機関誌『半文』

多摩川の食べられる仲間たち-明日を生き残る人文学徒に捧げる食料調達法-

井上 雄太

第12回「ナツミカン・フキノトウ・ヨモギ・ショカツサイ」

冬のコイは臭みも少なく脂がのってうまいそうだ。検索サイトに入力すれば、レシピが山程でてくる。一体どんな味がするものか。中流域の川魚を食べる文化を持たない筆者としては気になって仕方がない。釣魚券を入手し、前号で見つけたポイントへ足繁く通っているのだが、結果は今号タイトルからお察しいただきたい。そんなこんなで春は始まってしまった。

夏みかん。1月末。

1月終わり図書館からの帰り道、夏みかんが鈴なりになっているのを見かける。第7回でマーマレードに使ったものとは別の木だ。前は12月に取ったものだった。甘さにどの程度違いがあるのかと試してみる。酸味は強いがそのまま食べられない程ではない。 三つほど頂いて帰宅する。さて、これをすべてマーマレードというのも芸がない。何か他の使い道を考える。ナツミカンは酸味の強い柑橘だ。とすれば、柚子の変わりにもなりそうだ。というわけで、半分に割り果汁を絞り味を見る。ミカンだと思うから酸味を強く感じるわけで、苦味のある甘めのレモンや柚子の類と考えればそう悪くない。ならばと油と塩を混ぜてみれば、魚介と相性の良さそうなドレッシングに化けた。醤油と混ぜて寝かせておけば変わりポン酢、薄く剥いて刻んだ皮と味噌と混ぜればナツミカン味噌として使える。果汁をそのままジン等の蒸留酒と混ぜソーダで割ってやるのも爽やかだ。サイズがあるので、使い切るまで色々と試せるのが楽しい。余った皮はわたを取ってベランダで干して薬味に使うことにした。


鯉。

2月前半の日暮れ前、投げる餌に見向きもしないコイにしびれを切らし、釣り場を離れる。数キロ離れた下水処理場のあたりの方が釣り人も多く条件が良いのであろうが、食用を考えると支流で生活用水や農業用水に使われる小川の流れ込むこちらのポイントが好ましく見える。日はもう落ちかかっているところだが、手ぶらで帰るのも癪なので、支流の水路際へ足を向ける。スーパーにふきのとうが高値で出回り始めたところだ。そろそろ顔を出しているかもしれない。好物を食べて気を紛らわせよう。昨年のポイントに着いてみたが、それらしき蕾は見当たらない。地面を眺めながら歩きまわっても見つけることができたのは二つほど。まだ少し時期が早いか。この量では使うに困る。ここで採るのはやめておこう。

フキノトウ。2月頭。

思い立って水路の分岐の普段は行かない藪の先へ足を向ける。夏場に本流へ流れ込む水は枯れており、ゴロゴロと丸みのある石が転がる。水路沿いの家には、かつて野菜などを洗うのに使っていたのだろうか、木製の朽ちた台のようなものが見える。暫く進むと開けた小さな原っぱに出た。枯れた水路に目をやると底石の間に小さなフキの葉が見える。こんなところにもポイントがあったか。水路へ降り、近づいて行く。ちらほらと出る頭の尖った黄緑色の卵型。一つあればもう一つ、といった具合に次々にフキノトウが姿を表す。日当たりのせいだろうか。このあたりではすっかりシーズンのようだ。ちぎられた形跡のある茎もあり先客の存在を伺わせる。ぽいぽいとビニール袋に放り込む。石だらけのせいか、むき出しになった地下茎が地表に露出している。節くれだった地下茎のコブになったあたりからほとんど距離をおかず膨らむフキノトウの姿が直に見られるのはなかなか貴重な気がして嬉しくなってくる。さてこちらの支流、更に遡ると謎のパイプで行き止まりとなる。ここから先は暗渠なのだろう。夏に流れる水はどこから来るのだろうか。雑排水などが流れ込んでいると頻繁に食べた場合の影響が少し気になる。とはいえ役所にわざわざ聞きに行くのも時節柄気が引ける。後日あたりを散歩してみたところ、本流との分かれ目らしきものを確認することができた。水源は崖線の湧き水ということなので一安心である。


2月の終わり、ちょこちょこ釣り場に顔を出すものの依然コイはあがらず。見える魚は釣れない1とはよく言うが、パンか魚肉ソーセージを適当に放り込めば素人でもかかる暖かい時期の実家近所の濁りの強い都市河川とは勝手が違うことはいい加減分かってきた。日の落ちる前に切り上げ、見つければ確実に食卓に一品増える野草の方に目を向ける。竿をたたみ辺りをぶらつくと、程なくして前号でセイヨウカラシナをとった辺りに着く。このあたりのロゼットはだいぶ育っており、大きなものは肩幅くらいの直径にこんもりとしてきている。そんな中、細長い茎が目に入る。先には黄色い花びら。もう菜の花も始まるのか。ギザギザとしたカラシナのロゼットのなかに1本交じる葉の丸いセイヨウアブラナ。周囲に折られた茎の形跡もない。このポイントで今年最初の菜花だろう。周囲に菜花の黄色はまだ姿を現していない。一本ではおかずにしようもないが、目にしただけで変に満足してしまい、カラシナだけ摘んでポイントを離れる。カラシナは結局湯がく時間を短くしたところ、野沢菜と高菜の間のようなうっすら辛く酸味のある漬物にまとまった。豚バラと炒めるとビールが進む。


あぶらな。
ヨモギ。

3月目前、コイ釣りのお勉強は継続するとして、フキノトウばかりというのも寂しくなってきた。他に何を食べてみたものか。菜の花はまだ食卓に並べられる程は出ない。長らく敬遠していたヨモギとそろそろ向き合う時か。丁度新芽がそこここに出てきている。草餅もヨモギあんぱんも天ぷらもそれなりに食べるのだが、地面に生えた現物を見るといつも香りが強く手が伸びない。シュンギク、フキノトウ、タンポポ、ハルジオンとキク科の草は大概好きだというのに、不思議なものだ。小さな頃おひたしか何かで食べたのが良くなかったのか。あの頃苦手だったミョウガは今となっては夏場のそうめんに欠かせない。味覚が変わっているかもしれない。そう考えるとこのまま食べずじまいというのももったいないような気がしてくる。善は急げと摘み始める。10cmにも満たない小さなロゼット。指ですりつぶすと微かに例の香り。この時期は香りが柔らかいようだ。このくらいならいけそうだ。油と相性が良さそうだなとちまちま摘んでいく。

ショカツサイ。

袋がそろそろいっぱいになろうかという頃に、紫色の花が目に入る。縁がギザギザとした丸い葉とアブラナ科特有のつるりとした茎、ショカツサイだ。藪の向こうにもぽつぽつと紫色が見える。細い道をぬければ一面ショカツサイである。大学近くの私有地や公園の立ち入り禁止フェンスの向こうに桜のころによく見かけたが、自由にとれるポイントがようやく見つかった。他のポイントより随分早い。咲いた花は生のままでも甘くておやつに丁度いいが、調理に向くのは蕾の方だ。菜の花同様、湯がいてよし、炒めてよし、味噌汁の実にもよし、と万能選手だ。原産の中国では詰め物の具にもするそうだ。こちらはあっという間に袋いっぱいになった。

ヨモギのオムレツ。

さて摘んできたヨモギである。大きなボウルに水をはり、ヨモギを放す。適当に揺すって泥を落とし水を替える。2回も繰り返せばすっかり綺麗になった。採ってきてしまったのだ、今更逃げ場はない。こいつを何とか口にあうようにせねばならない。フライパンにバターを溶かし1株軽く炒めてみる。見た目はうまそうなキク科のソテーだ。何も怖いことはないはずだ。おそるおそる口に運ぶ。独特のクスリっぽさもふわっと香る程度に和らぐと心地よい。そのまま3株ほどバターで食べる。こいつは卵も合いそうだ。早速オムレツにする。ヨモギをさっと湯がいて刻み、卵と混ぜてフライパンに流し込む。かき混ぜながら奥に寄せてひっくり返す。オムレツは久しぶりで形が崩れたがまあいいだろう。色味も改良の余地ありだが、水気をよく絞るか湯がいたあとに軽く炒めるかで解決できそうだ。思い切って口に入れる。なんだうまいじゃないか。バター炒めより強く香るヨモギを卵のとろみがいい塩梅に包んでいる。もうヨモギは怖くない。

2021.4.10

第13回「ヤエザクラ・イタドリ・クワ・カンゾウ」

食事の彩りに花があると豊かな気分になる。昨年ミゾソバを吸い物にした際に強く感じた。とはいえ彩るだけではゴミが出るし、食べられるのであればなお嬉しい。手を出せずにいた桜の花だが、タケノコご飯にのせたらさぞかし気分が良いだろう。都合の良いことに桜餅は葉まで丸ごと頂く方で、あの香りは好物だ。多めに漬ければなにかと出番があるだろう。

ヤエザクラ カンザンの花
ヤエザクラ カンザンの葉
たけのこご飯サクラのせ

塩漬けにする桜の花はヤエザクラでないといけない。そこらに生えているソメイヨシノでは、香りがしないというのだ。とはいえ近場のヤエザクラは、花まで筆者の背が届かないものが多い。手の届きやすそうなものの近くにはたいてい花見客がおり、目の前で花柄をプチッとやるのは気が引ける。とはいえ咲き切るまえにはなんとかしたい。ぼんやりと考えつついつもと異なるルートで大学から帰っていた4月頭。いい案配にぽつんと八重桜が植わっている。こんなところにあったのか。車通りもなければ、花見の客もいない。だいぶ咲き始めている木だがふっくらとしたつぼみはまだまだある。鞄からポリ袋を取り出し、一つ二つと摘んでいく。濃いピンク色がなんとも愛らしい。取りすぎないよう、袋の底が軽くうまるくらいで帰路につく。早速塩に2, 3日漬けた後、数年前にもらった白梅酢で更に2, 3日漬け込む。軽く乾かし再び塩に漬ければでき上がり。たしかに色も良ければ味もよい。タケノコご飯にのせると色が締まってしっくりくる。しかし香りは明らかに梅のものだ。梅酢の香りが強すぎたか、桜の品種が違ったか。後述の観察会で聞いてみたところ、食用にするヤエザクラはカンザンという品種とのこと。見分け方は葉の先の方で、葉脈がギザギザと突き出していればそれとのことだ。人気が少ないポイントを教えてもらえたのもありがたい。ともあれ桜の品種は間違っていない。ならば漬け方かと新たに試してみたところ、茹でた葉を一緒に漬け込むと色は若干くすむがいかにもな香りのものができあがった。桜の香りはタケノコご飯と大変良く合う。白瓜なんかと一緒に漬けるのも良い。

イタドリ

数日の後、半年ぶりの野草の観察会がやってきた。酢味噌がうまいカンゾウの新芽に薬味にうまいカキドオシといったいつもの面々に加え、レタスの原種というアキノノゲシ1、サラダや魚の付け合せによいスイバの新芽と、初めて試す野草はまだまだ現れる。セリの同定もすっかり外さなくなったのが嬉しい。講師とつまみ食いしていると、他の参加者も乗ってくる。盛り上がったのがイタドリだ。そのままおやつにしていたとか、砂糖を絡めたとか、醤油で煮たとか、あれこれ出てくる。天ぷらにするのが好きという女性が詳しい手順をたいそう嬉しそうに語りだす。なるほどと頷いていると、揚げたものとの違いに驚くからまずは生で食べてみなさいとのこと。近場の赤い茎を取る。イタドリをかじるのは久しぶりだ。硬い筋にたっぷりの水気。朝を食べそこねてぼんやりした頭に酸味が効く。などと考えつつ、天ぷらにする分を袋に詰める。もっと食べれるよ、と女性が言うが、ほかにもなにが現れるかわからない。他に揚げるネタがあっても食べ切れそうな量になった所で袋をしまう。帰宅後、早速衣をつけて揚げてみる。生とは全くの別物だ。筋気がなくなりとろっとした食感に、少し落ち着いた酸味。天つゆよりも塩があう。二つ三つ別のネタを食べて口が油っこくなった後の口直しに抜群だ。暑さに弱く、天ぷらはちょっと揚げてはいくらか涼しい居間に運んで食べてというのを繰り返す筆者だが、夢中になってどの便にも入れてしまっていた。恥ずかしながら、野草の類なら天ぷらにしてしまえば何であろうとそれなりにうまかろうと高をくくっていたのだが、こいつは別格。末尾に詳細を記したので、是非試してほしい。

カンゾウ

5月は自由になる時間に限って天候に恵まれず、近所でクサイチゴを拾ったり、移動ルートに見つけたウメの実2の様子を監視したりしているうちに過ぎて行ってしまった。時間は過ぎて6月頭、隣町の肉屋の特売に向かう道。線路脇の植え込みにカンゾウが赤い花を咲かせているのを目にする。こんなに早く咲くものだったろうか。しかも普段見るものよりやたら大きい。最近整備された道だ。手入れされている園芸種かもしれない。手を出すのはやめておこう。帰宅後、近所のポイントを見てみれば、まだつぼみもついていない。日当たりの違いだろうか。数年前の野草会で茹でてマヨネーズをつけても炒めものにつかってもうまいと言っていた参加者の話を思い出す。去年は咲いた花を肉詰めにして食べたが、今年はつぼみもやってみたい。2, 3日に一度だらだら見ていたが、結局つぼみがついたのは6月後半になってのことだった。味は新芽同様あっさりとしているが、太さがある分調理に応用が効きやすいのが嬉しい。

クワの葉

カンゾウ参りの近所には、いくつかクワの木が植わっている。となれば、深夜のおやつはその実となるわけで、ときに多めにとったおみやが翌朝のシリアル3のおまけにもなったりもする。クワといえば、実だけでなく葉もなかなかにうまい。数年前にSNS経由で集まった拾い食いの人々の持ち寄り会で頂いた、肉味噌を若い桑の葉で巻いて焼いたものが香ばしく美味であったことを思い出す。これを自分でやってみたい。とはいえ筆者は手が弱く、よほど調子が良い時でないとひき肉を素手で扱うのは難しい。ならば、薄切り肉を巻いたらどうだろう。天ぷらにしてもうまいそうだし、粉をはたいて揚げ焼きにすれば外さないはずだ。新芽の時期は終わったが、いけるのではなかろうか。硬いようなら筋切りなりすればどうにかなるだろう。と試してみたら、悪くないつまみになった。見た目はシソ巻きだが、青臭さがなくとろりとして食いでがある。塩胡椒の後、柑橘を絞ってやると梅雨でも暑苦しくない出来栄えで、同居人にも好評の様子だ。揚げ焼きにすると筋も気にならず、もうしばらくは楽しめそうだ。

2021.8.10

第14回「特別編 さよなら多摩川」

急に多摩川沿いを離れることになった。そろそろ賃貸の更新月かと考えていたら、昔10年ばかり住んでいたあたりで今よりずいぶん手頃に部屋を貸りられる話が出てきたのだ。これを逃せば当分地元には戻れまい。4年ぶりに住処をかえることとした。

問題になるのが自転車だ。業者に頼むと1万では済まない。各地の採集ポイントへ付き合ってくれた10年もの。鉄製のため速度は出ないが多少の荷物ではぐらつかない頑丈な相棒だ。買い換えるにはまだ早い。漕いで運べば問題なかろう。そんなわけで嵩張る割に重さのない乾物の類をリュックサックに詰め込んで、新居へ向かう計画を立てることとした。4年前に池袋の自転車屋から修理上がりの相棒を引き取ってきた際には、青梅街道から五日市街道経由を経由してきた。これをそのまま戻るというのはおもしろくない。遠回りにはなるが多摩川沿いのサイクリングロードを下り、一度くらい河口を見た後で都心を目指そう。通るのはこれまで採取を行ってきた多摩川北岸、浮島町公園の対岸まで出れば海が見えるという目論見だ。アップダウンも少ない。地図サイトをざっと見て、大雑把にルートを決める。

対岸日野

10月終わりの昼下がり、遅めの朝食の後せっかくだからとついてきた同居人とともにまずは馴染みの土手を目指す。行きつけの直売所に立派な柿1が並んでいるのを見かけるが、前かごやリュックサックに入れても振動で傷んではもったいないと諦める。サイクリングロードに到着すると、グラウンドでサッカーに興じる人々が目に入る。先の対岸に見えるのが、新選組ゆかりの日野市である。ホームセンターばりの敷地面積の魚屋は近海魚が安く、メジナやらハダカイワシやら変わった魚を食べたいとき世話になった。万願寺近くの豆腐屋は割高であるが味がよく、湯豆腐をする時には足をのばしたことも思い出される。

中央道をくぐり石田大橋をすぎると府中市に入る。しばらく進むと新宿高野の工場だ。コロナ禍以前は菓子の直売もやっていたそうで、行き逃したままなのが惜しい。Amazonの集配所を超えたあたりで四谷という地名が目に入る。松の木のそばに立てられた由来の看板を見る限り四谷怪談の新宿四谷とは関係はなさそうだ。近くの水門では、子供がコイに餌をやっている。この辺のコイは人馴れしていて、近づくとすぐに寄ってくる。河原はだいぶ広さを増し、雑木林が広がるようになる。川の中から頭をだす流木にはサギやウがとまる姿もよく見られる。

コイ

府中市に入ったあたりからよく見えるようになる巨大なワイヤー吊りの橋は四谷橋だ。このところプレイしているブラウザゲームの背景画像にもその姿がよく現れる。験を担いでログインし、ちょうど無料期間のガチャ2を回す。めぼしい成果は得られなかったが、そんなものだ。気を取り直し対岸の聖蹟桜ヶ丘にも足を向ける。まだ行けていなかった洋菓子店があるのだ。キャラクターの絵が器用に描かれた記念日用ケーキの写真が並ぶ店内で、ピスタチオのケーキをいただく。一緒に頼んだ生姜のよく効いたジンジャーエールが甘くなった口にありがたい。

四谷橋

一息ついたところで、町中を少し進み少し下流の関戸橋から多摩川北岸に戻る。このあたりに来ると巨大な集配局と読売の工場、高層マンションと河川敷の沿いの町並みもだいぶ様変わりしてくる。本格的な装備でサイクリングを行う人の姿も増えてくる。是政渡しの石碑を読む頃には河川敷に巨大な公園が広がりだす。土手沿いには野鳥の密猟を禁じる看板が立っており、かつては何が捕られたのだろうと心がひかれる。郷土の森のお土産売り場の看板も気になるが、荷物を増やさないよう、見に行くのは諦める。

密猟禁止

長い親水公園沿いの土手を走ったところで調布市に入る。寄ってみたい喫茶店があるという同居人誘いで、一旦サイクリングロードを離れる。コロナ禍で閉店してしまった馴染みの直売所併設に併設されていた喫茶店の本店とのことで期待が強まる。水筒の補充ついでにコンビニに寄ると、地元のものらしきサトイモやゴボウが大袋に150円程度で並んでいる。大学近辺のスーパーで買ったら2倍はしそうだ。古い住宅街といった風情の地域だが、どこかに畑があるのだろう。そのまま北上を続けると、近藤勇生誕の地ののぼりが目につくようになる。やたら新選組に縁のある日だ。品川通りに寄り道し、目についた菓子屋でいくつかつまんだ後に、甲州街道に乗り換える。真っすぐ行けば新宿まで20kmもないのだが、河口を目指す道のりは長い。調布の集配局の白いポストをすぎると、多摩川支流の野川が見える。10年ほど昔に三鷹の上流の方で川遊びをした記憶があるが、このあたりでは川には入れなさそうだ。ほどなく件の喫茶店に到着。奮発して牛の煮込みをいただく。付け合せのサラダの味付けが非常に気に入り、店員に聞いてみるとドレッシングに玉ねぎとりんごのすりおろし3を使っているのだという。今はない支店の思い出話をしつつ店を出る頃にはすっかり日が傾いてしまっていた。

近藤勇

長い寄り道を終えて、再び多摩川沿いに戻ると狛江市に入っていた。暗さのせいか向こう岸の土手がずいぶん遠く感じる。そのまま走ると河川敷に自動車教習所が見えてくる。免許をとったことがないためか、緑がかった光に照らされる教習所はかなり異様に映る。そのまま東名高速を超えたあたりで、何やら散歩客が増えてくる。このあたりでは夜の散歩が人気なのだろうかなどと同居人と話していると、対岸で花火が上がり始めた。時折自宅の近くで音がするのは聞いていたが、実物を見るのは久しぶりだ。暫く自転車を止め、対岸を眺める。打ち終わる頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。標識によれば海まで残り19kmとのこと。

そのまま進んで行くと土手道は堤防の上から外側沿いに下り、堤防とともに町中に入る。駅前の土手には「たま川」の標識、二子玉川である。駅を過ぎた先の土手はかなり古く、立入禁止になっている。時折現れる土手の切れ目の向こうには住宅街が見える。川の流れからは少々離れてしまったようだ。堤防の両側に町が広がることを不思議に思い、信号待ちをしながら携帯端末をひらく。かつては川べりの景観を活かした料亭などが並んでおり、その外側に堤防をつくったためとのこと。いくらか進むと通りは再び土手の上に繋がる。ここから先は土手を車も走るようになる。明かりが多いのはありがたいがひやひやしながら先を進む。崖下のビルと一体化した浅間神社をすぎると東海道の脇街道である中原街道と丸子橋が現れる。藪で見えなくなっていた川面が目に入り非常に嬉しい。河川敷内の公園を通り、続くガス橋と二十一世紀桜之碑をすぎれば、河口は残り10kmだ。

二子玉川

東海道が多摩川にかかる辺りは、日本橋まで18kmとなるそうだ。このあたりでは大きな川の湾曲が二度続き、かなりの距離が行ったり来たりに費やされる。町中を通れば早かろうとも思うが、ぐっとこらえて川岸を進む。中洲に立つ細い鉄塔の明かりが気になる。残り5kmを過ぎたあたりでむっと潮の香りが漂い始める。ところどころ船が係留されるようになり、海はまもなくといった風情である。堤防の内側には干潟も現れ始める。河口付近でシジミが採取できるという話を聞いたことがあったが、この辺りぐらいからが生息域なのかもしれない。

船着き場

残り3km、2kmと足をすすめると大きな鳥居が見えてくる。調べるとかつてはこの辺りにお稲荷さんがあったようで、一般にここがサイクリングの終着点とされるらしい。とはいえ対岸はまだ埋立地。見たいのは海だ。すぐ側の空港を素通りしさらに先を目指す。1kmの標識も0kmの標識も現れない。40分ほど走ったところで、金属製のフェンスに阻まれた。後もう少しで海が見えそうなのだが、一般人の通行可能な脇道は見当たらない。あたりでしばらくしょぼくれた後、0kmの標識を探すことに切り替える。途中見かけた堤防の階段が目に入る。ここ1、2時間見かけなかったトイレがあるのが地味に嬉しい。自転車を置き階段を登り、内側のテラスに入る。強い潮の香りに低い波の音。同居人が海だ! とはしゃぎだす。すると、テラスの向こうの干潟でウェーダー4を着て長い釣り竿をもった3人組が目に入る。気分を良くした同居人が声をかけると、一晩中歩いて場所を変えながらスズキを狙っているらしい。釣り人でもない2人組に声をかけられたからか奇妙なものを見るような目をされつつ、辺りをうろつく。23時すぎ、ついに堤防に埋め込まれた丸い金属、0kmの標識を見つける。かつてはここが河口だったのだろう。ひとしきり辺りを見回し満足を得る。酒があったら思わず飲んでしまったに違いない。

0km地点

ひとまずここで多摩川とはお別れ5である。

気がつけば目についた緑の2、3割に名前や食用の可否がひもづけらるれようになってきている。食べられる仲間を追うこの3年半、現地で出会うおしゃべりな同類たちにずいぶん助けられた。見ず知らずの相手と道をたずねる以外に言葉を交わすことは、必ずしもお互い不可能な行いではないようだ。

新天地の仲間たちに、乞うご期待。

2022.4.15

 

(いのうえ・ゆうた/一橋大学大学院言語社会研究科)