機関誌『半文』

チワン族の昔話

黄 海萍

はじめに

中華人民共和国(以下、中国)には漢民族をはじめチワン族、モンゴル族、ウイグル族、チベット族、回族など数多くの民族が住んでいる。そのなかで、9割以上を占める漢民族以外の人々は少数民族と総称されている。中国では、国家によって55を数える少数民族が承認されている。本連載で取り上げるチワン族は、中国南部水稲耕作民世界に生きるタイ系民族で、人口約1700万人(2010年統計)を擁する1中国最大の少数民族である。そのチワン族の昔話には、日本の民話に見られるような様々な精霊(例えば山姥や穀霊)や巫女がよく登場する。これから扱うチワン族の昔話(本連載の昔話には、神話や伝説も含める)からも、読者は日本の神話や伝説ならびに民話によく似たものを少なからず見出すことであろう。さらに、「魂と幽鬼と人」、「神と人」、「冥界と再生」、「神と仙人」、「植物と人」、「動物と人」などの俗信や民間伝承にまつわるものもある。

しかし、チワン族には通用する文字がないため、チワン族の昔話は十分に記録されてこず、また研究も乏しい。どのような物語が伝承されてきたのかも未知である。そのため、数多くの昔話が日の目を見ずに埋もれ、さらには伝承する者もなく、あたかも朝露のように、今消え去ろうとしている。そこで、チワン語(龍茗方言)の母語話者である筆者は失われつつあるチワン族の昔話を収集して文字化し、チワン語から日本語に翻訳して、連載という形で紹介していきたい。将来機会が有れば、絵本を作って日本とチワン族の未来を担う子供たちに読んでもらいたいと思っている。

チワン族の分布・居住地域図は図1に示すとおりである。チワン族の人口の約9割(約1445万人)は広西チワン族自治区内で生活し、その他に広東省、貴州省、雲南省などにも分布が広がっている。一口にチワン族と言っても、その居住地域によって社会や文化は一様ではないが、本稿では便宜上、壮族の祖先を「チワン族」として括ることをあらかじめ断っておきたい。

中国内におけるチワン族の分布・居住地域:主に中国南部(広東省の西隣)の広西チワン族自治区にある。
図1 チワン族の分布・居住地域図2

本連載で取り上げるチワン族の昔話は筆者が子供の頃から中学校にかけて、毎晩、夕餉の囲炉裏のそばで、あるいは寝物語りに祖父3が語り聞かせてくれたものである。これらの昔話は筆者にとってどれもが面白くて、当時村の子供たちと一緒に祖父のそばで目を輝かせて聞いていた。今もなお鮮明に記憶しているのは、そのときの十数話である。しかし、最後に祖父の昔話を聞いてからすでに15年にもなろうとしている。その昔話の多くは、私の大学入学、そして日本留学を心待ちにしながらも2004年に永眠した祖父とともに失われてしまった。

昔話というものは誰でも知っているようで実はそうでもない。老人だから必ずしも知っているというものでもない。村の老人たちに昔話について聞いてみたが、「何も覚えていない」という返事ばかりだ。筆者の祖父の昔話の語り口のうまさ、確かさ、話の種類の多さは、村の人々にしきりに称賛されていた。筆者の祖母(1941年生)もまた昔話のあらすじしか語れず、細部にいたってまでは自分が祖父から聞いたとおりに忠実に語ってもらえなくなってきている。祖母が知っている昔話も二三はあるが、筆者が憶えているよりも少ない。筆者の村にはもう昔話を語れる人がいないため、今の子供たちはそれを聞くことができない。一刻も早くチワン族の昔話を書き留めるため、本連載においては筆者自身が記憶している祖父によって語られた昔話の一部を再話し、筆者の祖母および村の老人、祖父の話を聞いた筆者の父(1962年生)に確認してもらい、龍茗方言で文字起こしたものを日本語に翻訳した。なお、祖母の他誰も憶えていない物語は筆者の記憶のみによるものである。

本連載で扱うこれらの昔話とは、龍茗鎮4(図2●印の箇所)の鎮都より約3キロ離れた龍茗東南村逐仗屯(図3 ○印の箇所)で伝承される昔話であり、これを「龍茗鎮チワン族の昔話、龍茗鎮で伝承される昔話」という意味で便宜的に「龍茗チワン族の昔話」と名付けた。今後、筆者は広西チワン族自治区全体を歩き回ってチワン族の昔話をより多く収集したいと考えている。

天等県地図
図2 天等県地図5
逐仗屯地図
図3 逐仗屯地図6

第1回 熊人(くまんど)

むかしむかし、あるところに山のふもとに住む家族がおった。家には二人の姉妹がおったそうな。ある夜、父さんと母さんが遠い親戚の家に招待されたので家を留守にした。いつも父さん母さんが寝かしつけてくれるけど、今夜はいない。姉妹は鬼を怖がって、近くに住むおばあさんを呼んで、一緒に寝てもらおうと思ったんだと。妹が家から飛び出して、おばあさんの家に向かって、こう大声で呼んだ。「おばあちゃーん、おばあちゃーん。怖いから今日はあたしたちの家に来てよー。一緒に寝ようよ」と。だけど、おばあさんは畑仕事からまだ帰ってなかったそうな。妹の声も聞こえなかったんじゃ。その時じゃ。あの熊人がおばさんのふりをして山からこうこたえた。「はーい」と。

熊人(くまんど)の挿絵
イラスト1 熊人(くまんど)
イラストは筆者の想像によるものです。名前はチワン語(龍茗方言)で、[tuː451 ɲaːw33 vaːj31](トゥー・ニャオヴァイ)となります。熊人は日本の山姥のように人間を食う恐ろしい化け物です。外見は熊ですが、人間のように二足で歩き、人語を話すと言われています。

しばらくして、おひさまも沈み、暗くなってきた。

とうとう熊人が山から下りてきた。姉妹の家にやってたきた。熊人は玄関の前に立って、こう言った。「おまえたち、灯りを消しておくれよ。わしゃ目が痛くて、明るい光がだめなんだよ」

姉妹は熊人の言う通り、灯りを消してしまったそうな。灯りが消えると、熊人がまっくらやみの家にとうとう入ってきた。しっぽがばれては困るので、椅子に座れない。そうして熊人はまた言った。「おまえたち、わしはお尻に瘡ができて座れんのじゃ。伏籠を持ってきておくれ。それに座らせておくれよ」

家の中庭にはちょうど何羽かの鶏を囲む伏籠が有った。熊人はその上に座った。でも熊人が座ると、熊の尻尾に鶏がぶつかってしまう。だから鶏が驚いてひっきりなしに叫ぶんじゃ。二人はこう尋ねた。 「おばあちゃん、どうして鶏がそんなに鳴いているの?」

熊人はこう答えた。「鶏がおたがいにつつきあっているから鳴いているんだよ」

そうして夜になった。寝るとき、熊人は二人に先に布団に入るよう言った。熊人はお姉ちゃんを布団の内側、妹を布団の真ん中に寝かせて、自分は布団の手前に寝ることにしたんじゃ。

伏籠(ふせご)の挿絵
イラスト2 伏籠(ふせご)
筆者の村で使われている伏籠をもとに筆者が描いたものです。名前はチワン語(龍茗方言)で [tɕaːm213 kaj251](ザアン・カイ)と言い、竹で編んであります。

丑三つ時、二人がぐっすり寝静まったころ。熊人は見計らって、なんと妹を食べてしもうた。熊人が食べていると、妹の血が布団にどばっと流れて、布団がぐっしょり濡れてしまった。それでか、お姉ちゃんは目を覚ましてしまった。「おばあちゃん。どうして布団が濡れてるんだろう」

熊人はこう言った。「あんたの妹が布団におもらししてしまったんだよ」

熊人が骨をぼりぼりかじる音が聞こえる。「おばあちゃん、何食べてるの」

熊人はこう言った。「炒め豆を食べとるんじゃよ」

ふと、お姉ちゃんが妹を探してみると、妹が見つからない。お姉ちゃんは妹が食べられてしまったと知ってしまった。怖くなったお姉ちゃんは、どうにか逃げようと考えた。

そこでお姉ちゃんはウソを思い付いてこう言った。「おばあちゃん、おしっこ行きたい」

熊人はお姉ちゃんを厠に行かせた。そうするとお姉ちゃんは厠に行くふりをして、家からやっと逃げ出したんじゃ。

そうとは知らない熊人はお姉ちゃんを待っていたが、いつまでたっても、そろそろ夜明けというのに帰ってこない。そこで熊人は怖くなって山に逃げてしまったそうな。

朝になるとお父さんとお母さんが帰ってきた。お姉ちゃんは泣きながら、夜のことを話したんじゃ。それを聞いたお父さんとお母さんは、知恵を絞って、熊人を殺す作戦を思いついた。食べられてしまった妹の仇を討つことにしたんじゃ。すぐに玄関の前に大きな穴を掘った。穴の中には薪を燃やして、焼けた炭を穴の中に置いた。

また夜になった。お父さんとお母さんはお姉ちゃんをまたおばあさんの家まで行かせて、こう言わせた。「おばあちゃーん、おばあちゃーん。今日もあたしの家に来てよー。一緒に寝ようよ」。これを聞いた熊人は、また夜にやって来た。

お姉ちゃんは、灯りを消して、「おばあちゃーん、どうぞお入り」と言った。何も知らない熊人は戸を開けて入ってきた。その時じゃ、熊人は火の穴に転げ落ちてしまった。そうして焼け死んだそうな。


今回、連載初回にあたり、グリム童話で有名な「赤ずきんちゃん」や、日本の山姥伝説とストーリーがよく似ている「熊人」を取り上げた。この昔話は李方桂 (1940) 『龍州土語』 (国立中央研究院歴史語言研究所単刊甲種16、商務印書館、99-101頁)に収録された龍州方言のテキスト「人熊」(龍州方言で[tu˧ jaːu˩ vaːi˥˩]、英訳は"The Jaːu Vaːi")と、細部こそ異なれ、物語の粗筋はほぼ同じである。したがってこの昔話は龍茗鎮以外にも広く語られているものだと思われる。今回の「熊人」に限らず、昔話は人から人へと口伝で広がっていったため、粗筋は同じくしながらもチワン族の中でも地域差が見られ、細部にヴァリエーションが多くあることは断っておきたい。

この「熊人」の物語は、子供に家を任せて外出するような親や、夜半見知らぬ者を簡単に家に入れてしまう子供、日が暮れても遊びに出掛けるような子供への一種の教訓譚として機能してきた。筆者も幼い頃は「熊人」がいると信じていたし、他の村の子供たちもそうだった。日が暮れたら一人で遊びに出ないようにし、夜は静かに騒がないようにしたものだ。親も子供だけで留守番はさせなかった。

しかし、近年、若者や仕事盛りの者たちは出稼ぎに村の外に出ていってしまい、村の中は老人と幼い子供たちだけになりつつある。「育児放棄」も日常茶飯事だ。「熊人」は教訓譚としての機能を失くしてしまっているといえる。親子愛や家族愛は今昔不変のようだが、その形が目に見えるものでなくなってきているような気もする。今一度、村の若い親と子供たちに「熊人」に触れてもらい、そこから何かを感じ取ってもらいたい。

2019.2.10

 

(こう・かいへい/一橋大学大学院言語社会研究科 特別研究員)