機関誌『半文』

チワン族の昔話

黄 海萍

第14回 三番目の婿

むかしむかし、あるところに大金持ちの地主とその三人の娘がおった。一番目と二番目の娘は、裕福な商売人のところに嫁いだが、末の娘だけは貧しい農家に嫁ぐことになった。

毎年、父の誕生日には、長女の婿と次女の婿がたくさんのお金を包んでお祝いに来た。でも、三女の婿は貧乏だったので、もち米やとうもろこし、落花生を代わりに持ってきていた。金持ちの婿たちはそれを見てよくあざけり笑っておった。

今年もまた、父の誕生日がやってきた。金持ちの婿たちはいつもより早く地主の家に集まった。末の娘の婿が今年は何を持ってくるか、からかってやろうという魂胆のようだ。

そんなことも知らずにやってきた三番目の婿は、今年はもち米を蒸して作った二つの大きな丸いお餅(イラスト1、2)を携えていた。彼はお祝いのための祭壇にお手製の餅をどさっと置いた。それを見るや否や、金持ちの婿たちは大笑いしながら罵った。

誕生祝いのお餅
イラスト1 誕生祝いのお餅
もち米を蒸して作ったお餅、チワン語では[tɕiː31 moːk33](ジーモーク)と言う。直径60cm厚みが3cmぐらいで、味付けはされていない。中央に赤い紙を貼ったり、食用紅を塗ったりする。下にはドーン(植物の大きな葉の総称、イラスト3を参照)を敷く。
餅つきの杵と臼
イラスト2 餅つきの杵と臼
チワン語で「杵」は [θaːk215](サーク)、「臼」は[luː33](ルー)と言う。いずれも木製。

「おいおい、ノーンクーイ1よ。一体なんだよこれは、車輪でも持ってきたのか」

「こりゃ食べられたもんじゃないだろう。べたべたして犬も食わんよ」

いつもやりこめられている三番目の婿は、今年は我慢の限界がきて、とうとう怒り出した。「お前たちは何もわかってない。このお餅には意味が込められているんだよ。そっちのお餅は太陽を、こっちのお餅は月を意味しているんだ。これにはお義父さんとお義母さんが月のように明るく、太陽のようにいつまでも長く健康でいられますようにという願いがこめられているんだよ。お金だけのお前たちより、俺のほうがずっと心がある。お金なんてすぐ無くなるもんだよ」

ちょうど部屋に入ってきた父と母は末の婿のそんな話を聞き、たいそう喜んだ。その様子を見た金持ちの婿たちは、もう何も言えず、部屋の片隅で小さくなることしかできなかった。

晩餐が終わると、家の使用人が三人の婿たちをひとつの客室へ案内した。部屋には大きなベッドが二つ置いてあった。金持ちの婿たちは二人で一つのベッドに、末の婿は一人でベッドを使うことになった。

上の婿たちはすぐに大いびきをかいて寝始めた。その姿はまるで二匹の酔いつぶれた豚のようだった。末の婿は、普段食べなれない豪勢な料理でお腹がびっくりしたのか、ひどい腹痛に襲われた。何度寝返りをうっても楽になれず眠れない。おまけに、上の婿たちに笑われたことも思い出し、また腹が立ってきた。むしゃくしゃした彼は、今夜二人をとっちめてやろうと思い立った。

草木も眠る丑三つ時、彼は二人をやっつけるいい方法を思い付いた。抜き足差し足、厠へ行きうんこをして、ドーン(イラスト3)に包んだ。そして部屋に戻ると、二人が眠る布団にそっとうんこを入れた。うんこを包んだドーンは厠に捨て、何もなかったように自分のベッドへ戻った。

ドーン
イラスト3 ドーン
チワン語で[toːŋ451]と呼ばれる「植物の大きな葉の総称」である。バナナの葉(左)や粽を包む際に使う大きな葉(右)などが「ドーン」と呼ばれる。何の葉かを明示するときは、「ドーン+植物の名前」で表す。バナナの葉は[toːŋ451 kjuː5](ドーン・クーイ、[kjuː5]は「バナナ」)。粽を包む際に使う大きな葉は[toːŋ451 tɕiːŋ1](ドーン・ジーイン、[tɕiːŋ1]の日本名不詳、学名はPhrynium capitatum Willd.)となる。三番目の婿が何の葉を使ったのかは不明である。

そろそろ鶏も鳴き出す夜明け前、上の婿たちは吐きそうな臭いで思わず飛び起きた。布団をめくると、うんこが手にべったりだ。二人は昨日食べ過ぎたから寝ている間に漏らしたんだろうと、お互いになじり合った。でも末の婿の前でこんなことを言い合っているところを見られたらメンツが丸潰れだと、大声を出すことができなかった。それでもしばらく文句を言い合い、明るくなる前にそそくさと家に帰っていった。

朝になって朝食の時間になると、使用人が客室に三人を呼びに行った。一人残っていた三番目の婿は扉を開けて、こう言った。

「おいおいおい、みんなこれを見てくれよ。昨日の夜、義兄さんたちが布団の中でうんこを漏らしたんだよ。臭くてたまったもんじゃない。恥ずかしくて黙って二人ともこっそり帰ったみたいだよ」

それを聞いた義父は顔をしかめて言った。

「やれやれ、いい年した大人が情けない。お漏らしなんて子供じゃないか。くそ野郎、それに汚れたら服を替えればいいものを。こっそり逃げ帰るなんて失礼にも程がある」

義母は末の婿に、「お前さん、義兄さんたちは今帰ったばかりよ。まだ遠くへは行ってないんじゃないかしら。追いかけて呼んできておくれ。朝ごはんを食べてお帰りと伝えておくれ」と頼んだ。

三番目の婿は義母の言う通り家を出たが、しばらくして帰ってきた。彼は「義兄さんたちは峠に座っていましたよ。戻りたくないようです。朝ごはんを持ってきてほしい、それを食べたら家に帰ると言っています」と伝えた。

義父母は使用人にもち米のおにぎりとお酒、豪華な料理を籠に詰めさせて、末の婿に持たせた。「食べきれなかったら、そのまま家に持って帰るよう伝えてくれ。残りの食器をこっちに持ってくる必要はないよ」と言った。

末の婿は嘘をついていた。上の婿たちは峠ではなくとっくに家に帰っており、末の婿も彼を追いかけてはいなかった。彼はお酒や豪勢な料理目当てで、義父母を騙してしまった。料理を入れた籠は峠の道のそばに隠しておいて、後でもって帰ろうと思った。そうやって、峠にやってきた彼は籠を道に隠しておいて、知らん顔で義父母の家に戻って朝ごはんにありついた。

朝ごはんを食べると、三番目の婿は更なる計画を思い付いた。うんこで汚れた布団を私が代わりに洗濯しましょうと言い出した。義父母も汚れた布団を使用人に任せると変な噂をたてられかねないと困っていたので、ちょうど彼が言い出して安堵した。

彼はすぐに川へ行き布団をきれいに洗濯し、川のそばの葦にかけて乾かした。そして家に戻った。玄関にいた義母にこう言った。

「お義母さん、聞いてくださいよ。義兄さんたちは一体何を食べたのでしょうか。ひどい汚れで洗えば洗うほど汚くなります。ちっとも綺麗になりません」

すると義父は急に怒鳴った。

「ええい。もういい。俺の誕生日だというのに、貴様たちはなんで臭くて汚い話ばっかりするんだ。知らん。きれいにならないのなら、そんな布団は捨ててしまえ、要らない」

義母も、「そうね、明日市場に行って新しいのを買ってくるわ」と言った。

末の息子はこうして、干しておいた布団を回収し、さらに峠で隠しておいた料理の籠も担って、口笛吹き吹き自分の家に戻っていった(イラスト4)。

料理の籠を担って帰宅する三番目の婿
イラスト4 料理の籠を担って帰宅する三番目の婿

今回は連載の14回で、「三番目の婿」(チワン語龍茗方言で[laːw213 khuːj451 θaːm451]、ラーオクーイ・サーン)を取り上げる。 [laːw213 khuːj451](ラーオクーイ)が「婿(さん)」、[θaːm451](サーン)が「三」である。龍茗方言では、親族名詞の後ろに数詞を付けることで、「~番目の〇〇」という意味になる。

この物語に関して、中国語による記録が天等県民間文学“三套集成”辦公室編(1986:182-186)『天等民間故事』第一集に見られる。これによると、天等県龍茗鎮の各地に同様の話が伝わっているようだ。資料には、「三女婿的故事」(三番目の婿の物語)というタイトルで記録されている。あらすじは本稿とほぼ同じだが、本稿にはない一節も含んでいる。

それは、三番目の婿が料理の籠を峠に隠して、家に戻るまでの間の話である。籠を隠した後、彼は峠でたばこをくゆらせていた。そのとき、たまたまやってきたお腹を空かせた二人の商人に出会った。商人は婿に、お金を出すから食べ物を探して持ってきてくれないかと頼んだ。彼は天秤棒に呪文を唱えるふりをして、道端に隠しておいたお酒やお料理を商人たちに分け与え、代わりにたくさんのお金をもらった。食べ物にありつけた商人たちは、彼が持っている魔法の天秤棒が欲しくなり、いくらでも出すから譲ってくれないかと言った。金儲けのチャンスだと思った彼は、この天秤棒は先祖代々伝わる宝物で売りたくないと嘘を付いた。しばらくの押し問答の結果、彼は商人たちに法外な値段で天秤棒を売りつけ大儲けした。その後、彼は義父母の家に戻った。ここから先の話は本稿と細部の違いがあるけれど、大筋はほぼ同じである。結末も、三番目の婿が嬉しそうに布団とお金を持ち帰ったことになっている。

中国や日本にも類話が伝わっている。中国山西省の昔話の「三女婿拜寿」(三番目の婿の誕生日の挨拶)や、鳥取県大山町の「三人娘の婿」(「三人の娘の婿」とも言う)がそうである(参考文献2、3、4を参照)。中国の「三女婿拜寿」では、二人の姉は文状元2と武状元3に嫁いで、末娘は普通の農夫と結婚した。二人の姉の婿は金銭や地位があり、詩歌に優れた官僚エリートだった。一方、末の婿は普通の百姓で、詩歌も能くしない貧しい百姓だ。義父母の家で会うたびに、二人の姉の婿は詩歌の掛け合いで末の婿を馬鹿にしていた。末の婿は義父の誕生日の宴会で誰も読めない文字(コガネムシをインクで塗って、白い紙に歩かせてできた足跡)で二人の姉の婿をやり返した。鳥取県大山町の「三人娘の婿」では、二人の姉の婿は、神主と法印で、末娘の婿は普通の農夫である。祭りで実家に招待されたとき、上二人の婿はとても気さくで、歌や踊りで座を盛り上げるが、一方の農夫の婿は何の芸も披露できない。そこで姑の一言で農夫の婿が神主と法印を皮肉った歌を披露してどんでん返しで勝利を収めたという。中国と日本におけるストーリーは、いずれもチワンのそれとくらべてより簡素であるようだ。ただし、上二人の婿に身分や地位、富があり、末の婿はただの庶民であるという構図はいずれも共通する。また、上二人の婿が末の婿を苛め、それに耐えきれなくなった末の婿が「巧智」でやり返しをした点も共通している。

末の婿の行為に注目すると、チワン族のストーリーが一番酷いことをやっているようだ。チワン族の場合、末の婿は被害者であると同時に、加害者にもなっている。欲しいものを手に入れるために、義父母や商人たちを騙すということをしている。なぜ、彼は自分の知恵をこのような方向へ向けてしまったのだろうか。いじわるな義兄弟たちをこらしめた点は素晴らしいが、悪意のない義父・義母たちまで騙した点は眉を顰める読者も多いだろうし、筆者も同感である。

過去の連載の解説を覚えている読者の中には、筆者に疑問を持つ人もおられるだろう。第5回「水牛の鼻輪を売る男」の主人公イダンは、詐欺師すれすれの「知恵」を発揮して大儲けしていた。多くの商人たちが騙され損失を被ったにもかかわらず、解説ではイダンを「知恵者」だと称揚した。確かに、イダンも本物語の主人公である三番目の婿もどちらも人を騙したのであり、五十歩百歩である。とはいえ、イダンと三番目の婿の間に明らかな違いがある。それは、イダンが騙したのは市場における買い手で、普段から商売で儲けている商人たちである一方、三番目の婿が騙したのは親孝行を捧げるべき義父母である、ということだ。イダンは「巧知」で儲けようとした「知恵者」と言えても、三番目の婿は「知恵者」だとは言えない。三番目の婿の性格が物語の前半と後半で全く別人のようになるのを見ると、「親孝行を装った親不孝なやつだ」と思う人も多いだろう。

ただし、このような単純な勧善懲悪とは言えない、複雑な人間像が垣間見えるストーリーにこそ大きな魅力があるとも言える。子供の頃、祖父がこの話を語るのを村の皆が面白そうに聞いていたのを今でも覚えているし、うんこが手にべったり付いた義兄たちが登場する場面では皆が腹を抱えて大笑いしていたことを思い出す。

ところが、祖父はある時を境にこの物語を語るのを止めた。誰かに頼まれてもやろうとはしなかった。筆者と弟も頼んでみたが、祖父に「他にも良い話はある。悪い話を覚えてどうするんだ」と厳しく怒られた。

今回の連載にあたり、祖父がこの物語を語るのを止めたいくつかの理由があったことを祖母から教えてもらった。一つは、祖父と祖母の子供のことだ。祖父と祖母には息子が二人、娘が四人いた。末の娘は嫁ぐ前に病に倒れ亡くなった。他の三人の娘はそれぞれ結婚したが、長女と次女の婿は商人で、三女の婿が農民で貧しかったようだ。この物語がまるで自分の娘とその婿たちのことを言っているようで、祖父と祖母の間でも喧嘩の元になったそうである。

他にも、村のいたずらっ子が自分のうんこを小学校で同級生の椅子になすりつけいじめたことがあったということや、村の長老たちに「子供たちが三番目の婿のようになっては困るから語るのをやめてほしい」と言われたということも理由にあるらしい。

チワン族の子供たちには、「三番目の婿」の面白さを楽しんでもらいたいが、三番目の婿の狡猾な面には影響されないでほしい、反面教師にしてほしい、と筆者は願う。同時に、誕生日には今どきの甘いケーキではなく、真心込めたお餅で祝うという習慣はぜひ続けてほしい。チワン族の皆が月と太陽のように明るく健康で長生きしてくれることを祈る。

2021.4.10

 

(こう・かいへい/一橋大学大学院言語社会研究科 特別研究員)