機関誌『半文』

文亡ヴェスペル 日常系ミステリ-人文学バトルマンガAURORAのためのプレヒストリー・スクリプト-

折場 不仁

*登場する人物・機関・組織等は、実在のものとは何ら関係ありません

第1回 発端

連休が明けて6月も近くなれば、首都郊外はもう真夏並みの暑さだ。つややかな新緑を満載したキャンパスは陽光に照り輝いて、時計台を見上げるにも思わず目を細めずにはいられないほどまぶしい。

「来月にはもう生まれちゃうんだよね」一箸大学図書館員の小笹太一(おざさ・たいち)はスポーツ刈りの額をせわしなくタオルで拭いながら言った。「まだずっと先のことだと思ってたのに、焦るのなんの」

「いよいよパパになるんですね」沢渡歩夢(さわたり・あゆむ)は言いながら先輩の歩調に合わせて足を速めた。花壇の上を白い蝶々がひらひら舞うのを、ツマグロシロチョウだなと目の隅で見ながら、「初めての子育てしながら博士論文ですか、大変だろうなあ」としみじみ嘆声しつつ、その実それがどんなに大変なことだか実感としてわかるわけではないのだが、それでもこの風変りな友人の生が今を盛りに充実して、小太りの体からエネルギーがぎんぎら発散しているのを感じるのである。

「うん、だからこそがんばる。公民館の仕事もあるしね。〈くにまち文教マッピング〉は続けるんでしょう? 秋までにその勉強もしなくちゃ。きみも修論で大変だろうけど、よろしくたのむよ」

〈くにまち文教マッピング〉とは、沢渡の所属する研究科と匡坊(くにまち)市公民館とが連携してこの年明けから新しく始めた共同講座である。まがりなりにも総合大学を称する学府を中央に擁するせいなのかどうか極めて文教意識の高い匡坊市に散在する無数の教養スポットと、大学の学習カリキュラムとの間にある種の連動を構築して、新時代の文教都市構想をぶち上げようという相当に長期的かつ大風呂敷な企画なのだが、とりあえずは小笹をはじめ数名のポスドク及び大学院生が、同じく数名の有志市民と協力して地味にデータを集めるところからようやく始まったばかりだ。都市論(のようなもの)を専攻する沢渡はさっそくこれに巻き込まれて、今日も市中を自転車で走りまわって要所々々の写真を撮り集めてきた帰りなのだが、本来記録するべき「〇〇教室」や「〇〇カフェ」、ホール、ギャラリー、碁会所などよりも、専門柄ついつい地形や道路や水道局などに目が行ってしまうので、我ながら「文教マッピング」なるものの意義を今ひとつ掴めていないのだなと常々思いつつ、そのうち何か見えてくるものもあろうかと、精力的な小笹に引っ張られるようにして企画につきあっている沢渡である。

「街の教養スポットの分類に、こんど図書館分類を当てはめてみようかと思ってるんだよね」いや増しに早口で小笹は語り続けていた。「図書館分類って実はすごくいろいろ問題があってさ、日ごろから革新を思うところがね、それを今度のマッピングでちょっと試してみたいんだよ、一冊の本を複数の項目に分類したりとかね、そういうの実物の本では無理だけど、図書館だってもうひたすら電子化の時代に向かってるわけだから」

「でも博論はルネサンス美術史なんでしょう? そんなことやってて大丈夫なんですか」

「そうだけどさ」小笹は、パッと花が咲いたように笑う人だ。「何かやれる機会があるなら、そのときにやらないとね。そうそう、田宮先生のメディア史講義にもゲスト参加することになったよ」

「え、田宮先生帰ってくるの? 今どこにいるの?」思わず聞き返した沢渡の、田宮は指導教員であり、〈マッピング〉企画の発案者である。公民館講座だの研究科のHPづくりだの、さまざまな楽しくも面倒な仕事をふんだんに学生に押しつけて、すまないねえと言いながらさしてすまなそうでもなくしばしば消える。せめて夏からは少しは修士論文の指導とかしてもらいたいものだ、と沢渡は心の中で嘆息した。このぶんだと〈マッピング〉も相当自分の肩にかかってきそうだし――

「大丈夫、僕やると言ったことはちゃんとやるよ」小笹は心を読んだように優しく励ました。「そやって自分を追い込むことで、がんばれるからさ」活発に手を振って時計台下の図書館の闇へ消えてゆく。一人になった沢渡は、気をとりなおしてゼミの夏合宿の手配のために事務棟へ向かって引き返した。白い蝶々がそこここにひらめいているが、何となく飛翔が弱々しい――それにツマグロシロチョウばかりだ、と考える。ほんとのモンシロチョウは最近めったに見かけない。

合宿所の手配を済ませた後、所属するGenSHA研究棟へ5日ぶりに赴くと、エレベーター前の研究科掲示板に「訃報」の貼紙が出ているのが目についた。研究科長の福富吉郎(ふくとみ・よしお)教授が先週の金曜に急逝したよしである。その報知と、簡潔な哀悼の言葉が黒枠のA3用紙にそっけなく刷られて貼り出されていた。デザインも何もないな、と咄嗟に考えながら、同時に、あの福富先生が――と沢渡は、去年出席した東洋哲学講義での福富教授の寛活なたたずまいを思い出して、意想外のかなしみを覚えた。先生のことはそれほどよく知っていたわけではない、ただ、公民館連携企画にも深い理解を持ってくれていると聞いていたのと、ちょっと講義に出てその悠揚迫らぬ声音にしばし接したことがあるだけだ。度量広い器量人であることと人文学者であることを兼ね得ている人というものがあるとしたらそれはこういう人なのだろう、こういう人が昔はいっぱいいたのかもしれない、とおぼろげに思ったことを覚えている。体調が思わしくないとはきいていたが、来年には定年を迎えるはずだったとはいえ、現代ではまだそれほど高齢とは言えないのに長老の風格があった、そういう人が亡くなっても、あるいは全然別の、まるっきり人間ができていないようなダラシのない身勝手な若手教員が亡くなっても、きっと同様にデザイン性のないぶっきらぼうな貼紙がなされるのだろう、それはそうでなくてはならないのだろう、香典袋に入れる千円札が新札であってはならないように、訃報の貼紙も周到なデザイン性などあってはいけないのだろう――そんなことをとりとめなく考えながらエレベーターに乗り込むうちに、何か、この上なく豊かな祝福に満ちた福富の名前とともに、人文学とか、学問、大学、そういう領域のものごとにおいて密かにひとつの時代の最後の芳醇な名残が滅びたのかもしれないという思いが根拠なく湧き出てくるのを感じて、沢渡はみずから訝しんだが、それ以上深く考える暇がないままにエレベーターは早々に4階に着いてしまった。

田宮の研究室のドアを一応ノックして、べつに答えも待たずに入る。田宮の留守中、ゼミの学生たちは鍵を預かり、彼の個人研究室を勝手にゼミ室・集会室として使っていいことになっていた。本棚が林立した奥のテーブルに今日は2人の学生がいて、これもいつものように勝手に淹れたとおぼしきお茶をすすりながら所在なげに座っている。

「あー、サワタリさんこんにちはー」とのどかな声で迎えたのは同期の人吉由摩(ひとよし・ゆま)である。飾り気のない黒髪のおかっぱ頭と大きな黒い瞳は常のごとく屈託なさげで、いつもの実家土産とおぼしき九州銘菓「フランチェスカ」がテーブルに広げられてあったが、華やかな包装紙も今日はいくぶん沈鬱に鎮もって見える。奥に座っている薄い無精ひげの男性は、挨拶がわりにコクリとうなずいてよこした。

「あ、森川さん」物思いからさめた沢渡は、人吉に目で会釈しながら思わず先輩のほうに語りかけた。「いま、下で見ましたよ。大変なことになりましたね」

無口な森川一己(もりかわ・かずみ)は福富ゼミの博士課程に所属している――いた、というべきか、去年の講義で沢渡と仲良くなってからしばしば田宮研究室に遊びに来るようになった。来ても大抵はただじっと座ってにこやかにお茶をすすりながら駘蕩と煙草をくゆらしているだけなのだが。今もそうして森川は、答えるかわりに再度かるくうなずいて、何も言わずに隣席の荷物をどかした。研究室には年々本棚が増えて椅子が減り、座れる席はいま4つしかない。沢渡はありがたく腰を下ろしながら、やや気づまりな沈黙に耐えきれず、「これで、あの、ついに煙草吸えるのここだけになっちゃいましたね」――我ながら不謹慎なことを口走る。

「それもいつまでのことやらね」うっすら微笑んで森川が口をきいた。「長いことはないとは聞いていたんだ。心臓が悪かったらしいから」福富のことである。「だから驚きはしなかったけどね」

「心臓発作なんですか」と沢渡、「金曜日って書いてありましたけど、ぼくぜんぜん知らなかった、もう5日も経ってるんですね」

「訃報メールが全学生に回ってたよ、見なかった? ぼくらはゼミメールが早々に回ってきて、通夜にも行ったけど、葬儀は家族葬だってね。昨日かな、もう済んだはずだ」

「あっという間なんですね」夏だからだろうか、と沢渡はまたしても不謹慎なことを考えた。さっき見たシロチョウのどれかが先生の魂だったりするんだろうか。もし本物のモンシロが混ざっていたらそれが先生なんだろうか?

「キャンパスを歩いてるだけだと何の変わりもないみたいですよねー、今日なんかすごくお天気いいし、それが返って、なんというか――」人吉は九州での学部時代にも恩師をひとり亡くしている。「こんどの秋学期にはやっと講義とってお話聴けると思ってたのになっていうか――」

「金曜の午後に久しぶりに個人面談してもらう予定だったんだけどね」森川はぽつぽつと、それでもいつになくよく喋るようだ。「学校来てみたら、それで。なんでもイーリンが発見したらしいよ」

「え、イーリンさんが? 発見って、ここで倒れられたんですか」沢渡はまた現実に引き戻された。「てっきりご自宅かと」

「朝いちばんに、科長室でみつかったらしい。まだ暖かかったって」

「なんでまたイーリンさんが。そりゃまあ最近あの人は科長の個人秘書みたいなもんだけど――」

活発なノックの音がしたと思うと、くだんのイーリンが何やらディスクの山を抱えて、ドアを蹴り開けるようにして入ってきた。その足元は9インチヒール。林依玲(リン・イーリン)なる中国の、留学生であることはわかっているがいつから在籍しているのか誰もよく知らないところの博士留学生である。中国語と日本語と韓国語と台湾語と英語となぜかイタリア語ができて、RA(リサーチ・アシスタント)として教授連から重宝がられている。今日はさすがに地味なダークグレーのスーツ姿で化粧も控えめ、ヒールも黒革だがよく見るとそのヒールの裏が深紅である(イタリア製に違いないと沢渡は思った)。「ちょっと悪いそこどけて、そこ!」テーブルの上の「フランチェスカ」の箱を脇に避けさせて、ディスクケースをがちゃがちゃと積む。

「何ですか、そのディスクの山?」

「ん、ちょっとね。科長のさ」

早くも科長室の片づけが始まっているのだろうか、だとしたらずいぶん冷淡なことのように沢渡には思えたが、イーリンの様子にはいつになく秘密めかしいものがあって、目の前に積まれたディスクの山にひどく興味を惹かれながらもそれ以上に問いただすのは何となくはばかられた。かわりに「あの、きくところによれば――」と言いかけた沢渡の先回りをするように、

「うん、みつけたよ、私がね」あっさりとイーリンは言って、伏目のままでいることのエクスキューズでもあるかのように忙しく手を動かしてディスクの山を整理しながら、「朝、ちょっと用があって行ったらね。ドアは開いてるけどお返事がないからいつもみたいに適当に入ってね、したら床にね」あくまでも快活な口調を保ちながら、「でもあれ、他殺かもって言ってたよ」

2018.4.18

第2回 桜、鶴、紅葉

ところで一箸大学というのは、戦後に現在の匡坊市へ移転する前は都心の噛田(かんだ)地区にあって、前身たる商業学校が立地していた一箸(ひとつばし)という、今はなき由緒ある地名がその名の由来である。この地名についてははるか平安時代の在原業平作ともいわれる『院生物語』の一本に記載があり、「むかし男」が友人と二人連れで旅中この地で一休みして昼餉をとろうとしたところ、うっかりして「箸の一具(そろひ)よりなければ、二人して一もとづつ持ちあひて食ひければ、ひとつばしとぞ言ふなる」とある。ただし地名の由来としてこれが真説であるかどうかは大いに疑わしく、別の一本1では「(川を)わたるべき道のそれよりなければなむ、ひとつばしと言ひける」という簡潔な記述となっていて、『院生物語』の鎌倉時代の校訂者藤原定家2はこちらを正本と認めており、それが「一箸」は元々は「一橋」であったという地誌学上の主張の強い論拠となってもいるのだが、こちらの本には続いて次のような美しい一節があって、定家卿による高評価はもっぱらこの一節とそれに付随する歌があることに拠っているのであって地誌上の事実とは何ら関わりがないという反論を一方で呼んでもいる。すなわち、

その橋のほとりに、痩せ枯れたる桜いとおもしろく咲きたり。見る人もなきに、はらはらと散りかけたるを、「ひとつばしという五文字を句の上に据ゑて、花の心をよめ」といひければ、よめる、

人のあらば問はまし風のつらきにも花のこころやしづかなるらむ

「一橋」「一箸」いずれが正しいにせよ、現在一箸大学の学生が自らを「ハシ生」と称するときには、一膳の箸を二人で一本ずつ分けて使うような「さるほどの知恵」3の持ち主、もしくは冷たい風の中でしなやかに毅然と立つ痩桜、としての気恥ずかしげな自負と自嘲とを込めて言うのが通例であるようだ。

「実際のところ、一度で跳び越えられない峡谷を二回に分けて跳ぶっていうのも、単なるナンセンスなギャグとは限らないという説もありますからね。因幡の白兎じゃないけど、大きな鷲をだまして谷の真ん中に飛ばしておいて、それを踏んで渡るんだとか聞けば、猿知恵もなかなかに馬鹿にならない」

民俗学の和久(わく)教授は今日も次々とのどかな小話を繰り出していた。主のいなくなった科長室に研究科の主だった運営メンバー3名が集まって、鳩首して善後策を打ち合わせているのだが、もともと全部で専任教員が16人しかいなかった小所帯だから、何かで一人海外へ短期出張などするだけでも相当におおごとなのに、科長が突然いなくなったとなれば教授連といえども慌てふためかざるをえず、となれば却って腰を落ち着けて、心頭滅却した光のどけき平常心をもって事に当たる他はないのである。

「猿知恵だって出りゃいいけれどもね」と西洋文献学の城崎(きのさき)教授、「ポストの一つよりなければ、二人して持ちあひて採られけり、ってな具合にいくかねえ。単純計算なら、教授ひとり採用するコストで若手の特任助教を二人くらいは採用できるはずなんだけども」

「それだって採用させてくれるかどうか大いに怪しいですね。そうでなくたってこの数年で5人も減ってるのにひとりも後任を採らせてもらえてないんだから、いままたひとり減ったからって急にはね」一箸大学がもともと「社会科学の総合大学」を謳っている関係上、人文研究科のGenSHAは何かと肩身が狭く、別にことさら苛められているわけではないにせよどうしても諸事後回しにされ、元来が小規模なだけに今や相当な窮乏状態に陥っていた。まともな大学院としての体裁を保ち続けていけるかどうか、ここ数年が正念場だと言われている。「これで15人ですから、ちょうど十五少年漂流記4ですね、考えようによっては新世界開拓のチャンスかもしれない」

「和久さんはオプティミストだからなあ。同じ十五少年漂流でも、今はもうヴェルヌ5の時代じゃないでしょう、『蠅の王』6みたいな悲惨なバトルロワイヤル・パターンにはまっちゃったらどうするんです」とこちらは英文学史の真弓(まゆみ)教授のペシミスティックな発言である。

「まあーそこはそれこそ、新科長の采配にかかってくるところじゃないかなあ」と城崎、「だからこそここは真弓くんに奮発してもらうしかないんですよ」

「うーん」真弓がうなった。現在、副科長の真弓がよんどころなく臨時に科長代行を務めているのだが、いずれにせよ近々に新しい科長を正式に選出しなくてはならない。「それは……やらなきゃならないんでしょうねえ……やらないわけにはいかないですよねえ……」

真弓が「やらないわけにはいかないですね」と言うとき、それは「本当は絶対にやりたくないのですが」という意味であるということを知らない同僚はいない。フランス現代思想専門の逸瀬(はやせ)准教授が先ごろ何かの学術機関誌のエッセイで、真弓のこの「身ぶり」のディシプリンについて、アガンベンの『バートルビー』7との比較においていささか論じたことがあるほどである。すがるような目をして真弓は続けた、「和久さんにもう一度登板していただくわけには、きっといかないんでしょうねえ……」

「今年で定年ですから、さすがにそれは無理でしょう」和久はかつて福富科長の前に3期も科長を務めていた、GenSHA研のいまや隋一の事情通にして最長老だが、どんな若手に対しても慇懃なデスマス調を崩さず、時に毒を吐いてもその毒がそのまま会議の潤滑油になる類の稀有の人として今なお揺るがぬ人望がある。「仮に私がなったとしても、どのみち11月にはまた選挙をしなくちゃなりませんよ。それに私なんかはもうロートルで、本来福富さんより先に棺桶に片足突っ込んでたような身なんですから、思いきって早々に世代交代へ踏み出すべきですよ」

「棺桶というか、死人の箱には15人8、もう全員入ってる気がしますけど」と真弓、「でも、しょうがないんでしょうねえ……」

「和久さんとか、僕とか、あと斉木(さいき)くんあたりが今後5年くらいの間に順次定年になったあと、真弓さんまでしばらく間があるよね、あとはだいぶ若い世代で。そのときに訪れるであろう若返ったGenSHAの新時代を今から少しずつ準備していくのがたぶん大事なことで、そこを引っ張っていけるのは、つまり真弓くんなんだよ」風格とキャリアからいけば城崎が科長でもよさそうなものなのだが、数年前に軽い脳梗塞をやってから躁鬱の波が劇化しているため、大事をとって脇押さえの役に回っている。今日は比較的調子のよい日のようだ。「大変ではあろうけれども、みんなできる限りの協力はすると思いますよ、世帯が小さいだけに団結力だけはうちの取柄だから」

「だけ、ってこともないでしょうし、実際のところそれほど一致団結してるわけでもないでしょうけどね」和久が笑う。「小世帯をどう活かしていくか、これもいつもの話ですけど、方向性はふたつあって、ひとつは、あくまでも初志貫徹してとことん学際性を追求する。もうひとつは、守備範囲をぐっと絞り込んでいく。どっちがいいやら、私は個人的には前者に惹かれるけれども、実際には難しいでしょうね」

「単科でない人文学総合の研究科としては、専任15人というのは全国最小規模だそうですよ」城崎はそういう細かいデータをむやみによく把握している人である。「東大やなんかなら、英文だの独文だのって単科でさえ数人はいるからねえ。たった15人で人文学の全分野を網羅しようなんて土台無理な話で」言いながらケケケケと笑い、首を8の字に振り立てる。

「とはいえ22人で始めたときにはその野望を抱いていたわけですからねえ。22人と15人でそれほど本質的に違うとも思えない」

「じゃあ何人になったら量が質に転化しますかね」

「そうですねえ、少なくとも一桁になったら、そりゃ、ケタ違いなことになりますね」

「9人でサッカーをやるというやつですね」

「バレーボールなら大丈夫じゃないですかね」

「それなら6人でもいいですよね。というか卓球ならひとりでもできるよな」

「碁とかもね。ええ、だからそれぞれが碁をやったり卓球やったりレスリングやったりいろいろすればいいじゃありませんか、もともと人文学なんて誰もが個人プレーなんだから、15人いてそれぞれがめいめい競技をひとつとりしきれば、それでオリンピックがやれる」

「やれば意義があるってもんでもないけどねえ、あくまでも精神としてはそうだねえ。そもそもGenSHAって名称がね、General Sciences on Humanities and Arts(総合人文芸術科学)なんて、大きく出たもんだね」

「よく文科省が通したもんですよね」

「創立のとき、だって和久さんもういたんでしょ」

「ええ私は、いくらなんでももう少しこう地味なほうがいいような気もしてたんだけれども、人文社会とか、言語社会とかね、でも何といっても浅利さんの鶴の一声みたいなところが……」

「あー浅利さんはねー、だって入試の論文題に例の「「地球の自転の音は聞こえねえ」9という文について思うところを述べよ」ってやった人だもんねえ」

「その問題を選んだ受験生が誰もいなかったっていうやつでしょう」

「僕だったら飛びつく問題だけどなあ。飛びついて盛大に破綻する様子を見たいんだろ、だってあれさ。入試で人間力を見る10とかなんとかいうならせめてああいう問題を出さんとねえ。そういう破天荒なところが少しでも残らないと、GenSHA存続の意味って何だろうってことにはなっちゃうよねえ」

とりとめなく延々とどこまでも続く和久と城崎の会話を、真弓はじっと黙って遠く聞いていた。今週中には学会に提出する予定の、ジョン・ダン11とその周辺における17世紀英国形而上詩12の流通形態とコミュニティ形成作用についての論文を一刻も早くまとめなければならないのだが、そうしたテーマと、今目の前で交わされている会話、ひいては研究科の現状、自らがまさに負わされようとしている責任等々が絡みあった目下の状況とをどうもなかなか接続できず、それを我ながらもどかしく思うのだった。「地球の自転の音」云々に関しては、形而上詩的観点からいくらも考察のしようがあるように思ったが、それで科長の責務が務まるわけのものでもないだろう。余人を以て替えがたかった福富科長今はなく、さらに数年後には目の前のこの野放図な人たちもいなくなったあとの残され島をいかに構想していったらよいのか、今は誰もが天地晦冥の中にあるとはいえ、ともあれ一歩一歩、業平のごとく花のごとく心しずかにさまよい歩いていく他はないのだ。

近々の人事構想委員会のスケジュールと議題をまとめ終わって3名は解散し、向いの事務室に寄った真弓は、受付カウンターで一人の学生が何か書類に印鑑を押しているのを見た。自分の授業に来たことはほとんどないが事務室でよく見かける物静かな学生である。夏でもいつも飾り気のないよれよれの薄手のコートを着ていて、それがちょっと医者か化学者の汚れた白衣のように見える。書類提出が済むと、

「あの、それと、鍵を……」

「はいはーい、いつものやつね」と明るく答えて、あたかもキープボトルのように小さな鍵束をとりだしてカウンター上を滑らしてよこすのは、教務担当のモミジさんである。規則に厳しいが至って学生思いのグラマラスなモミジさんは、下の名を紅子さんといい、以前は秋葉さんという苗字だったのが先ごろ再婚して山鹿紅子さんとなり、一連の名称連想13から誰言うともなくモミジさんと呼ばれるに至ったのである(紅葉のママさんなどと呼ぶ者もいる)。「はい、開発室の鍵。また夜中まで?」「はい」「じゃ、いつものようにボックスに返しといてね。ちゃんとごはん食べるのよ」「はい」

2018.6.10

第3回 犬の名前

事務長にちょっとした伝言をした後で教員郵便ボックスを覗き、溜まっていた各種通知書類や出版社からの見本刷、同僚からの献呈本などを一抱え取り出して真弓が事務室を出ると、一足先に出てドア脇の掲示板を眺めていたらしいさきほどの学生と鉢合わせになった。互いに軽く会釈をする。先に立って廊下を歩きながら、何となく背後の学生が気になった真弓は、勇を鼓して話しかけてみることにした。確かそういえば広報担当のRA(リサーチ・アシスタント)の子なのである。振り返って、

「あの、石山くん、だよね?」

「あ……はい」

学生に話しかけるのにいちいち勇気を奮い起こさねばならないというのも妙なものだが、たまに、妙に緊張を覚える相手というのがある。長身の真弓はたいてい誰に対しても若干見下ろす態勢になるので、それが却って気遣われるのが我ながらわずらわしいと思うことがあるのだが、例によってわずかばかり見下ろしている今の相手は、こころもち背を丸めぎみとはいえことさら小柄というわけでもなく、伏目がちの目がやや青みがかった不思議な色彩をしていて若干目を合わせにくい心地はするものの、べつだん何か壊滅的雰囲気を発散しているという類の学生(たまにそういう子がいたりするのだ)ではないから、どちらかといえば緊張の理由は真弓自身の今の精神的動揺に由来するのだろうなどと思いながら、

「きみ確か、このとこ研究科のHPのリニューアルを担当してくれてる人ですよね? あれとっても素晴らしいですよね、デザインから何から斬新で、ね。全部、一から作ってるんだって、ね?」

「あ、いえ……はい」

歩みを止めることなく半ば振り向きながら話すうちに上り階段にさしかかり、後ろに続く相手の旋毛ばかり見えていっそう目が合わせづらくなるのをあえて意に介さぬように努めながら真弓は続けた、「そのう、それで、こんど英語版のほうを整えてくれって田宮くんから頼まれてるんだけど、何か聞いてる?」

「あ、はい。えと、今のところ、田宮先生からの連絡待ちで……たぶん夏以降、とか」

「うん。僕のほうで英文テクストを手配して、順次きみに渡すというのでいいのかな。担当のRAって、あのう、きみのこと、でいいんだよね?」

こんなことで果たして全学生に責任を持つ科長が務まるだろうかと真弓はますます不安になった。RAなのだから博士課程の子のはずである。専門は何だっただろう、確かエルンスト・ブロッホ1――いやルカーチ2だったか?

「はいあの、じゃ今アドレスをお伝えしたほうがいいでしょうか……」

「あ、いや、わかるから大丈夫。こんど改めて連絡します。大変なお仕事を任せてしまっているんだねえ」と言っているうちに階段を登り切って4階の廊下を歩む。「きみも4階?」「はい」真弓の研究室は田宮のそれを越えてさらにずっと奥にある。田宮研究室の前まで来ると、閉ったドアの向こうから、いつものように学生たちが何やら歓談しているらしき声がつぶつぶと聞こえてくる。石山は立ちどまり、ノックしようかどうしようかといっとき迷う様子だったが、結局やめることにしたらしく踵を返そうとするのを見て、真弓も「じゃあまた」といって別れ、自分の研究室へ向かった。ドアに鍵を差し込んで回すうちに、階の対角線上の奥のどこかの鍵がカチャンと開き、ドアが開いて閉まる音がする。「開発室」か、と真弓は考えた――あのあたりにはAV機材をフィーチャーした教室が3つあるだけのはずで、そのうちのどれかが最近「開発室」として用いられているという話はきいている。3つの視聴覚室はそれぞれ音楽・美術・映像系の授業にもっぱら使われているというから、映画・演劇論の斉木とメディア史の田宮がかわるがわる使っているという第三視聴覚室がおそらく「開発室」なのだろう、そこで研究科のHP以外に何が「開発」されているのか、実のところ自分はこれまで関心を持ったことがなかったし、そもそも視聴覚室にほとんど縁のない自分はそこに足を踏み入れたこともなく、室内がどんな様子になっているのかもおよそ知らないのだと今更ながら気づいて真弓は愕然とした。こんな小さな、専任どうし互いに仲の良いこと無類とも言える親密な研究科でさえ、互いが互いのやっていることをろくに知らないのは、言ってみれば「個人プレー」をモットーとする人文学者というものの常の生態であるうえに、昨今は授業や研究以外のことどもに押しつぶされそうなほど忙しいがために、自分と自分の分野に直接関わること以外のものごとにはどうしても目をつぶりがちになるのは何も自分だけではない。それでも今後は立場上、いろいろな周辺状況、時としてそれこそわずらわしい多くのことどもにも少しずつ注意を向けていかねばならなくなるのだろう。手始めに英語版HP作成に関して、ただテクストを作るだけではなくもう少しトータルにコミットしてみるのもいいかもしれない。畢竟自分がいま探究しようとしているのも、17世紀英国におけるSNSすなわちソーシャル・ネットワークの(サービスというのは当たらずとも)システムというべき何事かには違いないのだ。後で――論文を書き終えて少し暇になったら――改めて研究科HPの現状を自分の目でよく確かめてみよう……

他方、田宮研究室では以下のような会話が続いていた。

「他殺?」森川がきく、「言ってたって、誰が?」

「誰って、タミヤがさ」呼び捨てはイーリンである。「正確には、「他殺だ」って言ったんじゃなくて、「ヤラレタかも」って。「やっぱりやられちゃったか」だったかな、そんな感じのこと。実はこういうものがあってね」と言いながらポーチの中から大事そうに取り出したのは、小さく折りたたんだ一枚の紙である。普通のB5用紙のプリントアウトの半分くらいの大きさに見える。「これ。科長が握ってた。みつけたときに」皺々になっているのを伸ばしながらそっと広げる。

「科長が握ってた? 持ってきちゃったわけ、黙って?」

「ん、だって見つけたときはタサツとか夢にも思わないし、普通にご病気で倒れたんだと思って、見たら小さい紙で大事そうに持ってるから、病院に運んだりしてる間になくなっちゃうといけないと思ってさ、ポケットに入れて、そのまま2、3日忘れてたんだよ。お通夜の後で思い出して見てみたらこんなので、それでPterpe3でとりあえずタミヤに見せたら、やっぱりヤラレタかみたいなことで――何だと思う、これ? 一見、普通のHTML4コードに似てるけど」

机の上が一杯なので両手でイーリンが掲げてみせるB5半分の紙を皆で覗きこむ。

script(src="../script/bb-change.js")
 aside:after {
	content: url("../images/ninbun.png");
	opacity: 0.5;
	position: relative;
}
 aside
	p.ninbun
		img(src="../images/ninbun.png" width="400" alt="にんぶん")

「うーん、これだけじゃ何もわからないですねー」おかっぱ頭をかしげながら人吉が言った。映像メディア系でいくぶん理系がかった人吉はこうしたことにもわりと詳しい。「HTMLにしては囲みタグがないし、書き方もちょっと違うなー。パッと見た限りでは、サイトに画像を貼るコードみたいですけど、①とか②とかは普通コードでは使えない文字ですし、どっちも指定してる画像は同じで、①と②とで貼る位置もほぼ同じだから、選べってことですかねー。でも行数あるしなー……」

「画像ってどんな? 何のサイト?」訊ねるのは、HTMLなるものに関して目に一丁字ない森川である。

「それはわかんないです、画像をどこに貼るかをだいたい、というか相対的に指定する部分だけで、どんなページのどこにっていう具体的な詳しいことはぜんぜん。なんか、半透明らしいってことしか……この……にんぶん、って何でしょうねー」

「その、それだけ平仮名で書いてあるやつ、それが画像の名前?」

「じゃなくって、ファイル名はアルファベットのほうで、平仮名のほうはいわばニックネーム的なものっていうか何というか」

「じんぶん、の間違いとかじゃないよね? 「人文」って書いて「にんぶん」とも読めるけど」

「えーわかんないですよー、そうかなー。画像見ればわかるかもしんないけど」

「検索はしてみた、一応」とイーリン、「でも何もそれらしいものは出てこなかったよ。公開されてないのかも。「にんぶん」も検索してみたけどね、「せきにんぶんたん」とか「さんにんぶん」とかしか出てこなかったなー。どっちみち断片だから、普通に考えたら、サイトのコードにこれを加えなさい的な指示を誰かに貰ったとかそういうのかなと思って、だったら逆に、サイト全体のコードが入ってるファイルフォルダがどっかにみつかれば、これの位置づけもわかるはずだなと」

「あ、それでこのディスクの山なの、イーリン、それを探そうという?」

「ん、まあ、それもあるけど……」

「そもそも福富先生が書いたのかどうかもわかりませんよね、これ」と沢渡、「コードとかお詳しかったんですか、わりと意外な感じするけど」

「うん、それなりには、たぶん。一時は自分で研究会サイト作ったりもしてらしたみたいだし。でもそんなに習熟してたわけじゃないと思う」

「この色分けは何なの、何か意味があるの?」

「いやー、色は普通は単に、書く人が自分で見やすいようにカスタマイズするだけのことなんですけど、なんかこれ、ちょっと……まさか暗号じゃないですよねー。そもそもこれ、HTMLじゃなくってHTMLを生成するコードじゃないかなー、わかんないけど、確かそういうので何か犬の名前のついたのがあったような」

「犬の名前?」

「何だったかなー、ビーグルとかプードルとか何かそんな……コンさんに訊けばわかるんじゃないですかねー」

「それそれ」とイーリン、「今日、コンの来る日だよね?」

「あ、来てると思いますよ」と沢渡、「そろそろ。開発室にいるんじゃないかな」

「きみたちこれから一緒に勉強会?」

「今日は勉強会はないんです、代わりに斉木先生の授業があるんで。でも5時からだからまだだいぶありますよ」

「斉木先生? 授業ってラテン語か何か?」

「ラテン語は勉強会のほうで、斉木先生のはゲーテです、『ファウスト』を読むっていう」

「へー、そんなのやってるんだ。それ院の授業?」

「いや学部の授業で、でもヒマな院生がけっこう出てますよ。学部の教養授業だから日本語で読むんで、ドイツ語があんまりできなくても大丈夫だから。イーリンさんもどうですか」

「えー、でももうだいぶ進んじゃってるよね?」

「そうでもないです、今日あたりメフィストがやっとムク犬5になって出てくるかどうかというところで」

「犬の名前ってそれじゃないだろね」イーリンは笑って、「ま、んじゃ、その授業の前にちょっと行ってこよう」と言いながら立ち上がり、研究室の隅にむやみに溜まっている紙袋をひとつとって、机上のディスクを詰めこみ始めた。

「それ全部、コンに調べさせるんですか、ひょっとして」

「んー、全部ってわけでもないけど、中に鍵かかってるやつがあったりするもんだから」

「それを破らせようという? そりゃ、でも、ともかく一旦はご遺族に渡すべきものなんじゃ……」

「そうも思ったけど、でも逆に学内の機密事項とかがもし入ってたら、それは私が引き取って受け継ぐなり、誰か他の先生に渡すなり破棄するなりする義務があるからね。ご遺族にももちろん訊いたけど、それはそうしてくれってことだったし、それでひとまずタミヤにね。したら、ともかく見てみろって、で、見るべきでなさそうなものだったらサッと目を閉じろって話で」

「なにそのイイカゲンな指示!」呆れたように沢渡、「そもそも、このコードが何でまた「ヤラレタか」って話になるんですかね? それって他殺って意味なんですか本当に。もっと日常的な、例えばその何だかわからないサイトで科長がやろうと思ってたことを誰かに先にヤラレたとかそういう話じゃないんですか?」

「さ、そこんところはタミヤも詳しく言ってくれなかった、なんか急いでPterpe切られちゃったし」イーリンはくだんの紙をそそくさと畳んでしまい込みながら、「まあこの件は、いちおう内緒ね。きみたちには「にんぶん」がさぞ興味深いだろうと思って話したよ。また力借りるかもしれないから、そんときはよろしくね」と、一杯になった紙袋を掴むとしなやかに書棚の間をすり抜け、あっという間に部屋を出ていく。

いささか煙に巻かれた態で三人が残った。「あのディスクのどれかに、にんぶん……が入ってるんでしょうかねー……」人吉が夢みるように言った。「確かに、すごく、気になりますねー、にんぶん……」

「東洋思想のほうで、そういう言葉があるのかなあ」森川は文字通りの紫煙の中にまたしても茫漠と巻かれ始めながら、つぶやくようにひとりごちた。「根来(ねごろ)先生にでも訊いてみようか。いつも共同研究しておられたから、何かご存じかもしれないな……」

2018.6.10

第4回 開発室

田宮研究室とは反対に、「開発室」こと第三視聴覚室は年々なぜか椅子が増える傾向にある。もともとは、AVラックと大型ディスプレイ&スピーカーの他には教卓を兼ねた教員用デスクがひとつとホワイトボードひとつ、折りたたみ小テーブルつきの椅子が12脚程度、それに収納用の両開きロッカー1本が備品の全てで、それらがちょうどおさまってゆとりある空間になる程度のごく小さい教室なのだが、折りたたみ小テーブルでは授業を受けるのに不便だというわけなのか、いつのまにか長テーブルが(小ぶりとはいえ)持ち込まれ、それにあわせて小テーブルのない普通の椅子が持ち込まれ、十数年の間に両者が増殖して今では長テーブルが5本、テーブルあり・なし併せて椅子が二十数脚となったうえ、何が詰まっているやらロッカーもいつしか3本へと大躍進を遂げたばかりか、教卓デスクの上にかつてはちょこんと置かれていたデスクトップPCがこれもあれこれと増殖してさらにデスクをもうひとつと機材ラックふたつを要求するに至り、大型スクリーン、スライド作成機材1、製本機2、電子ピアノ3、顕微鏡4、ロボット掃除機5、空気枕6、サモワール7、衣紋掛がわりの巨大トーテムポール8、カモメ型紙飛行機9、カンカラ胡弓10、旧式スキャナー11など、いつ誰が運び入れたやらすでにさっぱりわからない種々の道具類の間に7つほどのスイッチングハブ類が点在してオキノテヅルモヅル12のごとく触手を絡ませている第三視聴覚室は、何かの道具に蹴つまづかずにはもはや歩けず、歩けばどれかのケーブルを踏まずにはいないという、およそ「教室」というにはほど遠い様相を呈していた。それに加えて近頃ではとみに、そこはかとなくカップラーメンを思わせる匂いがしみつき、その種のものの汚れを拭くためなのか半端なトイレットペーパーロールが常にそこらに転がっている。この部屋をあくまでも「教室」として使い続けている教員が斉木と田宮のふたりだけというのは、映像と音声とを共にそれなりのクオリティで出力できる唯一の部屋であるこの場所を必要とするのが専門分野上このふたりにほぼ限られる、という事情によるばかりではおそらくなく、両人はべつだん機材を必要としない授業でも好んでこの「開発室」を利用したし、両人の指導生たちもまた、他の教授連がここを敬遠してまず授業に使うことがないのをいいことに、あたかも専用ミーティングルームであるかのように何かにつけてここに溜まるのだった。窓から射し込む木漏れ日は美しく、クヌギの葉叢がまるでちょっとした避暑地のような趣を呈して、雑然としたこの部屋をますます隠れ家めいた場所にしていた。

モミジさんから貰った鍵で密やかに入室した石山坤(いしやま・こん)が窓のブラインドを調節して部屋の明るさを整え、PCデスク前の定席に腰を落ち着けるやいなや、紙袋を抱えたイーリンがやってきて、例の紙きれを見せながら慌ただしく何やら近々の「作業」の日時を約し、ディスクを何枚か押しつけるようにして石山に渡すと、挨拶もそこそこにヒールの紅裏を翻しながら俱風のように去っていった。石山はさっそくそこらのスイッチを矢継ぎ早に押してPCとその周辺の機器類を忙しく立ち上げ始めたが、貰ったディスクのひとつをケースからとりだして挿入するかしないかのうちに、またドアがそっと開いて、べつの学生が顔をのぞかせた。

「や。こんちは……」これも開発室「定連」のひとり、上野原涼(うえのはら・すずし)は博士課程に上がったばかり、鋭い眼光と対照的にものやさしい円やかな声の持ち主である。「お邪魔してすいません。今日は例の勉強会はないんですよね、あのーここで次の予習しててもいいですか」 「あ。はいどうぞ」ディスプレイから目を離さずに何やら操作をしながら石山は答えた。「予習って『ファウスト』ですか。ドイツ語?」

「うん、やっぱり出ようかなと思って。それでせっかくだから少しはドイツ語もと思うんだけど、昔ちょっとカジっただけだから、最初から読もうとしたらぜんぜん間に合わなくて。せめて今日のところだけ」

「私もぜんぜん間に合ってません」ほのかに笑って応じながら石山は一方で猛烈な打鍵を始めていた。「でも院の講読じゃないから、そんなに綿密に原文読んでなくても大丈夫ですよ。私も邦訳とつきあわせながらポイントを軽く眺める程度で」

「でもコンさんはドイツ語ばりばり行けるでしょ」

「いやもう最近はそっち方面の勉強をぜんぜんしてなくて、どんどん読めなくなっているというか、そもそも読めていないというか、今後本当にもうどうしようかなという感じで」言いながらも途切れなく繰り出している打鍵がいったい何のためのものなのか、傍からはまるきり見当がつかない。PCデスクはもともと授業用の教卓だから、隅の窓に背を向けて教室を見渡す位置に配置されており、周囲にモノが積みあがっている現状でその背後に回ることはほぼ不可能、無理に回ろうとしても、ケーブルの束を踏み越えているうちに画面が密かに切り換えられてしまうふうでもあり、そうでなくとも大抵の場合は複数の作業を同時にやっているらしく、またどのみち画面を一瞥したところでその作業の本質を見てとれる技倆の持ち主はこの人文研究科にはほぼ誰もいない。かといって石山がPCの前に陣取っているときに「今それ何やってるの、何の作業?」などとはみだりに訊ねるべきでないというのが定連の間では暗黙の了解事項になっている。無理に訊いても、下手をすると「ある○○の●●を▼▼する△△を××中です……」などというカタカナ言語が恥ずかしげに返ってくるのがオチだからだ。

「コンさんなんかもうそっちのほうのワザで生きてけばいいじゃないんですか。そっちで稼いで、研究は趣味でっていう」

「どっちが趣味だかわからないですけどね」石山はふと立ち上がってテーブルの間を縫ってやってきて、上野原の背後のロッカーを開けて掻き回すと、何やら小さい機器をとりだした。「むしろどっちも趣味にも研究にもなりきっていないというか。だいいちそうそう稼げませんよ、半端ですから、私程度ではまだまだ」席に戻るとその機器をどこやらに繋ぎ、しばしまた打鍵ののちディスクを入れ直すなどしている様子、ときどきピッという電子音がする。上野原は悠揚迫らずドイツ語の辞書をひきながら、

「そりゃご謙遜……まあ僕にはそのあたりの機微はぜんぜんわからないけど、でも手にワザがあるっていうのはすばらしいことですよね。コンさんはプログラムができるし、イーリンさんはじめ楽器のできる人いっぱいいるし、加納(かのう)さんは家具が作れるし、イトさんはプロなみのお料理できるしさ。みんなすごいなあ」

「お料理は良いですね」石山はまたやおら立ち上がってロッカーの列のほうへやってき、今度は別の扉を開けて小型のコーヒーメーカーをごそごそ取り出して入り口近くのテーブルに設置すると、テーブル下に格納してあるペットボトルの水でおもむろにコーヒーを淹れはじめた。「あ、すみません完全に作業の邪魔してますよね」「いやそんなことないですよ、とりあえずコーヒー飲みたくなっただけ。上野原くんも飲むでしょう」「いただきます」やがて淹れたてのコーヒーの濃い香りが漂いはじめる。

「お邪魔ついでに、実はコンさんに折り入って相談がひとつあるんですけど」

「なんですか」

「あのー、こんど学会でひとつパネルやりたいと思ってて、それにコンさん加わってくれないかなあ」

「えっ。私がですか。何の学会ですか。パネルってどんな」

「あの、言語文化論学会っていうのが秋にあって、そこでパネル発表企画を募集してるんで、挑戦してみようかなって。僕も初めてなんだけど」

「言語文化論学会って、例の、非言語文化論学会って呼ばれてるやつ?」

「そうそう、悪くないんですよあれ、映像とか絵画とか音楽とかいわゆる非言語媒体の研究もいっぱい受け入れてくれて、それらもちゃんと言語文化論として扱うっていう姿勢がすごく好ましいんだけど、そこで、あのう、「希望について」っていうのをやってみたいと」

「希望について? え、それで、なぜに私を? 「絶望について」の間違いじゃないですよね」

「そんな鬱陶しいの嫌ですよ、絶望について考えるなんて」上野原は笑って、「誰かが言ってましたよ、希望とか望みというものはどこかにあるかもしれないものだけど、絶望というのは望みが絶えると書く、そもそも望みがないっていう意味なんだから、そんなものはどこにも存在しないって」

「そう言われればそうかもしれないけど。希望ねえ。それで、希望について何を考えるんですか」

「僕自身は、最近いろんな映画とかドラマを見て、希望の表象って何だろうっていうのが妙に気になってて。映像でというか、画面上に希望が表象されていると言えるような場合があるとしたら、そこでは何が起こってるんだろうというか、物語とは必ずしも連動しないところで、純然と光と音の作用で人が何かを感じるとしたらそれはどういう仕組みなのかなと。ほら「希望の光」とか言うでしょう、あのフレーズが妙にあやしい、イカサマだって気がしてね。だから僕が扱うのは映像なんだけど、ほらコンさんのやってるエルンスト・ブロッホに『希望の原理』っていうのがあるでしょう、それでちょっとカンでもらえたらと」

「『希望の原理』か、うーん……実をいうと未だにちゃんと読んだとは言えないからなあ。パネルは3人ですか、もうひとりは?」

「考え中で、加納さんに声かけてみようかなとも思ってるんですけど」

「アニメ、いいかもしれませんね」

「それか、誰か音楽でやってくれるひとがいるといいなと。映像の希望表象にしても結局は音楽の話になるような予感がしてるから」

「だとすると、むしろ詩とか?」

「詩。そう、詩なのかもしんないですけど、本当は。でも僕、詩ってよくわかんないんですよ。わかったと思えたためしがない。『ファウスト』にしても、詩なんですよねこれ。なんでこれが詩になってるのか、詩だからどうだっていうのか、そのへんが実感としてわからないのが辛いんだなあ。韻律がわかるといいんだけど。形式の違いとかは教わればもちろん理解はできるけど、韻律形式が違うことで、じゃあどう響いてくるのかっていうのはね。結局、いっぱい耳で聴いて、聴き続けていれば20年くらいすればわかるようになるってことかなあ。いま見てるファウストとメフィストの最初の対話でも、少なくとも韻律形式の上では二人がすごくいい感じに唱和してるように見えて、いいなって思うんですけど、何がいったい「いいな」なのか、それにその感覚が正しいのかどうかにもぜんっぜん自信が持てないから。邦訳には韻律上の響き具合とかは全く反映してないわけだし……」

その間にも石山は作業を諦めたわけでは別になかったらしく、コーヒーカップを携えていつのまにかまたPCデスクに戻っていた。韻律のわかり難さについて問わず語りにほろほろ続く上野原の語りに、あたかもBGMのように打鍵の音がリズミカルに随伴する。30分近くも経とうかというころになって「それで、希望のパネルはどうするんですか」「あ、それなんですけどね、つまり……」とようやく話が戻ろうとした矢先に、田宮研究室から沢渡と人吉がお茶のワゴンを転がしてきたと思うと、続いてすぐに他の『ファウスト』受講生たちがちらほら顔を見せはじめた。「こんにちは」「どうも」「っちは……」総じて学部生はわりあいきちんと時間通りにやってくるのだが、今日は少しばかり集まりが悪いようだ。もう5時になるのに、いつも早めに来る教師もまだ姿を見せない。どうしたんだろうねと言いながら皆で一緒にテーブルを適宜動かして狭苦しい中どうにか円卓を形成し、石山もさすがに作業を中断して皆めいめい席を選んで好みの飲み物をつぐなどするところへ人吉がまたまた蝶の包み紙の九州銘菓「フランチェスカ」をしずしずと配っていると、やがて向こうでエレベータのドアが開く音がし、何やら賑やかな話し声と、ぱたぱたという足音がきこえてきた。「ああー遅れちゃった遅れちゃった、ご免なさいねえ、すっかりお待たせしちゃったわねえ~」と言いながらご入来の着物姿の老女、「みなさんお揃いかしら~、あら~ま~素敵なお土産だこと~人吉さんいつもすまないわねえ~」とまるで70年代の映画から抜け出してきたような古めかしい言葉使いの白髪の女性が『ファウスト』読解の講師、斉木笑里(さいき・えみり)教授である。その後ろから、でっかいテディ・ベアのような風貌のこれも白髪混じりの男性が、穏やかな笑みを湛えながらのっそりと入って来た。「皆さん、こちらご紹介するわね~、吉井海人音(よしい・あまね)さん、演劇と音楽がご専門。この授業の話をしたら、嬉しいことにたいへん興味を持ってくださったのよ~」

「こんにちは」吉井は驚くほど低い、深いバスの声で言った。「斉木くんから聞いてね、原作を限りなく尊重しながら現代にふさわしい『ファウスト』の上演形態を実際に工夫するっていうのが、とっても面白そう、ぜひ仲間に入れてもらいたいと思ってね、無理いって連れてきてもらっちゃったんだ。吉井です、どうぞよろしく」

「吉井さんはねえ~実はわたしの前にGenSHAにしばらくいたかたなの。わたしの大先輩にあたるのよ~」

「大先輩だなんて、年はたいして違わないでしょ。失礼ながら確か僕のほうが二つ三つ下だよ」

「あらそうだったかしら~」

「きみはさんざん道草くっていたからね。そうそう道草といえば、遅れてすみませんみなさん。なんだかさっき匡坊駅で人身事故があったらしくてね。駅前で待ち合わせてたんだけど、電車が止まってて、回り道する間に斉木くんをずいぶん待たせてしまった」

と言っているうちに遅れた学生もひとりふたりと到着した。しばし口々に「人身事故だって?」「わりとついさっきみたいです」「うちの大学の関係者ではないらしいですけど」「飛び降りたとか」「いや、なんか、人込みで押されたみたいだとか言ってたけどわかんないな」「中年の男性らしい」……

その中年の男性なる者は実は沢渡たちの公民館企画「くにまち文教マッピング」に深く関わっていた人であると後にわかったが、この時点ではこの場の誰もそれを知るよしはなかった。

2018.10.14

第5回 善悪の彼岸

◆斉木笑里『ファウストを読む』特殊講義補遺より
(授業後にメーリス経由で受講生一同に配布されたものの一部)1

というわけで53ページ2では彼の落ち込みは極限に達し、「もう肝に銘じて判った、塵 あくたを掘り返すみみずにこそ似る俺なのだ」と言います。つまり「今の俺の目から見 ればヴァーグナーは哀れな俗物のミミズ堀りだが、俺ときたら、それ以下だ、ミミズそ のものだ……」ということですね。ファウストの長いセリフの多くは内心の葛藤を吐露 する独白ですが、ネガティヴ・トークとポジティヴ・トークの転換が非常に激しく、め まぐるしいほどです。ドラマチックなできごとはあんまりたくさん起らない代わりに、 ネガポジ・トークの転換が、そのままドラマを構成しています。ドイツ語ネイティヴが ドイツ語で聴けば、詩のリズムがそのドラマを大きく補ってくれるのでしょうが、学生 のみなさん、特に学部生のみなさんはそうもいかないでしょうから、かわりに、「アニ メにしたらどんな感じだろうか」「映画にしたら」あるいは「BGMはどんな感じか」等 々と想像をたくましくすることで、補っていくとよいでしょう。ファウストの浮き沈み はなかなかに極端で面白いので、舞台化する場合には、そういうコミカル・シリアスな 演技のできる人3にファウスト役をお願いしたい気がしています。

✤メロドラマとメランコリー

 さて、ちょうどゲーテの時代あたり、西欧の演劇界は「メロドラマ」なるジャンルが 真っ盛りでした。ここでいう「メロドラマ」4とは、メロメロ恋愛ドラマという意味で はなくて、「喜怒哀楽の転変が激しく、悲喜こもごものできごとがめまぐるしく移り変 わる、見て飽きない、明暗の起伏のはげしいドラマ」というような意味です。情熱的な 恋愛と、むごたらしい殺人と、極端な貧困と、貴族たちの華麗な饗宴とがかわるがわる 描かれ、人物たちが歓喜の頂上と悲嘆のどん底とをめまぐるしくアップダウンするよう なたぐいのドラマです。ご存じのかたはディケンズの長編小説やなんかを思い浮かべて くださるのもよいでしょう(ディケンズは多少時代が下りますが)。『ファウスト』は こうした俗流メロドラマの定式をそれなりに受け入れて活用しているように見える、た だしその明暗アップダウンを、できごとによってではなく、ファウストの内心の葛藤の 語りにおいて(それも「詩」という形で)呈示しようとしているわけです。  前回の授業で、ファウストが悩んでいるのが一種の「メランコリー」だと言いました。 「メランコリー」というのはとても古い、紀元前からある概念で、二千年の間にさまざ まな意味と価値づけの変遷を経てきましたが、ゲーテのころに文学・芸術方面で使われ ていたこの語は、現代でいう「憂鬱」や「鬱」よりははるかに広い意味範囲を持ってお り、今でいう「躁」の状態をも含みこんで、「躁と鬱が限りなく繰り返されて、躁のと きは限りなく天才的にどこまでも飛翔する創造性をも場合によって発揮しうるが、その かわり鬱のときには救いがたいほど落ち込む、基本的には暗いメンタリティ」というよ うな意味でした。そしてゲーテの時代の後半つまりロマン派の時代には、この広い意味 の「メランコリー」がひとつの大々的な汎ヨーロッパ的なブームとなって非常にもては やされ、およそ芸術や文学に携わろうとする者は誰もがメランコリックでなくてはなら ない、という勢いになりました。「メランコリー」がほとんど「詩的なもの」と同一視 され、精神にこれを備えているかどうかが、芸術家たる資質の有無の判定基準となるほ どだったのです。その一方、一流の学者たる者は当然、詩に造詣が深くなければならな いとされてきた伝統もあったので、ファウストも当然のようにメランコリック=ポエテ ィックな人格、すなわち、アップダウンの激しい、時としてひどく落ち込み自己嫌悪に 陥るが時として天上へ飛翔する天才的精神性を発露する詩的人格として、どころかむし ろ、そうした人格の代表的モデルケースのようなものとして造形されたとおぼしいです。 みずからの内心の葛藤をくどくど独白するというのも、この人格のなせるわざなのです。  今回まだちゃんと読んでいない「舞台での前狂言」20ページの最後のほうに、「心優 しき若者たちは、わが身を養う滋養にと、あなたの作品から憂愁の杯を傾ける」とあり ます。この「憂愁」はドイツ語原文ではMelancholie で、ここで劇場支配人が詩人に向 かって「がんばっていいものを書けば、若者たちがあなたの作品からMelancholieを汲み 取って人生の糧としてくれるだろう」と言うのは、つまり、メランコリーというのがそ ういう広いレンジの言葉で、「激しい浮き沈みのなかで天国をも地獄をもこもごもにし っかり見届けることのできる、弱さもあるけど力強くもある、しなやかで可憐な精神性」 というような豊かな意味を持っているからこそです。この時代の芸術的「メランコリー」 においては、ネガティヴ・トークの粘っこさもさることながら、時としてすごい勢いで 極端なほどポジティヴになれる可能性こそが、むしろ非常に重要です。Melancholie/ melancholy を「憂愁」とか「憂鬱」「憂い」「愁い」などと訳すのが現在では定着し ていますけれども、これらの語はどうしても「躁・鬱」の「鬱」のほうに寄りすぎるの で、この時代の「メランコリー」の語義を汲みつくせない恨みがあります。私の手元に ある各種翻訳の中で森鴎外だけがこの語をきちんと「メランコリー」と訳して(?)い るのは興味深いことです。鴎外がドイツに滞在していた時期がこのロマン派全盛時代か らまだそう遠くなかったからかもしれません。

✤メフィストのキャラクター

メフィストについてはみなさんだいぶ好感度高かったみたいですね。ちらっとお話しし たように、この戯曲『ファウスト』でメフィストは、「近代の悪魔」として登場します。 古来悪魔のイメージ5というのは、ご承知のように醜くて暗くて悪くてずるくて汚くて みっともなくて下賤で下卑て野卑で卑猥で、トゲトゲの尻尾と蝙蝠のハネと角があって 足は馬のヒヅメになってたりするのを、メフィストは、今はそういうの流行らないから 「人工のふくらはぎをつけて」るといいます。性格的にもいわばイノベーションを果た しており、言ってみれば、暴力団対処法や暴力団排除条例6などで封じ込められたヤク ザさんが合法的な会社組織を作って新たな生き残りを図るようなことと似ているかもし れません。そしてみなさんが指摘しているように、メフィストの言うことはいちいちた いへん「まとも」です。わりとそこらに普通にいてもおかしくない、アタマのよいちょ っとニヒルな現実主義者という感じではないでしょうか。「ニヒルnihil」とはもともと ラテン語で「無」とか「虚無」「無価値」というような名詞でもあるけれども、「全く ~ない」という意味の否定辞でもあります。もう一度メフィストの自己紹介を見てみま しょう。

私はあの力の一部分、常に悪を欲し常に善をなす、あの力の一部です。 私は常に否定する精神です。 かつては全体であった部分の更に一部分、私はあの闇の一部分なのです。闇こそが 光を生んだのですが(……)(p.97-98)

ここで「闇こそが光を生んだ」とあるのは、聖書にある、「はじめに光があった」とい う創世記の記述7に基づいているでしょう。最初はあまねき始原の闇しかなかったところ へ、神が「光あれ」と言ったので、光が生まれたということになっている、つまり、神 が天地創造を行う前は、闇こそが「全体」であったわけで、光が生まれたから世界は光 と闇で構成されるようになり、闇は世界の「部分」にすぎなくなったけれども、という ので「かつては全体であった部分」とはすなわち闇である。メフィストはその闇の一部 分であって、すなわち「常に否定する精神」だというのですね。「常に悪を欲し常に善 をなす、あの力」というのがわかりにくいですが、これが「闇」のことだとすれば、 「全体」であったころの闇、すなわち、これから生まれてくるはずの「光」コミの闇、 すなわち、天地創造のダイナミズムを全てみずから内包しているところの闇、というこ とになりましょう。「あの力」とメフィストがいうのは、ファウストが冒頭の長セリフ の中で「世界をそのいちばん奥で束ねているものは何か/すべてを創る力と種子をこの 目で見…」と言う、その「すべてを創る力」と同じ力です。つまりここでメフィストは 自分のことを、「あなたがその目で見たいと願っている、例のあの力の一部ですよ」と いうふうに紹介しているのですね。そして、その「すべてを創る力」のなかに、「常に 否定する精神」も含まれている、組み込まれている、と言うのです。ここでメフィスト は、世界を悪と善とに分けてはいないし、自分は悪の側だとも言っていない。彼のせり ふを言い替えると、つまり、悪を欲するのも善をなすのもひとつの同じ力である、その ひとつの力のうち、否定する部分、を自分は担っている、ということになりますが、悪 =「否定する精神」だとさえ彼は言っていない。また、「否定する精神」から悪が生ま れるのだとも言っていない。図にすると下のようになります(いいかげんな図でごめん なさい。「欲する」のと「なす」のの違いは、今回は捨象します)。

悪を欲するのも善をなすのもひとつの同じ力の図

「否定する精神」と「肯定する精神」がないまざってできている「力」から、善も悪も こもごもに希求され生まれてくる、というのが、メフィストが呈示する世界観であるよ うで、単純に「悪の側」というものがあって悪魔がそこについているという世界観では ありません。言い換えれば、メフィストが呈示するこの世界観は、決して「道徳的」で はないということでもあります。世界は善と悪でできていて、善良な魂と邪悪な魂があ り、悪魔は邪悪なもので、人間は善良でなくては救われない、というのであれば、それ は中世的・キリスト教的な世界観であり、とても「道徳的」な世界観だといえるでしょ うが、メフィストの言うのはそうではなく、「否定する精神」とか「肯定する精神」と かいうものは、「道徳」とはひとまず何の関係もない、というところが注目ポイントで す。たとえば「人を殺してはいけない」という主張は、ある意味で「否定する」精神の なせるわざではないでしょうか(否定文ですからね!)。逆に、「人を殺しても構わな い!」というのは、殺人を肯定していますから、肯定する精神のなせるわざだともいえ ますよね。メフィストが「常に否定する精神」であるとすれば、誰かが「人を殺しては いけない」と言ったら、「そんなことはないでしょう」と否定で応えるでしょうし、 「人なんか殺したって構わない」と誰かが言えば、やっぱり「いやーそんなことはない でしょう」と否定で答えることでしょう。じゃあいったい彼は殺人を肯定してるのか否 定してるのか、わけわからないことになり、道徳的に善なのか悪なのかもよくわからな い。そこがわけわからないことになるのはメフィストにとっては別段構わなく、どうで もよくて、彼にとって大事なのは「常に」否定すること、すなわち、誰かが何かに価値 を見出そうとしているときにその価値を「そのつど」否定する、ということです。ここ で面白いのは、二人が交わす契約が、ファウストが「瞬間よ止まれ、おまえは美しい」 と言ったらメフィストの勝ち、というものであることです。上記のような「否定する精 神」としては、普通に考えれば、ファウストに全てを否定させれば勝ち、という契約を 結びそうなものではないでしょうか? 「時よどんどん過ぎ去れ、亡びよ、おまえは何 の価値もない」とか言わせたらいいんじゃないでしょうか。でもそうじゃないんですね。 ファウストがことごとくに満足して、もう死んでもいいというくらい世界を満喫したと 認めたらメフィストの勝ち、というのは、言い換えれば、ファウストが世界の全てを肯 定したらメフィストの勝ち、というのと同じことです。ここにこそ、ゲーテの『ファウ スト』の劇的ダイナミズムの核心があります。もし、ファウストに全てを否定させれば メフィストの勝ち、ということであれば、メフィストはもうどんどん不幸な災いをファ ウストの上にふりかけていって、どんどん絶望させていけばそれでいいわけですけれど も、そんな劇を誰が見るでしょうか! メフィストはファウストを逆に喜ばせて、どん どん楽しませてやらなくてはならず、世界には多彩で多大な価値があるのだ、肯定する に値するのだと思わせてやらねばならない(このことは同時に、観客をどんどん楽しま せ、劇を見終わった後、世の中はそう悪くないもんだという肯定的な気分でもって劇場 を後にさせることにもなる)わけですが、これは「否定する精神」たる彼の本質に真っ 向から矛盾することに他ならないでしょう。彼は契約にのっとって最終目的を達成する ために、みずからの本質に反して、大いにファウストにいわばポジティヴ・サービスを 提供しなくてはならなくなっています。そこにメフィストの性格やふるまい、セリフに みられるヒネリの根本原因があります。

 とはいえメフィストが自称の通りほんとに「常に否定する精神」なのかといえばそれ も怪しく、もともとかなりポジティヴな性格なんじゃないのかと思わせるところが多々 あります。そもそも誰かさんと賭けをして、それに勝つために粉骨砕身努力するなんて いうのは、その賭け、および「賞品」としてのファウストの魂に「価値を見出している」 からに他ならず、何かに価値を見出すというのは肯定的精神のなせるわざに他なりませ ん。したがって「常に否定する精神です」という自称は相当に疑わしく、悪魔としての タテマエというか、単なるキャッチコピーにすぎないというか、「否定する精神」とい うものを彼はあたかも仕事として粛々とコナシているかのようでもあります。そこここ に「私の立場としては……」というようなセリフがありますが、なんというか彼は本質 的に悪魔であるというよりはむしろ「否定する」ことを専門とする、「高度専門職業人」 としての悪m

三週間後の黄昏時、斉木と吉井は連れだって都心のコンサートホールへ向かう並木道を歩んでいた。

「今日はお着物じゃないんだね」

「あらあ、気がついた?」

「当たり前でしょ。そんなことくらい、どんな薄馬鹿だって気がつくよ。雨模様だから?」

「もう梅雨ねえ。いーえそういうわけでもないのよ。だってせっかく上品なホールへお出かけして、幕間にはワインの一杯もたしなんでさんざめこうっていうのに、お着物もないでしょう、洋装でなくっちゃあ」

「洋装はよかったね。まあ、レクイエムをきいてさんざめくっていうのも、おかしなもんだけどね」

「レクイエムの切り貼りって、おもしろい企画ねえ。組曲になってるのをバラして、一曲ずついろんな人のをとってきて繋ぐなんて」

「怒ってる人もいるみたいだけどね、作品の冒涜だって言って」

「うふふ、でも鎮魂の目的はそもそもひとつよね。お弟子さんの企画なんでしょう? レクイエムの研究者って、どういう気持ちのものかしら」

「改めてきいてみたことはないけど、当人は明るいやつだよ。根っから優しくて、すごくポジティヴ」

「ま~そうお、素敵ねえ、やっぱり師匠に似るのねえ。そうそう貴方、来月の、福富さんの「偲ぶ会」にはいらっしゃる? ご連絡が行ったでしょう」

「うん、あれはGenSHAの主催なのかな、東洋哲学会とかじゃなく?」

「ええそう、有志のお弟子さんたちとGenSHAの共催のかたちね」

「行くよ、もちろん。福富さんにはGenSHA時代に本当にお世話になったし、実は定年後にジノ8へ移ってくる話が進んでたんだ」

「あらそうなの! 知らなかったわ、そうなのねえ~」

「だからというわけじゃないけど、うちでも惜しむ声が強くてね。ジノからも誰か行くかもしれないと思ったけど、きみが知らなかったんなら――」

「そうね……学生さん主体だから、どうかしら。GenSHAとジノがもっとちゃんと繋がったら、それはさぞ面白いだろうとは前から思ってるけど、そうねえ……GenSHA自体が今はあんなふうだし、少し危ないかもしれないわねえ」

「そうだね。じゃあ今回はあまり宣伝しないでおこう」

「あら、もうホールだわ。思ったより早く着いたわね。こんなに近かったかしら、駅から」

「地下鉄の出口が増えたからね、近い出口から出たんですよ、エミリさん」

「まあそうなの。ぼんやりしてたわ。ちょっと来ないとほんとに様変わりねえ、なんだかこのあたりもずいぶん小奇麗になったわね、以前はもすこしゴミゴミ感があったもんだけど」

「開場までまだだいぶあるから、そこの喫茶店でお茶でもどう」

2018.12.10

第6回 Cafe Grotta

「この穴蔵カフェ、何だか懐かしいのね。そういえば昔一度来たことがあるわ。二度だったかしら」

「三度ですよ、エミリさん。ぼくがまだGenSHAにいたころにね。GenSHAをやめてジノに出るときにも、ここで壮行会をやってくれたじゃないの、田宮くんと三人で」

「まあ、あれはここだったのね。もっとアゴラ1に近かったような気がしてたわ。そう……田宮くんはまだ学生だったのよね。もう十年以上になるのねえ。でもこのカフェはぜんぜん変わってないのね、案外に」

「周りはずいぶん変わったけどね、おっしゃる通り。震災2でもやられなかった古い店だけど、街自体がすっかりセレブな新開地になったから、今となってはここだけが何か場違いな感じでね、ごみごみした歓楽地の最後の名残というか。地下だから目こぼしされて生き残ってるんだろうけど」

「あぶないの?」

「いや、まだしばらく大丈夫だろうって話だよ、マスターによれば。でも、やりにくくなってるとは言ってたね。そのうち小奇麗に改装して全面禁煙にするか、どこかへ移転するか、迫られるだろうって、それこそキャッスル3とかへ」

「キャッスルにまだものを建てる余地があるの? というか建てていいのかしら、地下を掘ったりしても?」

「まあ、もう流れは止まらないんじゃないの。今上陛下というかユメヒトさんというか何と呼べばいいかわからないけど、再人間宣言をしちゃって以来がんとして葉山御用邸4から出てこないし、戻るつもりはないんでしょ、キャッスルには。あそこは被災者のみなさんにあげると言ったのだからあげるんだ、綸言汗の如しって言われちゃったらね、当座、誰にもどうもできない」

「人間宣言とは矛盾するようねえ、ふふふ」

「京都御所に戻そうって連中もまだいるけど、無理強いすると、人権侵害だ!って叫ぶらしい」

「ふふふふ、そういうときって古来だいたい、時の政府が首をすげかえようとしたりするんじゃないのかしら」

「すげかえてほしいんですか」

「そんなことないわよ。ユメヒトくんのファンだもの」

「くんっていう歳でもないでしょう、人間宣言のときに十八歳かなんかだったんだから、もう三十代半ば過ぎでしょ、でも妻帯を拒んで、子どもも絶対作らないんだってね。三十年前だったらそんなこと絶対認めなかっただろう種類の人たちの大半が、却って今はその果敢さに惚れこんじゃってるっていうね、今御水尾5とかいって」

「イマゴミノオはよかったわね。確かに、お飾りであることに甘んじないところは似ているのかも。神から象徴へ、そして象徴であることを脱却してやっと本当に人間になるのかもね」

「キャッスルにはもう元・被災者もそうでない人も山ほど住みついちゃってて、そこを<銀麟>がほとんど手中に収めて、裏で占拠してるに等しいわけだけど、綸言汗の如しを強力に支持してキャッスルとアゴラの現状維持を譲らないのが逆説的に昔でいう右派の人たちだっていうのが可笑しいね。右も左もよくわからない世の中になったね。政府はAISAの思うままで、あってなきがごとしというか、実質的にはAISAが政府みたいなものだしね」

「もともとは一介のIT企業だったのにねえ。でもそうなると例の暴排条例やなんか、むしろ巻き返しの一策なんじゃない? 今さらキャッスルを取り返そうなんてしたら<銀麟>が黙ってないに決まってるけど、綸言があって表向きは手が出せないから搦め手からじわじわ囲い込もうというんじゃないのかしら」

「すぐに取り上げようって算段は、今のところAISAにもないんじゃないかな、条例は一応の牽制でね。だってこういっちゃ何だけど、あそこ一帯を再開発計画の視野に入れられるってのはそれだけで大したことだもの。目下は<銀麟>が仕切ってるにしても、綸言を相手にするよりはゆくゆくはるかに楽だろうからね。それにAISAにしても現時点で<銀麟>を切って捨てるわけにもいかないでしょ。元が元だと知らなければ誰も文句のつけようもないくらい、表向きはずいぶんとちゃんとやってるんだし、微妙に枢要な物流・生産を関東一円<銀麟>がどこそこ押さえてるんだから」

「クスリとか」

「薬とか、そう。頭痛薬とか、湿布薬とか、傷薬とか、包帯とか」

「汗避けとか、蚊取り線香とか、線香とか。微妙に枢要っていうところが知恵だったわねえ」

「だけでもないけど。市場とかナマモノ系。それに木とか土とか紙とか。紙の本の流通なんか<銀麟>がなくなったら今更どうにもならないんじゃない」

「そうねえ、あと提灯とか花とか。色紙とか短冊とか」

「そう並べると、ずいぶん優にやさしく聞こえるね」

「だって、復興のどさくさに噛田川をお掘へつなぎ直して、七夕の笹を流していいようにしてくれたのは<銀麟>ですもの。もちろん海までは流さないで、お掘で集めて燃やしてくれるんだし、所詮は噛田川だけだけど、でも気分の問題よね。子供はよろこぶわ。一生懸命お願いごとを書いたって、川に流せない七夕なんて……もうすぐ七夕ねえ」

「何かお願いするの?」

「そうねえ……そうねえ、まずはやっぱり福富さんのご冥福かしらねえ」

「ああそうか、そうだね」

「ジノに移るご予定だったんなら、さぞいろいろな楽しい計画をお持ちだったんでしょうねえ」

「どうだかなあ。単に、窮屈になる一方の国立大から離れて好き勝手やりたかっただけじゃないかな」

「最近はどうなのジノは。あれだって一種の穴蔵アジールみたいなものでしょう、条例もできたし、それなりにやりづらくなってるんじゃなあい?」

「そうでもないよ、犬棒(けんぼう)町のあたりはまだここほど小奇麗じゃないし、アゴラにも近いからね。でもさすがに<銀麟>との表立った付き合いは控えてるかな。小池さんも薄田さんも今でもしょっちゅうアゴラを飲み歩いてるけども、向こうのボスが代替わりしてから直接のつきあいはあんまりないらしいね」

「祖父江さんのころは大っぴらだったわよね。そもそもジノが<銀麟>の肩入れで設立されたってことは、知ってる人は誰でも知ってるものね」

「というかそこはそれこそ祖父江さんが気を遣って、<銀麟>じゃなく祖父江さん個人の出資というか、個人資産として持ってた土地と建物をタダ同然で譲るって形にしてくれたんだけどね。当時はまだ<銀麟>も今ほど大勢力じゃなかったし。震災後こんなになるとはまさか祖父江さんだって思ってなかっただろ」

「天災は測りがたしね、ジノはよく無事だったわよね。災厄といえばねえ、ほらこないだ『ファウスト』の授業にいらしてくださったときに、匡坊駅で人身事故があったでしょう、あのひと、「文教マッピング」の中心メンバーのひとりだったんですって」

「マッピング? ああ、例の学生たちの」

「公民館と一緒にやってるやつね、そうなの、それでその人ずいぶん熱心に、ここ十年くらいの匡坊市の、ちっちゃな教室とかセミナーハウスみたいなものの栄枯盛衰じゃないけど年譜みたいなものを作ろうとして、町中を歩き回ってはいろいろ調べたり聞き込み調査をしたりしてたんですって。それで近頃、なんだか、「たいへんな発見をしてしまった」とか言って青ざめてらしたとかで――」

「トマス・アクィナス6みたいだね」

「ええ、でも青ざめてばかりいたわけじゃなくて、興奮して嬉しそうでもあったみたいよ。でもそのかたが何を発見なさったのか、まだ誰もきいてなくて、あの日もどこかへ取材に出かけるところだったそうだけど、ひょっとしたら何かとてもヤバイことでも――」

「口封じだっていうの? クニマチで? まさか。スパイ小説じゃあるまいし、誰が言ったのそんなこと」

「田宮くん。学生から聞いたんですって――あら、違ったかしら。私が学生さんからきいて、田宮くんにそう言ったんだったかしら。そうかもしれないわね。わかんなくなっちゃった」

「田宮くんとは今でもよく話すの?」

「ときどきよ。だいたいはPterpeでね。こないだは福富さんのことも何とか言ってたわ。偶然とは思えないって。そのときは、なんでそんなことをって意味がよくわからなかったけど、ジノのことをきいたら、なるほどとも思うわね。でもそうすると田宮くん、福富さんがジノへ行くことは、じゃあ知ってたのよね。なぜ教えてくれなかったのかしら、そんなに秘密にするようなこと?」

「別にそんなことないと思うけど。ただジノといえども人事は人事だから、ふつうに人事の慣例として黙ってただけなんじゃないのかなあ。確かにジノとしては大事な人事だったと思うけどね。なにしろ薄田さんはもう八十近いし、そのくせ毎日浴びるように飲み続けてるから、いつ倒れてもおかしくないって自分でも常々言ってるからね、小池さんだって七十越えてるし、相棒だけ残してポックリ逝く前に誰かどっしりした次代の柱になれる人を、っていうのが薄田さんの念願だったんだよ。それが叶う矢先だったから、御大ずいぶん意気消沈してる」

「確かに福富さんなら、小池さんと一緒にジノの筆頭を張れたでしょうね。<銀麟>と半ば手を組むみたいにして言論を張って、AISAと政府を支持して復興に寄与したころの華やかさは今のジノにはないけど、腐ってもなんとやらでねえ。でもそれじゃ困る人がいたってことかしら」

「え、なに、じゃあ誰かが福富さんのジノ移籍を阻もうとしたとでも? ジノの立て直しを阻止して近々に潰すために? まさか、そんなことしてどうするの、だって、鯛とか何とか言ったって所詮は人文学研究所なんだよ、ただの」

「でも<銀麟>とつながってるわよ、そうでしょう? 移籍のことは誰が知ってたのかしら」

「さあ、福富さん自身が誰かに話したかどうかは。ジノの連中はもちろんみんな知ってたけどね、田宮くんを含めて」

「彼、今でもジノに出入りしてるの?」

「たまに顔見せるよ、研究員だからね一応。でもここ数年、講座は持ってないな、何カ月かに一度くらい来て、だらだらしておしゃべりして帰るんだ」

「そうなの? 何だか一時キャッスルに引きこもってるって噂も聞いたわ。誰から聞いたのか忘れたけど。GenSHAのほうでもほとんど学校に来ないでネット授業やってるみたいだし。そうそうGenSHAっていえばこないだIT助手さんから、教員のPCが順々にハッキングされてるみたいだから気をつけてくださいっていう回覧メールが来てたのよ。つい一週間くらい前。ジノのほうはそういうことない?」

「いや、どうだろう。特には聞いてないけど。ぼくは今でも基本的にパソコンほとんど使わないし。きみも被害にあったの?」

「いーえ、たぶん。被害にあっててもきっとわからないわね。どっちみち、盗まれて困るようなもの、私は何もないもの、書きかけの講義原稿なんか盗んだってしょうがないでしょ。でも気味がわるいわ」

「考えすぎですよ、エミリさん。それより貴女もそろそろジノへ来たらどう。GenSHAと兼業でも一向に構わないんだから」

「ありがたいお誘いだけど、そうね……でも私も本当にもう還暦なのよ」

「まだ少しあるでしょ」

「かもしれないけど、似たようなものよ。最近なんだか記憶がときどきおかしくて、いろんなことが時々あやふやになってきたみたいでねえ、どうやら認知症じゃないかと思うのよ」

「何言ってるの。もともと天然なだけですよ貴女は。認知症はちょっと早すぎるんじゃない?」

「早発性っていうほど早くもないわねえ。どのみち、数年後にも研究所で貴方たちと一緒にバリバリ活動していられる自信は全然ないの、だから定年になったら本当に引退して静かに好きなことだけしていたいわ。そうね……でも、『ファウスト』のお芝居だけは、できれば、作りたいと思うわね……」

「いいじゃないの。やりましょう。ぜひ実現させようよ。野外劇場だよね?」

「屋内と屋外と半々くらいがいいわ」

「アゴラでやったらいい。キャッスルを中心にして、お掘内全域を使ってさ」

「あらまあ、素敵ねえ。やれるといいわねえ本当に。それも七夕の短冊に書くことにするわ。ジノの企画にとりあげてくださる? それで貴方が演出してね?」

「うん、もちろん。任せといてよ。さ、そろそろ行かないと開演だ。レクイエム・パッチワークはきっと『ファウスト』のいいヒントになるよ。なにせ『ファウスト』自体がパッチワークで、しかも一種の鎮魂の儀礼でもあるんだからね」

2019.2.10

 

(おりば・ふじん/一橋大学大学院言語社会研究科)