機関誌『半文』

文亡ヴェスペル 日常系ミステリ-人文学バトルマンガAURORAのためのプレヒストリー・スクリプト-

折場 不仁

*登場する人物・機関・組織等は、実在のものとは何ら関係ありません

第7回 セフィロス

その同じ晩、匡坊駅前の喫茶店「セフィロス」で、久々に「くにまち文教マッピング」の会合がしめやかに行われていた。広やかなテーブルに、4センチ四方くらいのプリントアウト写真が花びらのように散らかっている。どれも市内の各種教室やギャラリー、貸しホールからスポーツ施設、碁会所まで様々な教養施設の看板や玄関口を写したもので、この春以来「マッピング」の参加メンバーが手分けして町じゅうを歩きまわって撮りためてきたものだ。3カ月ほどで400枚近く溜まったが、それでもまだ歩いていない地区がたくさんある。

「本当にそろそろ整理方針を決めないといけませんね」新米パパの小笹がノートパソコンのキイを忙しげに叩きながら言った。「方針さえ決まれば、ボクやりますよ、サクサクっと」図書館勤務が退けた後で、もう6時をとうに回っているが、夏の日はまだまだ長く、「セフィロス」も客入りはたけなわである。広々として客の長居に寛容なこの老舗は、授業の後の打ち上げや自主勉強会にうってつけの場を提供していて、一箸生には長らくかけがえのない貴重なカフェだったのだが、それが駅前の再開発を機についに撤退の運びとなり、8月いっぱいで閉店するというので、定連たちはこれまでにも増して足しげく通ってくるのだった。くにまち公民館からごく近いこともあって「マッピング」のミーティングにもこの店を重宝させてもらっていたのだが、秋以降どうするかという問題は、それ自体さほど解決困難ではないにせよ一定の避けがたい哀愁を伴う問題として、梅雨空の黄昏とあいまって一同の上にどこそこ陰を落としていた。

チリリンドアを開けて沢渡がやってきた。「どうも、降られちゃって」と濡れた上着を脱ぎながら一同に会釈し、六人掛けのテーブルの片端に空いた席にそっと座る。「このたびは、鶴巻さんがとんだことで。何と言ったらいいか、その――このテーブルで席が足りるようになっちゃったんですね」

「沢渡さんもみなさんも、お心づくしどうもありがとうございました」公民館スタッフの高藤佐知(たかふじ・さち)が持ち前の深いアルトの声で言った。「ご遺体は群馬の息子さんがお引き取りになって、お通夜もお葬式もそちらでねえ。公民館からは代表して私がお通夜にだけちょっと顔出して、みなさんのお香典もお届けしたら、お悲しみの中にも喜んでくださって。若いかたがたと一緒に匡坊研究をしてるんだといって生前お父様がずいぶん楽しんでいらしたとかで。みなさんにくれぐれもよろしくと」

「鶴巻さんには国坊のことだけでなく都市建築とか印刷のこととかもいろいろ教えていただいて、これからも、というか、これから、と思ってたのに、本当に残念ですよ、あんなにお元気だったのに」

「人が急にいなくなっちゃうっていうの、どういうことなんですかねー」しんみりと人吉が言う。「ただ寂しいとかそういうのではなくて。何なんだろうっていうか」

「そういえばほとんど前後して、そちらの研究科長も亡くなられたんですよね」もうひとりの公民館スタッフ原口裕(はらぐち・ゆたか)が言った。原口は公民館とGenSHA連携のスーパーヴァイザーのような役割である。「連携覚え書の取り交わしでは福富科長にはずいぶんお世話になったものです。福富さんもお葬儀はお身内でということで、こちらは館長がお通夜に行きましたけどね……」

まるで香典と悔やみを取り交わすための連携のようじゃないか、と沢渡は思ったが、さすがにそれを口に出しはしない。「呪い」などという言葉も思い浮かんでこようとするのを抑えつけ、代わりに、隣席にちんまりと落ち着いている小柄な禿頭の老人に語りかけた。「須崎さんもお寂しいでしょう、鶴巻さんとはずいぶん長いおつきあいでいらしたんですよね」

「長いいうても退職後だすけえどもな」よく通る明晰な浪花弁で須崎幸四郎(すざき・こうしろう)は、笑みとも何とも言い難い翁面のような表情をたたえて言った、「年は離れとうても何や気が合うて、ふだん仲良うしてもろうとりましたさかい、そら寂しうおます。茶飲み友達がまた一人減ったゆうこっちゃけえど、若いひとに先逝かれるのは、えろうかないまへんな、いつかてな。そやいうても、この歳になったらな、たいがいの人は、わたしらよりどないしても若うして逝きはりますよって、そらもう、どもならんこっちゃ」

自分などの目から見れば、斉木と同様そろそろ「お年寄り」の範疇に入ると思われた鶴巻でも、八十路をとうに超えた須崎の目からは「若いひと」なのだなと沢渡は改めて感じ入っていた。須崎から見れば自分らなどは「若い」うちにすら入らないのかもしれない。劫を経た人のこうした述懐に対して自分には何も言えることがないという事実が、沢渡にはいっそすがすがしいもののように思われた。

「そやよってに。わたしら、ここでべんべんと悔やんどってもどないもならんで、やることやらんなりまへんがな。せっかく集まっとんのやさかい、そや。さき小笹はんの言うた整理方針ちうのな。言うたらあれやけど、こないして写真を紙にうつしてヒラヒラさしてバラ撒かんでも、もうええんとちゃいますか。パソコン使われへん鶴巻はんがいてはったさかいこないしよりましたんやよってな。わたしはこれで見ますさかい」と言って風呂敷包みから最新のタブレットを取り出した。高価な大判である。一同から嘆声が上がった。

「この歳になるとさすがに目ェが弱ってきとりますさかいな、写真やらメールやらようけ見るのやったら、スマホは小さい小さいよってにな、こういうのえろう便利だすな。みなはん写真どないしてはりますか、まとめてどこぞのストレージにでも上げとくれなはったらよろしおますやろ。今これのアドレスそっちゃへ送りますよって」

そう言いながら慣れた手つきですみやかにタブレットを操作する須崎を、学生三人は唖然として眺めた。公民館の高藤と原口は今さら驚かない様子である。「目が弱っている」などと、どこの宇宙民族の基準かと思われた。それを察してか須崎は(おそらくよくある場面なのだろう)楽しげな響きを声に乗せつつ、

「わたしらみたいな年寄がこないしてこないなもの使うとりますと、みなはんよう驚かれますけえどもな、ほれ、左手に槍、右手にスマホちうのがおますやろ、なんやほれ有名な、そやマアサイ族1のみなはんのそういう写真やら見たことおますやろ、ああいうのん、恰好ええなあ思うとりますねん。ほんまはライオンも飼いたい2思いますけえどもな。日本ではそうそう飼われへんし、よう散歩行かれへんよって」

最近ようやく知られるようになったクラウドストレージ・サービス3を選定して各自写真をその場で上げ、須崎の新規アドレスを加えたメーリスに共有URLを流すなどし、なんだか急速に「整理方針」策定の体制が整いつつあるかのように思われた。須崎はべつだん、世界を股にかけて飛び回っていた記者とかカメラマンとか冒険家とかそういうものであったわけではなく、ごく普通にサラリーマンとして何かの製造業の会社に地道に務め続けて40年、ずっと関西で、20年ほど前に定年退職後にふとした気まぐれで東京へ移ったということだったが、須崎に限らず、一個の人間が秘めるキャパシティというものに関して銀河規模の可能性を知らしめてくれるような人が匡坊市には多く棲息していることを、沢渡たちはこの間にしばしば思い知らされている。鶴巻研二(つるまき・けんじ)もそのような一人であった。「若い」ころは建築デザイナーか何かの仕事をしていたのが、わりと早期に引退して、匡坊市のいわゆる地域史研究に没頭するようになったとだけ聞いていたのだが、ミーティングの折々に言葉のはしばしから、引退後も地域史のみならず様々な活動に携わって各方面との交流も深いことがうかがわれた。小さなインテリア工房をなお維持しているらしいこと(ただし所在は匡坊市の隣の市のようであった)、俳句・短歌に造詣が深く文芸サークルを主催していること、地域史紹介と季節の句歌をとりまぜたサークル誌のブックデザインを自ら手掛けて活版で印刷し、それが斯界ではけっこう評判らしいこと、写真も好きでよくドキュメンタリースナップを撮り、むかし何かのコンテストで佳作をとったことがあること、今もフィルム写真にこだわって自分で現像しているという話などに、沢渡たちはそのつど感嘆していたものである。電車に轢かれた当日も一眼レフを携帯していたそうだが、入れたての真新しいフィルムごとカメラは無残に粉砕されていたという。

「そういえば浩太(こうた)さんが――」と高藤が言った、「その群馬の息子さんですけど、そのうち工房を整理したらマッピング関係の資料や写真が出てくるかもしれないから、そしたら連絡するとおっしゃってましたよ。前回のミーティングからほどなく亡くなってしまわれたから、新しい写真とかはあんまり撮ってらっしゃらないと思いますけど、個々のスポットで面白いと思われたものについて、由来とか設立経緯やなんか、ご自身のこだわりでけっこう調べてらっしゃったみたいですからね」

「アトリエの整理といってもそうすぐには行かないだろうけどねえ」と原口、「工房を継ぐ人は誰もいないんだっけ? おひとりでやってたのかな」

「いや、誰かおらはったんと違いますかな、若い人が、何ていわはったか覚えへんけえども、印刷やらよう手伝うてる人が確かいやはりましたな、何度か遊びにいたときに会うたことありますな」

「鶴巻さんみたいに、川べりの矢野地区にお住まいなのに公民館にしょっちゅう出入りしてくださる人はとても珍しかったんですよね。くにまち地区と矢野地区は歴史的にも成り立ちが別で、そのあたりについてはそれこそ鶴巻さんのご専門でしたけど、今でも双方あんまり触れあわないから、このマッピング企画をきっかけにして南北両地区の交流というか相互理解が深まるといいねって、よく鶴巻さんとお話ししてたんですよねえ、そういう意味でも本当に残念というか、鶴巻さんご自身もお心残りだったかもと思うんです。そのお若いお弟子さん?のかたに、後を引き継いで加わっていただけたらいいんだけど、さすがに無理ですかねえ」高藤は連携以前からGenSHAと公民館の協同のプロジェクトにずっとつきあってくれている古参の実働スタッフである。なんといっても学府の内と外とでは気風も言葉づかいもけっこう懸隔があるのだが、そこをうまく繋いできたのはもっぱら高藤の人柄と聡明な配慮なのであった。その高藤のアルトの声も今日はいつにもましてしみじみとしていた。

「そういうたら、亡うなる二、三日前にも、鶴巻はん一所懸命、なんや調べてはったな。おもしろいこと見つけたやら言うて、はりきってなはったけえど」

「それ私も聞きました、公民館にいらして、何だかすごいこと発見したとか、でもまだヒミツだとかおっしゃって。何だったんだろう。そのアトリエの若いひとに訊いたらわかるのかな」

「あのう、そういえば」と人吉が言いだした。「前のミーティングでやっぱりこうして写真を広げてたときに、鶴巻さんが着目してた写真がありましたよね。なんか廃墟みたいな、怪しい看板の」

「あったね、そうそう」と原口、「何だっけ確か、ヒーリングスポット? あの写真どれだっけ」

「ありますよ、これですね」小笹が共有フォルダに入れたばかりの写真群からその一枚を選び出した。学生たちと須崎はめいめいディスプレイをのぞき、いま手持ちのデバイスがない公民館の二人はテーブル上の写真を掻き回してその一枚を探し当てた。一見、灌木のやぶに埋もれて打ち捨てられた廃屋のように見えるが、朽ちた看板らしきものにうっすらと「ヒーリ…グスポッ……BO……」と断片的に文字が読める。

「沢渡さんが前回撮ったやつですよねー、これ」

「あー思い出した。川沿いの、倉庫が並んでるあたりのはずれにあったんだ。人けのない場所で、何だかわかんないけど一応撮っとこうと思って。そういえば鶴巻さんこれに妙に食いついてたな。一度行ったことがあるとかって」

「喫茶店かと思って入ったら違ったっていう話でしたよねー」と人吉、「入ったら人が歌ってて、だけど無音室だったって」

「なにそれ」と沢渡、「そんなわけわかんない話だったっけ。無音室? そんなこと言ってた?」

「あー沢渡さん中座なさってたときの話だったかも。無音室だか、防音室だか、ともかくそういう特殊な壁でできた四角い箱みたいなのだったとか」

「その話は初耳だすな」前回のミーティングに欠席していた須崎が言った。「無音室たらいうのんは。そやけど鶴巻さん調べてはったんは、おおかたそのヒーリングなんちゃらやと思いますわ、川べりに歌声喫茶みたいなもんあらへんかったかいうてわたしも訊かれたさかいな。ほんでそういう場所は実際おましたで、もうだいぶん昔のことや思うけえど」

「須崎さんご存じなんですか」

「わたしもな、くにまちへ来てすぐのころは、いっとき緑地区に住んどって、緑地区て矢野の東側だすけど、犬連れてよう川べりを散歩しよったときに、いつやったか、えらいかわいらしい店ができとるなあ思たら、なんや歌の練習する人が集まっとるんやちう話で。誰が言うてなはったんか忘れてもて、それに自分、だいたいはその店のだいぶん手前くらいまでしか犬連れてよう行かなんだけえどな。そやけど暗うなるころに川べりを歩きよると、西風の吹く日にはたまあに、高あい声やら低うい声やらのきれーな歌声がきれぎれに聴こえてきよったもんだす」

「国坊は合唱や歌のサークルがたくさんありますから、そういうののひとつだったのかもしれませんね。でも――」

「鶴巻さんの話だと、喫茶店かなと思ってそっと足を踏み入れたら、そこはまず簡単な厨房みたいなとこで、のれんのかかった向こうにお茶やコーヒーの用意がしてあって、フラスコとかもあって」

「フラスコ?」

「で、その右手に半分開いたドアがあって、その向こうから超高音と超低音の断片みたいな歌声が漏れてて――」

「よく細かく覚えてるね人吉さん」

「無音室っていうのがすごく衝撃的で気になったからよく覚えてるんですよー。でそのドアを開けて入ってみたら、とたんに歌声が止んじゃって、すごくシンとした感じになってっていう。それが、歌声が止んだからシンとなったというのとは何か違う静かさで、見たら四方の壁も天井もって」

「鶴巻さん建築家だからそういうのパっとわかったんだろうね」

「そうそう、窓から最初にのぞいたときに、壁も、窓のサッシとかも何か普通じゃないと思って、つい入ってみたっておっしゃってましたよねー」

「窓はあったわけだね、この写真でも窓あるものな、小さいけど。須崎さんが散歩のとき歌声きいたのは、きっと窓が開いてたんだろうなあ」

「防音室に窓つけますかねえ?」

「一旦まわりをぐるっと回ってから入ったらそんな具合で、みんな黙って、いらっしゃいませも言わないでじっとこっち見てるから怖くなって逃げちゃったって。で逃げながら振り返ったら、ひとりがたぶん壁と同じ防音ボードで窓をぴったりふさぐのが見えたとかって。それでますます怖くなって、二度と近寄らなかったそうですけど」

「それもう十年以前のことや思いますわ、わたしらまだ鶴巻さんと知り合う前だすな。それからわりあいすぐに誰もおらんようになったんと違いますかなあ、犬が年寄って散歩もままならんようになったころには歌も聞こえんようになってもて、若い人らどこへ行かはったやら。そや、あれな、そういうたら、何や一橋大学の政治サークルやちう話もおましたで」

2019.4.10

 

(おりば・ふじん/一橋大学大学院言語社会研究科)