機関誌『半文』

チワン族の昔話

黄 海萍

第8回 解蠱(秘伝の処方せん)

むかしむかし、ある宮廷にひとりの大臣が仕えておった。その大臣は皇帝にはたいそう重んじられたが、他の大臣たちには嫌われておったそうな。その大臣はみんなからのけ者にされないよう日々気をもんでおった。

そんなある日、大臣はにわかに咳が出るようになった。しばらくしたら止まるだろうと思っておったが、二、三日しても止むことなく、痰も出るようになり、息をするのもやっとという具合。果てには食欲も無くなり、吐き気が出始めた。

大臣は御典医(ごてんい)のひとりに診てもらい薬をもらったが、それを飲んでも咳は止まず、それどころかますますひどくなった。

大臣の身を案じる皇帝はすべての御典医に彼の病を治すよう命じた。医者たちは次々に脈を診てみたものの、みな首を振るばかり。初めて見る病だった。

そのとき、中でもとびきり優れた医者が皇帝に進言した。

「主上、大臣殿は蠱病(こびょう)1という病に苦しんでいるようにございます。このまま手を施さねば峠は明日、喀血で死亡することとなるでしょう」

進言を聞いた他の医者たちは思わず互いに顔を見合わせたものの、誰もが口をつぐんだまま。なぜなら蠱毒2は解蠱薬3なくしては助けられない病。蠱の持ち主のみがその解毒薬を持っており、他のものには作り方さえ分からないことを皆知っておったのだ。

蟲の育て方の挿絵
イラスト1 チワンでは蠱の持ち主が山奥で蠱を育てる場合が多い。蠱を壺に入れて封印し、定期的に壺の側で線香を立てながら呪文を唱える。

日頃彼を寵愛していた皇帝は

「なんと、蠱毒じゃと。どんな手を使ってもいい、今すぐ治療してやってくれぬか」

と命じた。

この医者曰く、

「わたくしめが診るところによりますと、蠱毒を持った魑魅魍魎(ちみもうりょう)がすでにもう大臣殿の五臓六腑に巣くっているようでございます。もはや薬ではどうにもできますまい。ただ、別の方法がございます。試す価値はございましょう」

皇帝は「おお、そうか。それはどんな方法じゃ。早う教えよ」と訊ねた。

医者が言うに、

「まずコウモリ(蝙蝠)を薪で黒焦げになるまで焼きます。そしてそれを粉にして酒に混ぜるのです。これを一日に三べん飲みますれば、三日経つと体の中に巣くう邪気は追い出されましょう」。

蝙蝠の挿絵
イラスト1 コウモリ(蝙蝠)
チワン語で[kaː451 ɣaːw31](カーガーオ)と言う。かつて筆者の実家では、春になると、たくさんのコウモリが飛びまわっていた。しかし、ここ数年はあまり見かけなくなっている。そのため、コウモリのチワン語名を知らない若者が増えてきている。

皇帝は「よかろう。今すぐやってくれ」と医者に命じた。

医者はすぐさまにコウモリを薪で焼き、それを粉にし、酒に混ぜて大臣に飲ませた。三日後、医者の言う通り、大臣を苦しめていた咳は嘘のように消え失せ、さらには痰や吐き気もなくなったそうな。さらに数日経つと、食欲も戻った。すっかり体調がよくなった大臣は、大好きな唐辛子をたっぷり入れた辛い料理をほおばり、ご機嫌であった。

それも束の間、体の中にまだ邪気が残っていたのであろう、辛い料理を食べた大臣はたちまち吐血した。日が暮れてもまだ胃から血が止まらぬ。ふたたび呼ばれた医者はいつも使っていた止血薬を飲ませるが、吐血の勢いは止まるところを知らない。考えられるすべての方法を試したがどうにもお手上げであった。意識が朦朧とする大臣は激しい腹痛や止まらない吐血に耐えきれず、藁をもすがる思いで、部屋の壁にいた蜘蛛とその巣を丸ごと飲み込んでしまった。

苦しむ大臣は蜘蛛の巣(イラスト3)と蜘蛛を食べ続けた。するとなんと、吐血がぴたりと止んだのだ。蜘蛛を飲み込んだはずなのに、体が悪くなる気配もない。それを目の当たりにした医者はたいそうたまげたそうな。しかしまた何があるか分からぬ、しばらくはゆめゆめ辛い料理を食べぬようにと大臣に忠告をした。大臣はそれを守り、指示にしたがって食事を取るようにした。そうすると、その後は胃の出血がぶりかえすこともなくすっかり元気になった。

蜘蛛の巣の挿絵
イラスト1 コウモリ(蝙蝠)
チワン語で[ðuːŋ31 tɕiː251 ðaːw451](ルーン・ジー・ラーオ)と言う。[ðuːŋ31]は「巣」、[tɕiː251 ðaːw451]は蜘蛛という意味である。蜘蛛が古い家や物置の壁などにつくる白い塊を指す。筆者の故郷では、この白い蜘蛛の巣を絆創膏がわりに使っている。なお、蜘蛛が出す糸を[ðɤj451 tɕiː251 ðaːw451](セーイ・ジー・ラーオ)といい、この糸で作った蜘蛛の網を[vaːŋ451 tɕiː251 ðaːw451](ワーン・ジー・ラーオ)と言う。

このことを聞いた人びとのあいだでは、コウモリが蠱毒による激しい咳に効くこと、蜘蛛の巣が胃の出血に効くことが広まったそうな。病気のとき、辛い料理を食べてはいけないというのも同じじゃ。


今回、連載8回目にあたり、「解蠱(秘伝の処方せん)」を取り上げた。しかし、これは物語の本来の題名ではなく、筆者が付けた題名である。

私がこの物語を執筆している2020年の2月末、日本を含む世界中で新型コロナウイルス肺炎の蔓延が問題となった。つい先日(2020年2月28日)、 世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス流行の世界的なリスクについて、従来の「高い」から最高レベルの「非常に高い」へ更に引き上げた。現時点においては特効薬も見つかっておらず、予防接種の方法もないため、人々は不安な日々を過ごしている。私も、チワンの実家へ安否の電話を入れてみたが、電話に出た祖母はこの騒動のことをどうもウイルスのせいだと理解していなかったようで、次のように言った。

「たくさんの人が蠱にやられたようだ(龍茗方言で「蠱毒にやられる、あてられる」は[taɯ31 pʰɤj451 tɕʰɯːŋ451]といい、[taɯ31](ターア)は「やられる、あてられる」という意味である)。誰かが大量の蠱を放したのかもしれない。あなたは絶対蠱を操る人や蠱にやられた人に近づかないでね。蠱が増えたら、無差別に人に移るからね」

そう言い終わった祖母は、「善良な人には蠱毒は怖くない。魑魅魍魎が私たちの家族、子孫や親戚などに移らないように・・・・・・」という呪文を唱えていた。18歳から20歳のとき、祖母は継母の蠱毒に苦しんだ経験があり、そのためとても神経質になっているようだ。

祖母のこの蠱毒の話を聞いた途端、私は祖父が話してくれたこの物語をふと思い出した。ただし、この物語の後半(大臣が蜘蛛の巣で吐血を治療した部分)は最初どうしても思い出せなかった。家族に聞いてみたところ、父がそれを覚えていた。この話は私の記憶と父の記憶を合わせて再構成したものである。

祖父が難病や怪病にまつわる物語を私に語ってくれるとき、祖父はいつも臨床の実例も一緒に示してくれた。物語の最後で「この物語の治療法はこの村の何某に、あの治療法は別の何某に使って、効いた」と言うように。このように、祖父は物語の教えを日々の患者の治療に用いていた。今回の物語の蠱病と似た喘息のような症状が実際に見られた場合には、物語と同じ治療法をとったようである。驚くべきことに、コウモリの丸焼きはこの「喘息」の治療に本当に効果てきめんだったようで、祖父の処方で快方に向かった患者が家までお礼に来たことも覚えている。さらに、蜘蛛の巣で胃出血を止めた例も実際にあった。それは筆者が中学校1年生の時のことであった。ある日の深夜、村に住むひとりのお爺さんが激しい腹痛に見舞われて、胃から血も出始めた。病院からもらった薬ではまったく歯が立たず、それで祖父が呼ばれたようだ。祖父はすぐに私と父を叩き起こして、一緒にそのお爺さんのところへ駆け付けた。かくいう私は血液恐怖症で血を見るのが怖い、それでお爺さんの寝室にはどうしても入れなかった。すると祖父は部屋の中から「蜘蛛の巣を10個探してきてくれ」と叫んで私たちに指示した。それを聞いた私や私の父、お爺さんの息子はすぐさま蜘蛛の巣を探し求めた。幸いなことにボロ家だったため、蜘蛛の巣には困ることなく、すぐに沢山の蜘蛛の巣が集まった。祖父は苦しむお爺さんに物語と全く同じ方法で蜘蛛の巣を飲ませた。しばらくして、吐血がピタリとやみ、お爺さんは一命をとりとめた。今や私の祖父もそのお爺さんも亡くなってしまっているが、このことは今でもはっきりと覚えている。

このような類の物語がチワンやその他の地域でも伝わっているかどうかは不明だが、蠱にまつわる話は現代中国の華南地域などでも多く見られる(川野2005、村上2017)。村上(2017:232)によると、隋の時代の中国では、すでに民間で蠱術が盛んに行われていた。また、蠱病も存在しており、その治療法も医学書の中に登場していたという。村上(2017)によると、遣隋使や遣唐使が派遣されていた時代には、呪術も法律や医学と同じぐらい重要な存在であったため、日本の呪術も蠱術の影響を受けたとみられる。例えば、平安時代の日本に用いられた、呪物を埋めて人を呪う咒式は中国漢代の巫蠱(ふこ)、現代中国にも伝わる石蠱(しこ、蠱を操る人は石蠱を密かに道端に置く。その石の近くを通るだけで蠱にあたる。)と同じ系統だと言われている(村上2017:235)。そのほかに、日本で言う憑き物の筋は、動物の霊を操る人たちであるという点で蠱を操る人と類似点がある。また、憑き物にまつわる様々な伝承の中には、蠱術と酷似した話も少なくない。例えば、犬神筋、「管狐」(クダ狐)、オサキ狐憑き、飯綱使いなどはそうである。

中国の華南、チワンも含む広い地域にわたって、蠱を操る人は今でもいる。日本にまだそのような人がいるかどうか知らない。しかし、蠱毒は人を害する邪術であるため、誇らしげに承継すべきものではないだろう。チワンの蠱を操る人が居なくなると同時に、蠱がすべて消えてくれることを願う。世間を揺るがす新型コロナウイルス肺炎も同じだ。

2020.4.10

第9回 白虎退治

むかしむかし、ある村に年老いて目が見えない母親と二人の息子がおった。長男の太郎1は村でも金持ちの家の娘の入り婿となったが、母親の面倒をまったく見ようとはしなかった。次男の次郎2はとても親孝行で、一人で母親の面倒を見ておった。次郎は母親の目を治してあげようとよく山に出かけて薬草を探しまわっていた。

何年も何年も村の近くの山をあちこち探したが、母親の目を治す薬草はとんと見つからぬ。そんなある日、次郎は山の中で一人の薬草採り3に出会った。

次郎がその薬草採りに目を治す薬草がないかと尋ねたところ、薬草採りは、

「ないねえ。ここらへんの山にゃそんな薬草はないよ。ベトナムのほうの山4ならあるよ。行ってみたらどうだい」と言った。

「ただし、あそこにゃ虎がいるんだ。気をつけねえと食われちまうぜ」とつけ加えた。

その夜、

「母さん、おれは夜が明けたらベトナムの山に行ってくる。母さんの目に効く薬草を探しに行くんだ。おれがいない間も、ちゃんとご飯食べるんだよ。なにか困ったら、隣のおばさんに頼むんだよ。おれからも頼んでおくからね。絶対薬草を見つけてきて、母さんの目を治してあげる。待ってておくれ」と母親に伝えた。

それを聞いた母親はとても心配したが、決心した次郎を止めることはできなかった。

明くる朝、母親はもち米の握り飯を次郎に渡し、村の入口まで次郎を見送った。

数日間歩きとおした次郎はようやくベトナムの山にたどり着いた。山のふもとには小さな村があった。

「そうだ。村の人なら薬草がどこにあるか教えてくれるだろう」と思った次郎は村に入った。ところが、真昼間にも関わらず村の者は誰ひとり家の戸を開けていなかった。仕方なく、次郎はある家の戸を叩いた。そうすると心配そうな顔をした一人のおじいさんが戸口を開けてくれた。

「旅の若い者よ、どうしてこの村に来たんじゃ」とおじいさんは言った。

「おじいさん、私は老いた母の目を治す薬草を探しにここへ参りました。薬草がどこにあるかご存知でしょうか」と次郎は礼儀正しく尋ねた。

「おお、それなら知っているとも。あの山の頂上に生えておるよ。でもな、今は山へは行けないんじゃ」とおじいさんは家の外にちらっと目をやり、次郎を家の中に案内した。

「若者よ、親孝行の気持ちは分かるよ。ただな、今山に行くと虎に食われちまうかもしれねえ。昨日も山に行って一人戻ってこなかった」とおじいさんは告げた。

「ともあれ今日はわたしの家でゆっくりと休んでいくといい。よく考えることよ。山にいかんほうがええぞ」と次郎を引き留めた。

おじいさんは、

「この頃な、この村の山にたくさんの白虎がやってきたんだ。白虎は最初飼っている鶏とか豚なんか5を食って人は食わなかったんじゃが、そのうち村の動物はみんな食われちまった。そうして今度は山に行く人が食われるようになったんじゃ。白虎が家の中まで入ってくるんじゃねえかと心配して皆は昼間でも家の門を閉めているんじゃ」と悲しそうに次郎に伝えた。

おじいさんの話を聞いた次郎は様子を見ることにし、しばらくおじいさんの家に世話になることにした。その夜、おじいさんの一家はたくさんの手料理で次郎をもてなした。それでも母親のことを思い浮かべてしまい、次郎はどうしてもぐっすりと眠れなかった。次郎は「ここまで来たんだ。山で薬草を採るまで帰れない」と思った。

朝、次郎は「やっぱり山に行きます。私がその白虎とやらを退治してみせます。薬草を見つけるまで、しばらく居候させてください」とおじいさんに頼みこんだ。

「そこまで言うなら、無事に帰ってこられるよう祈っているよ」とおじいさんは言って、山へ向かう次郎を一家で玄関まで見送った。

次郎が山に登ると、さっそく遠くに白虎の姿が見えた。でも白虎があまりにもたくさんいたため、一人では無理だと悟り村に戻ってきた。考えた次郎は白虎を退治する方法を思いついた。白虎と仲良くなり、信頼してもらった後で、一気に白虎を退治するというものだ。

次郎はおじいさんの家に戻り、その方法を伝えた。おばあさんと娘には燻した肉の油をつけた黍団子6を作るよう頼んだ。さらに、おじいさんにたくさんの藁と丈夫な籐を山のふもとに置いておくようにお願いした。黍団子は白虎に食わせ安心させるためのもので、藁と籐は白虎を一気に焼き殺すためのものだった。

次郎と白虎
イラスト1 次郎と白虎
次郎は白虎の信頼を得るために黍団子だけを持って近づいた。白虎はチワン語で[θɯː451 kʰaːw451](スー・カーオ)といい、[θɯː451]は「虎」、[kʰaːw451]は「白、白い」という意味である。

次の朝、次郎はその黍団子を背負い、再び山に向かった。山の中腹に着いた次郎は数匹の白虎に出会った。次郎は計画通り白虎たちに黍団子を配った。思惑通り白虎に近づくことができた次郎は、仲良くなった白虎たちと冬の山で一緒に過ごすことにした。

真冬の山。白虎たちは寒くて体の芯まで凍えていた。それを見た次郎は白虎たちに言った。

「我が友人たちよ。山はたいそう冷え込むじゃないか。どうだい、温まる方法を知りたくないかい。みんなで試そうじゃないか」

寒くて寒くてたまらない白虎の長老は、

「それはどうやるんじゃ。早う申せ。もったいぶるでない」と急いた。

「藁を体にしっかりと巻きつけるんです。これで温まること間違いなしです」と白虎の長老に答えた。「みんな、ぼくと一緒に山を下りよう。麓にはたくさんの藁があるんだ。その藁を使おう」と白虎に提案した。

藁と籐
イラスト2 藁と籐
チワン語では「藁(わら)」を[faːŋ31](ファーン)、「籐(ラタン)」を[kʰaw251](カーオ)と言う。「籐」で物を縛ったり、椅子や籠などを編んだりするときに使う。

寒くて仕方ない白虎たちは次郎が言う通り急いでふもとへ向かった。そこで次郎は白虎たちの体におじいさんが用意してくれた藁を巻きつけ、籐で縛った。藁をまとった白虎たちは確かに暖かくなり、また山へと戻ることにした。

白虎たちが山のてっぺんまで登ったことを確認した次郎は、気づかれないように、ふもとから持ってきたマッチで群れの一番後ろにいた白虎の藁に火を放った。火が付いた白虎は前方の群れに思わず飛び込んでしまい、そうして次から次に白虎たちに火が移っていった。火にまかれた白虎たちは訳もわからず山の中を走り回った。そのまま崖から落ちて死んだ白虎もたくさんいた。白虎の中には体の火を消すため、別の山まで逃げ込んだものもいた。

体が燃えている虎
イラスト3 体が燃えている虎
チワン語で言えば、[faj31 maj215 θɯː451](ファイ・マイ・スー)となる。[faj31]は「火」、[maj215]は「燃やす、焦げる」、[θɯː451]は「虎」と言う意味である。

この顛末を知った村人はみんな喜んで、次郎の帰りを持っていた。次郎は山の頂上まで登って、母親の目を治す薬草を採って下山した。おじいさんは次郎への感謝を示すため、自分の娘を次郎と結婚させた。次郎はお嫁さんを連れて家に帰ることにした。村の人々も安心して幸せに暮らせるようになった。

生き残った白虎の体には、火傷の跡で縞模様ができた。彼らは、二度とこの山に戻ることはなかった。今でも虎の体に縞柄があるのは、このためである。


連載9回目となる今回の物語については、もともとどのようなタイトルがついていたのか筆者には思い出せなかったので、内容から「白虎退治」([lwɤj33 θɯː451 kʰaːw451](ルイ・スー・カーオ)とつけた。チワン語の[lwɤj33]は「退治する」、[θɯː451 kʰaːw451]は「白虎」という意味である。

今回の物語を書きながら、筆者は「火」に思いを馳せていた。はるか遠い昔、我々の祖先は火をおこし、活用することを覚えた。「火」は多くの文化において様々な象徴や比喩として使われる。心の中で高まる感情や思いを「火」に仮託することも往々にしてある。現代日本語では「恋の炎」などと言うだろうし、小倉百人一首で有名な藤原定家の「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」などもそうだろう。ところで、この原稿の筆を執っている今、世界中ではコロナ禍が猛威を振るい、筆者も自宅での自粛を余儀なくされている。一日も早くいつもの生活が戻ってくることを「待ち焦がれ」ている。読者の方々もそうだと思うが、ずっと自宅にこもっていると兎角やる気が「下火」になってしまう。最初のうちはやろうと思っていても、途中でその気持ちも燃え尽きてしまいがちだ。

こんな時、筆者は祖父が聞かせてくれた昔話を思い出すことにしている。懐かしい気持ちとともに不思議と励まされ、やる気も「燃え上がる」のだ。今回の話も、母親の目を治す薬を手に入れるため、如何なる困難にもくじけず立ち向かう次郎の姿に元気をもらった。そこには、目標を達成するためのたゆまぬ努力、素早い行動、綿密な計画、そして決して諦めないことなどの教訓が散りばめられている。チワン族の子どもたちもどうか充実した人生を送ってほしい。

この物語は、中国科学院文学研究所・中国民間文芸研究会(1962:334-344)に記録されている「九尾犬」(九尾狗)というチワン族の長編の昔話の一節と酷似している。中国の広西チワン族自治区百色市に位置する那坡県(なぼけん)に住むチワン族(「沙人」という自称を持つチワン族。なお、筆者の村のチワン族の自称は「土人」である)の間で伝えられている昔話だと思われる。

「九尾犬」によれば、「那坡県では、太陽が出るところには籐のようなきれいな川が流れていた。川のそばのかやぶきの小屋に、老父母と二人の息子がいた。長男は怠け者で、次男は勤勉で働き者であった。老父が病死した三年後、老母は二人の息子にそれぞれ鋭い剣を渡し、幸せに暮らせるところを探しに行くよう命じた。次男は、雷の杖と母親に渡された鋭い剣を持って、九尾犬を連れて旅立った。ある日、次男が通りかかったある村では、誰も彼も皆不安気な面持ちであった。彼は不思議に思い、「皆なぜそんな不安気な顔をしているのか」と尋ねたところ、ある年寄りに「お客様、知らないのかい。我々のところに何匹かの白虎がやってきたんだ。白虎は人間を襲わないが、村の家禽と家畜がすべて食われたのだ。そのうち、人間も食われるんじゃないかとみんな心配しているんだ」と告げられた。次男は「おじいさん、僕は白虎を必ず退治してあげますから、あなたたちは心配しないでください」と年寄りに誓った。次男は山で白虎を見つけたが、一人ですべての白虎を殺せないと思った。そこで、次男は白虎と友達になって、一気に殺す計画を立てた」という。

次男が立てた計画はまさに今回取り上げた「白虎退治」のとおりである。物語の細部に違いが見られるものの、藁を白虎の体に巻きつけ、それから1匹の虎に火をつけたという方法は「白虎退治」と同じである。また、火に焼かれた虎は二度と人間に近づいてくることはなかった。以来、世の中には白虎がいなくなり、虎の体が火傷の跡で縞々になったという点も「白虎退治」と同じである。

ところが、白虎を退治した「白虎退治」の次男はお嫁さんと一緒に実家に帰るが、「九尾犬」の次男は白虎を退治した後、その村を離れて旅を続けた。物語の続きについては、次回取り上げる「九尾犬(龍茗版)」において紹介したい。

余説になるが、祖母によれば、祖父は記憶力が良く伝統的な物語を語ったが、一方で万人が聞いておもしろがってくれるように、物語を語るときの言葉遣いや声の抑揚に心掛けたという。もしかしたら、祖父が今回の物語を面白くするために、複雑にしたのかもしれないと思ったが、長編の昔話の一部なのではないかとも思う。残念ながら、亡き祖父にもう一度聞くこともできず、これを書き留める以外に何もできない。

2020.6.10

 

(こう・かいへい/一橋大学大学院言語社会研究科 博士研究員)