する「法と秩序」への攻撃に利用されたことを察している。もっとも彼が「法と秩序」に対置する「ジャングルの掟」「生き残りの掟」「路上の野獣」という言葉が指し示すとおり、彼が危惧しているのは治安維持を失った無法状態であり、攻撃をされている自覚はあるもののそれが「法と秩序」へのテロリズムではなく刷新を目論んでなされた「革命」だとは一介の登場人物に過ぎない彼に把握する術はない。

“So I want you to find Reardon’s killer, but not because Reardon was a cop assigned to this precinct, and not even because Reardon was a good cop. I want you to find that bastard because Reardon was a man – and a damned fine man.”42

「そこで君たちにリアダンを殺したヤツを見つけてもらいたいのだが、それはなにもリアダンがこの管区に配属された警官だからでもなければ、リアダンがよい警官だったからでもさらさらない。その悪党を見つけてもらいたいのは、リアダンが人間だった、それもとてもまっとうな人間だったからだ」

問題は“because Reardon was a man”という発言だ。“a man”と“a damn fine man”、これをどのように理解すればよいのか。これまで確認してきた語彙の中で語義としてこれに最も近しいのはフォスターの描写に現れた“one of(those)people”だろう。仮にバーンズの言わんとするところがこの意味だった場合、彼は「警官」であろうがなかろうが“a man”=“one of(those)people”は殺してはならず、殺した者を見つけなければならないと述べていることになる。「警察」の立場からすれば当然のことに過ぎないこの意見はしかし、“a cop”≠“one of(those)people”の立場をとる「モブ革命」と真っ向から対立する。バーンズの発言は一介の登場人物の一意見という範疇を超えて、「モブ革命」対「警察」による反「革命」の対立構図を浮かび上がらせることになったのだ。ただこの対立は少々厄介なねじれを内包している。というのは、「警察」を断罪する「モブ革命」の態度は先に引いたMiller氏のいう「「現場」と呼ばれてきた場所から自分もいなくなることで、この正常性を回復させる」態度の延長線上にあり、言い方を変えればこれは「市民」や「人々」と「探偵」「警察」との分断を維持せんとするミステリ原理主義である。対するバーンズの意見は逆に「市民」「人々」の輪の中に「警官」を含めて対等に扱うことを要求する融和的な態度の表れであり、寧ろミステリの歴史に反している。「革命」を唱える原理主義対反「革命」を唱える革新派、両者の対立構図はこのようなねじれを抱えている。

“single cop”から“conglomerate hero”へという作者の言葉からもわかるように、多数の「刑事」の入れ替わりを成り立たせるための「刑事部屋」と、そこに属する「刑事」たちが動き回るに必要なスペースを提供する「アイソラ市」という舞台の設定は、人物が固定されたクローズド・サークルに入り込む一人の超人探偵という従来型ミステリの図式へのアンチテーゼとして筋の通った選択であり、歴史的に見て有効に機能していることは確かである。だが本稿が一見反動的に見える「市民」の側に「革命」を置くのは、分断を固守するために行使された断罪という手段がdetectiveに期待される役割を変質させているからである。今一度Miller氏の発言を引く。

捜査行為は犯罪を解決するだけではなく、さらに重要なことに、この異常事態のあいだ事件の「現場」と呼ばれてきた場所から自分もいなくなることで、この正常性を回復させる。

これまで本稿では「さらに重要なことに」と念押しされたあとに続く「事件の「現場」と呼ばれてきた場所から自分もいなくなる」という箇所に依拠して本作の記述を確認してきた。それは先立つ「捜査行為は犯罪を解決する」が当たり前すぎて取り上げるにも及ばないからだ。現実の断片をすくい上げ一筋の真実を紡ぎ出し事件を解決することこそdetectiveに期待され割り振られてきた万古不易の役割だろう。しかし「革命」の歯牙にかかったリアダン、フォスター、ブッシュの三名は一切「解決」に寄与していない。寄与する前から断罪されているのである。後に参照するGulddal氏によれば個人の理知に頼らず方々で行き詰まる捜査こそ本作に始まる87分署シリーズで作者McBain氏が目指したミステリの新しい形であり、“legwork”を本懐とするブッシュがキャレラと歩む無駄足行脚などむしろ作者の思惑に則った「ヒーロー」振りの真骨頂と見なせるのかもしれない。が、リアダン、フォスターの両名は無駄足を踏む暇すらなく殺されている。果たしてそれは作者からしても無駄死にではないのか。事件を「解決」するためにプライバシーを侵害し、その結果「「現場」からいなくなる」のが従来期待されてきたdetective像だとすると、McBain氏が思い描いたのは、途中経過は散々でも事件は「解決」させ、“conglomerate”であるために死に替わり立ち替わる「刑事」たちである。「モブ革命」が事件を利用することによってもたらすのは、もはや事件を「解決」させられるかどうかに関わりなく、殺される理由を設けるためにプライバシーを侵害する「刑事」である。ただただ弑逆されるために召喚される「刑事」なのである。「モブ革命」が転覆するのはミステリの歴史ではない。歴史を否定したMcBain氏でさえ保持していたであろうdetectiveの、「ヒーロー」の存在意義なのである。

このような「革命」を志向する「市民」とは一体何者なのか、それは結論部で述べることにして、次節では今一度本作に立ち戻り、この対立の中で主人公スティーヴ・キャレラが如何に立ち回り生きのびたのか、そして彼の生存が本作にとってどういう意味を持つのかを検証する。

3-2. 捜査2:Steve Carella スティーヴ・キャレラ

キャレラが最初に登場するのはリアダンの死後、通報を受けて事件現場にやってくる場面である。彼は自らが所属する87分署管区内で発生した事件にも関わらず現場到着が北本部殺人課の「刑事」らより遅れる。すでに現場検証を始めていた北本部殺人課の「刑事」らの前にキャレラが現れる場面から確認していくことにする。

Carella and Bush, from the 87th precinct, walked over leisurely. The homicide cop glanced at them cursorily, turned to the Where found space on the tag, and began filling it out. Carella wore a blue suit, his grey tie neatly clasped to his white shirt.43

87分署のキャレラとブッシュがゆっくりと歩いてきた。殺人課の刑事は彼らをざっと見やり、それからタグの「発見場所」欄に向き直ってそこを埋め始めた。キャレラは青色のスーツを着て、グレーのネクタイを白シャツにきっちり締めていた。

ここで目を引くのは“leisurely”である。遅刻を意に介さないそのふてぶてしさはこの場面を通じて散見される。ただ同行したブッシュが「オレンジのスポーツシャツ」というおよそ死体遺棄現場に場違いな出で立ちだったのと比べ、彼は「青色のスーツ」をきっちり着こなす描写がなされており、ふてぶてしいといっても反抗的なわけではないような印象を与える。北本部の「刑事」からの詰問をのらりくらりと躱す会話を挟み、彼の容姿に関する記述が続く。

Carella grinned. He was a big man, but not a heavy one. He gave an impression of great power, but the power was not a meaty one. It was, instead, a fine-honed muscular power. He wore his brown hair short. His eyes were brown, with a peculiar downward slant that gave him a clean-shaved Oriental appearance. He had wide shoulders and narrow lips, and he managed to look well dressed and elegant even when he was dressed in a leather jacket for a waterfront plant. He had thick wrists and big hands, and he spread the hands wide now and said, “Me answer the phone when there’s a homicide in progress?” His grin widened. “I left Foster to catch. Hell, he’s practically a rookie.”44

キャレラはにやりと笑った。彼は大柄な男だったが、太っているわけではなかった。彼は力強い印象を与えたが、その力は肉の量感によるものではなかった。その代わり研ぎすまされた筋肉の力だった。髪はブラウンで短かった。彼の目はブラウンで、その独特な目尻の上がった目は彼に髭を剃った東洋人風の要望を与えていた。広い肩と薄い唇を有し、きちんと上品に見えるよう気を遣っており、たとえ港湾工場向けの革ジャケットを着るときでさえそうだった。太い手首に大きな手があり、いまその手を大きく開いて彼は言った、「殺しが起こっているのに電話番なんかしてられるかい?」彼は口を広く開けて笑った。「受付にはフォスターを残してきた。彼は実質新米だからな」

イタリア系とされるあまり聞き慣れない姓に、「研ぎすまされた筋肉」の強調と「東洋人風の風貌」が合わさり、彼がハードボイルドのタフガイの影響を色濃く受け継いでいるのがうかがえる。先に触れたふてぶてしさもこの流れのなかで捉えられるだろう。

この場面で興味深いのは、俯せの死体を表にして顔を改めようとなった段の以下の記述である。

“Poor bastard,” Carella said. He would never get used to starting death in the face. He had been a cop for twelve years now, and he had learned to stomach the sheer, overwhelming physical impact of death – but he would never get used to the other thing about death, the invasion of privacy that came with death, the reduction of pulsing life to a pile of bloody, fleshy rubbish.45

「ついてない人だ」キャレラは言った。彼は顔面に死が広がる様にいまだかつて慣れたことがなかった。警官になって12年が経ち、死のもつ完膚なきほど圧倒的な肉体への衝撃には耐える術を学んでいた。しかし彼は死に関する別のことに一向慣れなかった、つまり死に伴うプライバシーの侵害や、脈打つ生命の血なまぐさく肉質なごみの堆積への還元である。

これから俯せの死体をひっくり返しその顔を拝もうとするキャレラの胸中を綴る地の文のなかに、「that came with death 死に伴いやってくる」ものとして「the invasion of privacy プライバシーの侵害」が現れている。キャレラの心内描写としてみれば、彼は“physical”に対置されるところの“mental”が死によって失われることに慣れない、と述べていると考えられ、続く“the reduction (…) life to a pile of (…) rubbish”もこれを裏付けている。自身の経験なりモラルなりに基づいて胸中に抱いたその言葉がまさに「モブ革命」の断罪条件の一つであったなどと、一介の登場人物にすぎない彼が知っていたはずはない。ここで注目すべきは彼が地面に横たわるリアダンの死に顔を見ないことである。彼が何やかんやと逡巡しているうちに、隣にいたブッシュが死体をひっくり返しその顔面を視認しリアダンだと同定するのである。考えてみれば死ほど“completely unaware”な状態もあるまい。「モブ革命」の立場からすると、寝顔を見るのも死に顔を見るのも等しくプライバシーの侵害に該当する。彼は図らずも我が身に降りかかってもおかしくない断罪の契機をブッシュに肩代わりしてもらった形になったのだ。ここに彼らがこれから発揮していく彼らしさの片鱗が見いだせる。詰まるところそれは、厄除け体質である。リアダンが殺されたとき彼は分署で待機中だったし、死に顔を確認するのはブッシュだった。フォスターが殺されたときはテディと睦み合っていた。クリングが襲われるのは直前まで一緒に飲んでいた彼と別れた直後のこと。これから殺されるとは露知らず帰途につくブッシュの21分前にキャレラは署を出ている。彼は各々の断罪が進行中にどこで何をしていたのかただ一人だけ特定できる鉄壁のアリバイの持ち主なのである。彼は自身の意思で断罪を避けているわけではないし、そんなことはそもそもできない。ッシュとともに就寝中のクラーク宅に押し入っている以上彼に下されても一向おかしくない断罪の銃弾が、なぜか彼ではなく同僚に向かうのである。Dove氏は前掲書のなかで主人公名をシリーズの名に冠した他作と比べ「Nobody, though, ever speaks of “the Steve Carella stories”. しかしながら誰一人としてスティーヴ・キャレラ物とは呼ばない46」と述べ、複数主人公体制を本シリーズの特徴の一つに挙げている。これはMcBain氏の“conglomerate hero”を言い換えているにすぎないが、しかし“conglomerate hero”構想を裏切るかのごとくキャレラは殺されない。殺されないだけでなく、誰かが殺され襲われている最中にその場に居合わせなかった、つまり「革命」に狙われなかったことが周到に示されるのである。ただし彼が生きるために他人の犠牲を厭わない酷薄無情な性格をしているわけではないことも付言しておく必要がある。彼は冗談も飛ばせば、ブッシュのような荒々しい人物とペアも組める、どちらかと言えば和を以て貴しとなす人物である。寧ろ、彼は生かされているのではないか。そのためのアリバイなのではないか。それを後に改めて考えることにする。

話を捜査に戻すと、リアダン発見後バーンズに発破をかけられ開始した捜査は多くの論者が述べるように道中まったくうまくいかず、しかし最終的な解決にはたどり着く。本作に限らず87分署シリーズには終わり良ければすべてよしな傾向の作品が多い。とりわけこの傾向が顕著なCop HaterThe MuggerThe Pusherの初期三作(すべて1956年刊)を対象にこのうまくいかなさを分析したJesper Gulddal氏の論考“Clueless”に沿って次節でことの経緯を確認する。

3-3. 捜査3

あらゆるジャンル作家が直面する、お約束を守ることと破ることとの二律背反が生みだす「genre discomfort ジャンルの不快」がジャンルの刷新に繋がるとの前提のもと、初期三作を考察対象としたGulddal氏は、McBain氏が「undoing 帳消し」にした三つの点に着目して分析を進める。

Representing the author’s first endeavors to establish a new style of detective writing, these novels stand out by virtue of their agonistic approach to the past masters of the genre. More specifically, the narrative form that McBain creates is defined by its undoing of three core features of earlier detective fiction: the clue; the process of detection; and the narrative causality that provides the necessary link between crime, evidence, and investigation.47

新しいスタイルの探偵小説を打ち立てるための著者の最初の試みを表しながら、これらの小説はジャンルの偉大なる先人への敵対的なアプローチのおかげでずば抜けて目立っている。とりわけマクベインが作りだした語りの形式は、以前の探偵物の三つの核となる特徴の帳消しによって際立っている。その特徴とは、手がかり、推理のプロセス、そして語られることによって生じるものごとの一貫性であり、これが犯罪と証拠と捜査の間に必要不可欠な繋がりを生じさせる。

3-3-1. clues / leads

第一の点は「clues 手がかり」である。Gulddal氏は、従来のミステリであれば探偵たちが目をつける「手がかり」に対して初期三作で行われる微に入り細を穿つ犯罪学的な捜査が、「all but useless ほとんど役に立たない」つまり犯人逮捕に結びつかず、それに代わって「刑事」が「leads 伝手」を重視すると指摘する。ほぼ同異義語としても通用するこの二つの使い分けは以下のように説明される。まず「手がかり」に関しては、

Clues are the purview of the amateur sleuth. Riddled with complexity, they present themselves to the detective protagonist and the reader alike as hermeneutical problems. The clue contains the mystery in a nutshell, and cracking it open and prying out its secrets requires an interpretive effort—an exercise of Hercule Poirot’s “little grey cells.” Once it has been properly interpreted, which involves placing it correctly as a part within the whole of the criminal act, the identity of the murderer will be evident—a moment of complete elucidation epitomized by Christie’s denouement scenes.48

手がかりはアマチュア探偵の領分である。複雑さに溢れているため、それらは探偵主人公と読者に対して自らを解釈学的問題と同様のものとして提示する。手がかりは殻の中に謎を包みこんでおり、それを割って中の秘密を取り出すのに解釈作業――エルキュール・ポアロの「灰色の脳細胞」の行使――を要する。ひとたびそれが適切に解釈されたならば――それには犯罪行為の総体の中に謎を正しく配置することを必要とするのだが――、殺人者の身柄が明らかになる――クリスティの大詰め場面に典型的な完全な解明の瞬間である。

と述べられる。彼は「手がかり」という語を一般的なミステリの範疇における物的・状況証拠という意味合いで用いており、この説明に対して否が唱えられることは恐らくあるまい。「解釈学」および「解釈の努力」に関してのみ後ほど実例を挙げて解説する。続けて「伝手」について。

Leads, by contrast, are associated with professional police work and hence with the police procedural as a genre. As pathways of police investigation, they are pursued, not by superhuman amateurs, but by a team composed of decidedly human and fallible, if not outright flawed, investigators. They are simple rather than complex; they have no inherent meaning and do not have to be interpreted and understood. Following them requires persistent research (“legwork”) undertaken by ordinary police officers, not brilliant feats of deduction. Finally, leads are not caught up in the hermeneutic circle of parts and whole; they adhere instead to a strict linearity, leading the detective towards new leads, to the apprehension of the murderer, or, frequently, to nothing at all.49

伝手は対照的に、職業としての警察業務と、従ってジャンルとしての警察小説とに結びついている。警察の捜査の過程についていうと、それは超人的なアマチュアによってではなく、あからさまに欠点があるとまでは言わずとも、はっきりと人間的で間違いを起こすこともある捜査官から構成されたチームによって遂行される。伝手は複雑であるより単純である。それは内在的な価値を持たず解釈も理解もされる必要がない。それを追うのに必要なのは普通の警官によって執り行われる継続的な調査(「足仕事」)であり、推論による驚異的な離れ業ではない。最終的に、伝手は部分と全体からなる解釈学の輪に絡めとられない。その代わりに厳密な直線性を遵守する。その線は刑事を新たな伝手へ、殺人者の逮捕へと導くが、しばしばどこへも行き着かない。

ここで述べられているのは要するに、駄目なら次へ、ということだろう。実際のところ本作では、犯罪者リストを元にしたリアダン・フォスター両名に関わりのある前科者の割り出し、最近逮捕された者を並べて「刑事」たちが質問を投げかけ、自分が捜査中の事件と関係がないか調べるラインナップ等々、「伝手」を辿って様々な捜査が行われ、全てが無に帰し、そして次の捜査が始められる。こうした性質を本作にもたらした要因として氏が述べる“superhuman”から“human”への移行を端的に表している場面として、ブッシュが殺される間際に犯人を引っ掻いて奪取した体組織の取り扱いに関する「鑑識技師」のサム・グロスマン警部補とキャレラとのやり取りを確認しておく。「Hank was a cmart cop ハンクは頭のいい警官だったね」グロスマンは開口一番こう述べる。

“Hank was a smart cop,” he said to Carella.

Carella nodded. It was Hank who’d said that it didn’t take much brainpower to be a detective.

“The way I figure it,” Grossman went on, “Hank thought he was a goner. The autopsy disclosed four wounds altogether, three in the chest, one at the back of the head. We can safely assume, I think, that the head shot was the last one fired, a coup de grâce.”

“Go ahead,” Carella said.

“Figure he’d been shot two or three times already, and possibly knew he’d be a dead pigeon before this was over. Whatever the case, he knew we could use more information on the bastard doing the shooting.”50

「ハンクは頭のいい警官だったね」彼はキャレラに言った。

キャレラは頷いた。刑事であるのに大して知能は要しないと言ったのはハンクだった。

「わたしの理解に拠れば」グロスマンは続けた。「ハンクは自分がもう長くないことを悟った。解剖から四つの傷が明らかになっている。三つは胸に、一つは後頭部に。思うに、頭への一発は最後に撃たれたのだと見なして差し支えなさそうだ、とどめの一撃ってヤツさ」

「続けてください」キャレラは言った。

「彼はすでに二、三発撃たれていた、そこでもしかすると、彼は逝ってしまう前に情報を残そうとしたのかもしれない。この事件がどんなものであれ、我々は銃を撃ちまくっている悪党に関するより多くの情報があった方がいいと、彼はわかっていたんだ」

ブッシュは上記二分類で言えば、明らかに足を使って「伝手」を追うことこそ「刑事」の仕事だと考えるタイプの「警官」だった。しかし彼は自らの行動が同僚の役に立つことを「he knewわかっていた」し、グロスマンは残された「手がかり」からブッシュが「わかっていた」ことを「I figure 理解」する。ここに出てくる三名の中で、聞き手に回っている主人公キャレラだけが何も「わかって」いないし「理解」していない。続けてグロスマンはブッシュが残した犯人の体組織から、血液型分類やら男女別年齢別の髪の伸び方やらの専門知識を披露しながら犯人像を組み上げる。彼は自らの説明行為を“piece together51”と呼ぶ。語義的には「まとめあげる」といった意味のこの語句は、邦訳では「綜合」とされており、これは非常に示唆的な訳である52。グロスマンが行っているのは個々の「手がかり」の意味を読み取り53、それを「綜合」して一つの犯人像を成り立たせる行為である。恐らくGulddal氏の述べる「解釈」とはこの「読み取り」のことを指しているのだろう。往年のミステリであれば、「手がかり」の読み取りは場合によって医師や鑑識等専門家が行うことがあっても、「綜合」は「探偵」「刑事」が自ら行っていたはずである。だがこの場面では「刑事」であるキャレラは読み取りも「綜合」もまとめてグロスマンの手に委ねており、聞き手に回って呆気にとられることしかできない。

“Break it down for me,” Carella said, somewhat amazed – as he always was – by what the lab boys could do with a rag, a bone, and a hank of hair.54

「噛み砕いてくれませんか」キャレラは言った。彼は鑑識がぼろきれや骨や髪の束から行うことに常の如く些か驚いていた。

またミステリにおいては「綜合」が行われる際に、専門家ではない人向けに「綜合」結果を説明する行為が伴う。キャレラは「解釈」および「綜合」能力を全面的にグロスマンに明け渡した結果、Gulddal氏が「クリスティの大詰め場面」と呼んだ場面で「探偵」が発揮したであろう、自らの口で以て謎を語る能力をも喪失している。語る能力の喪失に関しては寧ろキャレラが率先して口を開く場面を確認する方がよかろう。本作には事件の捜査の合間にキャレラと恋人の「Teddy Franklin テディ・フランクリン」が睦み合う場面が何度か挿入される。彼女55に対して彼が囁きかける愛の言葉を見ると、彼が如何に語りの能力、言い方を変えれば言語運用能力を失っているかがよくわかる。

He took her in his arms and said, “I mean it, Teddy, daring, I mean it. Don’t be silly about this, Teddy, because I honestly, truly mean it. I love you, and I want to marry you, and I’ve wanted to marry you for a long time now, and if I have to keep asking you, I’ll go nuts. I love you just the way you are, I wouldn’t change any of you, daring, so don’t get silly, please don’t get silly again. It … it doesn’t matter to me, Teddy. Little Teddy, little Theodora, it doesn’t matter to me, can you understand that? You’re more than any other woman, so much more, so please marry me.”56

彼は彼女を腕にかき抱き言った、「俺が言ってるのはそういうことだよ、テディ、ダーリン。そういうことだ。馬鹿な考えを起こすんじゃない、テディ、俺は誠実に、本当にそう言ってるんだから。愛してる、君と結婚したい、今までずっと結婚したかった。このままずっと君を求めていたら、気が狂っちまう。ありのままの君が好きだ、君のどこも変えるつもりはない。ダーリン、だから馬鹿な考えはよせ、お願いだからそんな馬鹿げたことはよすんだ。そんなもの、俺には問題ないんだよ、テディ。かわいいテディ、かわいいテオドラ、俺には問題でも何でもないんだ。わかってくれるかい? 他のどんな女性も君には及ばない、到底及ばないんだ、だから俺と結婚してくれ」

引用箇所の前後を見る限り、二人の間で何らかのコミュニケーションが成立しているらしいことは窺えるのだが、しかし語りの能力を喪失したキャレラはテディに対して大別すれば「馬鹿なことを言うな」「結婚しよう」「愛してる」この三つしか返答できないのが見て取れるだろう。主人公がこの体たらくである以上、「大詰め場面」など望むべくもないのは明らかである。

3-3-2. breaks

ここでGulddal氏の論考に話を戻す。Gulddal氏はまず「手がかり」と「伝手」を峻別し、「刑事」たちによる「直線」的な「伝手」の追求が、かつての「アマチュア探偵」たちが行ってきた「手がかり」を「犯罪行為の総体の中に謎を正しく配置すること」すなわち「綜合」を導かないと指摘した。しかし彼も最後に言い添えているとおり、結局のところ「伝手」も犯人に結びつかずに途絶え、捜査は行き詰まってしまう。そこで彼が注目するのが“break”である。

Most important, detection in McBain’s 87th Precinct depends on “breaks”—that is, crucial information hit upon by the detectives by chance, significantly progressing the case and ultimately leading to its solution.

(…)

The logic of the break—as opposed to that of ratiocination—is a matter not of necessary correlations but of contingency. Forensic science and traditional police work being represented as ineffectual, the solution in McBain’s novels almost always involves an element of randomness and luck, without which the case could not have been brought to a successful close.57

最も重要なことはマクベインの87分署が「急変」に依存しているということである。これは刑事が偶然突き当たる決定的な情報が事件を著しく進展させ、最終的に解決へと導くということである。

(中略)

急変のロジックは――推理のロジックと対照的に――必要不可欠な相関関係ではなく不測の事態に関係する。犯罪科学と伝統的な警察仕事は効果がないように提示され、マクベインの小説の解決はほぼ常に偶然と運の要素を必要とする。それなしでは事件を成功裏におさめられないとでもいうかのように。

この例として氏が取り上げるのは本作のクライマックスに関わる新聞記者の一件である。すでにクリング襲撃事件のきっかけを作った人物として登場していた記者サヴィッジが「オフレコ」と偽ってキャレラに接触してくる。「警察」とすでに一悶着起こしバーンズから接触禁止令が出ているサヴィジからの申し出に最初は渋りつつもなぜか話に乗ってしまったキャレラは、事件に対して抱く「hunch 直観」のみならずテディとの関係や彼女の住まいについても語ってしまう。翌日自身が話した内容が歪曲された形で記事になり、それを読んだ実行犯の男がテディ宅を襲撃する。サヴィッジと接触したことをバーンズに叱責され記事を読まされたキャレラは逆上して早退、テディ宅に赴いたところ本当に実行犯の男がおりこれを現行犯逮捕、そのまま主犯のアリス・ブッシュも捕まえ物語はエピローグを迎えることになる。

Gulddal氏はこの「急変」を「偶然と運の要素」に関係あるものとして記述しているが、これは少し足りないと思われる。というのも「急変」のきっかけとなった記事はそもそもキャレラが記者と口をきいてしまった結果書かれたものであり、これは明らかな人災である。寧ろ着目すべきは語りの能力を喪失しているはずのキャレラが語っているという点であろう。

“I know. I was speaking figuratively. I meant, make them ordinary citizens. Not cops. What do you have then? Certainly not a cop hater.”

“But they were cops.”

“They were men first. Cops only coincidentally and secondarily.”

“You feel, then, that the fact that they were cops had nothing to do with the reason they were killed.”

“Maybe. That’s what I want to dig into a little deeper.”

“I’m not sure I understand you.”

“It’s this,” Carella said. “We knew these men well; we worked with them every day. Cops. We knew them as cops. We didn’t them as men. They may have been killed because they were men, and not because they were cops.”

“Interesting,” Savage said.

“It means digging into their lives on a more personal level. It won’t be fun because murder has a strange way of dragging skeletons out of the nearest closets.”58

「そのとおり。俺は比喩的に言ったんだ。言いたかったのは、彼らを普通の市民としてみろってことだ。警官ではなく。そうしたらどうなる? きっと警官嫌いの仕業じゃない」

「でも彼らは警官だ」

「その前に人間だ。警官であることは偶然かつ二次的な要素に過ぎない」

「それなら君は、彼らが警官だったことと彼らが殺された理由は関係がないと思っていると」

「おそらくは。それをもう少し掘り下げてみたいんだ」

「わかったとは言いがたいな」

「こういうことだ」キャレラは言った。「俺たちは彼らのことをよく知っていた。毎日いっしょに働いていた。警官として。警官としての彼らのことはよく知っていた。人間としての彼らは知らなかった。彼らが殺されたのは人間だったからなのかもしれない、警官だったからではなく」

「興味深い」サヴィジは言った。

「それは彼らの生活をもっと個人的なレベルまで掘り下げることを意味する。面白いことにはならないだろう。殺人は思わぬやり方で最も内奥の秘密を引きずり出すものだから」

実は対サヴィジ以前にも彼が「直観」を語る場面がある。相手はブッシュの妻、即ち「警官」殺しの主犯アリスである。ブッシュの死後、弔問と事情聴取のためアリスを見舞ったキャレラは、やたら扇情的な格好をしたファム・ファタル的な彼女に酒を勧められながら「事件」について訊ねられ、思っていることを語り聞かせる。

“How’d the killer know that these men were cops? They were all in plainclothes. Unless he’d had contact with them before, how could he know?”

(…)

“He killed three detectives. Maybe it was chance. I don’t think so. All right, how the hell could he tell the patrolmen from the detectives?”59

「殺したヤツはどうやって彼らが警官だと知ったんでしょう? 彼らはみな私服だった。以前に接触したことがあったのでなければ、どうやって知れたと?」

(中略)

「ヤツは三人の刑事を殺した。それは偶然だったのかも知れない。俺はそう考えない。だって、巡査と刑事をどうやったら区別できるんです?」

一般人、それも被害者の身内と記者に対して、たとえ「直観」であっても捜査に関する内容を話してしまうことの是非は問うまい。両方のやり取りを比べると、キャレラがアリスに語った「巡査と刑事をどうやったら区別できる」のかという疑問を発展させた先に、「彼らを普通の市民として」みると「彼らが警官だったことと彼らが殺された理由は関係がない」という考えが出てきているのが見てとれる。ここで彼が口にする「市民」は無論「モブ革命」の執行者を指しているわけではなく、公人に対置されるところの私人くらいの意味である。「伝手」としてみると、彼が語る内容はいい線をついている。この「伝手」を辿っていけば、彼は遠からず事件を解決し、そして被害者三名の「最も内奥の秘密」に触れた罪をほかの「刑事」たちと同様に断罪されることになっただろう。しかし柄にもなく語ってしまったことで彼は“break”を招き寄せ、「伝手」を辿り始める前に事件が収束してしまう。この帰結にどういった意味があるのかを次節結論で述べることにする。

結論

物語の顛末を先に確認しておく。逮捕された主犯と実行犯の二人は即刻裁判にかけられ、陪審員の満場一致で電気椅子の刑に処せられる。一行の空白を挟み場面はキャレラとテディの結婚式へと移る。出席したバーンズから「Well, hurry anyway. How are we going to run that precinct without you? そうだ、早く戻ってこい。お前がいなかったら管区をどう運営していいのやら60」等々の言葉をかけられながら見送られた二人はハネムーンへと旅立つ。残されたバーンズとキャレラの同僚「Hal Willis ハル・ウィリス」の以下のやり取りを持って物語は幕を閉じる。

They went out of the room together.

Byrnes stared after them wistfully.

“He’s a good cop,” he said.

“Yeah,” Willis answered.

“Come on,” Byrnes said, “let’s go see what’s brewing back at the house.”

They went down into the street together.

“Want to get a paper,” Byrnes said. He stopped at a newsstand and picked up a copy of Savage’s tabloid. The trial news had been crowded right off the front pages. There was more important news. The headlines simply read:

HEAT WAVE BREAKS! HAPPY DAY!61

彼らは連れ立って部屋から出て行った。

バーンズは物憂げに彼らを見送った。

「彼はいい警官だ」彼は言った。

「そうですね」ウィリスが答えた。

「行こう」バーンズが言った。「署に戻ったら何が巻き起こってるか見に行こうじゃないか」

彼らは連れ立って通りへ降り立った。

「新聞を買っておくか」バーンズが言った。彼は売店でサヴィジのタブロイド紙を一部手に取った。公判のニュースは一面から直ちに追いやられていた。より重要なニュースがあった。見出しはシンプルにこうなっていた。

熱波収束! よい一日を!

バーンズは旅立つ二人を見送りながら「彼はいい警官だ」と述べる。“good boy”でも“fine man”でも“nice guy”でもなく、“good cop”と。「モブ革命」対「警察」の構図を図らずも浮き彫りにさせた人物の言葉として見たとき、そしてそこに「wistfully 物憂げに」と修飾が入るとき、彼の発言は敗北宣言として響いてくる。なぜそう思えるのかを明らかにするためには、詰まるところこの戦いの勝敗がどこでどのように決したのかを見極める必要がある。「モブ革命」の目的は「市民」とdetectiveとの分断を維持しながらdetectiveの存在意義を事件の解決から切り離し、「刑事」を殺されるために他人のプライバシーを侵害する者へと作り替えることである。「警察」の目的は作者の“conglomerate hero”構想実現に向けて「市民」と「警官」の垣根を撤廃し、超越的な“single cop”に頼らない捜査体制を確立したうえで、自力でなくてもいいから事件を解決させることである。実のところ両者は「刑事」から理知と不死性を剥奪し超常者の座から引きずり下ろすという点においてかなり近似している。本作の顛末を見ると、“break”頼みではあれ真犯人が逮捕され事件が解決した以上「警察」が目的を達成したように一見読める。「熱波」によって新聞一面から事件が追いやられている状況は「刑事」が出動べき事件の消失を意味しており、それは取りも直さず「モブ革命」がこれ以上断罪を下す機会もまた失われたことを示しているのだから。しかし天候に対して用いられる“break”が季節変化のような大きな変動ではなく一時的な急変・休止を意味するように、実際には「革命」もまた完全に終わったのではなく一時的に中断したに過ぎないのではないかと考えられる。その理由はキャレラの立ち回りと最終的な生存にある。

まず押さえておくべきは、「革命」の起動条件を満たしたはずのキャレラがなぜ生きているのかという問いであろう。ポイントは初登場の時点で示されたキャレラの厄除け体質である。リアダンの死体を確認する場面で彼は、いずれにせよどこかのタイミングで自身も抵触することになる「革命」の起動条件を隣にいたブッシュに肩代わりしてもらった形になっていた。そしてすべての断罪の場面に居合わせなかったことが示されたうえで、「警察」関係者以外に「直観」を語ったことが“break”を招き寄せ事件が解決する。先にこの「直観」を黙して語らず「伝手」を辿っていたら、遠からずキャレラは事件を自力で解決し、そして「モブ革命」の歯牙にかかっていたのではないかと推測を述べた。Dove氏の前掲書にはこの推測を裏付ける挿話が記載されている。

In the earliest stories, he was developing a plan that would keep the cast of characters rotating; after all, in real life policemen retire, die in line of duty, or find other jobs. Consequently, McBain killed off three of his detectives in the first book in the series, and then killed Steve Carella at the end of The Pusher.62

最初期の作品において、彼は登場人物の配役を入れ替え続ける計画を展開していた。なんと言っても警官は実生活において引退し、職務中に死亡し、あるいは転職するものだから。それゆえにマクベインはシリーズ第一作のなかで三名の刑事を殺し、The Pusherのなかでスティーヴ・キャレラを殺した。

これを信じるなら、当初はキャレラもまた“conglomerate hero”の一員として“rotating”のサイクルに組み込まれていたことになる。もし仮にそうなっていたとしたら、ここまで抽出してきた「革命」は“single cop”から“conglomerate hero”への転換、つまりMcBain氏の目論んだとおりミステリの歴史からみたdetective像の刷新を意味していただろう。しかしDove氏の話には続きがある。

Carella stayed dead, as McBain explains, just long enough for his editor to read through manuscript, then, to call back and say, “You can’t kill Carella. He’s the hero. He’s the star of the series.” Thus Public Opinion intervened (in the person of Herb Alexander), Carella recovered from his gunshot wound, and the death-rate among cops in the 87th dropped drastically.63

マクベインの説明によると、キャレラが死んでいたのは彼の編集者が草稿を読み通すまでのことだった。それから編集者が電話をかけてきてこう言った「キャレラを殺してはいけない。彼はヒーローだ。シリーズの星だ」。そうして(ハーブ・アレクサンダーの口を借りた)世論の干渉があり、キャレラは銃創から復活して、87分署の警官の死亡率が劇的に下がった。

最後の一節「87分署の警官の死亡率が劇的に下がった」は死者が四名から三名に減ったことを指しているのか、あるいはシリーズ全体を通して「警官の死亡率が劇的に下がった」と述べているのか定かではないため措いておくが、ここで確認しておくべきはキャレラの死に「(ハーブ・アレクサンダーの口を借りた)世論の干渉」があった、と述べられている点である。“He’s the hero. He’s the star”という編集者の意見ほど、McBain氏の理想を無碍にするものもないだろう。これは寧ろMcBain氏が乗り越えようとした従来型の“single cop”、イモータルなヒーローへの退行である。この文言からは作者のレベルで早くも“conglomerate hero”の実現が危ぶまれていたことがわかる。また何を思ってDove氏が“Public Opinion”と大文字で書き付けたのかは判然とせず、せいぜい“Public”と“Publisher”を引っかけたのだろうかと想像できる程度だが、「世論による干渉」という言い回しから物語上におけるサヴィジによるキャレラへの取材を想起せずにはいられない。McBain氏に対する「世論の干渉」とキャレラに対するサヴィジの取材・記事作成は、作者本人がどこまで意識的に行ったのかは不明ながら、できすぎなほどの相似形をなしている。その意味するところは、不如意、である。「刑事」としてキャレラをみると、“break”以前の彼は往年のdetectiveたちが持っていた「手がかり」を「綜合」しそれを語って聞かせる能力をすでに失っているといえども、「伝手」を辿るという形でMcBain氏が思い描く“police work”を実践していた。しかしサヴィジの記事によって“break”がもたらされると「伝手」を辿って自力で事件を解決させる機会さえ失い、実行犯からの自白があってようやく真犯人にたどり着く始末である。またこの記事は、「伝手」の一つとして被害者の私人としての生活に目を向けてみるという彼の「思いつき」を「警察」内部の腐敗を暴くという風にねじまげ、犯人のみならず悪習を抱えた「警察」にも独り敢然と立ち向かい、しかも恋人を思いやる心を持ったヒーローでもあるかのように彼を祭り上げる内容だった。キャレラはバーンズの禁を破ってサヴィジと接触した結果世に出た記事を読むと逆上し、夜勤組が出勤するまで待てと制止するバーンズを無視して交代が来る前に署を出てテディ宅へ向かい恋人の窮地を救う。上司の言いつけを破って恋人を救うその姿は、サヴィジが記した「警察」に立ち向かうヒーローそのままである。作者レベルの「干渉」による“conglomerate hero”から“the star”への退行をなぞるかのように、キャレラは物語上で被った「干渉」によって曲解から生じたヒーローへと成り下がるのである。

もはや彼はdetectiveでもなければ、McBainが思い描いた「ヒーロー」としての「刑事」ですらない。そしてここに「モブ革命」がつけ込む隙がある。先だって本稿では「利用」を、作者当人の思ってもみなかった形で生じたパターンや意味の連関の仮初めの創造者に自らを当てはめる行為と定義したが、そうあるなと願われたdetectiveからもそうあれと願われた「刑事」からも乖離してしまった彼ほど利用しやすい者もあるまい。第三の道、「モブ革命」の走狗として彼は生かされ利用されることになる。といっても特段何かが変わるわけではない。彼の意識のうえでは「刑事」のまま、どこにも行き着かない「伝手」を辿り続けるだけだ。赴く先々で彼は「市民」「人々」のプライバシーを侵害することになるだろう。だが死を剥奪された彼に断罪の銃弾が降り注ぐことはない。彼には断罪の場面に居合わせなかったアリバイが常に提供され、同僚の誰かや場合によっては身内がその銃弾を受けとめる。代わりがいくらでもいることは作者が保証してくれている。一発くらい銃弾をくらったところで「回復」が約束されている。プライバシーの侵害に拒否感を覚えることもあるだろう。そんなときは同僚の誰かが代わってプライバシーの侵害を引き受けてくれる。

バーンズの敗北宣言に話を戻すと、自分が利用されている自覚もなく結婚式に浮かれて”idiotically”に笑うキャレラに対してバーンズが投げかける「早く戻ってこい」という言葉が敗北宣言に聞こえるのは、徹頭徹尾バーンズの与り知らぬところでキャレラが“the hero”、“the star”とされ、そうである限り“one of them”ですらない彼を起用し続けなければならないところにある。キャレラのような“single cop”へと退行した存在がいてバーンズの融和政策が成功するはずがない。「早く戻ってこい」という発言ではなく、キャレラを見送るときの「物憂げ」な態度にこそ彼の本音が現れているのだ。

ところで、結局のところ「モブ革命」の主体とされる「市民」「人々」とは一体誰なのか。この点に関して付言し本稿を閉じることにする。先に触れたDove氏の挿話では、キャレラを生かすよう差し向けた編集者の意見がするりと「世論」に置き換えられていた。ここからわかるのは、キャレラを生かしておいた方が売れると編集者が判断したということであり、50年以上かけて50作以上シリーズが続いたという事実がその判断を裏打ちした形になっている。だがその事実はまた異なる一つの事実を招き寄せる。つまり、何人となく「警官」を殺し独りキャレラを生かした「市民」「人々」とは、シリーズを買い支え読み継いできた我々読者である。

本稿が「「革命」の成立について」ではなく「その発展可能性について」と題されているのはこの結論があってのことである。Cop Hater以後多くの著者によって星の数ほど物されるようになる警察小説群を眺め渡すと、本稿で検討してきた「警官」殺し案件の主題化とともに、それにもまして「警官」のプライベートな人生の微に入り細を穿つ記述による作品自体の長大化に誰しも気付くだろう。それは事件と関係があることもあれば全くないこともある。またこの傾向は警察小説に限らずエンタメ全般に確認できることでもある。こと警察小説に限った場合、上記の結論はこの趨勢とどう関わるのだろうか。繰り返しになるが、本作で確認された「モブ革命」とは「刑事」から謎を解き明かすというその存在意義を剥ぎ取り、殺されるために他人のプライバシーを侵害する存在へと作り替えるムーブメントだった。その手段が断罪であり、その走狗がキャレラである。しかしこうした「革命」が、何故「警官」のプライバシーの曝露を伴うのか。何故我々はキャレラの拙い睦言と乳繰り合いを読まされているのか。

McBain氏の企図した“conglomerate hero”構想に基づく「警官」殺しとプライバシーの侵害を受けた側の「市民」による断罪がある程度まで近似しているのは、McBain氏の念頭に「ジャンルの刷新」があり、その仮想敵としてMiller氏が述べたような従来のミステリとそれを支えていた社会構造が想定されていたからだ。このように考えると、単純に物語を考えただけなら真犯人アリスが仕込んだブラフでしかないCop Haterというタイトルは、“single cop”を「憎む」者としてMcBain氏自身を指すことになる。しかしこう考えるのは少々無理がある。なぜならMcBain氏は「たくさんの警官を使いたい」という形に自らの欲求を「刷新」していたのであり、本作で殺された「警官」たちへの「憎しみ」などはなから抱いていなかったからである。本当に彼の思いどおりことが運んでいたのなら、“Cop Hater”はブラフのまま、“single cop”とそれに向けた彼自身の「憎しみ」諸共に雲散霧消していたはずだったのだ。だが「世論の干渉」とサヴィジの取材双方によって早々にその目論見は潰え、あとにはキャレラというdetectiveでも「刑事」でもない不死者とその他殺される多数の「警官」が残される。そしてキャレラを“the hero”、“the star”にしたほうが受けが良いという、McBain氏の思いを無碍にした件の編集者の判断は、過去の遺物として葬り去られたはずの“Cop Hater”をあの世から呼び戻しその座に読者を据えることになる。我々読者は最初から「警官」への「憎しみ」を抱いていたわけではない。目の前で展開する形骸化した「警官」殺しに対して「憎しみ」という動機あるいは欲望を抱く型にはめ込まれたのだ。ひとたび回帰した「憎しみ」は無論キャレラにも向かう。不死者ゆえ殺すことはできなくとも、彼が犯してきたプライバシーの侵害に対する意趣返しでもあるかのように、彼は私生活を晒されることになるのである。

なぜなのか本稿筆者にははかりかねるが、本作に始まる87分署シリーズは受けに受けた。上に挙げた警察小説の特徴が本作よりもなおいっそう顕著に現れてくるのはおおよそ1970年代後半から80年代初頭にかけてであり、20年もあれば抱かされた「憎しみ」を自家薬籠中の物とするに充分事足りる。本作は作者も読者も思わぬ形で「警官」を憎み殺し晒す「人々」の欲望に先鞭をつけ、嗜虐の道を切り開いてしまったのだ。

註・参考文献

2019.4.22

(あべ・しゅうと/一橋大学大学院言語社会研究科)