第27回 道標(亡き人) ――Your Position in the World (3)
年明けから2月末にかけて目白押しの慌ただしい入試業務が一段落した後、ホッと一息つきながら年度末のあれやこれやの始末をしているうちに、気づけば新学期がすぐ目の前に迫っている3月半ばは、それでも教員一同にとってはかろうじて春休みらしさの片鱗をほのかに味わうことのできる貴重な日々である。春分へ向けて一日一日と日脚は伸びてゆき、寒さの残る日にも冬のコートはもう重苦しく、足元の若々しい草の緑がまぶしく目をうつようになる。4階の開発室の窓から見える木々の枝はまだ芽を吹いてはいないが、そこに射す日差しは白く明るく、室内に落ちる枝の影の揺らぎも心なしか軽やかである。
「とっても読みやすい、きれいなページになったねえ。ね?」
大型ディスプレイにコンが投影してくれたGenSHAホームページを眺めながら真弓は感に堪えたように言った。ふたりで英語版のページの最終確認をしているところなのである。英語版を作る計画は1年前からあったのだが、いろいろな仕事に追われて真弓がなかなか手をつけられずにいる間に、イーリンによる翻訳で中国語版のほうが先にできた。英語版も結局は、時間のない真弓のかわりにイーリンがまず下訳をして、それに真弓が目を通して細かい修正を施すという形でやっと先ごろテクストができたのを、コンの指揮で沢渡・人吉初め何人かが手伝ってコーディングして、ようやく公開準備が整ったところだ。
「前見たときと、字体というか、フォント? 少し違うよね。変えたの?」
「あ、はい。前のでもいいとは思ったんですが、いや見た目たいして変わらないといえば変わらないんですけど、これはalvaっていう新しいフォントのシリーズでとても使い勝手がいいので」
「細かい違いはぼくにはよくわからないけど、衒いがなくてスマートで、とてもいいね」
邦文と欧文では組版の細かい工夫にわりと違いが出る。コンテンツの配置を含め英語版のレイアウトを調整するプロセスでこの間に真弓もけっこう開発室に出入りし、コンとだんだん親しくなった。いろいろ教えてもらいながら相談しあって一緒にデザインを確定していくうちに、自分でも少しずつ、フォントや字組み、ページレイアウトを見る目のようなものができてきたかもしれないと思う。もちろん、レイアウトの良しあしを確信的に云々できるレベルにはほど遠いけれども、少なくともそういうものごとに目を向ける意識が自分の中にも生まれたようで、おかしなことに、近世の詩などを扱うに際しては手稿における詩行の配置や余白のありかたなどにそれなりに注意を払ってきたつもりなのに、ウェブサイトはもちろん、日常投稿する論文誌のページレイアウトなどさえろくに気にしたこともなかった、ということに今更ながらに思いを致すこのごろであった。活版印刷術が西洋で発明されて間もないころ、エラスムスはルターとの論争に1点でも多い勝ち星を挙げるために、徹夜で印刷所に詰めて組版・印刷・製本作業をみずから督励したという――それはむろん自筆のテクストを間違いなく正しくかつ迅速に組んでもらって、相手側の新刊が出るや否や間髪を入れず論駁を叩き返すためで、何も隅々までレイアウトを監督するためではなかったろうけれども、それでも、大車輪で反論原稿を書きながらその場で活字を組ませ一刻も早く製版にこぎつけようというとき、強調すべきところをいかに強調し、いかにインパクトのあるタイトルページを構成するか、どこにどういうサイズとウェイトの活字を投入すればそのメリハリで主張を補強し、相手をカッコよく圧倒し去ることができるか、そういう工夫も含めてそれは一刻を争うエラスムスの熱い戦いだったのだろう。自分たちのその戦いを支える媒体はいかなる形であるべきかに彼は非常に敏感だったし、実際15世紀後半から16世紀初頭にかけて、そういう機敏な人々の切実な戦いのプロセスにおいてこそ印刷媒体は人文的学術営為の不滅の基盤としてその形を確立していったのだ。20世紀にはなお不滅と思われていたその基盤がいま徐々に崩れつつあるとき1、由緒正しい紙媒体の権威に安閑と依拠し続ける以外にもっとなすべきことがあるのではないのか、紙か電子かというかまびすしい議論において頑なに紙を擁護したり、逆に電子化に対して前のめりになったりするのではなく、もう根本的に、自分たちの媒体を新たに一から構築して我がものにしていくほどの覚悟と気迫が要求される時代ではないのか。しかし――と真弓は考える――それは自分にはとても遠い道のりのようで、みずからそこへ踏み出していくためのエネルギーがどこでどのように手に入るものか、いかにも心許ない。
「石山くんは、どういうきっかけで表現主義に興味を持ったの?」
「え。あ……いや、表現主義そのものよりかは、むしろ表現主義論争のほうに興味を惹かれたんですが、きっかけは何だったかなあ、まだ学部生のころでしたけど」
「思想史をやってたんだっけ?」
「やってたというほどでは。そうですねあの論争を最終的にマアマアといって収めたのがブレヒトだっていうのが、最初すごく面白いと思ったような。ギャグじゃないかと思った記憶がありますね」
「それはひどい(笑)」
「(笑)何というんでしょう、あの論争の、そのう、ある種の、壮大な無駄感といいますか。世界的なファシズム危機にどう対処するかっていう話が根底にあるはずなのに、いつのまにかその主題そっちのけの芸術理念論争に発展して、それがメジャーな文学者や芸術家の多くを巻き込んでいく様子が目ざましくて、それをまた劇作家が仲裁したりっていう、それ自体どこか劇っぽい演出感もありつつ、パッと始まってパッと終わるのが、まるで1年の期限つきのワン・オフ・フェスティヴァルみたいで。それがひとつの雑誌を舞台として起こったというときに、その「舞台として」っていう言葉が、ただの慣用句を越えた適切さをもって響くような気がするんですよね。その雑誌が『Das Wort(言葉)』っていう誌名だったりするのも偶然にしてはデキスギ感があって、現代では到底起こり得ないことだったんじゃないかと」
「今でもいろんな危機に際して国際的論争はそのつど生じるよね。湾岸戦争とか、アフガン戦争とか、アメリカのグローバル交易センタービルのテロとか、そういうときに折々生じてきた現代の論争と、どう違うのかな」
「うーん、いや最近全然勉強していないので何ともいえないですけど、ひとつには親密さの違いかな……」
「親密さ?」
「ああいう、議論グループ内部での親密さというか、真っ向から対立した主張をぶつけあってる人たちどうしの間にそれでもある親密なベーシックな紐帯のようなものが、現代の国際的論争にはあんまり感じられない気がするんですよね。議論も散発的な感じで、でもそれは単純に論争が外からどんなふうに見えるか、その見え方の問題つまり論争の発信媒体の違いの問題なんだろうとは思うんですが」
「同人雑誌の上での論争と、マスメディアの上での論争の違い、っていうこと?」
「ええまあ、ひとつにはそうで、マテリアルな学術誌上に結局は閉じられた場で集約的に行われる議論と、テレビや新聞のいわゆるマスメディア上のそれと、さらにはインターネット、最近ではソーシャルメディアと呼ばれるものの上で行われる議論とでは、つまり論者というか、演壇に立つ者とギャラリーの間の距離のありかたがそれぞれ全く違うわけで、その違いが議論そのものに反映しないわけはないんでしょうけども。学術誌にももちろん読者というものがいて、それが意識されていなかったはずはないでしょうが、それでも、例えばブロッホがルカーチにとかルカーチがブロッホに反駁するとき、相手に対してまっすぐ直接に反駁している感じ、論駁自体はギャラリーを度外視してまっすぐ相手を見ながら行われている、かのような感じがするんですよね。実際はともかく、そのように見える、そこが劇っぽいというか、雑誌だからそういう劇が可能だったのかなと。そういう、いってみれば直截な演劇性のようなものを現代の国際的議論にはあまり感じないというか」
「直截な演劇性。ふうん、どういうことだろう」
「うまく言えないですが、三一致の法則じゃないですけど、何かそんなような、ギュッと凝縮した収斂性といいますか、テーマ性というのとはちょっと違う、求心性というか、そういうものが現代の議論にはどうも欠落しているような気がするんですよね」
「まあ現代は、かつての表現主義とか、ロマン主義とかリアリズムみたいな大きなムーヴメント自体が欠如しているから、そういうものをめぐる芸術論争がそのまま大きな国際情勢とリンクすること自体が生じにくくなってるんじゃないかな。あえていえばいま政治性と強くリンクしてるのはポストコロニアリズムとかそういうあたりだろうけど2、ポストコロニアリズムをめぐって芸術論争が展開するとして、各陣営に共通する敵は何なのかっていうと、表現主義論争の当事者たちの共通の敵がファシズムだったという程度に明瞭で収斂的な敵があるわけじゃない、敵そのものが散在、あるいは、茫漠と偏在もしくは残存しているある種の「傾向」であるというところが、もしかしたら表現主義論争との大きな違いなのかもしれないね。とても戦いにくいものを相手にしているから、戦い自体が茫洋としてしまう、とか」
「敵、というものはやっぱり必要なんでしょうか」
「え?」
「表現主義論争は一種の内ゲバみたいなものでしたけど、ファシズムという共通の敵があるからこそ内ゲバも切迫した切実な論争になりえたんだとすれば――私はポストコロニアリズムについては勉強が足りないのでよくわからないですけども、ときどき目に触れる論考やなんか読む限りの印象では、共通の敵が茫漠としているというよりかは、個々の論者が敵とするものがそれぞれ微妙にしかし全く異なっている、というような感じがするんですよね。共通の敵があるというより、それぞれにいわば個人的な敵があって、それらの敵のあいだに何となく共通点があるから、あたかも共闘しているように見える、というような。ひとりひとりが個別に自分の敵と戦っていて、でもその戦いに似た要素があるから、とりあえず同じ闘技場にいるというだけなんじゃないかと思うときがあります」
「それは、そうかもしれないね。だいたい人文学は個人プレーだってよく言われるしね」
「ええ、なので、だからどうだっていうわけでもないんですけど、つまり論文を1本書くにしても、敵がいないと書けない、あるいは書いてはいけないのか、だとすればそれはなぜなんだろうと。共通の敵がなくても、個人的な敵を相手どってでも何かしら戦うのでないとだめなんでしょうか」
「だめ、ということはないと思うけどね。例えば何かの文学作品をとりあげて、その独自の読解を呈示するなんていうテーマの論文なら、なにも仮想敵を作らなくてもいけるだろうし、そこを心配する必要はないんじゃないかな」
「ええ、いや、心配というか、むしろ逆に、敵がいないとだめなんじゃないかと自分で思ってしまうもので、それが妙に辛いというか。敵というと強すぎる言い方のようにも思いますけど、何かしら気に入らないこと、意に染まないことというか、打破あるいは拒絶したい何事かがあるのでないと、単なる作品解釈であっても、それを文にして発表しようという意欲にはつながりえないんじゃないでしょうか。お金のためとか名誉のためというのは別として」
「論文は批判的でなければならない、ということ?」
「……というのとも違う気がします。もっとこう、深い動機の部分で気になっている感じかなあ」
「きみは、何か打破したり拒絶したりしたいことがあるの?」
「それが、あまりよくわからないので……何か書こうとすると、そのよくわからない仮想敵のほうへ意識が向かうのが自分で何となくわかるんですけど、筆はなぜかそっちへ向かわないというのがあって、それがまどろっこしくて苛々するというか、単にテーマを選び間違えてるだけなのかもしれませんが、それよりもむしろ、そういう、敵がいるからペンを以て戦うみたいなスタンダードをこそ打破したいのかもしれないです。純然と目的を遂行して、純然とその遂行プロセスに喜びが見いだされるような論文が好きだし、自分でも何か書くならそういうものが書きたいと思うんですが、その一方で、ただ単に何か調べましたというだけではつまらないなあとも思うんですよね。で、そういうものを、えーつまり純然と目的を遂行するんだけれども単なる調査の実施でもないようなものを書くという目的さえ、実はそういうものでないようなものがスタンダードであるという状況を仮想敵としないと遂行できないのかなと思うと、もうどんどん辛くなるという。すみません、整理されていない変な話を出してしまいました」
「いやそんなことはないよ。それって、つまるところ、人文学をやることには何の意味があるのかっていう、例の問いと同じ問いだよね……」
何かといえば問われるこの問いに自分はなるべく正対しないようにしてきたのだが、と真弓はほろ苦い思いで、そろそろ暮れかかる窓の外の木立に目をやった。入日の黄金色が薄れかかる頃合、少し風が出てきたのか、梢のほうの枝がかすかに揺れる。ちょうどこういう季節のこういう日に妻は逝ってしまって、それ以来、いわゆる「張り合いをなくした」とかいうやつで(と真弓は自嘲した)、淡々と義務的に論文を生産し続けることにのみもっぱら腐心してき、その意義とか、意味とか、そういう根本的な学問動機はあえて自らに問わないようにしてきた。妻は自然科学者のはしくれで、共通の話題はあるような、ないような、むしろ共通の生活こそが唯一無二の共通の話題であるような夫婦だったけれど、だからこそ妻と一緒にいると――別々のことをしながらでもふたり一緒にいると、別々のことをしているからこそ世界は2倍、というより無限の容量を持っていた、なぜなら世界のうち自分のものではないほうの半分は常に自分には伺い知れない果てしなさを内包していて、しかもそれでいて自分の傍らにあり、絶えず心地よい微風のように自分をいざなってくれていたからだ。もっとこっちのほうへ寄りなよ、楽しくて、心地いいよ――きみこそ、もっとこっちへ来たらどう、こっちだって楽しいよ、ほらこんなに、ね?――それがたぶん、自分がものを書いて発表する第一の動機だったろう。自然科学的な世界、あるいは共に生きる日常の世界、に対する第二、あるいは第三の、一種のカウンターとしての世界を自分が担っている気で、古いといってもさほど古くもない初期近代の、当時は変哲もなかったかもしれない無量の手稿や印刷物とそれらの復刻コピーと各種文献の山にうずまった小さな世界に可能な限りの繚乱たる生命性を見出し、それを「ほら!」愉快でしょう、この世界はこんなにも生き生きとしている、素敵だといって人前に差し出す、そのときに仮想敵のようなもの、拒絶したい世界があったとすればそれは、そういうものの楽しさを認めない世界、そういう楽しいものがあることが知られ得ない世界、以外の何物でもなかったというべきだろうか。それは言い換えれば、そういう楽しい素晴らしい愉悦の存在を知る機会が妻に与えられ得ない世界であり、つまりは、妻が自分と一緒にいない世界、妻が自分をいざないそのお返しのように自分が妻をいざなうということがことが生じ得ない世界――要するに妻がいない世界だった、そしてそのような世界の到来の可能性が、自分にとって唯一最大の見えない敵だったのだ。その敵と戦っているという意識すらまるでないままに、けれども知らぬ間に自分はその闘いに不意に敗れ去っていて、外から自分をいざなってくれる者がいつのまにか掻き消すようにいなくなってみれば、自分の世界だと思っていたほうの世界すら、もはや自分とは無縁な、うっすらと埃か蜘蛛の巣をかぶったような朦朧として疎遠なものになりおおせてしまった。かつての生き生きした愉楽を再び見出そうと無理にも埃を払って目を凝らしても、何かポーランドの廃墟映画3のような悪趣味な極彩色の絵ばかり浮かび出てきて、それに伴って懐かしい妻さえもがひどく歪んだ、ギャアギャアと鳴くホドロフスキーの鳥のように4、でなくば黄泉のイザナミのように恐ろしく醜く変わり果てた姿で訪れ迫ってくるではないか。それを見ないでいようと思うなら、埃は払わずにいるのがいいのだ。もう戦うべき敵もいないし――むろんそのつどの論敵とか、反駁したい通説とか、反論したい副学長とか、破棄したい無駄な規則とかそういうものはあるけれども、それはそれで、それだけのことで、そのつど必要な議論をしたり、必要な反駁や反論や破棄を行ったりするという目的を淡々と遂行すればいいし、その遂行のプロセスには、事実それなりにささやかな喜びがありもする。それは確かにとても気の休まる考えだ。夕日を浴びて揺れる枝の太いのが1本、窓からすぐ手が届きそうなところまで伸びてきているが、実際は1メートル以上距離があるだろう、猫とか、若い元気なリスか何かなら、さだめし窓のふちからピョンと軽やかに飛び移っていくのだろうが――などととりとめもないほうへ真弓の思考はゆらゆら漂った。はっきりそうと意識してはいなかったが、いつしか、こんなふうに開発室でHPの打合せついでにコンと断片的な会話をするのが、真弓にとって大切な、心安らぐ稀有なひとときとなっていた。
暗くなるころに打合せを終えて部屋を出る。「後はわたしが閉めますから」「そう。じゃお願いするよ、今日はありがとう。来年度になったら日本語版のほうの拡張の相談をしよう、ね」「はい」「また連絡します」じゃあね、といって研究室のほうへ廊下をゆっくり歩み、田宮研究室の前を通りかかると、中から賑やかな声がする。最近はずいぶんひっそりしていたけれど今日は珍しい、何かあるのかなと思い、そういえば来年度は田宮がサバティカル明けで戻ってくるはずだな、とぼんやり思い出す真弓である。
コンのほうは機器類を始末して部屋を閉め、鍵を返却すべく事務室へ赴いた。もう6時を過ぎようという時刻なので、事務室は人が減って、秋葉のモミジさんだけがいつものように残業している――かと思いきやイーリンもいて、何やらお喋りをしながらモミジさんの席の後ろの棚によりかかって体育座りでくつろいでいる。
「イーリンさん、どうしたんですか、そんなとこに座って」
「どうもこうもないよ、仕事だよ仕事。楽しいお仕事!」今日はシックなビロード風の鉄灰色の左右非対称のスーツの下に、ひらひらした素襖色のブラウスを着て、似たような臙脂色のふちどりのある、銀ねず色のもこもこした不思議な形のバッグ(おそらくイタリア製だ)を肩にかけるという、通訳仕事の帰りなのか割合にオメカシ系の恰好で、かなりヒールのあるこれもグレーのパンプスのせいで、体育座りの長い脚が窮屈そうである。片手にシャンパングラス、よく見るとモミジさんのPCの脇にもグラスがあって、イーリンのブラウスに合わせたかのような濃赤の液体が入っている。
「飲んでるんですね、こんな時間から。叱られませんか」
「やーね、ジュースなのよ、ただちょっとアルコールが入ってるだけよ」とモミジさん、「イーリンちゃんがくれたのよ、すっごく美味しいんだから、コンくんも一杯どう」
「あ、いや私は」
「コンはこれから飲むんだもんね。あとでそっちにも1本持ってくよ」
「あ、なーんだ、道理でいつもより鍵返すの早いと思ったんだ! 何かあるの、これから?」
「え、あの、ゼミの打ち上げというかそういう感じのものが」
「田宮ゼミ? ひょっとして田宮研究室で?」
「あ、はい、あの今学期いっぱいで他大学に移る人がいるので、壮行会ということで、ちょっと」
「あそうか、人吉さんだよね。彼女いなくなっちゃうと寂しいねー、でも十協大なんてすごい、えらいよねえ。そうなんだー。いいねー、イーリンちゃんも参加するんでしょ、ここはもういいから行きなよ」
「いやいや、もうちょっとだし、やっちゃおうよ。飲みはどうせ夜中までやってるし」
「何のお仕事なんですか、それ」
「あー、これはねー、科目の整理というかな。GenSHAのね。こんど大学の全部の科目にシリアルナンバーつけて整理することになってね、つまり履修や成績の管理をシステムでやりやすくするためなんだけど、それで、全学の方針に従って全部の科目に系統立った番号をつけるっていう作業をしてるとこ」
「それをモミジさんとイーリンさんが?」
「こういうのってさあ、私がやるのは教務の仕事だから当然だけど、イーリンちゃんにつきあわせるのは悪いよねえ、ていうか、やらせちゃいけないんじゃないかな本当は。教務と、先生がたがやるべき仕事だよねー」
「まあ確かに本来はRAのやるような仕事じゃないかもだけど、ま、いいじゃんいいじゃん、誰がやってもややこしいのは同じだし」
「では私は一足お先に行ってます。モミジさんも、終わったら後でちょっとお寄りになりませんか、よかったら」
「そうだよねモミジさん行こうよ、ヒトヨシもきっとよろこぶよ」
「よーし、じゃ、さっさとやっちゃおう」
GenSHAは小規模な研究科だから開講科目もたいして多くはない。ひとくちに番号付けといえば簡単なようだが、科目数が少ないわりに、学部生も履修できる共修科目がかなりあるので、単に研究科の科目のなかで番号に整合性がとれていればいいというものではなく、学部のほうの科目番号の整合性とも折り合いをつけながら進めなければならないから結構これが面倒である。コンが立ち去ってから結局1時間以上かかってようやく目途がついてきた。どういう目途がついたかというと、学部の科目番号の間を縫って番号をつけていくと結局、研究科の科目としてのナンバーはどうやっても系統立ったものにはならない、ということが分明となったのである。
「どうしようもないよね、これ」
「もうしょうがないよ、科目全体の系統が全学の学部科目とGenSHAの科目では全く違うんだから、あっちだけ先に決められたら、こっちが系統立つはずないじゃん。けど、シリアルナンバーとか言ったって、要するにシステムで処理するために、ナンバーと科目が一対一対応してればそれで支障はないわけなんだから、そもそも系統立ってる必要なんか実質的には何もないよね。学生はシリアルナンバーで科目検索したり履修決めたりするわけじゃないんだからさ、いいよもう、これで。締切明日なんでしょ」
「うん。いっか。諦めよっか」
「諦めよう。いい! 人文学の分野分類にそもそも系統立つなんてことはそぐわない! そんなことは全く本質的なことじゃない!」
「あははは、そっかー、バラバラでいいんだ! ってことで、じゃあこれで明日科長に見せて、OKもらって、全学教務に提出だー! ありがとうイーリンちゃん、ほんと助かった。もうねー、ひとりじゃとても今夜中にできないと思ってた」
「モミジさんさ、いっつもひとりで残業してるじゃん。残業しすぎで叱られたりしないの? なんか心配になっちゃうよ」
「ううん、ほんとはあんまり残業しちゃいけないんだと思うけど、あたしはわりと残業好きなんだよね。事務室に誰もいなくなった後で静かに一人で作業するの、けっこう気楽で気分よくて、好きなんだ。それをわかってくれてて、事務長もみんなも、あたしが毎日みたいに残業体制に入ってるの見ても、うるさく言わないで黙って放って帰ってくれるんで、ありがたいんだ」
「そうなんだー。時々ね、みんなちょっと冷たいんじゃないのかなって気になってたりしたんだけど、そうじゃないんだね」
「ないない。目賀田(めかた)事務長は厳しい人で、学生さんたちなんかみんな、コワイ人だと思ってるらしいけど、ほんとは優しいよすごく。規則厳守は徹底してるけど、一方で大事なところでは可能な範囲でそっと目こぼしもしてくれる」
「それはほんとだよね。でなかったら私なんかがこやって我物顔に事務室に出入りするの許してくれるわけないもんね」
「イーリンちゃん来年もRA? そういえばそろそろ在学年限切れるよ? こないだ一覧表見てたらさ」
「うん。あと1年かな。休学1年、在学1年、残ってると思うんだけど」
「どうするの、そろそろ」
「それなんだよね。とりあえず今度の春夏は在学するんだけど――プロポーザル5出さないといけないから――だからRAもやるんだけど、その後、秋から休学かなあ」
「そんで1年休んで、来年の秋に博論出す?」
「うーん博論かあ」
「かあ、って、だって出すんでしょ?」
「うん、たぶんね……でもねー、最近思うんだけど、私のやってる研究って、けっこうアブナイあたりの話じゃん。博論書いたら自動的に公開されるわけで、日本で公開して大丈夫なのかなって、ちょっとね。公開するなら海外の方がいいかなあって思わなくもないんだよね」
「海外って、香港とか?」
「じゃなくって、アメリカとか、西洋のほうが受け入れられやすいし公開の意義も大きいかなって。異文化紹介っていう体裁でさ。日和見根性かもしんないけど、でも今の日本で公開するのちょっとコワイ。何がどこから飛んでくるかわかんない気がする」
「イーリンちゃんって、国籍はまだ香港、ていうか中国籍だよね」
「あっ! そうだ忘れてた、ごめんモミジさん、私こないだJIPとったんだった!」
「えっ、そうなんだ! ついにっていうか、やっとっていうか」
「そうそう、そうなんだよ、暮れに母が亡くなってね、家とJIPを継いだのね。実際に住んでるとこはこれまでと同じだけど、届けは出さなくっちゃだね」
「出してよー、なるべく早くね。でもそうすると、その家には住む気がないなら、今住んでるところに近々JIP付け替えるっていうつもり?」
「住む気がないわけじゃないんだけど、迷ってる。匡坊からはけっこう遠いしね、でも育った家だし、あっさり手放す気にもなかなかなれなくてさ」
「じゃあイーリンちゃんも今では「日本人」なんだねえ」
「うん一応ね。そうでなくても半分以上ニホンジンみたいな気持ちだったんだけど、おかしなことに、母が亡くなってJIP継いだら、逆に、なんだかもう別に日本にずっといなくてもいいんじゃないかって思えてきたんだよね」
「そうなの?」
「私はいわゆる「地震っ子」6だけど母は本当に大事に育ててくれて、大好きでね、もうニホンジンになってずっと母と一緒にいようと思ってたわけね、けどつまりそれは母が生きてたからなんだ、ってことが今更わかっちゃった感じでね。日本はけっこう居心地がよくて――居心地がよくなるように努力もしたし、その甲斐もあったし、特にGenSHAはね、すごく、私にはかけがえのない大事な居場所で」
「うん」
「それこそ、ずっといよう、みたいな気でいたけど、当たり前だけどいつかは在学年限が切れるじゃん、その期限が事実こうやって迫ってくると、考えちゃう、母もいなくて、GenSHAからも出るときがきたら、それでもまだ日本にいる必要というか意味というか、何かあるのかなって」
「学生じゃなくなっても、ここに勤めればいいじゃん。イーリンちゃんくらい優秀で有能なら、きっと専任で採用してもらえるよ。講義だってゼミだって学生指導だって、もうやってるようなもんじゃん? 誰よりも上手にやれるよきっと」
「……だと嬉しいけど。でも当分のあいだ新規人事はなさそうだし、あったとしても、応募するためには、ほら、まず博論書かないとさあ」
(つづく)
2023.4.25
(おりば・ふじん/一橋大学大学院言語社会研究科)