機関誌『半文』

チワン族の歌謡

黄 海萍

*写真・動画の無断転載を禁止します

はじめに

本連載1では、中国南部に居住するチワン族の歌謡を、なるべく原語に忠実な形で日本語訳し、それぞれの歌謡にある背景を紹介する。チワン族は、約1700万人(2010年統計)の人口を有する中国最大の少数民族である(中華人民共和国国家統計局編2012:31)。その約9割はベトナム国境に接する広西チワン族自治区内で生活しているが、居住地域は、広東省、貴州省、雲南省などにも広がっている。本連載で取り上げるチワン族の歌謡は、広西チワン族自治区(地図1)に居住するチワン族のものである。

地図12 広西チワン族自治区

黄(2014:10)から引用、広西チワン族自治区は中国の南部に位置する中越国境に接する多民族の地域で、地域の略称は桂(グイ)、区都は南寧市である。

本連載でいう「チワン族の歌謡」とは、チワン族の言語であるチワン語で、決まった韻律(例えば5音節や7音節の繰り返しなどの音数律3、リズム)を持つ定型の歌詞を、地域特有の旋律(メロディ)に乗せて歌う歌を指す。チワン族の歌文化は、このようにメロディを伴う歌謡と、メロディを伴わない短歌や俳句のような句を歌垣のようにやりとりする詩歌とで構成されている。「チワン族の歌謡」の形式には、独唱、複数人による合唱、一対一・複数人対複数人による相互唱(写真1)がある。歌われる内容に注目すると、物語を歌う物語歌、冠婚葬祭や客人を招いた際に行われる儀礼歌、一年の農事の生産過程などを歌う通俗歌、男女の間の相聞歌、子供向けの童謡・子守歌などに分類できよう。本連載では地域、歌の形式および歌の内容に限定せず、できるだけ多くの独唱、合唱、相互唱を記録・紹介するつもりである。

写真1 2021年夏に出会った広西チワン族自治区苹果県の歌掛け(周祖練氏提供)

右の地面に座っているのは周祖練氏、歌掛けは初めて出会った2人のおばさんと2人のおじさんによるものだという。

本連載は2021年頃から広西チワン族自治区の各地で採録した歌謡の動画データと言語的情報を一覧できる記録資料として提示することを主目的とする。そのため、音楽的特徴に関する情報が欠けている。本連載では実際の歌の掛け合いの場で行われた自然な動画データも取り上げるが、ビデオカメラを回して、特別に歌ってもらったものがほとんどである。その理由は、チワン族の生活形態の変化に伴い「歌掛け」4の場は消えつつあるため、そして、自然な掛け合いがいつどこで始まるかが予測不可能なためである。そのため、動画を通して歌謡の言語表現を知ることはできるが、一部の動画を除いて実際の歌掛けの臨場感は味わえない。また、歌詞は筆者による国際音声記号(IPA)を用いた音声表記を行うが、旋律については五線記譜法による記録は行っていない。音楽的分析は歌謡研究家による研究に俟つ。本連載はチワン族の歌謡の全体を記録するための最良な方法ではないが、チワン族の歌謡を知ってもらうきっかけとなり得るだろう。

本連載の翻訳は、チワン語のテクストに忠実な直訳に留めた。本来ならば意訳も付して解釈の補完をすべきだが、歌詞の中には歌謡にのみ使われるような訳出しづらい語が含まれており、地域や受け手によって様々な解釈の余地を含みうる。したがって、筆者が補完した意訳が唯一であるかのような誤解を避け、多様な解釈の余地を残すために、直訳に留める。また、これまで日本語訳で紹介されてきたチワン族の歌謡はその多くが、「チワン語→中国語→日本語」というように、中国語を介している。本連載で紹介する歌謡の日本語訳は、チワン語母語話者である筆者が録画・録音協力者および歌手5の方たちの協力の下でチワン語から日本語に直接翻訳したものである。ただ、チワン語の歌謡をテクストに書き起こすのは簡単なことではない。歌謡が歌われた地域の方言は筆者の方言と異なる上、使われる旋律も異なるため、簡単には聞き取れない。歌手の方には歌詞だけの読み上げにも協力いただき、書き起こしの補助とした。それでもなお筆者の知識では理解不能だった語句については、録画・録音協力者と歌手への確認を行った。本連載では、歌詞の国際音声記号表記のほか、後述するチワン語のラテン文字である標準チワン文6による対訳を当て、単語ごとの訳と文ごとの訳(どちらも日本語によるもの)を記している。また、本連載の動画の字幕も国際音声記号、標準チワン文、日本語で表記している。

この連載から、消滅しつつあるチワン族の言語と歌文化の面白さを少しでも多くの読者に伝えることができれば、これに勝る喜びはない。

チワン族の歌謡を紹介する前に、以下にチワン族、チワン語と文字、チワン族の歌掛けおよびそれに関する先行研究について概説する。

チワン族の概説

チワン族とは、かつて存在した20種類以上もの自称を持つ集団が、新中国成立後に政策により統合された民族である。ベトナム北部のタイー族・ヌン族とは同系で、さらに貴州省のプイ族とチワン族のうちの自称「ブー・ヨイ」集団とも同系と考えられている。新中国が成立した後、広西と貴州の境を流れる紅水河を境に以北がプイ族、以南がチワン族とされた経緯がある。漢文による歴史文献では、チワン族は「獞」、「狼」、「土人」などと表記されるが、新中国成立当初は「僮族」と表記され、1965年に「強壮」を意味する「壮族」に改められて現在に至っている。一口にチワン族と言っても、その居住地域によって社会や文化は一様ではないが、本連載では便宜上、壮族の祖先をチワン族として括ることをあらかじめ断っておく7

人口では中国屈指のチワン族であるが、中国の他の少数民族、例えばチベット族、モンゴル族およびウイグル族などに比べると、存在感がないのは否めない。とりわけ中国国外では、その認知度は極めて低いと指摘されている(手塚2002a:10)。1999年秋から毎年区都の南寧市で「南寧国際民歌芸術祭」を行ったことにより、チワン族の歌文化の知名度が多少上がってきたが、チワン族そのものの認知度は依然として低いように思われる。

チワン語と文字について

チワン語は、チワン族によって話される言語の総称である。系統上、タイ・カダイ語族のタイ諸語に属する言語であるとされている(Li1977)。チワン語の方言(地図2)は、ほぼ雲南省に源を発する右江を境として、その左岸にある地方で話される「北部方言」と、その右岸にある地方で話される「南部方言」の二つに分かれる。この二つの方言は、さらにいくつかの下位方言に区分される。北部方言の下位には桂北方言、柳江方言、紅水河方言、邕北方言、右江方言、桂辺方言、丘北方言の七つがあり、南部方言の下位には邕南方言、左江方言、徳靖方言、硯広方言、文麻方言の五つがある。チワン語の南北方言の文法は顕著に類似しているが、語彙と発音の違いが大きいため、相互理解可能性が低く、意思疎通は難しい。北部方言の間の違いは比較的小さいため、意思疎通は容易であるが、南部方言は内部差がかなり大きいため、一部の方言の間ではほとんど会話が成り立たないと言われている(張1999、廖2010、黄2018など)。そのため、異なる地域のチワン族の人々が集まると、チワン語の中の違いというものがよく話題になる。特に、北部方言の話者同士で交わされる会話になると、南部方言の話者にはしばしば理解できない。その逆も同じであるため、現在では漢語が異なる方言区に出身するチワン族同士の共通語となっている。

地図2 チワン語分布概略地図

黄(2018:13)から引用、「土語」は「方言」の意味である。

チワン語には、歴史的に使われてきた伝統的な文字がある。それは「方塊壮字(ほうかいそうじ)」或は「古壮字(こそうじ)」、「土俗字(どぞくじ)」と呼ばれる擬似漢字(標準チワン語ではsaw ndipと呼び、「未熟な字、生の字」という意味)である。ベトナムの字喃(チュノム)と同じように、漢字の造字法を真似て作ったチワン族独自の文字である。例えば「山」を表す方塊壮字は「岜」であるが、これは山を意味する漢字「山」と、山を表すチワン語の読み「ピャア(巴)」を組み合わせたものである。しかし、方塊壮字を用いた正書法が存在しなかったため、チワン文字としての統一には至っていない。こうした方塊壮字は、チワン語の音節を書き表す文字で、1つの文字は1つの音節を表し、語との対応がはっきりしていて、合理的な文字なのであるが、1つの文字には異なる字体がたくさんあるだけではなく、地域差、方言差、個人差もあり、正確に読みこなすのは難しい。ところが方塊壮字を使いこなしている人もいる。それは師公と呼ばれるシャーマンや、民間の歌手たちである。彼らは、写経、歌謡の覚え書き、家譜(家系図)などの表記にこの文字を広く用いている。従って、方塊壮字は生きている文字であるといえる。

現在のチワン語を記すために作られた実用的な文字としては「チワン(壮)族文字方案」(本連載では標準チワン文と呼ぶ)がある。これは中国の学者がソ連の言語学者セルヂュチェンコ(Г. П.Сердюченко)の指導により、区都の南寧に隣接する武鳴県のチワン語方言を基礎にして作られたものである。この文字案は漢語の表音規則である「漢語拼音方案(漢語拼音ローマ字)」との共通点を持たせたものである。チワン族の文字案は1957年に承認され、1982年に更に修訂を経て、ラテン文字のみを用いたチワン語の子音、母音、声調を表記する方法となった(黄2014:31-39)。これまで小学校用の教科書や幹部を育成する教科書、農業関係の技術書、政治・法律関係の書籍、さらに若干の文学的著作、『壮文報(そうぶんほう)』(1957年7月1日に刊行されたチワン語の機関紙、当初のタイトルは『BAU5 SƏШСUЕИЬ』、現在は『広西民族報・壮文版』(Gvangjsih Minzcuz Bau)に改名している)、雑誌『三月三』(Sam Nyied Sam)などが発行されている。

しかし、この標準チワン文は現在チワン族の間に普及するどころか、あまり知られていない。この標準チワン文が制定されたのち、1950代の後半および1980年代から一部の農村では普及の試みがなされたが、当時の試みは、チワン族の文字を普及させるというよりは何語の文字であろうと非識字者をなくしていこうという考え方に基づくものであった。すでにチワン語と漢語のバイリンガルになっているチワン族は、わざわざチワン語の表音文字を覚えることなく、学校教育で身に付けた漢字を用いるだけで十分であった。

ところが2000年代に入ると、チワン族地域でもインターネットや携帯メールが普及しはじめた。チワンの言語や文化に関心を持つチワン族の若者はインターネット上で標準チワン文を独学し、それを用いてコミュニケーションを行なっている。また、標準チワン文を身に付けた人の中には、それを用いてチワン族の歌謡や詩物語を記録する人もでてきた。さらに、インターネットを介して標準チワン文の入門授業を開催している者もいる。標準チワン文に関するこれらの動きは、チワン族地域における漢語の普及および市場経済の進展により、チワン語が失われてしまうという話者の危機感の現れだと思われる。実際に標準チワン文がチワン族の間で広く使用されているとまでは言えないが、本連載では、歌詞の標準チワン文による対訳を行なっている。遠く海を隔てた異国である日本での、チワン語のラテン文字表記を用いた本連載の公開が少しでも標準チワン文の使用に対する刺激になればと思っている。

チワン族の歌謡と先行研究

チワン族の人たちは昔から歌好きとして知られ、広西チワン族自治区のチワン族居住地域は別名「歌の海」とも呼ばれるほどである。本連載が対象とする「歌謡」は、テレビやラジオで耳にする中国語で歌われる歌とは異なる。中国語で歌われる歌はチワン語でコ(koː)と言う。普通コは即興的に作られるものではなく、作曲者と作詞者による旋律と歌詞が与えられている。一方、本連載が対象とするチワン族の歌謡は北部地域でフォン(fwen・歓)、南部地域でセイ(θɤj・詩)と呼ばれるものである。フォン・セイはある決まった詩型と旋律があり、チワン語で歌われる。手塚(2002a:41)によると、広西チワン族自治区には100種類以上のフォンの旋律があるが、それは広西チワン族自治区内のフォンの旋律の総数であって、各々の地域は一つもしくは二つの旋律を持つだけだという。フォン・セイの旋律は地域の名前を冠して「〜調」と呼ぶ。

チワン族の歌掛けでは、同じチワン族であっても、またお互いのチワン語の日常会話が通じたとしても、異なった旋律どうしで歌の掛け合いは成立しない。チワン語を使ってフォン・セイを歌うことを、北部方言では「エウ フォン(eu fwen・嚼歓=フォンを吟味すること)」、南部方言では「ダク セイ(tɤk θɤj・打詩=セイを打ち返すこと)」と言う。北部方言と南部方言同士の歌掛けは通じないが、両地域とも歌詞を作ることとその歌を歌うことと分化せずに「エウ フォン」、「ダク セイ」と言う点は同じである。手塚(2002a:41)は、チワン族にとって歌うことは声を出して歌うことと同時に、その歌うべき歌詞を作り出すことなのだと指摘している。

歌の掛け合いは自らの気持ちを相手に伝える方法としてよく使われ、また、かつては恋愛・結婚相手を探すのに欠かせない方法でもあった。しかし、1980年代以降若者が大量に都会へ出稼ぎに行き、チワン族コミュニティー以外の他者との出会いを経験することになった。現代の都市社会コミュニケーション文化に染まった若者たちには、歌が担ってきた社会的な役割が理解しにくい。今や、そのような世代には歌掛けは遅れた文化、狭い共同体の中のコミュニケーションとして映るであろう。歌掛けも結婚相手を探すという機能を失い、芸能や娯楽的要素を除いて消滅しつつある。実際、筆者の故郷広西チワン族自治区天等県龍茗鎮でも、歌掛けは20年前頻繁に見られていたが今やほとんどない。広西チワン族自治区の中でも、一部の地域(例えば、田林県、苹果県、田陽県、武鳴県、靖西県、徳保県、天等県福新郷など)のみにおいて定期市場の日などで歌掛けを行っている。

中国の「文化大革命」下では封建的な遺物として各種の民俗習慣が批判の対象とされたが、チワン族の歌掛けもその一つであった。手塚(2002a:49)によれば、「文化大革命」が収束した1976年の3年後(1979年)に、中国政府が公式の声明を出し、チワン族の歌掛けの意義を認めた上で、「文化大革命」によって迫害された民間の歌手と詩人の名誉の回復が行われた。1984年には広西チワン族自治区政府が歌掛けの習慣をチワン族の持つ美風として推奨し始めたという。筆者の亡き祖父や村の年配の方によると、筆者の故郷である天等県において、1965年から1976年の間は政府の政策を賛美する以外の歌掛けをすれば、批判の対象となり、迫害されかねなかった。そのため、その間は歌の掛け合いがあまり行われず多くの歌が伝承されずに消えてしまったという。

1980年代以降に出版されたチワン族の風俗や文芸に関する書物では、中国語でチワン族の歌掛けの様子やその意義について言及している。例えば、欧陽若等(1986:244)では、「歌掛け祭の当日に、老若男女は盛装し、ちまきやおこわ、菓子、赤く染めたまごなどの食べ物を携えてやって来る。男と女が集団となって、またはカップルとなって、四方八方から歌掛けの歌声が響く」というチワン族の歌掛け祭の様子が描かれている。藩(1991)では、広西チワン族自治区における歌掛けの意義に触れ、広西チワン族自治区の642箇所の歌掛け祭の期日とその規模について報告している。また、範(2009)は、広西チワン族自治区で歌われる100首の民歌を記録し、楽譜、歌詞の国際音声記号表記、標準チワン文による表記、漢語訳を記しており、チワン族の歌謡を研究する際に欠かせない重要な基礎資料である。しかし、本連載で紹介する歌謡はほとんど収録されていない。

消えつつあるチワン族の歌掛け文化を早くも30数年前から調査し、記録・研究し始めた日本人の研究者がいる。手塚恵子氏は1986年に広西チワン族自治区の南寧市に留学し、その後15年間以上チワン族の歌掛けを調査し(手塚2002a:i-iv)、手塚恵子(1988)、手塚恵子(1991)、手塚(1994)、手塚(2002a,b)、手塚恵子(2017)、手塚恵子(2018)、手塚恵子(2021)など多くの研究成果を挙げている。特に、手塚(2002a)では、取材した言語資料などだけではなく、それを取り巻く具体的な状況も極力記述するように心がけている。読み手に歌掛け現場の状況や旅の経過を生き生きと伝えているだけではなく、写真の添付はもとより、ビデオ映像(手塚2002b)までも添えている。手塚(2002a,2002b)は 1990年代に自然に行われたチワン族の歌掛けを知る貴重な資料となっている。しかし、手塚(2002a,2002b)による記録は、広西チワン族自治区の武鳴県の歌掛けが主で、種類も季節の歌(春の歌)、儀式の歌(死者儀礼と哀悼歌)に限られている。本連載では、広西チワン族自治区における各地域の歌謡、幅広い歌の種類を取り上げる。さらに、インターネットで字幕付きの動画および歌詞の日本語訳を誰でもアクセスできるように公開する。

第1回 賛村歌(田林県)

録画・録音協力者:周祖練氏
歌手:班桂英氏

連載の1回目では田林県で歌われる「賛村歌(フォンバオバン)」を取り上げる。八桂ヤオ族郷のチワン語方言(以下、八桂方言)では、vən31paːw24ʔbaːn33(フォンバオバン)といい、「vən3(フォン)」は「歌」、「paːw24(バオ)」は「守る、天の助けがある」、「ʔbaːn33(バン)」は「村・集落」という意味である。直訳すると「天の助けがある村の歌、神様に守られている村の歌」となる。チワン族の歌謡の中には村を賛美する歌もあれば、逆に村を卑下する歌もある。しかし、後者のような歌は喧嘩のときに歌うため、歌手にお願いしてもその気にならないという理由で歌ってもらえない。

今回の歌謡は、1)田林県では別の村に行って歌掛けや交流を始める際に相手の村、集落が天の助けがある、神様に守られていることを賛美する、2)自らの村、集落を褒める時に歌われる歌である。そのため、歌のタイトルを「賛村歌」と訳した。動画は2021年4月11日に録画協力者であるチワン族の周祖練氏(広西壮族自治区田林県文化館副館長)が撮影したものである。歌唱するのは田林県八桂ヤオ族郷(地図3に青く塗った地域)八桂村六胡集落出身のチワン族の班桂英氏(1973年生)である。

広西田林県人民政府のサイト1によれば、田林県は面積が広西チワン族自治区最大で、総面積は約5577平方キロメートルである(地図3)。県内にはチワン(壮)族、漢民族、ヤオ(瑶)族、ミャオ(苗)族、イ(彝)族、ムーラオ(仫佬)族、トン(侗)族、回族、満洲族、プイ(布依)族などの民族が居住している2。2020年国勢調査によると3、田林県の人口は約22万人であり、その内漢民族の人口は約27%、少数民族の人口は約73%を占めている。中でもチワン族の人口は総人口の59%を占めている。なお、田林県八桂ヤオ族郷には漢民族、チワン族とヤオ族が暮らしていて、ヤオ族は総人口の2割ぐらいである。

地図3 田林県地図(『広西市県概況』所収の田林県地図を元に筆者が作成した)

田林県の方言はチワン語の北部方言の桂辺方言に属している(「はじめに」の地図2を参照)ため、「賛村歌」は桂辺方言の下位方言である八桂方言で歌われていると理解してよい。八桂方言の言語体系は現在調査中であるため、詳細な音韻体系の考察は別稿に譲りたい。八桂方言の研究の進展に従い、本連載で書き起こした音声表記を修正する必要性がありうることを予め断っておく。

以下では八桂方言の国際音声記号による表記、それに対応する標準チワン文の対訳、その下に逐語和訳、更にその下の「」内に日本語訳を示した。文頭にある数字は当該文のIDであり、音節ごとに付けた数字は声調を示す。動画の字幕では、以下の1~3段目を表示する。ただし、曲の冒頭や語と語の間、末尾に挿入される「ya i」、「a」などの装飾音は表示していない。手塚(2002a,2002b)で報告されている武鳴県の歌謡と同じように、田林県の歌謡に見られる装飾音には規則性があるように思う。それを明らかにするには今後より多くの歌謡データを集める必要があるが、語と装飾音の配置の組み合わせによって、旋律が決まると考えてよいだろう。筆者の経験によれば、チワン族の歌謡はまったく同じ歌詞であっても、語と装飾音の配置が異なると、旋律が違うものになる、あるいは違うように聞こえる。

  1. ʔbaːn33law55ʔdiː31ljeːn55ʔdiː31
    Mbanjlaeuzndilenzndi
    村・集落われわれ良い本当に良い
    「われわれの村は本当に素晴らしい」
  2. miː55koː31lwiː55paːw24ʔbaːn33
    Mizgolizbaujmbanj
    有る類別詞ガジュマルの木守る村・集落
    「村はガジュマルの木に守られている」
  3. miː55koː31ŋaːn33paːw24pɯəŋ55
    Mizgonganxbaujbwengz
    有る類別詞竜眼の木守る村・集落
    「村は竜眼の木に守られている」
  4. ʔbaːn33ʔjuː24tɕaw24teː31luəŋ55
    Mbanjyuqjaeujdeluengz
    村・集落住む類別詞
    「村が龍の頭のところにある」
  5. pɯəŋ55ʔjuː24ʔdaːŋ31teː31fʊŋ31
    Bwengzyuqndangdefungh
    村・集落住む体、身体類別詞鳳凰
    「村は鳳凰の体のところに置かれている」
  6. naː24ʔbaːn33ɕeːu24poː31tɕɪm31
    Najmbanjciuqbojim
    前、正面村・集落面する類別詞
    「村の正面は金山に面している」
  7. laŋ33ʔbaːn33ʔɪŋ31poː31ŋan55
    Laengmbanjingbongaenz
    背中、後ろ村・集落もたれかかる類別詞
    「村の後ろは銀山にもたれかかっている」
  8. puː33tɕeː212koː55pɪŋ55-ʔaːn31
    Buxjeqgojbingz an
    類別詞古い、老けるすべて、皆無事、元気である
    「年配の方は皆元気である」
  9. ləːk33laːn31koː55fʊŋ31-kwəj25
    Lwglangojfung gveiq
    子、子供すべて、皆裕福である
    「子孫はみんな裕福である」

この歌は5語からなる句が9句連なる「五言九句」4式である。この歌は自分たちの村を賛美する歌としても歌われるが、初めて他所の村に行く時、あるいは初めてではないが、これからその村の人に歌でコミュニケーションを取ろうとする時によく歌われる歌である。歌手の班桂英氏によれば、他所の村の人と付き合う時、その聞き手の気持ちを良くさせるためによくこの歌を歌い、この歌を歌えない歌手は「食べることはできるが歌うことはできない人間だ」と周りの歌手に笑われるそうである。班氏は17、18歳の頃村のお年寄りたちからこの歌を覚えたという。

1句目では「われわれの村」という歌詞で始めるが、「村」は必ずしも歌う人が所属する村を指すのではない。別の村に行って歌掛けや交流を始める際に歌う場合は、歌の聞き手の村を指すが、自分の村で歌う場合は自らの村を指す。前者では、自分を歌の聞き手のコミュニティーに含むことにより、自分と相手が仲間同士だと主張でき、聞き手に好印象を与えられるためである。一方、後者では、自分が所属する村について歌うため、村の人々に共感が得られやすくなる。また、1句目にあるʔbaːn33「村・集落」と3句目にあるpɯəŋ55「村・集落」は同じ訳語になっているが、pɯəŋ55は海抜がやや高い場所、あるいは山や森に囲まれている様な村・集落であるのに対して、ʔbaːn33は平地にある村・集落の意味合いが強い。本連載の訳語は「村」で統一する。また、歌詞に登場したガジュマルの木、竜眼の木、龍、鳳凰は村を守る神々を指すが、金山、銀山は村には「富、財産」がたくさんあることを比喩している。

最後に、八桂方言の歌詞には、標準チワン語と異なる方言形の単語が現れる。本連載では標準チワン語の対応語を当てて対訳するため、八桂方言と標準チワン語における異なる単語の対応表を以下に示しておく。

田林八桂方言と標準チワン語の対応表(周祖練氏ご協力で作成)
出現位置田林八桂方言標準チワン語意味
1句目laeuzraeuzわれわれ
1句目ndindei良い
2句目lizreizガジュマルの木
3・5句目bwengzbiengz村・集落
4・5句目yuqyouq住む
4句目jaeujgyaeuj
4句目luengzlungz
6句目jimgim
8句目buxboux類別詞(人間を数える)
9句目jeqgeq古い・老ける

2022.4.15

 

(こう・かいへい/一橋大学大学院言語社会研究科 特別研究員/国立国語研究所 非常勤研究員)