機関誌『半文』

文亡ヴェスペル 日常系ミステリ-人文学バトルマンガAURORAのためのプレヒストリー・スクリプト-

小説:折場 不仁 漫画:間蔵 蓮

*登場する人物・機関・組織等は、実在のものとは何ら関係ありません

第27回 道標(亡き人) ――Your Position in the World (3)

年明けから2月末にかけて目白押しの慌ただしい入試業務が一段落した後、ホッと一息つきながら年度末のあれやこれやの始末をしているうちに、気づけば新学期がすぐ目の前に迫っている3月半ばは、それでも教員一同にとってはかろうじて春休みらしさの片鱗をほのかに味わうことのできる貴重な日々である。春分へ向けて一日一日と日脚は伸びてゆき、寒さの残る日にも冬のコートはもう重苦しく、足元の若々しい草の緑がまぶしく目をうつようになる。4階の開発室の窓から見える木々の枝はまだ芽を吹いてはいないが、そこに射す日差しは白く明るく、室内に落ちる枝の影の揺らぎも心なしか軽やかである。

「とっても読みやすい、きれいなページになったねえ。ね?」

大型ディスプレイにコンが投影してくれたGenSHAホームページを眺めながら真弓は感に堪えたように言った。ふたりで英語版のページの最終確認をしているところなのである。英語版を作る計画は1年前からあったのだが、いろいろな仕事に追われて真弓がなかなか手をつけられずにいる間に、イーリンによる翻訳で中国語版のほうが先にできた。英語版も結局は、時間のない真弓のかわりにイーリンがまず下訳をして、それに真弓が目を通して細かい修正を施すという形でやっと先ごろテクストができたのを、コンの指揮で沢渡・人吉初め何人かが手伝ってコーディングして、ようやく公開準備が整ったところだ。

「前見たときと、字体というか、フォント? 少し違うよね。変えたの?」

「あ、はい。前のでもいいとは思ったんですが、いや見た目たいして変わらないといえば変わらないんですけど、これはrosalvaっていう新しいフォントのシリーズでとても使い勝手がいいので」

「細かい違いはぼくにはよくわからないけど、衒いがなくてスマートで、とてもいいね」

邦文と欧文では組版の細かい工夫にわりと違いが出る。コンテンツの配置を含め英語版のレイアウトを調整するプロセスでこの間に真弓もけっこう開発室に出入りし、コンとだんだん親しくなった。いろいろ教えてもらいながら相談しあって一緒にデザインを確定していくうちに、自分でも少しずつ、フォントや字組み、ページレイアウトを見る目のようなものができてきたかもしれないと思う。もちろん、レイアウトの良しあしを確信的に云々できるレベルにはほど遠いけれども、少なくともそういうものごとに目を向ける意識が自分の中にも生まれたようで、おかしなことに、近世の詩などを扱うに際しては手稿における詩行の配置や余白のありかたなどにそれなりに注意を払ってきたつもりなのに、ウェブサイトはもちろん、日常投稿する論文誌のページレイアウトなどさえろくに気にしたこともなかった、ということに今更ながらに思いを致すこのごろであった。活版印刷術が西洋で発明されて間もないころ、エラスムスはルターとの論争に1点でも多い勝ち星を挙げるために、徹夜で印刷所に詰めて組版・印刷・製本作業をみずから督励したという――それはむろん自筆のテクストを間違いなく正しくかつ迅速に組んでもらって、相手側の新刊が出るや否や間髪を入れず論駁を叩き返すためで、何も隅々までレイアウトを監督するためではなかったろうけれども、それでも、大車輪で反論原稿を書きながらその場で活字を組ませ一刻も早く製版にこぎつけようというとき、強調すべきところをいかに強調し、いかにインパクトのあるタイトルページを構成するか、どこにどういうサイズとウェイトの活字を投入すればそのメリハリで主張を補強し、相手をカッコよく圧倒し去ることができるか、そういう工夫も含めてそれは一刻を争うエラスムスの熱い戦いだったのだろう。自分たちのその戦いを支える媒体はいかなる形であるべきかに彼は非常に敏感だったし、実際15世紀後半から16世紀初頭にかけて、そういう機敏な人々の切実な戦いのプロセスにおいてこそ印刷媒体は人文的学術営為の不滅の基盤としてその形を確立していったのだ。20世紀にはなお不滅と思われていたその基盤がいま徐々に崩れつつあるとき1、由緒正しい紙媒体の権威に安閑と依拠し続ける以外にもっとなすべきことがあるのではないのか、紙か電子かというかまびすしい議論において頑なに紙を擁護したり、逆に電子化に対して前のめりになったりするのではなく、もう根本的に、自分たちの媒体を新たに一から構築して我がものにしていくほどの覚悟と気迫が要求される時代ではないのか。しかし――と真弓は考える――それは自分にはとても遠い道のりのようで、みずからそこへ踏み出していくためのエネルギーがどこでどのように手に入るものか、いかにも心許ない。

「石山くんは、どういうきっかけで表現主義に興味を持ったの?」

「え。あ……いや、表現主義そのものよりかは、むしろ表現主義論争のほうに興味を惹かれたんですが、きっかけは何だったかなあ、まだ学部生のころでしたけど」

「思想史をやってたんだっけ?」

「やってたというほどでは。そうですねあの論争を最終的にマアマアといって収めたのがブレヒトだっていうのが、最初すごく面白いと思ったような。ギャグじゃないかと思った記憶がありますね」

「それはひどい(笑)」

「(笑)何というんでしょう、あの論争の、そのう、ある種の、壮大な無駄感といいますか。世界的なファシズム危機にどう対処するかっていう話が根底にあるはずなのに、いつのまにかその主題そっちのけの芸術理念論争に発展して、それがメジャーな文学者や芸術家の多くを巻き込んでいく様子が目ざましくて、それをまた劇作家が仲裁したりっていう、それ自体どこか劇っぽい演出感もありつつ、パッと始まってパッと終わるのが、まるで1年の期限つきのワン・オフ・フェスティヴァルみたいで。それがひとつの雑誌を舞台として起こったというときに、その「舞台として」っていう言葉が、ただの慣用句を越えた適切さをもって響くような気がするんですよね。その雑誌が『Das Wort(言葉)』っていう誌名だったりするのも偶然にしてはデキスギ感があって、現代では到底起こり得ないことだったんじゃないかと」

「今でもいろんな危機に際して国際的論争はそのつど生じるよね。湾岸戦争とか、アフガン戦争とか、アメリカのグローバル交易センタービルのテロとか、そういうときに折々生じてきた現代の論争と、どう違うのかな」

「うーん、いや最近全然勉強していないので何ともいえないですけど、ひとつには親密さの違いかな……」

「親密さ?」

「ああいう、議論グループ内部での親密さというか、真っ向から対立した主張をぶつけあってる人たちどうしの間にそれでもある親密なベーシックな紐帯のようなものが、現代の国際的論争にはあんまり感じられない気がするんですよね。議論も散発的な感じで、でもそれは単純に論争が外からどんなふうに見えるか、その見え方の問題つまり論争の発信媒体の違いの問題なんだろうとは思うんですが」

「同人雑誌の上での論争と、マスメディアの上での論争の違い、っていうこと?」

「ええまあ、ひとつにはそうで、マテリアルな学術誌上に結局は閉じられた場で集約的に行われる議論と、テレビや新聞のいわゆるマスメディア上のそれと、さらにはインターネット、最近ではソーシャルメディアと呼ばれるものの上で行われる議論とでは、つまり論者というか、演壇に立つ者とギャラリーの間の距離のありかたがそれぞれ全く違うわけで、その違いが議論そのものに反映しないわけはないんでしょうけども。学術誌にももちろん読者というものがいて、それが意識されていなかったはずはないでしょうが、それでも、例えばブロッホがルカーチにとかルカーチがブロッホに反駁するとき、相手に対してまっすぐ直接に反駁している感じ、論駁自体はギャラリーを度外視してまっすぐ相手を見ながら行われている、かのような感じがするんですよね。実際はともかく、そのように見える、そこが劇っぽいというか、雑誌だからそういう劇が可能だったのかなと。そういう、いってみれば直截な演劇性のようなものを現代の国際的議論にはあまり感じないというか」

「直截な演劇性。ふうん、どういうことだろう」

「うまく言えないですが、三一致の法則じゃないですけど、何かそんなような、ギュッと凝縮した収斂性といいますか、テーマ性というのとはちょっと違う、求心性というか、そういうものが現代の議論にはどうも欠落しているような気がするんですよね」

「まあ現代は、かつての表現主義とか、ロマン主義とかリアリズムみたいな大きなムーヴメント自体が欠如しているから、そういうものをめぐる芸術論争がそのまま大きな国際情勢とリンクすること自体が生じにくくなってるんじゃないかな。あえていえばいま政治性と強くリンクしてるのはポストコロニアリズムとかそういうあたりだろうけど2、ポストコロニアリズムをめぐって芸術論争が展開するとして、各陣営に共通する敵は何なのかっていうと、表現主義論争の当事者たちの共通の敵がファシズムだったという程度に明瞭で収斂的な敵があるわけじゃない、敵そのものが散在、あるいは、茫漠と偏在もしくは残存しているある種の「傾向」であるというところが、もしかしたら表現主義論争との大きな違いなのかもしれないね。とても戦いにくいものを相手にしているから、戦い自体が茫洋としてしまう、とか」

「敵、というものはやっぱり必要なんでしょうか」

「え?」

「表現主義論争は一種の内ゲバみたいなものでしたけど、ファシズムという共通の敵があるからこそ内ゲバも切迫した切実な論争になりえたんだとすれば――私はポストコロニアリズムについては勉強が足りないのでよくわからないですけども、ときどき目に触れる論考やなんか読む限りの印象では、共通の敵が茫漠としているというよりかは、個々の論者が敵とするものがそれぞれ微妙にしかし全く異なっている、というような感じがするんですよね。共通の敵があるというより、それぞれにいわば個人的な敵があって、それらの敵のあいだに何となく共通点があるから、あたかも共闘しているように見える、というような。ひとりひとりが個別に自分の敵と戦っていて、でもその戦いに似た要素があるから、とりあえず同じ闘技場にいるというだけなんじゃないかと思うときがあります」

「それは、そうかもしれないね。だいたい人文学は個人プレーだってよく言われるしね」

「ええ、なので、だからどうだっていうわけでもないんですけど、つまり論文を1本書くにしても、敵がいないと書けない、あるいは書いてはいけないのか、だとすればそれはなぜなんだろうと。共通の敵がなくても、個人的な敵を相手どってでも何かしら戦うのでないとだめなんでしょうか」

「だめ、ということはないと思うけどね。例えば何かの文学作品をとりあげて、その独自の読解を呈示するなんていうテーマの論文なら、なにも仮想敵を作らなくてもいけるだろうし、そこを心配する必要はないんじゃないかな」

「ええ、いや、心配というか、むしろ逆に、敵がいないとだめなんじゃないかと自分で思ってしまうもので、それが妙に辛いというか。敵というと強すぎる言い方のようにも思いますけど、何かしら気に入らないこと、意に染まないことというか、打破あるいは拒絶したい何事かがあるのでないと、単なる作品解釈であっても、それを文にして発表しようという意欲にはつながりえないんじゃないでしょうか。お金のためとか名誉のためというのは別として」

「論文は批判的でなければならない、ということ?」

「……というのとも違う気がします。もっとこう、深い動機の部分で気になっている感じかなあ」

「きみは、何か打破したり拒絶したりしたいことがあるの?」

「それが、あまりよくわからないので……何か書こうとすると、そのよくわからない仮想敵のほうへ意識が向かうのが自分で何となくわかるんですけど、筆はなぜかそっちへ向かわないというのがあって、それがまどろっこしくて苛々するというか、単にテーマを選び間違えてるだけなのかもしれませんが、それよりもむしろ、そういう、敵がいるからペンを以て戦うみたいなスタンダードをこそ打破したいのかもしれないです。純然と目的を遂行して、純然とその遂行プロセスに喜びが見いだされるような論文が好きだし、自分でも何か書くならそういうものが書きたいと思うんですが、その一方で、ただ単に何か調べましたというだけではつまらないなあとも思うんですよね。で、そういうものを、えーつまり純然と目的を遂行するんだけれども単なる調査の実施でもないようなものを書くという目的さえ、実はそういうものでないようなものがスタンダードであるという状況を仮想敵としないと遂行できないのかなと思うと、もうどんどん辛くなるという。すみません、整理されていない変な話を出してしまいました」

「いやそんなことはないよ。それって、つまるところ、人文学をやることには何の意味があるのかっていう、例の問いと同じ問いだよね……」

何かといえば問われるこの問いに自分はなるべく正対しないようにしてきたのだが、と真弓はほろ苦い思いで、そろそろ暮れかかる窓の外の木立に目をやった。入日の黄金色が薄れかかる頃合、少し風が出てきたのか、梢のほうの枝がかすかに揺れる。ちょうどこういう季節のこういう日に妻は逝ってしまって、それ以来、いわゆる「張り合いをなくした」とかいうやつで(と真弓は自嘲した)、淡々と義務的に論文を生産し続けることにのみもっぱら腐心してき、その意義とか、意味とか、そういう根本的な学問動機はあえて自らに問わないようにしてきた。妻は自然科学者のはしくれで、共通の話題はあるような、ないような、むしろ共通の生活こそが唯一無二の共通の話題であるような夫婦だったけれど、だからこそ妻と一緒にいると――別々のことをしながらでもふたり一緒にいると、別々のことをしているからこそ世界は2倍、というより無限の容量を持っていた、なぜなら世界のうち自分のものではないほうの半分は常に自分には伺い知れない果てしなさを内包していて、しかもそれでいて自分の傍らにあり、絶えず心地よい微風のように自分をいざなってくれていたからだ。もっとこっちのほうへ寄りなよ、楽しくて、心地いいよ――きみこそ、もっとこっちへ来たらどう、こっちだって楽しいよ、ほらこんなに、ね?――それがたぶん、自分がものを書いて発表する第一の動機だったろう。自然科学的な世界、あるいは共に生きる日常の世界、に対する第二、あるいは第三の、一種のカウンターとしての世界を自分が担っている気で、古いといってもさほど古くもない初期近代の、当時は変哲もなかったかもしれない無量の手稿や印刷物とそれらの復刻コピーと各種文献の山にうずまった小さな世界に可能な限りの繚乱たる生命性を見出し、それを「ほら!」愉快でしょう、この世界はこんなにも生き生きとしている、素敵だといって人前に差し出す、そのときに仮想敵のようなもの、拒絶したい世界があったとすればそれは、そういうものの楽しさを認めない世界、そういう楽しいものがあることが知られ得ない世界、以外の何物でもなかったというべきだろうか。それは言い換えれば、そういう楽しい素晴らしい愉悦の存在を知る機会が妻に与えられ得ない世界であり、つまりは、妻が自分と一緒にいない世界、妻が自分をいざないそのお返しのように自分が妻をいざなうということがことが生じ得ない世界――要するに妻がいない世界だった、そしてそのような世界の到来の可能性が、自分にとって唯一最大の見えない敵だったのだ。その敵と戦っているという意識すらまるでないままに、けれども知らぬ間に自分はその闘いに不意に敗れ去っていて、外から自分をいざなってくれる者がいつのまにか掻き消すようにいなくなってみれば、自分の世界だと思っていたほうの世界すら、もはや自分とは無縁な、うっすらと埃か蜘蛛の巣をかぶったような朦朧として疎遠なものになりおおせてしまった。かつての生き生きした愉楽を再び見出そうと無理にも埃を払って目を凝らしても、何かポーランドの廃墟映画3のような悪趣味な極彩色の絵ばかり浮かび出てきて、それに伴って懐かしい妻さえもがひどく歪んだ、ギャアギャアと鳴くホドロフスキーの鳥のように4、でなくば黄泉のイザナミのように恐ろしく醜く変わり果てた姿で訪れ迫ってくるではないか。それを見ないでいようと思うなら、埃は払わずにいるのがいいのだ。もう戦うべき敵もいないし――むろんそのつどの論敵とか、反駁したい通説とか、反論したい副学長とか、破棄したい無駄な規則とかそういうものはあるけれども、それはそれで、それだけのことで、そのつど必要な議論をしたり、必要な反駁や反論や破棄を行ったりするという目的を淡々と遂行すればいいし、その遂行のプロセスには、事実それなりにささやかな喜びがありもする。それは確かにとても気の休まる考えだ。夕日を浴びて揺れる枝の太いのが1本、窓からすぐ手が届きそうなところまで伸びてきているが、実際は1メートル以上距離があるだろう、猫とか、若い元気なリスか何かなら、さだめし窓のふちからピョンと軽やかに飛び移っていくのだろうが――などととりとめもないほうへ真弓の思考はゆらゆら漂った。はっきりそうと意識してはいなかったが、いつしか、こんなふうに開発室でHPの打合せついでにコンと断片的な会話をするのが、真弓にとって大切な、心安らぐ稀有なひとときとなっていた。

暗くなるころに打合せを終えて部屋を出る。「後はわたしが閉めますから」「そう。じゃお願いするよ、今日はありがとう。来年度になったら日本語版のほうの拡張の相談をしよう、ね」「はい」「また連絡します」じゃあね、といって研究室のほうへ廊下をゆっくり歩み、田宮研究室の前を通りかかると、中から賑やかな声がする。最近はずいぶんひっそりしていたけれど今日は珍しい、何かあるのかなと思い、そういえば来年度は田宮がサバティカル明けで戻ってくるはずだな、とぼんやり思い出す真弓である。

コンのほうは機器類を始末して部屋を閉め、鍵を返却すべく事務室へ赴いた。もう6時を過ぎようという時刻なので、事務室は人が減って、秋葉のモミジさんだけがいつものように残業している――かと思いきやイーリンもいて、何やらお喋りをしながらモミジさんの席の後ろの棚によりかかって体育座りでくつろいでいる。

「イーリンさん、どうしたんですか、そんなとこに座って」

「どうもこうもないよ、仕事だよ仕事。楽しいお仕事!」今日はシックなビロード風の鉄灰色の左右非対称のスーツの下に、ひらひらした素襖色のブラウスを着て、似たような臙脂色のふちどりのある、銀ねず色のもこもこした不思議な形のバッグ(おそらくイタリア製だ)を肩にかけるという、通訳仕事の帰りなのか割合にオメカシ系の恰好で、かなりヒールのあるこれもグレーのパンプスのせいで、体育座りの長い脚が窮屈そうである。片手にシャンパングラス、よく見るとモミジさんのPCの脇にもグラスがあって、イーリンのブラウスに合わせたかのような濃赤の液体が入っている。

「飲んでるんですね、こんな時間から。叱られませんか」

「やーね、ジュースなのよ、ただちょっとアルコールが入ってるだけよ」とモミジさん、「イーリンちゃんがくれたのよ、すっごく美味しいんだから、コンくんも一杯どう」

「あ、いや私は」

「コンはこれから飲むんだもんね。あとでそっちにも1本持ってくよ」

「あ、なーんだ、道理でいつもより鍵返すの早いと思ったんだ! 何かあるの、これから?」

「え、あの、ゼミの打ち上げというかそういう感じのものが」

「田宮ゼミ? ひょっとして田宮研究室で?」

「あ、はい、あの今学期いっぱいで他大学に移る人がいるので、壮行会ということで、ちょっと」

「あそうか、人吉さんだよね。彼女いなくなっちゃうと寂しいねー、でも十協大なんてすごい、えらいよねえ。そうなんだー。いいねー、イーリンちゃんも参加するんでしょ、ここはもういいから行きなよ」

「いやいや、もうちょっとだし、やっちゃおうよ。飲みはどうせ夜中までやってるし」

「何のお仕事なんですか、それ」

「あー、これはねー、科目の整理というかな。GenSHAのね。こんど大学の全部の科目にシリアルナンバーつけて整理することになってね、つまり履修や成績の管理をシステムでやりやすくするためなんだけど、それで、全学の方針に従って全部の科目に系統立った番号をつけるっていう作業をしてるとこ」

「それをモミジさんとイーリンさんが?」

「こういうのってさあ、私がやるのは教務の仕事だから当然だけど、イーリンちゃんにつきあわせるのは悪いよねえ、ていうか、やらせちゃいけないんじゃないかな本当は。教務と、先生がたがやるべき仕事だよねー」

「まあ確かに本来はRAのやるような仕事じゃないかもだけど、ま、いいじゃんいいじゃん、誰がやってもややこしいのは同じだし」

「では私は一足お先に行ってます。モミジさんも、終わったら後でちょっとお寄りになりませんか、よかったら」

「そうだよねモミジさん行こうよ、ヒトヨシもきっとよろこぶよ」

「よーし、じゃ、さっさとやっちゃおう」

GenSHAは小規模な研究科だから開講科目もたいして多くはない。ひとくちに番号付けといえば簡単なようだが、科目数が少ないわりに、学部生も履修できる共修科目がかなりあるので、単に研究科の科目のなかで番号に整合性がとれていればいいというものではなく、学部のほうの科目番号の整合性とも折り合いをつけながら進めなければならないから結構これが面倒である。コンが立ち去ってから結局1時間以上かかってようやく目途がついてきた。どういう目途がついたかというと、学部の科目番号の間を縫って番号をつけていくと結局、研究科の科目としてのナンバーはどうやっても系統立ったものにはならない、ということが分明となったのである。

「どうしようもないよね、これ」

「もうしょうがないよ、科目全体の系統が全学の学部科目とGenSHAの科目では全く違うんだから、あっちだけ先に決められたら、こっちが系統立つはずないじゃん。けど、シリアルナンバーとか言ったって、要するにシステムで処理するために、ナンバーと科目が一対一対応してればそれで支障はないわけなんだから、そもそも系統立ってる必要なんか実質的には何もないよね。学生はシリアルナンバーで科目検索したり履修決めたりするわけじゃないんだからさ、いいよもう、これで。締切明日なんでしょ」

「うん。いっか。諦めよっか」

「諦めよう。いい! 人文学の分野分類にそもそも系統立つなんてことはそぐわない! そんなことは全く本質的なことじゃない!」

「あははは、そっかー、バラバラでいいんだ! ってことで、じゃあこれで明日科長に見せて、OKもらって、全学教務に提出だー! ありがとうイーリンちゃん、ほんと助かった。もうねー、ひとりじゃとても今夜中にできないと思ってた」

「モミジさんさ、いっつもひとりで残業してるじゃん。残業しすぎで叱られたりしないの? なんか心配になっちゃうよ」

「ううん、ほんとはあんまり残業しちゃいけないんだと思うけど、あたしはわりと残業好きなんだよね。事務室に誰もいなくなった後で静かに一人で作業するの、けっこう気楽で気分よくて、好きなんだ。それをわかってくれてて、事務長もみんなも、あたしが毎日みたいに残業体制に入ってるの見ても、うるさく言わないで黙って放って帰ってくれるんで、ありがたいんだ」

「そうなんだー。時々ね、みんなちょっと冷たいんじゃないのかなって気になってたりしたんだけど、そうじゃないんだね」

「ないない。目賀田(めかた)事務長は厳しい人で、学生さんたちなんかみんな、コワイ人だと思ってるらしいけど、ほんとは優しいよすごく。規則厳守は徹底してるけど、一方で大事なところでは可能な範囲でそっと目こぼしもしてくれる」

「それはほんとだよね。でなかったら私なんかがこやって我物顔に事務室に出入りするの許してくれるわけないもんね」

「イーリンちゃん来年もRA? そういえばそろそろ在学年限切れるよ? こないだ一覧表見てたらさ」

「うん。あと1年かな。休学1年、在学1年、残ってると思うんだけど」

「どうするの、そろそろ」

「それなんだよね。とりあえず今度の春夏は在学するんだけど――プロポーザル5出さないといけないから――だからRAもやるんだけど、その後、秋から休学かなあ」

「そんで1年休んで、来年の秋に博論出す?」

「うーん博論かあ」

「かあ、って、だって出すんでしょ?」

「うん、たぶんね……でもねー、最近思うんだけど、私のやってる研究って、けっこうアブナイあたりの話じゃん。博論書いたら自動的に公開されるわけで、日本で公開して大丈夫なのかなって、ちょっとね。公開するなら海外の方がいいかなあって思わなくもないんだよね」

「海外って、香港とか?」

「じゃなくって、アメリカとか、西洋のほうが受け入れられやすいし公開の意義も大きいかなって。異文化紹介っていう体裁でさ。日和見根性かもしんないけど、でも今の日本で公開するのちょっとコワイ。何がどこから飛んでくるかわかんない気がする」

「イーリンちゃんって、国籍はまだ香港、ていうか中国籍だよね」

「あっ! そうだ忘れてた、ごめんモミジさん、私こないだJIPとったんだった!」

「えっ、そうなんだ! ついにっていうか、やっとっていうか」

「そうそう、そうなんだよ、暮れに母が亡くなってね、家とJIPを継いだのね。実際に住んでるとこはこれまでと同じだけど、届けは出さなくっちゃだね」

「出してよー、なるべく早くね。でもそうすると、その家には住む気がないなら、今住んでるところに近々JIP付け替えるっていうつもり?」

「住む気がないわけじゃないんだけど、迷ってる。匡坊からはけっこう遠いしね、でも育った家だし、あっさり手放す気にもなかなかなれなくてさ」

「じゃあイーリンちゃんも今では「日本人」なんだねえ」

「うん一応ね。そうでなくても半分以上ニホンジンみたいな気持ちだったんだけど、おかしなことに、母が亡くなってJIP継いだら、逆に、なんだかもう別に日本にずっといなくてもいいんじゃないかって思えてきたんだよね」

「そうなの?」

「私はいわゆる「地震っ子」6だけど母は本当に大事に育ててくれて、大好きでね、もうニホンジンになってずっと母と一緒にいようと思ってたわけね、けどつまりそれは母が生きてたからなんだ、ってことが今更わかっちゃった感じでね。日本はけっこう居心地がよくて――居心地がよくなるように努力もしたし、その甲斐もあったし、特にGenSHAはね、すごく、私にはかけがえのない大事な居場所で」

「うん」

「それこそ、ずっといよう、みたいな気でいたけど、当たり前だけどいつかは在学年限が切れるじゃん、その期限が事実こうやって迫ってくると、考えちゃう、母もいなくて、GenSHAからも出るときがきたら、それでもまだ日本にいる必要というか意味というか、何かあるのかなって」

「学生じゃなくなっても、ここに勤めればいいじゃん。イーリンちゃんくらい優秀で有能なら、きっと専任で採用してもらえるよ。講義だってゼミだって学生指導だって、もうやってるようなもんじゃん? 誰よりも上手にやれるよきっと」

「……だと嬉しいけど。でも当分のあいだ新規人事はなさそうだし、あったとしても、応募するためには、ほら、まず博論書かないとさあ」


(つづく)

2023.4.25

第28回 グレーゾーン(1)

新学期になり、学部授業や会議のある日に田宮はしばしば学校へ来るようになったが、院のゼミや講義は相変わらずPterpe等を活用したオンライン形式のままであった。でないと人吉や向坂くんたちが参加できないでしょ、というのが田宮の挙げる第一の理由で、この間にすっかり学生たちの溜り場と化した研究室を今更取り上げるのも気の毒だしね、などとも言うのだったが、それ以上に実のところ、サバティカルの1年間に自宅やらどこか謎の場所やらにしつらえたらしい研究環境をまた改めて大学に戻すのも面倒に思うらしかった。会議準備その他いろいろなことで田宮自身が「在室」している時間帯以外はこれまでのように部屋を好きに使ってよいということで、学期始めのころは毎週の「在室予定」なるものが研究室ドアに貼り出されていたが、2週間経つや経たずでそれもクラウドストレージ上のゼミ共有ドライブにアップロードされるようになった。

そしてゼミは、Pterpeだけではつまらないし飽きるというので、新たなメソッドが採用された。同じ共有ドライブに学生の発表テクストとそれに対するコメントシートを挙げておき、一週間かけてメンバー全員でてんでにコメントを記入し、発表者は発表者で好きなときにそれらのコメントへの応答を書き込んでおく。そしてそれらの書き込みに基づいてゼミの時間帯にPterpeで議論を行う。Pterpeでは原則として一度にひとりずつしか発言できずどうしても「ワイワイ感」に欠け、議論に乗り遅れた者が発言を挟むのが難しいけれども、こうしておけばいくらかでもそういう「ワイワイ感」の補填にもなるだろうというのだった。実際、最初は田宮を含めて全員が初めての試みで、何をどうしたら議論らしい議論になるか試行錯誤しながら最低限のルールをひとつずつ決めていく、その話し合いもまた同じコメントシートで行ったから、もの珍しさも手伝って妙な賑わしさがシート上に何十ページも延べ広がった。新入生もふたりばかり加わった。昨年度はサバティカルで新規ゼミ生を受け容れなかったから、現在修士3年の沢渡にとっては初めての後輩たちである。ひとりは「引用」の歴史について考えたいという、もと他大の法科出身で数年の社会人生活ののちに入ってきた人であり、もうひとりは珍しくハシ生で、昨年秋の学部生向け「マッピング」ゼミに出席して面白く思ったので続きをやりたいという商経学部出身の子であった。籍は商経研究科に置きながら、田宮ゼミをサブに選んだのである。「GenSHAを受けようかとも思ったんですけど」と小柄な一屋遥(ひとつや・はるか)は優しげな風貌に似合わぬ声量のあるきっぱりした声音で言った、「田宮先生に強く止められました。GenSHAなんかに来ても実業界にデビューできないよって」そりゃそうだ、もっともだと先輩一同が深くうなずく。新学期2回目のゼミ後のPterpe飲み会である。議論が一応収束して田宮が捌けた後、学生たちは好きなだけそのままミーティングに居残って雑談するのだが、沢渡たち何名かの常連は田宮研究室ないし向かいの開発室からアクセスしていて、互いに通信を妨げ合わないように1.5メートルくらいずつの距離を置いて座りつつめいめいそっぽを向いて画面に向かって語りかけているし、研究室のデスクの前の席を占めているのは田宮ではなく新入生の一屋で、はたから見ればちょっとよくわからない光景ではあるだろう1

「一屋さんの背景に並んでる本、見たことある気がするんだけどー」と、十協大のどこかから遠隔参加している人吉が言った。「そこって田宮研究室ですよねー。ひょっとして先生のPCで入ってます?」

「あ、そうなんですよ。持ち運べるノートPCを持ってなくて、自宅からデスクトップで入ればいいんですけど、直前の時間帯に商経研のほうの授業があるもので。したら田宮先生がこのパソコンに別アカウントを作ってくださたんで、student っていう。何かの事情で学校からアクセスしないといけないけどPCがないっていう人がいたら誰でも使っていいそうです」

「そうなんだー。考えてみればこれまでそういう人いなかったのが不思議ですよねー確かに」

「GenSHAは授業が少ないからかも」と沢渡、新学期になっても変わりなく人吉が参加しているので、オンラインとはいえけっこう嬉しい。修論を出さなかった罰ゲームでもないけれども今日は早々に発表させられた沢渡で、なんとか議論を乗り切った解放感もあって少しく浮かれた気分である。「特にこの時間の前は、うちのゼミの人が取りそうな授業ぜんぜん入ってないしね。そういう時間帯を狙ってゼミの時限設定してるんじゃないかな」

「それにしても、じゃあこれからノート買うの? もしかしてうちのゼミのために?」と、これはこの間にすっかり田宮ゼミになじんで、あたかも正規履修生のような顔で毎度自宅参加している向坂理久、本来のゼミ生だったパートナーの加納よりも今でははるかに出席率が高い。

「いえそういうわけでもなくて、どのみち商経研のほうでもこれから要るようになると思うし、院生になって研究室をもらえるから、そこで使うのにも、いよいよノートがあったほうがいいですから。だいたい学部の同期でも、ノート持ち歩いてない人はもうだんだん珍しくなってきてるんで。ぎりぎり引っ張ってたんですけどね、さすがにぼくもそろそろ買わないと」

「空き時間にちょっともの考えるときにもデータを参照したい、みたいな研究だったら絶対ノート要りますよねー。持ってれば逆にいつでも空き時間を有効に使えるし」

「人吉さんは入学当初からノート持ち歩いてたよね、もともと半分理系だからかもだけど、ぼくなんかは、でも毎日普通にノート持ち歩くようになったのってやっぱりマッピングが大きかったかなあ。それまでは、要るとわかってるときにだけ持ってきてたような気がするけど、マッピングで毎日それこそ空き時間には自転車でそこらを駆けまわって写真撮って取り込んでデータ入力してっていうんで、つい持ち歩く習慣になったけど、そうでなければまだ、めったに持ち歩かない人のほうに入ってたかも」

「マッピングのメンバーで、スザキさんっていうすごいお爺さんがいるんですよー。お爺さんなんて言うと失礼かもしれないくらいバイタリティのあるかたで、右手にライオン左手にスマホみたいな、そのひとが去年、最先端のおっきなタブレットをスイスイかっこよく使いこなしてたの見て、思わず真似して買っちゃったんですよー、ほら、これー」と大判タブレットを掲げて見せる人吉の背後には、虫篭やら補注網やら額縁やら薬品瓶やらの標本グッズがごちゃごちゃに突っ込まれた棚が見える。

「そこ何、人吉さん、研究室か何かなの?」

「あーここは昆虫採集普及会っていうサークルの部屋で。すみっこを貸してもらってるんです」

「普及会? それってけっこう政治的?」

「いやーそんなこともないですけど、むしろ昆虫普及会というか、やっぱりけっこう都民サークルとかと連携していろいろ活動してるみたいで、山歩きなんかもするらしくて、楽しみにしてるんですよー。クニマチのマッピングも気になるし、また参加したいんですけども。一屋さんという強力なメンバーが加わってくれるそうだし」

「加わってくれるというよりかは、企画自体がこのところ失速しちゃってるんで、むしろ再稼働のために、企画を引っ張っていってくれる人なんじゃないかと期待してるんですけども」

「えっ、いやそんな大層なことはできないですし、本来の企画のお役に立つかどうかはわかんないんですけど、ぼくなりにすごく興味を惹かれるところがあって、何というか、こういうと誤解を招いてしまうかもしれないですけど、ビジネスというか、マーケティングの観点から、何かできることがあるんじゃないかなと思うんですよね」

「ビジネス!」

「マーケティング!」

「もともとの趣旨が、ひとつには学問分類の見直しにあるというのは聞いてて、そっち方面はぼくなんかにはぜんぜん手も口も出せない感じがしますけど、大学を中心とした生涯教育構想という点では、地域連携論とかの領分でもあるでしょうけど、一種の市場開拓という視点で考えてみてもいいんじゃないかと思ったんです。田宮先生の話で、これまでのデータ収集では市民講座やサークルの参加費とか料金設定に関する観点が欠落していたっていうのをきいて、そこ、すごい面白いというか、探求しがいのある方向性じゃないかなと思って」

「あー、それすごくいいな、というか、口はさんで申し訳ないんだけど、オレはマッピングのメンバーじゃないしこれからもたぶん加わらないだろうと思うんだけれども、一介の家具職人、の端くれとして一般市民の観点から言わせてもらうと、参加費設定ってやっぱすごく重要なんだよね。少し話戻しちゃうけど、オレはノートPC持ってなくて、これまたたぶん今後も当分持つ予定がなくて、これはパートナーのを借りてるのね。Pterpeミーティングだけだったら一台のPC画面をふたりで一緒に覗いて話に加わることもできるけど、今年はじまったみたいにコメントシートにみんなで書き込んで、それ見ながら議論するってなると、ひとり一台持ってないと不便だなと思うんで、買おうかなとちょっと思うわけ。でも今は金ないから、いいスペックのノートは買えないんで、せめてデスクトップ買い替えようかなとか、思うだけは思うわけね。このゼミに継続的に出るためにさ。そういうのって授業としてはどうなんだろうと思わなくもないけどね、参加希望者をツールの所持・非所持でもって篩い分けることになっちゃうから、大学の授業としてはけっこうグレーなんじゃないかと実は思うんだけどさ、でも何というか、そういうハードルが何かしらあるかどうか、どの程度あるか、ってことが、大学のやる市民講座とかそういうものにとってはすごく重要なんじゃないかと思うんだよね……えっと、何だっけ?」

「参加費の話でしたよ」

「あそうそう、つまり、そのハードルがね、高すぎても低すぎても、何だかなあと思うわけなんだ。たまに大企業のやる公開セミナーとかで、行ってみたいのがあるんだけど、何だったかな前に「ソーシャルメディアの映像戦略」っていうセミナーがあって行ってみたかったんだけどもそういうのはたいてい参加費何万とかウン十万で、とてもじゃないけど行けっこなくて、でもセレブのやるセレブ向けのセミナーだからしょうがないよなって諦める。一方で、公民館とか市民ホールとかに大学の先生が来て何か喋る、参加費無料、どなたでも参加できます、っていうのだと、まいいか別に行かなくっても、どうせトウシロ向けにわかりやすい入門編プラス人生訓みたいのだろとか思ってしまって、オレはヒネすぎてるのかもしれないけど、でも自治体主催で参加費無料なら講演料もきっとろくに出ないんだろうし、だったら講演にもどうせたいして力入ってないんだろうなとかね、そこは国立大学でも同じでさ。無料の公開講座って、なんか「施し感」みたいなのがあって癪にさわるし、かといって幾らなら快く払えるのかっていうのも、よくわからないんだ自分でも。だから、えー、あんまりうまく話つなげられないですけども、大学がやる生涯教育をビジネスの観点から考えて分析するっていうのに賛成」

そうこうするうちに開発室のほうは撤収が済んだらしく、コンや上野原など若干名が「お疲れ」を言いながら入ってきて、研究室はたいへん込み合った様相を呈しはじめた。落ち着いてpterpeできる状況ではなくなったので、向坂も人吉も、じゃあね、教室組はいいなーと言いながら名残惜しげに離脱。飲みに行くにはさすがに時刻も遅いので、椅子の足りないその場所で、あとの面々はそのまましばし歓談となる。

「お疲れーっていうけど、実際、疲れたよねえ」と上野原がやや茫然とした目をして、「普段の3倍くらい疲れない、これさ?」

沢渡「3倍っていうか、ゼミからゼミまでの一週間ずっとコメントシート記入があるわけだから、単純計算だと7倍じゃないかな」

コン「それはさすがに単純計算すぎるでしょう。毎日5時間もコメントシート書いてる人はいないだろうし、一日平均30分としても拘束時間は2倍弱というところじゃないでしょうか。でも目は10倍くらい疲れるし、ずっとやってるんだっていう意識が重荷にもなるから、あれこれ換算して結局は3.5倍から4倍くらいになりますかね」

糸魚川「どんな換算、コンそれ?」

コン「それに、みんながいろんな環境で書き込むせいで、発言者によってフォントや行間がまちまちなのが非常にストレスフルですよね。いちいち直していると中身が頭に入ってこないけど、直さないと気になって気になって、やっぱり頭に入ってこないという」

上野原「その話、シート上でも出たけど、フォントとフォントサイズと行間くらいは決めてもいいんじゃないのかなあ、みんなで同じのを使う、行間は1.5とする、とかさあ」

コン「行間はともかくとして、フォントに関しては、どのデバイスにも共通するデフォルト・フォントはどれも今イチで、これといって選びたいものがないんですよね。欧文はrosalva に決めましょうとか邦文はリブリオにしましょうとか決めたとして、それをまず全員インストールしなきゃならないというのもどうかと思うし」

糸魚川「そもそもPROCESS2自体が、こういうふうに共有ドライブで大勢で編集することを想定した仕様にはなってないんだろうから、仕方ないじゃん」

コン「仕方ないで済むなら、世の中にそもそも不幸は存在しないんですよイトさん」

糸魚川「フォントや行間がぐちゃぐちゃになるのって、それほど不幸なこと?」

コン「もちろん不幸ですよ、絶大な不幸だと言ってもいい! それを不幸だと思わないとすれば、そのこと自体が、すなわち現代の人文学が抱える絶大なる不幸であり、闇の山脈に他ならない! そうじゃないですか、だってただ読めればいいってもんじゃないんだからさ」

糸魚川「ああ、そうかそうかわかった、そういう山脈をぜんぶ均して平らにしたいんだったねえキミは3。アクセス可能ということは、アクセスしやすいということを全く意味しないとね」

コン「その通りですよ全くね、可読であるということは必ずしも読めることを意味しない !」

何かが「読める」ということと、読むことの神学的不幸について糸魚川とコンが侃々諤々はじめたのを横目に、上野原は気遣いを発揮して、隣の椅子に窮屈そうに座っている新入生に飲み物をすすめた。人吉がいたら定めし「フランチェスカ」を配るところだが――

「どうですか武井(たけい)さん、ゼミは。だいたいこんな感じなんですけども」

「え、ありがとうございます、ええ、だいたいわかりました。こんな感じ、なんですね」新入生といっても年は上野原より若干上とおぼしい武井ルチアは、目をしろくろさせているようでもあり、面白がっているようでもあり、他方また落ち着き払っているようでもあるような、いささか捉えどころのない様子でオウム返しに答えながら、上目づかいに上野原を見て「たいへん面白いですね」と言ってニッと笑った。不意をつかれてややタジタジとなる上野原である。ゆるくウェーヴした漆黒の髪が卵型の顔をふちどり、イタリア系スイス人とのクォーターだとかでやや群青がかった目の間隔が妙に狭い。そのせいで視線を捉えにくいのかもしれないが、バロック期のどこかアンバランスな象牙の聖女像を思わせる頭部に対して、下はアオザイというか作務衣のようなものをざっくり着ていて、全体が妙にちぐはぐな感じなのが、ニッと笑ったとたんに一種の不思議な調和が瞬間的に出現したかのようで、上野原はとても落ち着かない気持ちになったが、それが決して不快ではないことにも気づいて、二重の驚きを覚えるのだった。「何がどう面白いんですか」と訊いてみる。

「何がどう面白いか?」武井はまたしてもオウム返しに答えながら、「そうですね。議論の中身も形式も、これまで馴染んできたものとは全く違うので、それだけでも面白かったですけれども。今日は建築の話でしたから私は門外漢で、あんまり発言もできませんでしたけど、予想とは全く違う方向へ話が転がっていくので楽しかったですね。こういう、一般的な意味での言葉の使い方にこだわった議論のできる場に飢えてたんだなと思って」

「一般的な意味で、というのは、法学的にというか法律用語的ではないところで、ということですか」

「法律用語的ではないところで、はい、そうですねそういう意味で。法律用語というか、法の言葉というのはそれはもう厳格なもので、法を学ぶということは法を構成する言葉の厳格な使いかたを学ぶというのにほぼ等しいようなところがあるんですけど、それだけ、つまり法の言葉は特殊な言葉で、普通の言葉とは懸け離れたところで運用される、一種の人工言語みたいなものなんですよね。なので、法の言葉の使い方を習えば習うほど、普通の言葉の使いかたに疎くなるというか、法の言語に関する議論と同じくらい厳格な議論が一般の言語についてはほとんど行われないことに苛立ちを覚えてくるんですよね」

「それでこんなところを訊ね当てていらしたんですね」

「まあそんなところですね。気になることといえば、ああいうコメントシートの著作権はどうなるんだろうというのが気になりますが」

「え、何か法的に面倒なことがありそうなんですか」

「法的に面倒なことは、いえもちろん、こうしてゼミの中でだけ使っている限りは何もないと思いますけど、例えばそうですね、誰かが数行のコメントを書いて、その下に別の人が、「私も同じことを思いました」と書いてたりしますよね。そういう場合、その「同じこと」の著作権は誰にあるんだろうとか、そもそも「同じこと」というのは、何がどう「同じ」であることを指すのだろうかとか、そんなことを考えながら読んでましたらね、なかなかに面白いですね」

「ははあ、なるほど。考えたことなかったなー」

「あ、考えたことなかったですか。でも、いいですね、そういうの」

「そういうのって?」

「そういうのっていうのは、つまり、そういうこと考えずに議論できるということが。もちろん学術的に、何と何が「同じ」だといえるのかということについては、そのつどみなさん考えて発言なさるんだと思いますけれども、自分の発言と同じ発言、あるいは、同じだとか「同意」するとかの発言を誰かがしたときに、それはゆくゆく剽窃になるんじゃないかとか、誰かに何か盗まれるんじゃないかとか、後々自分が望まない形でどこかへ出されてしまうんじゃないかとか、そういう恐れをむやみに持たずに自由活発に議論できるのって、いいなと思うんです。例えば会議を録音したりするときって、あらかじめことわるじゃないですか、これこれのために録音させていただきますとか、ただし純然と記録のためなので外部へは出しませんとか。録音しなければ一回かぎりの会議の場でそれぞれの発言は霧散霧消してしまうのを、録音することによって、長く残る形にする、残ることによって、いろいろな問題が生じるわけでしょう。それがこういうコメントシート方式というか、テクストの形で最初から議論するということは、あらかじめ、録音されてリアルタイムで文字起こしされるのと同様の状態で議論するということですよね。録音されるのを嫌がる人はどこにでも一定数いると思うんだけれども、こういうコメントシート方式に対して異議を唱える人がとりあえず誰もいないというのが、こう言うと何ですけれども、ちょっと信じがたいくらいです。みなさんよほど相互の信頼が篤いのか――」

「いやー単に何も考えてないだけじゃないですかね。お花畑だって言われそうだけど。こんど田宮先生に直接言ってあげて下さいよ。あれでわりと不用心にグレーゾーンを走りたがる人だから」

「ドライブのセキュリティとかも気になっちゃいますね本当は。悪意のある人が情報とって解析して、ゼミの思想性みたいなものをあぶり出してどこかに晒すとか、ぜんぜん、ありえないことじゃないですしね」

「怖いこと考えますねえ武井さん。でも本当はそうなんだろうなあ、というか、そういうこといつも、どこでも考えないと危険な時代になっていくんだろうなあきっと」

「すみません、わりと大きな会社で法規の仕事してたもので、ついいろいろ用心深くなってしまって。そういう用心ばかりを事とする仕事についてることに、つまりウンザリしてきちゃったんですけどね」そう言って武井はまた不意にニッと笑うのだった。


(つづく)

2023.6.8

第29回 ジノ亭(1)

連休の中日にJINOで塙保の歓迎会があるというので、沢渡と上野原がひそやかに出かけた。田宮ゼミの面々ばかり大挙して押しかけるのも何だからというので(JINOとGenSHAの関係を深めすぎないための政治的配慮もあったかもしれない)、田宮も斉木もあまり大っぴらに周知はしなかったし、コンや糸魚川など都合の合わない者も多かったが、上野原が新入生の武井を、沢渡が森川を誘って、総勢4人、噛田の駅前で待ち合わせることにした。一箸発祥の地とされる噛田は古くからの庶民の町だが、ごみごみした界隈が震災と復興を経て整然と取り片づけられた結果、良く言えば小ぎれいな、悪くいえば変哲のないコジャレた街並みとなりおおせている。「下町」を売りにしつつも現代の流行に乗り遅れぬよう工夫を凝らしたブックカフェ、エスニックレストラン、アパレルショップ、ヘアサロンにネイルサロン、各種の手作りこだわりグッズのショップといったあたりが並ぶ中に郵便局だの銀行だの昔ながらの眼鏡屋だの印鑑屋だの、あるいは美しく補修された古い稲荷堂や小寺などが地味に混ざって町の情緒に変化をつけ、休日をそぞろ歩く観光客をたのしませる。日の長い季節、時刻は5時を回っていてもまだまだ明るく、そよ風は爽やかに乾いて快適だ。

「そこの少し引っ込んだあたりだよ」勝手知ったる上野原が案内をする。郵便局の角を曲がって、人通りのやや減った小路に入って少々行くと、ちょっと石造りめいた重厚の感のなくもないビルから英国パブの看板のようなものがぶら下がっていて、時代がかった木のプレートに筆太のかわいらしい字体で「ジノ亭」と書きなぐってある。「……これですか? ひょっとして」「そう」「パブじゃないですか?」「だよね。武井さんこの看板見たことない、写真とかで?」「写真とかで、いえ、見たことないですねえ」入口のドアは観音開きで、臙脂色のペンキの剥げかかったこれも木製らしい分厚いドアの上半分に摺りガラスが嵌まり、その下に真鍮の水平ポール。片方のドアには「閉切」とマジックで書いた紙がセロテープで厳重に貼ってある。振り仰ぐとドアの上の鋳鉄製のネームプレートにまるで申し訳のように「Laboratory of Humanities」とだけ見えるのは、なんだか西洋の強制収容所か、でなければ動物園の入り口のようだ。並び窓や庇のデザインには高度成長期の終わりごろ特有の気負った安っぽさのようなものも見てとれ、築年代はさすがに争えないなと沢渡は思った。5階建てのようで、震災を生き延びただけにどっしりしているけれども、全面的に建て直さずに済んだがゆえに却ってあちこちに補修の跡が見え、そしてその補修の跡を隠すなりさらに改修するなりして外観を綺麗に整えようという気が実は全然ないらしいことが見てとれる。「入っていいの、これ?」とためらいながら右側ドアのポールを推すと、カラリン、と鳴るところはまるでかつての「セフィロス」の入り口そっくり、「いや、パブだろこれ、どうみても」「入口が違うんじゃない? ほんとにここなの?」「そう」入ると中はひとまずよくある安手の内装の古ビルであり、左手に待合室のような、いい加減なソファとローテーブルのセットと自動販売機のあるささやかな空間があって、そこらの路地から適当に拾ってきたかのようなパッとしない鉢植えがいくつか並んでいる、その隣にエレベーター、その隣に階段があり、そのちょうど向かいが受付カウンターになっていて、その奥は事務室らしいが今は誰もいないようだ。事務デスクが3つばかりあって、さらに奥のテーブルには発送準備の整った郵便物様のものが積んであったり、ファイルキャビネットがあって引き出しがひとつ半ば開けっ放しになっていたり、壁に予定表のようなものがごちゃごちゃ貼ってあったりしてかなり雑然としている。左手のキャビネットに半ば隠れた向こうには隣室へ続くらしいドアがあり、右手のちょっと引っ込んだところは水回りになっていて小型の冷蔵庫などもある上方に採光小窓が並び、全体にたいへん気のおけない感じの事務室である。カウンターの右端が小さいスイングドアになっていてそこから出入りするらしい。つい今しがたまで人がいた気配がするが、それにしても「ちょっとこれすごく不用心じゃないですかね」「泥棒さん入り放題じゃない?」「事務室なんだよねここ。重要書類とか聴講生の個人情報とか山ほどありそうなのに大丈夫なのかな」等々とささやき合うかたわらで上野原はひとりでクスクス笑っている。その指さすほうへ一同が目をやると、スイングドアのさらに右手、水回りの手前にあたる部分が玄関脇の引込みになっていて、さっきは開けたドアに半ば隠れていて見逃したけれども、木彫り彩色のなかなかに見事な彫刻が据えてあるのを、見れば1本の枯木の回りで狐と狸と兎がてんでに小道具を持って舞い踊っているところなのであった。根本近くで狐が手ぬぐいを振り、真ん中の枝で狸が(当然ながら)鼓を打ち、てっぺんで兎が餅玉をかざしている。いずれも実にしなやかな肢体と至福の表情が見事で、赤い前垂れをかけた兎は一同の頭より上で跳ねていた。かなり大きな彫刻で、狸の鼓紐の緋色や狐の手ぬぐいの色彩も深々として豊かである。「なにこれ、すごくない?」「いつのかな。色の剥げかたからするとけっこう古いよね」「古いですね。どこでみつけたんでしょうね、説明も何もないけれど」「これ前からあったんですか?」「うん、あった」「由来は?」「知らない。ヒミツ」「ヒミツ!? なんで?」「ジノのヒミツその1」「なにそれ」とやっていると、階段をトントンと下りてくる足音がした。振り返ると、大きな紙袋をいくつも片手にぶら下げて各種の酒瓶(多くはすでに封の開いている)をもう片方の腕いっぱいに抱えた青年が、にもかかわらず至って軽快な足取りで降り立つところで、「ああ、すみませんお待たせして」と実に屈託ない笑顔で近づいてきた。「今日のお客さんですね、一箸のかたがたですか」そうです、とうなずくと「よかった、こちらです、どうぞ」と、足を止めもせずそのまま一同を促して廊下を奥のほうへ進む。「田宮さんも斉木さんももういらっしゃってます」階段の向こうは手洗所で、そのさらに向こうに収納庫らしい扉、その向かいがまたも少々引込みになっていて、そこに再度「ジノ亭」の看板がぶら下がっていた。玄関からは見えにくいようになっているのは、ひょっとして何かしら憚るところがあったりするのかもしれない。看板の下にやはり似たような観音開きのドアがある。「もう適当に始まってますから、どうぞ気楽に楽しんでいってくださいね」と言いながら青年は紙袋を下げた指で真鍮のポールをかろうじて引っ張ると(今度は押すのではなく引くようだ)、わずかに開いた隙間に足を差し入れ、踵で勢いよくドアをいっぱいに開けながら、ダンスでも躍るようにくるりと回転して、開いたドアの端を同じ踵で支えたまま一同が楽に入れるように脇へどいて、そんな姿勢にも拘わらずどこか優雅に見える会釈でもって、一同を中へと促した。

「……パブじゃん、やっぱ」――事実そこはパブであって、カウンターがありテーブルがあり、椅子は壁際へ寄せられて立食形式になっているが、煤けた垂木の風情といい磨きこまれたカウンターといい、ずらりと並んだグラスやビールの樽といい、本格的な酒場に違いなかった。客がすでに20人くらいいて、めいめいグラスを片手にてんでにさざめいている。「上野原くん知ってたんだろ、教えてくれればいいのに」「森川さんほんとにここ来たことないんですか」「ないなあ、初めてだよ。こんなところとは知らなかった」「レストランもついてる、とか言うから生協食堂みたいな感じかと思ってましたよ」「べつに嘘じゃないよ、ちゃんと食べ物も出るもの」「そういえばさっきから何となく美味しそうな匂いがしてたよね」「上野原さんはお馴染みなんですか、ここ?」「いやー、よく来てたのは院に入る前だから。4年くらいご無沙汰だし、夜来たことは元々あんまりないんだよね。一度くらい講座の打ち上げで来たかなあ。こんなに賑やかなのはぼくも初めてだなー」

沢渡はその間、案内してくれた青年がどこかで見たことがあるような気がして、しばし目で追っていたが、すりきれブラックジーンズにスニーカー、目立たない暗色の細身のジャケットという何ということもない装いで、何が入っているのか大きな紙袋と、抱えてきた酒瓶を右手のカウンターの奥へ手早く運びこんだ後、青年は今度はシャンパンらしき瓶が何本も入った籠を持って出てきて、フロアをぐるっと回りながら、すでに軽いスナックや前菜様のつまみものが並んでいる各テーブルに一本ずつ瓶を丁寧にすばやく置いていく。その間にいろいろな人に声をかけられたり肩を叩かれたりして、そのたびに活発な応答をしているらしかったが、やがて瓶を配り終えるとそのまま、カウンターの先の右奥のドアからスッと消えていった。ドアはふたつ並んでいて、今のドアはどうやらさきほどの事務室のほうへ続いているらしいから、ひょっとしたら彼はこの後、事務室で張り番の役をするのかもしれない、と沢渡は想像をめぐらした。ここの事務員なのだろうか、風体はあまり事務員らしくないが、さっきも実は張り番をしていたのがふと上階からものを取ってくる必要が生じて暫時席をはずしていたのだろう。それなら納得もいく、でなければいくらジングルベル研だってあそこまで開けっぴろげに不用心なわけはない――

「よっ、サワタリ」田宮である。「森川も、武井くんもよく来たね。まあ特に何をやるっていう会でもないから、気楽に遊んでいくといいよ」とさっきの青年と似たようなことを言う。「後でいろんな人に紹介するから。あ、師匠が来た」

奥のほうからスルスルと音もなく近づいてきていた安倍昭二郎は、相変わらず作務衣様のものを着ていたが、手にしているのは今日はリキュールグラスである。「久しぶりだな、みな元気かね」その節はさんざんお世話になりまして云々とあり、「そちらは初めて見るお顔だな、田宮くんのところの人かね」「田宮さんのところの、はい、新入生の武井ルチアです」「武井ルチア。ほう。よいお名前だな。歌は好きかな」「え、歌?」きょとんとする武井に、「ふむ、いや、楽器をやるかね」「あ。楽器、はい。二胡を弾きます」「え、そうなの武井くん、知らなかったよ。なんでわかるんですか師匠?」「うむ、なんとなくさ。二胡、それはよいね、風雅かつ情感的だな」幅の狭い武井の目をじっとのぞき込む。今日もアオザイのようなものを着ている武井と作務衣の昭二郎の間に何となくかすかな調和が感じられる気がするのは錯覚だろうか、と沢渡はいぶかしむ。そういえば1年前に「偲ぶ会」で初めて昭二郎に会ったのも似たようなシチュエーションだった、森川とふたりでグラス片手に。奇しくも今日は福富前科長のほぼ一周忌にあたる。この会はあくまでも塙保の歓迎会だということだけれども、ひそかにJINO流の「偲ぶ会」を兼ねてもいるのかもしれない。「ほう、法学をやっていたのかね。なら、ちょうどいい人がいるから紹介しよう」グラスの液体を揺らしもしない滑らかな歩みで武井をどこか奥のほうへ誘っていく。「由布(ゆふ)さんといってな、法哲学者で、通称ウーフー、ドイツ語でフクロウの意味だが、これがまた夜更かしでな」――まるで1年前の繰り返しのようだ、と沢渡は思いがけぬ既視感にみまわれながら会場を見まわした。フロアの広さもちょうどGenSHAのあのときの会議室と同じくらいなのだ、天井の高さも。もちろんインテリアや照明の雰囲気は全く違うのだけれど。向こうのほうで斉木と吉井が誰か知らない人たちと歓談している様子も、あのときとそっくりな感じがする。人吉がいればいいのにと思いながら、「上野原さんは誰か知ってる講師の人とかいそうですか?」「いやーどうだろう、あそこの左端の椅子にかけて煙草吸ってるのが小池さんだけど」「あ、あの口ヒゲの人?」少しく真ん中が禿げ上がりつつもまだ黒々した色味の残る髪と、半白だがふさふさの口ヒゲが若々しいとも老成したとも見える小池は、面長で掘りの深い顔に人の良さそうな、それでいて奥行のありそうな表情を湛えて隣の、同じくヒゲをたくわえた人と何やら談笑している。こちらはヒゲだけでなく髪も長くて半白だが、頭のてっぺんに小さいチョンマゲのようなものを結っているのが奇妙である。小池よりはだいぶ若いようだが、いまどきの黒縁眼鏡がキョトンとした風情で、細っこい体を微動だにさせずきっちり両膝を揃えて座ったまま、時々あちこちと首をかしげながら間断なく喋っているらしいのへ、小池は穏やかに相槌を打ちながら、烟を吐きつつ楽しそうに耳を傾けている、そこへ武井を連れた昭二郎が寄っていって何か言っているのをみれば、どうやらあのチョンマゲの人がウーフーとかいう法哲学者らしい。森川は感に堪えたようにその様子を遠目に眺めながら「へえ、禁煙じゃないんですねこの会」「あー、森川くんきみも吸いたければあの隅にだけ灰皿あるからね、あそこが喫煙席だから。窓に換気扇ついてるでしょ」「今時めずらしい設営ですね。まずくないんですか」「今日は内輪の会だからね」「小池さんの反対側の隣にいるのが塙保先生ですよね、ぼく面識ないんですけど、なんか仏頂面なさってませんか」「塙保さんは煙草キライだからじゃないかな」「そうなんですか!」「薄田さんというかたは?」「もうすぐ来るでしょ。今日は二日酔いだとかで昼過ぎまで上のソファで寝てたけど、さっき起きてシャワー浴びてたから」「シャワーあるんだ、いいなあ!」「あ、来た来た」

背後のドアがふわっと開いて、薄田甚五郎とおぼしき長身痩躯の男が、タオルで頭をがしがしと拭きながら登場した。一同あわてて道を開けると、「いやーやーや・や!」などという音声を発しながらタオルを被ったままずかずか、ひょこひょことした歩みで奥の演台のほうへ突き進む。70歳を超えているはずだが矍鑠として、ツイードふうの織のジャケットに茶色い綿シャツ、空色の綿パンにサンダルという、一見めちゃめちゃなようだが妙に似合った出で立ちでそのまま正面マイクの前に立ち、いきなり「おほーう!」というような第一声を発した。単にタメ息をついたようでもある。タオルを最後にぐいと前から後ろへ引いて、犬ころのように頭をフルフル振ると、好々爺の顔が出た。のどぼとけが目立って、少しく猪首のその首にタオルをかけて、「や、申し訳ない、お待たせしました」と意外にも至極まっとうな挨拶である。「昨日ね、連休前半集中講義の打ち上げで、その後ここの設営をやって、そのまま朝まで飲んじゃってね、いつものことながらたいへん失礼しましたが、本日はみなさんお集まりくださりまことにまことにありがとうございます。本日はたいへん嬉しい。今日のこの日をもって、社会科学・社会哲学のひとかたの泰斗であられる塙保行長氏をここにお迎えできる、これほど嬉しい迎え酒というのはめったにないものであります」一同笑。「本日この場に至るまでには、ご承知のように幾多の艱難がありました、まことに痛ましい思いも致しました。しかし何にも増しての艱難は、いやがる塙保氏をくどき落とすというまさにそのところにありました(「いやがってない、いやがってない!」という塙保の合の手あり)。その経緯、その充実、そして氏のご人格ご人徳についてはみなさん否が応でも今後おいおい知ってゆかれるでありましょう。氏のお仕事については今更ぼくなどが語るまでもない。談論風発こそがJINOが変わらずその命とするところでありますが、そのともしびに新たな息吹、どころか突風を吹きつけまくってくださるはずの塙保行長氏をここに改めてご紹介いたします」喝采。小池に促されて塙保が立ち上がりマイクの方へ。「えー」コホン。「えー、何と申せばよいか、こんなにスピーディにご挨拶の番が回ってくるとは思っていなかったのでやや面食らっておりまして、突風とはむしろ薄田さんご自身のことであり、その襲来にあってわたくしこそさっそく風前の灯のような心地がしております(一同笑)。同じともしびでも、JINOはなまなかな突風などではびくともしないようにできた堅牢な灯台のごときものと心得ておりますが、しかしながら如何せん近年においては、そのともしびが照らす範囲の海原を、かつてのように多くの船が通らないということがあると(一同ややシンとなる)、これは私が言うのではなく、忝くも私風情をくどき落としたと薄田さんがおっしゃるそのプロセスにおいて、別の言葉ではありますが薄田さんご自身からおうかがいしたことであります。真実そのような事態があるとするならばそれはまことに遺憾な事態であって、もし突風颶風を吹かせんとするならば、それは打ち寄せる荒波を押し返すためではなく、多くの船を、大小さまざまの船を他ならぬこの灯台の領域へ吹き寄せるためでなくて何でしょうか(喝采)。吹き寄せるといえば、そうだ(薄田のほうを向いて)すみませんちょっとそのタオルかして下さい。ありがとう(頭を顔をゴシゴシこする)、いやつまり吹き寄せるといえばですね、さっきまで私はそこの喫煙コーナーで小池さんの隣に座っておりまして、(ゴシゴシ)たいへんに烟を吹き寄せられまして(一同笑)、いや笑いごとではないんですよみなさん、辛くてね、でもね、私は何も無理にそこに座らされたわけではないんです、当然ですけども、もちろん今日の主賓として小池さんのおもてなしを受けつつ挨拶の出番を待つうえであそこに座って待ってるのがベストな立場ではあったけれども、それだけではなくて、私はむしろ、吹き付けられてみたかったのです。吹き付け、吹き寄せられることにみずから慣れてみようと思うのです。いや今後はなるべく灰皿には近づかない予定ですけどね、小池さんとお話しするときにはメガホンか糸電話でお話しすることにしようと思いますが(一同笑)、おそらくみなさんご承知のように私は大学を捨ててくるわけではありません。大学を捨ててJINOに骨を埋めようというのでは決してない。大学というものもひとつの船、大きな船だといえましょうが、現代ではむしろ座礁した船、座礁したっきりそこに座を据えている大船であると言うべきかもしれません。にっちもさっちもいかない状態で古き岩盤に根を下ろしている船と、船がちっとも通りかからない灯台という、ふたつながら自己撞着に苦しむそのふたつの場をどのように関連づければよいのか、それを考えながらふたつの場をどのように行き来しようかというときに、よくあることですが下手をすればどちらにおいても中途半端な居かたになってしまいがちである。いわゆる二股かけるという具合には、しかし私は決してなりたくありません。七つの海を股にかけるというのは、どの海にも中途半端に七股かけるという意味ではないはずである。大学にもJINOにもしっかりと両足をついていたいので、どちらも自分のホームだと思えるようになりたい、そのように努めたいと思いますので、どうぞみなさん見守ってやってください。よろしくお願いします」満座の喝采の中、タオルを返しながら薄田と握手をする塙保である。事務室との間のドアから例の青年が覗いていたのが、喝采とともにそっと引っ込み、ドアがパタンと閉まるのを沢渡は見た。

各テーブルでシャンパンの蓋が飛ぶ音がポンポンと景気よく響き、泡立つ液体がグラスに注がれ、乾杯となる。どっちが音頭とるんだという思い入れで薄田と小池とが身振りを交わし、いいよいいよと小池が腰を据えたままニコやかにかぶりをふり、うなずくと、薄田はまた進み出て「じゃあ何はともあれ乾杯しよう。塙保さんに――JINOに――数々の船と灯台に、そして縁ある泉下の、もとい天上のかたがたに、乾杯!」

座はたちまちほどけて、空気がゆるやかに流動しはじめた。森川は塙保に挨拶してくると言って喫煙所のほうへ向かう。あんなことを言っておきながら塙保はまだ小池にいちばん近いテーブルに留まっているのであった。「塙保先生の喋りって実は初めて聞いたんですけど」と上野原が言った、「なるほど弾丸なんですね。即興でしょあれ全部」「だろうね当然。わりといい勝負だったね」「勝負だったんですか?」「だと思うけど。きみたちおなかすいたでしょ、遠慮せず食べたり飲んだりしなさいよ。だんだん料理も出るからね。ほら」見ると、カウンターの先の奥のドアがどうやら厨房へ続いているらしく、そちらから美味しそうな湯気を立てた大皿を2枚捧げて入ってきたのは、コック帽をかぶった吉井である。続いて若い人たちが同じような皿をもって入ってくるのは「吉井さんの講座の受講生たちだよ。料理好きな若い人がわりと揃ってるらしいんで手伝ってもらってる」「吉井先生がシェフなんですか?」「シェフは順繰りに有志がみんなでね。コック帽リレー。ほらいま吉井さんからコック帽受け取った女性が松ヶ枝(まつがえ)さんっていう、教育学の人だ。教育学というか、近世の教育制度史が専門ね」「コメニウスとかですか」「そうね、けどむしろそういう教育理論というかメソッドが実際に草の根でどこまでどう運用されたかとか、そういうことを調べてる。こないだ言ってたのは確か、そういう教育制度の運用とイソップ以来の動物童話の地域的変遷の関連っていうね、なかなかに面白いよ。あと、いま吉井さんと喋ってるのは日本の芸能史の人」「歴史系の人が多いんでしょうか」「言われてみればそうだねえ、最近増えてるかも」「文学とか映像とかでいわゆる作品論や作家論をやる人はあんまりいなかったですよね昔から」「しばらく詩の人がいたことがあったんだけれども、どうしたかな、結局居つかなかったみたいでね」……そうこうするうちに軽やかなピアノの音がどこかから泉のように湧き出した。それまで気づかなかったが、小池たちの背後の換気扇よりもうひとつ奥の壁ぎわに古びたアップライトピアノがあって、いつしか吉井がそこに座って「象牙の魔術師」ぶりをさっそく披露しているのだった。


(つづく)

2023.8.13

第30回 ジノ亭(2)

ピアノが軽やかに鳴り続ける中、カウンターのそばに沢渡と上野原。

「この並んでるの、貰っていいのかな。シャンパンってなんか喉乾きますよね」

「いいと思うけど、それみんなジュースかお茶じゃない? 注文すればけっこう何でも揃ってるはずだよ」

「あのすみませーん」

「はい」

カウンターの向こうに屈んでいたらしいのがひょいと顔を出す四十絡みの男、年のわりに禿ちょろけた天然パーマの髪に愛嬌たっぷりのヒョウタン顔、よれたチェックの綿シャツから、意外にも器用そうなしなやかな手先がのぞく。

「あ、何か飲まれますか。何にしましょう?」

「えっと、そうですね、せっかくだからその樽のもの、それビールですよね」

「はいー、ミュンヘンのヴァイツェンです、おいしいですよ、好きずきですけども私は好きですね」

「じゃあそれをひとつ」「ぼくも」

「ほい、ヴァイツェンふたつ。おふたりさんはお目にかかるの初めてですよね。ここの学生さん?」

「あ、いえそうじゃないんですけど、ここの講師のひとに連れられて」

「へえ、どなた?」

「田宮先生」

「あそうですかー。じゃ一箸の学生さん?」「ええ」「あたしは吉井さんとこの学生で、秦(はた)といいます。どぞよろしく。そうですかー、吉井さんも前は一箸にいたんですってねー」

「ええ、でもだいぶ前に辞められて、ぼくらはぜんぜん間に合ってないんですけどね。それでも最近、他の先生の授業に時々吉井先生も参加してくださって、それで遅まきながら謦咳に接しているところなんです」

「あそうですかー。いいかたですよねー吉井さんねー。実にこう音楽的人格というかねー」

「秦さんはこちら長いんですか」

「いえいえ、ごく最近なんで。ちょっと暇をみて音楽の勉強でもしようかと思ってね、吉井さんの講座に出て一目惚れですよ。一耳惚れというかな」

「ピアノ初めて聞きますけど、お上手ですよね本当に」

「でしょう! ポップスでもクラシックでも民謡でも何でも弾いちゃうんですから、すごいもんだ」

「秦さんも音楽おやりになるんですか」

「いやーそれもごく最近になってですね。尺八を吹きたいなと思ってね、でも尺八って、「クビふり三年」ていうんですがまだその一年目でねー。怠け怠け練習しながら吉井さんの講座や、古市さんっていう芸能史のひとの講座にぶらぶら出てね、そうすると仕事の憂さも妙に晴れる気がしますねー」

「お仕事、何をしてらっしゃるんですか」

「いやあ、デパートですよ、デパートでね、発注やら納品管理やらね。でもほらデパートってもの自体がもうダメになりつつあるでしょ、昔みたいに、夢の詰まった場所とは全然言えなくなってきたじゃない、だからどうしようかなあと思ってね。今は、ここの講座料払うために勤め続けてる感じですねー」

「それもすごいですね」

「あー秦さん秦さん、こっちにもヴァイツェンちょうだいよ」

「あどうも松ヶ枝先生こんにちは、こんばんは。ほいヴァイツェン」

「ありがとう。秦さんちゃんと食べてる? 代りましょうか?」

「コック帽は?」

「いま古市さんに代わったとこ。暇になったから代るわよ」

「まだいいですよ、あたしも今入ったばっかりだし」

「バーテンもリレー制なんですか?」

「そう、適当にね、気づいた暇な人が代るの。あなたたちもやってみたい?」

「え、いいんですか?」

「でもカクテルとか作れないです! 樽ビールのおいしい注ぎ方も知らないし。あ、なんか悔しい」

「ここの常連になりますとね、そのうち自然にバーテン・スキルが身につきますよ」

「バーテン講座もありますか」

「そうねー、あるといえばあるかも。晩の講座が終わってからここに来ると、たいがい薄田さんか小池さんがお神輿据えてるから、ビールの注ぎ方とかシェイカーの振り方とかについて、訊けば一席ぶってくれるわよ。おふたりは田宮さんとこのかたなのよね。こんな端っこに遠慮していないで、真ん中のほうへいらっしゃいよ。少しずつ食べ物をとるふりして、真ん中のほうへ肉薄していけばいいのよ」

「ぼくちょっとバーテンやってみたいです。秦さん教えてくれますか。あ、えっと上野原といいます」

「上野原さん、はい、いいですよー。あ、そっちから入ってね、足元にビンあるから気をつけて」

「こちらはお名前は。あ、わたし松ヶ枝です」

「沢渡です。松ヶ枝先生は――」

「さん、でいいわよう」

「松ヶ枝さんは、教育史がご専門とさきほど伺いました」

「そんな大層なものでもないけど、そうね、教育文化史、みたいなものかな。そんな用語ないですけどね。沢渡さんはどういう勉強をなさっているの?」

「あいたたたた!」

「ほら気をつけて! 中入ると意外に狭いでしょ、足元にいろんなものがあってね、あ、その紙袋踏まないで、それ後で二次会のときに出すジャンクな乾きものやなんかだと思うんだ。あ、跨いでいいよ。ここまで来れば立てるから」

「ひえー」

「じゃまず、あたしにヴァイツェン注いでくださいな。グラス斜めにしてね、こう――」

「あらー、松ヶ枝さーんお久しぶりねーお元気だった?」

「あらー、斉木さんじゃないですか、よくいらしてくださいましたね!」

「またまたお邪魔しに来ちゃったわあ」

「まだ一箸にいらっしゃるのよね? いつJINOに来てくださるの?」

「またまたー、お言葉は本当にありがたいけれど、もうトシで体力に自信ないのよー」

「またまたー。今日のお着物はちょっと元禄ふうね。それでいて渋いのねえ、さすがだわあ」

「あの、おふたりはもともとお知り合いなんですか」

「トシはだいぶ離れてるけれどもねえ、そうなの、ええとどこで最初知り合ったんだったかしら?」

「きっかけは学会でしたよね、やっぱり」

「あそうそう、近世の演劇についての学会があったのよ、いつだったかしら忘れたけど、そこで松ヶ枝さんがとっても面白い発表をなさってね、「世界劇場」についてのね」

「そうなの、16世紀のドイツのものらしい、かわいらしい台本をみつけてね。どうやら子供向けに編集というか、制作されたものなのよね、とっても珍しい。それについて発表したら、斉木さんが質問してくださってね、それが最初でしたよね。世界劇場で出会ったんですよ、私たち」

「まー、そんなふうに言うと、私たちなんだかすごいわねーえ。そう、それで、上演してみようってことになって、いくつか小学校とか回って舞台やったんだっけ? あれもう何年前? 20年くらい前? あれなんでそのあとも続けなかったのかしら? 面白かったのに」

「そりゃ震災があったからですよう」

「あそうか、そうだったわねえ。あの頃松ヶ枝さんはまだすごく若かったわよねえ、今でもお若いけれど」

「そうですね、まだ30になってなかったかなあ」

「そんなにお若くてそんな大発見をなさるなんて、すごいですね」

「大発見てほどのことでもなかったんですよ、実のところ。たまたま現地のアーカイヴで資料整理のバイトしてたから。ただの偶然なんだけど」

「偶然も実力のうちなのよ。でもまた何かやりたいわねえご一緒に。そういえば今『ファウスト』を読み直してるところなのよ、何か面白く上演できないかと思って」

「あらすごい、またずいぶんド真ん中を攻めてらっしゃるんですね。何か良い当てでも?」

「いーえ、ないのよ別にね。でもせっかく大学にいる間にね、キャンパス全体を使ってフル上演できたら面白そうだと思って。第1部第2部を通した上演って結局日本では一度も実現してないそうだし、ドイツでだって、完全上演はほとんど行われたことないんじゃないかしらね、大抵はいろいろ端折ってしまってね。端折ったりしないでフルで、でも今の人が見ても退屈しないような形で、やろうと思えばやれるんじゃないかしら。吉井さんに演出してもらってね。松ヶ枝さん入らない?」

「入る入る! ぜひぜひ! わたしマルテの役やる、メフィストと散歩するとこ」

「あらー役者もやってくださるの、ありがたいわ。お金ないから全部手作りよ」

「科研費とりましょうよ科研費!」

「まだそんな段階じゃないわよ。今学生さんたちと輪読をやりながら構想を練ってるところなの。こちらの沢渡さんもずっと輪読に参加してくれているのよ、ね」

「あ、そうなんだ! 何の役やる?」

「あいえ、役をやることは考えてなかったです。参加するなら裏方、大道具がいいかもですけど」

「この人は都市論の人なのよ、都市論のようなもの、だったわよね。街並みとか、景観論というのともちょっと違うのよね」

「景観というより、その何というか、街を、でも田舎をでもいいんですけど、歩いたり立ち止まったりしながら周りを見回したり空を見上げたりして景観を眺めるのっていうのを、自分がそのときにいる場所を確認する行為だと捉えるとして、何を以て何を確認してるのか、みたいなことに興味があるというか」

「いわゆる風景論っていうのともだいぶ違うみたいですね」

「違うんでしょうかね。よくわからないですけど、風景論では、基本的に風景というものを文化的構築物というか美的構築物として捉えて、その前提として、額縁に嵌めるようにして風景を見るというのがありますよね、言い換えれば風景を二次元のものとして、奥行きはあっても媒体としては二次元のものとして理解するんだと思うんですけど」

「そうね、それはやっぱり絵画や写真のフィールドをベースにしているんでしょうから」

「でも今、3Dヴァーチャルがいよいよ本格的になってきて、映像全般が必ずしも平面としては捉えきれなくなってくると、そういうスタンダードな風景論がどれだけ通用するのかなとか。構築されるものとしての風景とか景観という話よりもむしろぼくは、景観を眺め回すことによって構築される自分、のプロセスのほうに興味があるのかもしれなくて、そういう意味では風土心理学?とか都市人類学みたいなほうを勉強するのがいいのかなと思ってるところなんですが」

「おもしろそうな話をしてますね」

「あ、古市さん。あれっ、さっき厨房に入ったところじゃなかった?」

「そうなんだけど、鯖寿司切って並べるだけだから、あっという間だよ。いま由布さんに替わった」

「鯖寿司! お手製のやつよね?」

「季節的にはぎりぎりのところだけど、今日のはうまくできたよ」

「沢渡さん沢渡さん、古市さんの鯖寿司、絶品ですよ、貰いなさい貰いなさい」

「ぜひぜひ」

「早く取らないとなくなるわよ」

「んん。あ。……おいしい。ほんとだ」

「本格的なプロの板前さんなのよ。普段とても手なんか出ないお店なんだから、私たちとてもラッキーなんですよ」

「板前さんなんですか! 芸能史のかただと伺いましたけど」

「ええまあ、いやお恥ずかしいですがね。自己流で。ちゃんと勉強したのは料理のほうで。沢渡、さん?」

「田宮くんところの学生さんよ。今ね、風景と大道具の話を――」

「エミリさんエミリさん、ちょっと」

「あらなあに?」

「木梨くんを知ってるっていう人がいた」

「えっ。あ、あの不動産の」

「不動産のっていうか、今どうやら音楽関係のプロモーションみたいなことをやってるらしい。ぼくの受講生でここらの大道音楽プロジェクトに噛んでる人が、世話になったことがあるらしいんだ」

「大道音楽プロジェクト。あらまあ。あの、道端にピアノを置いといて誰でも弾けるみたいな?」

「そうそう。ちょっとこっち来て」

「――そうすると、風景というものを、美的に眺めるものというより、何か圧倒的な、混乱した情報の集積として捉えたいということなのかなあ」

「そうかもしれないです。混乱したものを人間はそのままでは受容できないから、何かしら整理して受け止めたその結果が風景というものだとしたら、その過程で何が整理されてしまうのかが気になるというか」

「そうなると情報学ですよね、もうね。ぼくには見当もつかないけど、確かに、日本庭園にせよ西洋庭園にせよ、舞台の書割にせよ、どういう整理が行われた結果ああなるのかっていうのは、興味あるところですね。未だに多くは謎だしね」

「能舞台とかですか」

「茶室とかね。石庭ってあるでしょ」

「枯山水?」

「あれなんか、極度にいろんなものがそぎ落とされた抽象と整理の極みみたいに見えるけれども、その実は、もともと白砂を敷き詰めただけの白洲に石を置いてみたのが始まりではないかと言われてるんですよね。実際の行為としても、庭の区画の中にものを配置して作っていくわけで、まっさらな砂の平面の上にむしろ情報を付加していくんだけれども、付加されたときにはすでに情報は整理されているから、そのプロセスは目に見えないんですよね」

「砂に波模様を描いたりするのって、確かにあからさまに情報の付加ですね」

「そう、庭を見る者は多かれ少なかれその情報を読みとることを強いられるわけだけど、じゃあその情報はどこにあるんだろう?」

「……ひょっとして「おまえの心の中にある」っていうオチですか。なんだ、冗談をおっしゃってたんですね?」

「必ずしも冗談でもないですけどね。あ、グラスが空ですよ、何か飲みます?」

「空なのはグラス、でいいんですよね?」

「(笑)それヴァイツェンだった? 悪くないでしょう? 貰いに行きましょう。なんかカウンター混んでるなあ。あ、新人さんだ、こんにちは。じゃひとつマティーニでも貰おうかな」

「マティーニ。ひえー」

「上野原さんまだここにいたんですねえ!」

「古市さん意地悪しないであげてよー」

「ふふふ、じゃあジントニックはどう」

「あジントニックならさっき作った! 任せて下さい。まずジンを……あ、ジンはどれにいたしましょうか」

「ボンベイ・サファイア」

「かしこまりました。えーと」「氷、氷」「あ、氷。で注ぐ。んー、こんくらい?」「そんくらい」「トニックを……」「その前にライム用意して」「あ。はい。でトニックを……」「うまいうまい」「軽くステアして……ライム。はい、どうぞ」

「ありがとう。うん、おいしいよ。沢渡さんのお友達?」

「古市さんがコック帽とったっていうことは、鯖寿司があるんですよね。食べ損ねたら大変だあ」

「代るよ。食べ遅れた人のために一包みとってあるから、テーブルになかったら厨房でそう言ってくれれば」

「わあ、ありがとうございます! じゃお言葉に甘えて、上野原さん行きましょう行きましょう」

「沢渡さん何飲みますか」

「あ、えーと、じゃあマティーニ」

「ははは」

「お店ではカクテルなんかも出されるんですか」

「本店は和食だから出さないけど、支店の無国籍料理のほうではカクテルもありますよ。そっちは比較的気楽に使ってもらえるんじゃないかな。よかったらあとで名刺あげますね」

「鯖寿司、鯖寿司……あ、あった、ここに一つだけ残ってた、奇蹟のようだ。上野原さんどうぞ食べてみて」

「いえ秦さんこそ」

「遠慮しないで、あたしは後で貰ってくるからね、どうぞどうぞ」

「じゃお言葉に甘えて――あ。うん」

「どうだな、うまいだろう」

「あむむ、安倍へんへい」

「古市くんの料亭へ行ったらひとつ1500円くらいするぞ」

「ひえー。でも、うなずけますね。今はどなたが厨房に?」

「さっきウーフー氏が入ったところだ」

「法哲学者のかたですね。何作ってくださるんですか」

「素食(スーシー)だ」

「寿司?」

「ヴェジタリアン料理だよ。しかし彼のはなかなかうまい。下手に疑似肉なんぞ使わぬところがよい。こぶ茶で味をつけたりしてな。豆腐サラダと青菜の三種おひたし、だとか言っていたな」

「言っておられましたね、何が三種なのかは聞き洩らしましたけど」

「あ武井さん。ウーフーさんとたくさんお話できたの?」

「たくさん、はい。たいへん啓発的でした。アナキャピなんですね、あのかた」

「アナキャピ? アナルコキャピタリスト? そうなの?」

「いま全面的にそうだというより、立脚点がそこだということだがね、むろん。あ、鵜野が来た。やばいぞ」

「今入って来られたかたですね、リュックしょった。前に一度、講座に出たことあります。ポストコロニアリズムの授業だったけど、在外してることが多いとききました」

「行ってたはずだがね、ザグレブかどこか、ちょうど帰ってきたのではないかな。ほら薄田さんが塙保さんと紹介の労をとっているだろう。鵜野は、あれは新自由主義批判の闘士だからな、ウーフーとは不倶戴天の敵なんだ。仲は良いがね」

「仲は良いんですか、そうですか、たいへん興味深いですね」

「あ、ほらウーフーが豆腐サラダの皿持って出てきたぞ。見ろ、皿を投げつけるぞ鵜野に」

「えっ、そんなこと――あっ!」

「……投げつけんかったな。ふりをしただけだった。豆腐が勿体ないからだろう」

「勿体ないから、お皿、テーブルに置きましたね。あ! ピストル出した!」

「!パン!って、あれクラッカーじゃん」

「鵜野が来るの知ってて、用意しておったんだろう。な、仲良しだろ。おお三種おひたしが来たぞ。食べなさい」

「三種といえば先生、玄関のところにある彫刻、あれって何なんでしたっけ、前からありましたよね」

「「当代三竦み」?」

「あそういう名前でしたねそういえば」

「三竦みといいますと、まず兎が狸に勝ちますね、カチカチ山で。そうすると狸が狐に勝つことになりますか?」

「そうなるな。腹黒い狐より、狸親父のほうが最終的には生き延びやすいのは、歴史が実証しておるところだ」

「石田三成に家康が勝ったとかですか。じゃ狐が兎に勝つのは?」

「そりゃ、普通に食料だからだろう」

「ああそうか! それで兎が上に逃げてるんですね。どこが「当代」なんですか」

「さあわからんが、もとの三竦みがヘビ・ガマ・ナメクジで爬虫類と両生類と軟体動物だったのが、哺乳類にまで進化したということでは」

「当代の範囲めっちゃ広いですね」

「天文学的に見ればそれほど広くはないさ」

「誰が作ったんですかあの彫刻」

「さあ、それは誰も知らん、薄田さんも知らんらしいな。JINO創設のときに祖父江氏から祝いに貰ったときいておるがな」

「あ、あっちで乱闘が始まってますよ。鵜野さんとウーフーさん」

「おお、塙保氏が参戦しておるな。これは見モノだな」

「まだ小池さんところに鎮座してますね」

「……だってね! いつも言うけどさ、こん……ナ畑でそりゃいくら競争……かが知れてるじゃないの何てったって……て突っ転ばされてもたいした怪我もしない程度のお花畑をまず作らないとどうにもならないって話なんですよだから」

「ええ、ええ、……ろんね、ケイパビリティの問題なんですからそこ……でね、平等に見えるお花畑とふわふわの土壌が生成維持……えてこられないわけですよ、イラクサとかヒイラ……ご存じですか、タンポポの中でも西洋タン……愛いけどすごい毒を出すんですよ、それで周りのいろんな草をみんな殺……ハルジオン……」

「植物に詳しいんですねえ由布さんって(ゴホン)。ひょっとして植物VS動物の闘いをなさってますかお二人は? 動物のまなざしの前でどうとか(ゴホゴホ)……」

「ああ、植物はまなざして来ないからね何てったって……」

「いやまなざしてきますよ」

「まなざして来ないものだけを集めて安心して暮らしてそれでいいと思ってるのがつまりお花畑だってことなんだよ」

「まなざしてきますよ植物だって、目がないだけでね、枝を折られたり虫に葉を食われたりすると「痛み物質」を出して叫ぶんですよ、周りの植物にそれで危険が伝わる。目がないからってこちらを知覚してない保証はない、斧持った人間が近づくだけで実は警報を発してるのかもしれないしね、そういうの人間は気づかないけど、虫はもちろん動物は気づいて知ってるかもしれない、そしたらどうしますね鵜野さん」

「どうするって、何をどうしなきゃならないっての。動物が植物をどう受け止めてるかなんかわかるわけないでしょ、わからないのが前提なんだからさ」

「じゃなんで植物の前で恥じ入らないんですか、まなざして来ないからですか、そういうのこそご都合主義っていうんじゃないでしょうか」

「じゃなに由布さんは青菜三種盛り作りながら俯いて恥じ入るわけ?」

「そりゃ俯きますよ、俯かなきゃ作れないからね。それに玉ねぎ切るときには俯いて涙しますけどね。玉ねぎの痛み物質は強烈だから人間にもわかる」

「じゃあ動物のまなざしの前で恥じ入るっていうのは(ゴホンゴホン)、玉ねぎを切って涙するのと同質の振舞なんですかね?」

「なんでそうなるの。塙保さん烟に巻かれすぎじゃないですか」

「いや(ゴホッゴホ)、そう考えてもいいんじゃないかなとちょっと思ったんですよね。重要なのは人間のほうがつい、動物に見られてると思ってしまうことなんだから、由布さんが玉ねぎを切りながら、玉ねぎに自分が知覚されていると思うんであれば同じことではないかと(ゴッホン)、だって「玉ねぎにやられた」とか言うじゃないですか、バラのトゲにやられたとか、生垣にやられたとか、そういうもの言いはつまり植物のほうが自主的にこちらに何かしてくる、してきたという潜在的理解のあらわれじゃないですかね。まあ、恥じ入るという話ではなくなるのでデリダとは何の関係もなくなってしまうかもしれませんが、要するにあなたがたお二人は同じ穴のむじなであると、たいへん仲のおよろしいことで幸甚ですね(ゴホゴホン)、ちょっと今度から私も入れて下さい(ゴッホッホッホ)」

「あのう先生、いっつもこんな感じなんですか、このお三方は、というかお二人は」

「ああ、まあね。鵜野くんはあちこち出かけて帰ってくるたびに必ず一度はお花畑論をぶつんだ、それを由布さんがそのときどきに迎え打ってね、まあJINO恒例の行事みたいなもんだなあ。聞き飽きた議論だけど、塙保くんが加わると目先が変わってなかなかおもしろいね。きみ、森川くんだっけ、レトリックを専門に勉強してるって? この3人の今の議論どう思う?」

「え、いやそんな、小池先生の前で大した感想なんか言えないですけど、塙保先生はああ見えてお二人を仲裁なさろうというおつもりがあるんですかね。仲裁する必要もないんだろうということをおわかりの上で、仲裁のポーズを取っておられるのかな、とか思いましたが」

「うんうん、いいじゃないか、よく見たな、そうそう。どっちかの味方をするのじゃなくて、第三の視点を、ちょっとバカっぽいところから呈示することで議論に加わる、それで場を和ませつつ話を盛り上げるという手管に長けてるね、塙保くんは」

「すごくいいテンポの雄弁ですよね。咳とかもわざとなさってるんじゃないですかね」

「かもな。だいたいリベラルとアナキャピの議論なんて、もうずいぶんやり古されたものだし、両者完全に対立して根底から話の噛みあわないところで憎みあうか、お互いに甘受可能な領域にとどまりつつ修正的に和やかな会話でおさめるかのどっちかでね、あのふたりは基本的に後者だけど、甘受可能でない領域に踏み込んで議論もする、ただしもっぱら隠喩を使っていわば虚構のディベートをするだけの知恵と余裕があるわけさ。2人がそういう関係なのを塙保くんは瞬時に理解して巧みに参入したというところかな」

「先生は参入なさらないんですか」

「いやだよ、おれは。面倒だよ。きみ参入したけりゃしていいんだよ」

「いやさすがに無理ですよ。それより、そうだ、先生、ぼく実は去年まで福富先生のところにいたんですが」

「あ、そうなの? 西洋レトリック専門なのに?」

「専門のほうは別の先生についてたんですがその先生が他へ移っちゃったもので。分野がどうというより福富先生の語り口がとても、つまりレトリック的に魅力的だったんでつい」

「それほどレトリカルな喋り方する人じゃなかっただろ」

「そこがよくて。特段にレトリカルではないのに、常にこう、おっしゃることがストンと胸に落ちるのが不思議でした。それは純然と、今の日本には失われつつある古き良き教養なるものがなせるわざかもと思っていたんですが、それが、JINOに移るとお話があったときいて――」

「福富さんらしくないと思った?」

「ええ、まあそうですね、いやJINOと教養がマッチしないとか失礼なことを思ったわけではなくて、イメージとしてJINOってもっとこう、とんがった人を求めるような」

「とんがってたよ、福富さんは。大学では普段そういうところは見せてなかったかもしれないけどね。人文学はこれから最低50年くらいは臥薪嘗胆の時期に入るだろう、ひょっとしたら1世紀以上にわたって、と言ってね。手遅れにならないうちに人文学は地下に潜っておく必要があると言ってたね」

「地下に? それでJINOに?」

「うちだって別に地下なわけじゃないけどさ。地下に潜るってどうやればそうなるのかね、お手並み拝見といきたかった、というか一緒に潜れるものならそれは面白かったろうにな」

「このビル、入ったとこに、地下に下りる階段もありますね」

「あるけど、ただの図書室だよ。図書室、見る?」

「え、いいんですか。あー、一緒に来た上野原っていうのが、あそこにいるんだけどすごく見たがると思います」

「じゃ呼んできなよ。たいした本もないけどね。あ、いいところへいいやつが来た、おーい、ティエンチン。ティエンチン!」

「へーい。お呼びで」

「今、暇ある?」

「今ですか。今この皿をあっちへ運んでやるとこで」

「あ、シロ坊主か。来たのか。遅かったね」

「はい、ついさっき。ジョブひとつ済ませてきたとかで」

「おーおー。んじゃそれ食わしてやってな、んでその間にちょっとこの彼とお仲間つれて、図書室案内してやってくんないかな」

「いいですよー。あ、さっきの」

「どうも、さきほど案内してくださったかたですよね」

「じゃ、ちょっとこれ運んじゃいますから」

「カードキーある? あるよな、じゃ頼んだよ。んで、シロ来たんならその後でまた、よかったら何かやってくれよな」

「了っ解、ありがとうございます。ドイツ語の歌やってみていい? ヒルデガルト・クネフ」

「おう、いいね」


(つづく)

2024.1.26

 

おりば・ふじん/一橋大学大学院言語社会研究科