第4の手紙
にいちゃんへ
お手紙と大根とネギありがたく頂戴しました。いつもいつもありがとうね。あんなにいっぱい、いつも、箱開けるたびにワァッて思うんだけれど、意外にぺろぺろ食べてしまいます。大根やネギは、買って帰ると重かったり持ちにくかったりするので、頂くとうれしい。それにやっぱりにいちゃんのはおいしいね。
にいちゃんのお手紙はあいかわらずダンナさんのことばっかりで、ねえさんやらのことは全然かいてなくって、ちょっと心配になっちゃうよ。なーんてネご夫婦仲のいいのは知ってるから、心配なんて嘘だけど。にいちゃん本当にハセ倉のだんなさんのことが好きなんだなあと思って、びっくり、ほのぼのしてしまいます。植木よりか好きなんじゃないの。ていうか植木の精かなんかみたいに思ってるんじゃないかな? 先祖代々お仕えしてきたオトノサマだってこと以外わたしにはぜんぜんわかんないんですけど、にいちゃんの言い方では、また何か可愛らしいいたずらをヤラカシていらっしゃるとの事。
お手紙にかいてあったアニメの、呪術かい戦、っていうのね、最近ヘルパーに通ってるお宅の息子さんがアニメ好きなので、きいてみたら、よく知ってるってことでした。ビデオも持ってて、晩ごはん食べながら第1話というのを見せてくれました。うーん私は最近の若い子向けの新しいアニメ、あんまり見ないから、何か目がちかちかして、戦うところとか残酷な感じで好きじゃなかった。にいちゃんの手紙では、主人公のおじいさんが病院で「おれみたいになるな」っていって死ぬのがすごくていねいにえがかれてて、それを主人公の少年が「正しい死」だったって言ってヒーローデビュー?するのがダンナさんは気にくわないらしいってことだったから、(間違ってたら言ってね!)、そのことばっかり考えながら見てて、そしたらやっぱりたしかに、何が「正しい」ていわれてるのかは、ぜんぜんわかりませんでした。そのお宅の坊っちゃん(中学1年生です)にもきいてみたら、坊っちゃんは、久しぶりに見たけどこんなんだったかなーとか言いながら、なんか腹立つみたいなことを言って、ハンバーグをぐさぐさ(晩ごはんはハンバーグとポテトサラダでした)突っついてました。最後はちゃんと全部食べてくれたけどね。ハンバーグは好物だから週1回は作るんだ。ご両親が仕事で遅くなるから、平日の夕方に行って、坊っちゃんとちいさい妹のおじょうちゃんの御飯の支度しながら、寝たきりのおじいさんの介護もするっていう日課です。ご両親がいなくて私も行けないときは坊っちゃんがおじいさんと妹の面倒みるんだけど(最近いう、ヤングケアラーっていうやつ)、それで坊っちゃんのいうには、寝たきりでほとんど口もろくにきけないおじいさんの枕を整えてあげたり、おむつをとりかえてあげたりするとき、おじいさんがじっと坊っちゃんのことを見て、何か言いたそうにするんだってね、それは、ありがとうとか、すまないねとか、勉強をちゃんとしてるかいとか、そういうことが言いたいのかもしれないけど、ときどきは、「おれみたいになるな」って言いたがってるようにも見えるんだって。そういうときは坊っちゃんも泣けてきそうになるのを、がまんしてニコニコしてるんだって。おじいさんとはずっと同居してて、ちいちゃいときから可愛がってもらってた大好きなおじいちゃんがそんなふうになって、もしそういう、「おれみたいになるな」って言ってそうな感じのときにそのまま死んだりされたらすごく悲しくて腹立つと思うって言ってた。それが「正しい死」(でいいんだっけ?)だとかイミわかんないって言って、きっとこのアニメ作った人は自分のおじいさんのことが別に好きじゃなかったんだろう、なんて。その坊っちゃんはすごく本とか好きでいっぱい読むらしくてお話ししてるととても面白くて楽しい坊っちゃんなんですけど、ソウゾウ力が豊かで、いろいろ言ってました。例えば、おじいさんがすごいヤクザな人で、酒とギャンブルで身をもちくずして奥さんにも逃げられて子供や孫のことなんかほったらかして悪いことして、何度もケーサツのおせわになったような人で、それが晩年になって後悔して、すまないすまないって言って家に戻ってきたのを、主人公の少年のおかあさん(ムスメですね)が、しょうがないから面倒みてたのが、最後に病院でしぬときに孫の顔みながら「おれみたいになるな」って言って穏やかに死んだとかっていうなら、わかるけど、みたいなことを坊っちゃんがいろいろ言ってくれるから、まだ中学1年生なのにすごいなって思って、感心してた。小さいのに、苦労してるんだ。がんばっておいしい晩ご飯つくってあげようと思います。坊っちゃんは妹のこともすごく可愛がってて、あたしが小さいころのにいちゃんもこんな感じだったのかなってちょっと思うことあるよ。ダンナさんのお手紙とか、坊っちゃんに見せたらすごく面白がってお返事書いたりするんじゃないかなと思います。へんなの! だいたいハセ倉のだんなさんは、もういいお年だと思うのに、なんで若い人向けのアニメなんか見て、ひとに手紙かいたりするんでしょうねー。
お正月にはまたそっちえ帰ります。にいちゃんはハンバーグなんか好きじゃないだろうから、最近覚えたブリとネギの煮物のおいしいのを作ったげる。風邪ひいたり、また松の枝から落ちたりしないように気をつけてね。
ひろこより
第5の手紙
レン君へ
連絡ありがとう、ひさしぶりですね。いまどき手紙というのも妙な感じですが、せっかく封書をもらったし、ことが手紙の話だから、こっちも封書でお返事することにします。非常に懐かしい気持ちになりますが、最後にペンで手紙なんか書いたのはもうずいぶん昔のことで、下手すると高校生の頃かもしれず、近年ではペンでものを書くなんてのは宅急便の送り状を書くときくらいのものだから、どういう文体で書けばいいのかも、なんだかよくわからなくて照れくさいですね。メールでも文体は変わらないのかもしれないが、いや変わるのかな。
さて今回の件で、これまた非常に久しぶりに支倉の筆跡に触れた次第。最近はどうしてるのかと思ったら、またわけのわからないことをやってるね。何を考えているんだか。友人が別の友人に当てた手紙を読むなど実に後ろめたいことではあるのですが、せっかくきみが送ってくれたので、旧友の筆跡を懐かしみながら同時に旧友の手紙であることをあえて忘れて、第三者のつもりで読んでみようとがんばったが、なかなかに難しいことだった。もちろんきみが彼に送ったという手紙のコピーのほうも読んだよ。ひとに手紙を送るのにわざわざコピーをとっておくとは、やっぱりメール世代の郵便的不安のあらわれなのか、それとも、後でマズイことになるかもしれない的な、何かの予感がひそかに働いたのかな、とかそんなことを考えながら、一生懸命読んでみました。確かに、正直に言うと、妙にぎくしゃくした手紙だなとは思った。レン君らしくないというか、ある意味でとてもレン君らしいんだけれども、この返事を出して以来半年以上、支倉から音沙汰がないというのも、まあ何となくわからないことはない気がします。いや、きみの手紙が彼を怒らせたとか、失礼にあたったとかそういう、きみが心配しているようなことではたぶんないと思う。ぼくら3人、世代こそ違うがもう20年以上のつきあいになるんだし、レン君らしさも、らしからなさも、支倉にはよくわかっているはずだから、この返事をレン君が一生懸命、それこそ昔ふうに言うなら「筆を舐め舐め」書いたんだなということは彼にも伝わらないはずはないし、そやって筆を舐めながらきみが確かに何かを非常に深く考えていた、むしろ考えすぎていたということも、彼にはわかるんじゃないかな。あくまでもこれはぼくの推測ですが、彼は彼で、きみのこの返事に対してどうすれば失礼に当たらない形で適確な応答ができるのか、単純にそれを考えあぐねているのではないでしょうか。考えがまとまったら、やがて20年後くらいに、まるで昨日もらった手紙に対する返事みたいな調子の返事をよこすのかも。50年後とか100年後でもぼくは驚かない気がします。そのころにはぼくのほうはもうこの世にいないだろうから読めなくて残念だっていうくらいかな。3人のうち一番トシなのが支倉だが、たぶん一番先に死ぬのはオイラだね、だってレン君のほうがずっと若いものな。
話が逸れましたが、2通の手紙を読んで感想をきかせてくれというご依頼だから、お言葉に従って、少々先輩ヅラして歯に衣きせぬ感想を述べることをゆるして下さい。といっても大したことが言えるわけじゃないんだが、第一に、なぜまた支倉があんな手紙を、わざわざきみに送ったのかということ。あの手紙から読み取れる、一種の焦燥感、抑えてはいるか実は激しい苛立ちのようなものを、きみは直截に、彼自身のlifeにおけるそれの反映だと読んだ、というより、読んでみせた、のだと思いますが、きみもよく知っているであろうように、およそその手の苛立ちとか焦燥とか、人生の急坂における慌てふためきといったようなものから、やつほど無縁な者はいないよ、と少なくともぼくは思うんだが。たぶんレン君もそこに違和感を感じたのだろうと(「違和感」なんて言葉を不用意に使うと定めし支倉にうるさく突っ込まれることだろうが)拝察するのですが、そこが、思うに、彼がきみにかけた第一の謎、というより、トラップゲームだったんじゃないかと。どうだろう、まさかきみがあんなに素直にひっかかるとは思ってなかったんじゃないか。いや、失礼、こんなふうに書くと誤解を招くかもしれません。どう書けばいいのか難しいな。まず、確かに言えるのは、レン君が、いつもの支倉らしくないイライラした焦燥のようなものを文面から感じ取って、持ち前の素直な優しさから本気で彼のlifeの状態を心配するだろうとは、彼は思っていなかったはずだということ。なぜなら、そんなふうに思ったら、というより、そんなふうに思うほど本当に彼のlifeの状態が危機に瀕していたなら、そんな状態をあからさまに示すような手紙を、やつがきみに送るはずはないからさ。送るならオレに送るよ、きみじゃなくね。なんといってもぼくのほうがきみよりトシが近いんだし、つきあいも、まあ若干はオレのほうが長いよな、そして、送ってくれたコピーにあるように、支倉はきみに砕けた口調で書くけれども、きみはやつにデスマス調で返事をする。だがおれと支倉はタメ口だ……とまあそんな具合で、ひとに心配をかけたければ、きみではなくまずおれにかけようとするだろう。彼にとってもきみはとても大切な友人だと思うが、それでも親子ほども年が離れていれば、自分のことで心配かけたくはないはずだよ。なにせきみがまだ基礎的な当用漢字を学んでいたころから手紙のやりとりをしている間柄なんだから。にもかかわらずきみは、心配してくれてしまっただろう? おれがやつだったら照れるね。とても照れてしまって、申し訳なく思い、どう返事していいものやら悩ましい気持ちになるだろう。「心配させてしまってすまないね、いや別に焦ってもいないし危機的状況にもないんですよ」とあっさり書けばいいようなものだが、そう書いてしまったら、「それはきみの誤解だよ」、つまり「きみの読解ミスだよ」と言っているに等しくなってしまう、そういうたぐいの示唆というか指摘というかは、支倉がもっとも嫌うところなんじゃあるまいか。ひとつには、それではあまりにも曲がないし、ひとつには、自分が焦ったり苛立ったりしているかいないか、本当のところは自分自身で正確に判断できるものではないということを彼だってわかっているからだ。それに、彼の文面に焦りや苛立ちがあきらかにチラリチラリと燃え立っているのは一目瞭然なんだから、「べつに僕自身が苛立っているわけではない」と書けば、礼儀上からしても、「ではあの苛立ちは何を示しているのか」について説明しないわけにはいかなくなってしまう。それをしてしまったら、しかし、それこそ一切が台無しになってしまうじゃないか?
こんなことはみんな、ぼくが推測で書いてることにすぎないので、百パーセント当たってるという自信はないよ。けど、百パーセント正しいと思える推測のひとつは、つまり彼があの手紙を、ぼくではなくきみに送ったのには、必ずそれなりの理由があるだろうということです。彼はあの歳で嘘みたいに現代アニメに詳しく、またうるさい一家言を常に持っているやつだから、『呪術廻戦』の冒頭について何かアニメ技術論的なところできみの意見を求めたかったわけではないだろう、きみがそれほどアニメを見る人でないことは彼も知っている。ぼくもアニメはそれほど見ない。だから彼がきみを選んだ理由はそれではない。性別の違い? いや、なんとまあぼくはいまだにきみの性別を知らないね。彼も本当のところは知らないだろう。ぼくらはきみとリアルで会ったことがないんだし(会ったとして性別がわかるかどうかも疑問だが)、まあ、性別不明だからという理由できみが選ばれたということもありえなくはないだろうけれども直感的にそうじゃないと思う。あの呪術なんとかの話について、単純に彼はぼくではなくきみの意見をきいてみたかった、なぜならあの話についてオレが何を言うかなんか、やつにはだいたい予測がつくだろうからなあ、それじゃあつまらないと思ったんだろう。もうまだるっこしいから言ってしまうと、要するに、ぐっと世代の違うきみの意見をききたかったんだとおれは思うね。「正しい死」だとかヒーローデビューの資格だとかそういうことについてさ。あの妙に苛立ったような焦慮のような、そうだなあ、言っちゃうと「ねーねー、どうなってんの、わかんねーよ、ふざけてんのかよ、イラつくなあ!」ていうような調子は、要するに「まったく、最近の若い者は!」っていうあれなんだよ、たぶん、そういうことを「最近の若い者は!」みたいな言い方で言うことは、「それはきみの誤解だ」というようなことを言うのと同じように、支倉の、なんというかな、会話ポリシーに反する感じのことで、そんなふうに言うかわりに、若い者の感覚について若い者の意見をきく、というか反応をかな、さりげなく見てみようとしたんじゃないか――もっともレン君だってもう「若い者」というほどに若くもないわけだが、支倉からすれば十分以上に若いうちに入るんだろう、少なくとも、ぼくよりはさ。アニメの人物が「人」といえるのかどうかという例の話題については、今回かれは言及していなかったね確か。二度読もうという気にはさすがにならないからすでにうろ覚えなんだが、一度読んだ限りでは、今回彼はそういう話がしたいわけじゃなかったことはたぶん明瞭だ。アニメという媒体において人が、人の生や死がどう立ち現れうるのか、っていうようなことを彼は昔からよく喋っていたもんだが、今回の手紙では、その手の話題は暗黙の前提であって主題じゃない。その暗黙の前提を、レン君ならわかるはずだというのは、きみの返事を読めばわかりすぎるほどわかるが、だから逆に、そこを突っ込んでほしかったわけではきっとないんだよ。暗黙の前提を共有している、世代の(けっこう)違う人に、まあーこれももう面倒だから一言で言ってしまうと倫理的な問いを投げかけているわけだとぼくは思いましたね。倫理上の疑問というほうが正しいかな。それは支倉としてはかなり直球の問いだと思うんだが、違うかな。きみが何かに目くらまされたとすれば、たぶん支倉としてはあまりに直球だったから、却って、何か裏があると、きみは読み込みすぎてしまったんじゃないだろうか。
今のところぼくに言えるのはそんなところで、まるっきり勘違いしていないとも限らないが、ご存じのようにおれはきみたちと違って単純な人間だからね、容赦してください。ともかく、2通ともとても面白かったよ。最後に話を戻すと、気になるなら彼からの返信を待っていないで、レン君のほうからもう一度、書き直した返事を送ってやるのがいいんじゃないかと思います。彼は案外それを待っているかもしれないですよ。長文すまん。なんだか書いていたら結構またペンに慣れて、ブランクを感じなくなってきたよ。人間の適応力もバカにならないね。ひょっとしたら「慣れ」とかそういうことが、支倉が問題にしたがっていた話題だったのかもしれないと今ふと思ったがもう時間がない、出かけねばならんので今日はここまでにして「筆を措きます」。意外におもしろいからまた手紙下さい。よろこびます。敬具、瀬川より。
第6の手紙
〇〇君へ
手紙なんて驚くでしょ。ラブレターなんかじゃないからかん違いしないでね。
先週木曜の昼休みにね、盗み聞きするつもりはまったくなかったけど、『呪術廻戦』のおじいちゃんが死ぬ前に言った言葉についてお世話をしてくれるおばちゃんと話し合ったっていう、〇〇君たちの雑談を聞いちゃったの。その話が面白くて聞き続けちゃった。ごめんね。
『呪術廻戦』を作った人は自分のおじいさんのことが別に好きじゃなかったんだろうって、〇〇君言ってたよね。あのときは黙ってたけど(まあ話しかけてたら〇〇君も困るだろうから)、実はね、そうじゃないかもって言いたいの。おじいさんのことが嫌いで嫌いでしょうがない、けど同じくらいに大好きで大好きでしょうがなかったかもしれないって思うの。『呪術廻戦』を作った人は。
うちのじいちゃんのうわさ、ちょっとくらいは聞いてるでしょ。オカルトだの、人殺しだのって。別に弁解するつもりはないんだけど、全部はそうじゃないんだ。オカルトかもしれないけど、人を殺すつもりはなかったの。うちのじいちゃんは。
うちのじいちゃん、何十年も前に「宗教」のビザで日本に来て、そしてばあちゃんと出会って、そのまま結婚したんだ。当時の宗教団体からは離脱したけど、個人的に布教をし続けてたんだ。あの頃の日本、なんか新興宗教流行ってたじゃん。だからじいちゃんもね、仏教と道教を融合したわけのわかんない新宗教を作り上げたんだ。じいちゃんのとこで育ったうちは子どもの頃から、ずっと向善とか浄土とかを聞いてきた。穏やかでつねににこにこしてるじいちゃんは、本当に佛様のようだった。うちからするとね。
やさしくて全身全霊で世人を導いて救おうとしたじいちゃんのことが大好きだった。好きで好きでしょうがなかった。
だから〇〇君の話を聞いたあと、『呪術廻戦』のあのシーンを見てみたんだ。病院のシーン。癒された。あのおじいちゃんは、絶対浄土にいったなあと思った。だってきれいなんだよ、おじいちゃんが死んだときの空が。夕陽の光が輝いて、白色、黄色、オレンジ色、紺色、紫色、ピンク色に彩られた、すっごいきれいな、暖かい空だった。
じいちゃんから聞いたんだ。浄土は彩りよく、絢爛で華麗な国土だって。浄土とか国土とか、ちいさなときのわたしには意味のわからないことだったけど、じいちゃんは、光で照らされて、たくさんの色が見えるところだよ、そこにはね、苦しみなんかないのって言ってた。じいちゃんはね、いつも功徳とか、善行とかを口にするの。簡単に言うとね、いいことをすれば、苦しみがないところにいけるってことなの。だからじいちゃんは、いつも話を聞いてくれる人たち、信者たちにね、浄土に行けるように自己を認識しよう、いいことをしよう、つねに他人に善意を抱こうって言ってた。人殺しなんかにはなれないの。あんなやさしいじいちゃんは。
でも他人の悪意を知らなかった。じいちゃんは。
いや、悪意を覚えさせたくないから、信者たちにもうちにも人の世の悪意を伝えなかったんだと思う。
他人に善意を持つAさんが自殺したときに、だから、あんなに苦しかったの。じいちゃんが。Aさんはじいちゃんの信者で、一番浄土に行きたがってた人だったの。でもね、無限の悪意が返ってきたの。Aさんの善意には。
「自殺したら浄土に行けなくなりますよね。地獄に行きますよね。でも地獄だって、この世界よりはマシですよね。善行なんか、もう疲れた。」って、Aさんの泣き声はいまだに覚えてるの。胸がぎゅっとつかまれたように、痛くて絶望的だった。Aさんのお葬式で、Aさんのご家族に「人殺し」って言われたんだ。うちのじいちゃんは。
それ以来、じいちゃんは変わった。うちもね、人の悪意をいろいろ実感してきた。人殺しなんかじゃないって言ってよ、なんとかしてよって、うちは泣きながらじいちゃんにお願いしたの。じいちゃんが誤解されたくないから。じいちゃんがちゃんと説明すれば、世人が信じてくれると信じていたから。だってじいちゃんはあんなに世人のために頑張ってきたから。
けどね、じいちゃんはなんにも言わなかった。なんにも言えなくなったから。そう、じいちゃんは自殺したの。「もう宗教なんかにかかわるなよ。善意なんか浄土なんかどうでもいいから、自分のことを大切にしろよ」って最後に言われた。じいちゃんに。
何十年も信仰してきたものをそう簡単に棄てちゃうの! いままでうちが憧れてきた佛様のようなじいちゃんはなんなの! 嘘なの! だったらうちがいままで耐えてきた悪意は? 無意味なの! 別に経験しなくてもいいの! 絶対じいちゃんみたいな人間にはならないよ!
そう心の中で叫んでた。じいちゃんが嫌いだ! 嫌いで嫌いでしょうがなかった。
けど、葬式で、じいちゃんの白黒の写真を見たとき(じいちゃんの故郷では死者の写真は白黒で刷るの)、なんか白黒が寂しくて、じいちゃんがもうこの世の人間じゃないよと宣告しているような感じだった。
『呪術廻戦』を見たとき、息が止まるほど、痛みを感じた。虎杖くんのおじいちゃんが死ぬシーンに。とくにあの「おれみたいになるな」って言葉。あの言葉を言ったときのじいちゃんが嫌いだったんだよね。だから〇〇君は、あの言葉を口にするおじいちゃんを作り上げた『呪術廻戦』の作者が自分のおじいさんのことが好きじゃないって感じたんだと思う。
でもね、うちはそうじゃないかもと思ったのは、あの空があったからなんだ。あの空に癒された。
それでね、じいちゃんの葬式で感じた虚しさを解消する方法がわかった。じいちゃんの白黒の写真をカラーにしてあげるの。浄土にいってほしいから。カラーだったら、なんかまだ多彩などこかで「生きてる」ような気がするんだよね。浄土、とかね。
ありえないことだってわかってる。浄土なんてどこにもない。だってAさんもじいちゃんも、あんなに敬虔になってたとしても、浄土に行けなかったから。わかってるけど、けどね。
うちはね、じいちゃんのこと、大嫌いだけど、大好きなんだよね。あのときは自分の気持ちをぜんぜん整理できなくて、結局精神的に耐えられなくなった。だから二年も休学したの。
それに、虎杖くんのおじいちゃんの最後の言葉は「おれみたいになるな」だったよね。それは虎杖くんへの忠告だと思うけど、自分の人生に対する反省でもあると思うの。うちのじいちゃんみたいに。じいちゃんは自殺する前、後悔したんだと思う。宗教なんかに触れなかったらよかったとか、悪意もちゃんと覚えさせたらよかったとかね。だから虎杖くんのおじいちゃんも、今のように死ぬことに対して、悔しいというか残念というか、そんな気持ちを持ってると思う。だからなのかもしれないけど、『呪術廻戦』を作った人は虎杖くんのおじいちゃんを浄土に行かせたんだと思うんだ。極楽なところにいけるようにって思ってるほど、あの人は自分のおじいさんのことが実は大好きだと思うの。うちみたいに。
もし虎杖くんのおじいちゃんが浄土に行けたとしたら、極楽に生きることになるだろうね。「おれみたいになるな」って反省や後悔する気持ちに囚われることはもうないんだ。うちのじいちゃんはね、苦しかったの、死ぬ前には。だからね、虎杖くんのおじいちゃんにうちのじいちゃんの姿が重なってくるの。ぜんぜん違う人なのにね。それでね、虎杖くんのおじいちゃんが浄土にいけたら、うちのじいちゃんも浄土にいけると思うの! だからね、遺影の白黒写真をカラーにするんだ!
じいちゃんのことが嫌いなのかって聞かれたら、いまは、「大好きです!」と言いたいんだ。そう答えて、他人の悪意、人の世の無限の悪意をまた実感するのだとしても。じいちゃんがすべての善意を放ったこの世界だから、うちもすべての言葉を尽くしても語り切れないほどこの世界を愛している。その悪意までも。
ごめんね、意味わかんないことをいっちゃって。返信なんかべつにしなくていいから、かかわると困るだろうから。うちと。〇〇君の机に手紙を入れるときは誰にも見られないようにするから安心してね。それに、手紙を捨てるときとか、落としたりしたら、ほかの人に見られちゃって、うちとかかわってるとかん違いされるから、〇〇君って呼ぶね。名前はちゃんと知っているよ。