機関誌『半文』

文亡ヴェスペル 日常系ミステリ-人文学バトルマンガAURORAのためのプレヒストリー・スクリプト-

小説:折場 不仁 漫画:間蔵 蓮

*登場する人物・機関・組織等は、実在のものとは何ら関係ありません

第23回 〈アゴラ〉にて

結局その年は修論完成を諦めて思いきりよく留年を決め込んだ沢渡が、久々に人吉と会って一緒に〈ドーム〉見学へおもむいたのは、春まだ浅い3月初めのことだった。難関の十協大学士入学を果たした者には、合格祝いと入学前学習を兼ねて〈ドーム〉見学のチケットが「お連れ様1名」つきで贈られるのだとかで、ただし3月も下旬になると子供たちの見学期間に入るから、チケット有効期間は合格の決まった2月末から3月半ばまでの2週間余り。名誉の「お連れ様」に選ばれて気をよくした沢渡は、我にもなく少々めかしこんで、おろしたての真っ白なシャツを一着に及んで出かけたが、よく晴れた日を選んだとはいえ、旧球場をすっぽり覆う巨大なガラス温室という態の〈ドーム〉を半日あまり散策してすっかり汗ばんだあとでは、そろそろ日の傾きかける下界の風がさすがにいささか肌寒かった。

「なんだか全身、草の匂いがしますよねー」スカートについて残っていた小さな葉っぱをつまみ取りながら人吉が言う。「んー、花粉の匂いかも」

「ミツバチになった気分?」沢渡も袖の匂いを嗅いでみた。白シャツのそこかしこに、さっそく緑の草摺模様ができている。「お花畑で寝転ぶなんてマンガだけの世界かと思ってたら、別世界ってほんとにあるんだなあ」

「サワタリさん変な言いかた」人吉はころころ笑って、「でも本当に別世界というか、なんか、無菌って感じでしたよね。あれだけ広いんだから野原があるのは不思議じゃないけど、周りを木に囲まれて、寝転んでると上は空しか見えなくって、屋内だとはとても思えないのに、寝転んだら何か汚いもの背中で潰すかもしれないとか、怖いものがいるかもしれないとか、思おうとしても思えないみたいで、もう素直に寝転がるしかないっていうか、イヤでも無心にさせられちゃうっていうか」

「蝶々やハナバチがいるんだから、毛虫も芋虫もいるんだろうし、ヘビもトカゲもいるんだろうけど」

「うん、でもマムシは絶対いないだろうしスズメバチの巣も犬の糞も、腐ったモグラの死骸もきっとないだろうなって」

「腐ったモグラの死骸、背中で潰したことあるの?」

「うん、鳥の死骸ならある、むかし子供のとき、地元で」

「うへー。まあ僕も高校生のころ土手で不用意に寝転んだら、背中の下でモゾッてヒキガエルが動いたことあったけどさ、そういうのは、いいじゃんむしろ。生態系を一応そのまま引き写して育成するっていうなら、モグラとかシカとかサルとかの動物だって導入しないとやっぱりあんまり意味ないんじゃないのかな。まあ、いやしくも見学者を入れるのにマムシとかクマとか放しておいたりはさすがにできないだろうけど、ああいう乾いた草地を囲んでクヌギやナラの木がいっぱい生えてるようなとこなら、スズメバチだって導入しないとほんとはいけないんじゃないの」

「そのうち導入することもあるんじゃないですかね。そしたらまた別の区域を開放に回すんですよきっと。生態系といっても今のところ動物を入れてないから、むしろ植生というか、生態系からケモノを完全に抜いたらどうなるのかっていう実験になってる感じですね」

「〈ドーム〉がいくら広いといっても、動物を入れるにはさすがに狭すぎるんだろうね。鳥も、スズメとかシジュウカラはいたけど、大きいのはいなかったし」

「いい声で鳴く可愛い小鳥はいっぱいいましたね。やがて小動物を導入する長期的計画があるってパンフレットに書いてあったけど、例えばネズミを入れるなら、ネズミを捕食する動物や鳥だって入れなきゃならないだろうし、大変そう。だいたい食物連鎖の枢要なリングを意図的に操作して生態系を育成するのって、ひとつひとつの実験がきっとすごく時間かかりますよね」

「何十年単位だよねたぶん。開始してまだ10年経ってないんだから、あと20年くらいはこのまま行くのかなあ。その間にウサギとかシカとかタカとか、みんな遺伝子操作で小型化して導入するとか?」

「そうなると育成の方向性がおのずから変わってきちゃいますね。人工楽園の育成というか」

「うん、人工といっても自然にちょっとずつ手を加えるっていう、要はずっと人類がやってきたことを、ミニマムなサイズで一から意図的にやる感じ? 危険なものや害をなすものを慎重に根こそぎ排除して――」

「一種のディストピア実験ですよね、そうなるとむしろ。ちょっと『テレタビーズ』1とか『ポチモン』2みたいな」

「それでも300年くらいやればまた違ってくるかもしんないけどね。いつの間にかスズメが肉食になったり、アマガエルが毒を持つようになったり」

「そのころには実験の目的なんかもとっくに忘れられてるでしょうねー」

「人間が導入されたりしてるかも」

「あー、人間は、すぐにも導入されてもおかしくないですね。あそこに住んでみたいっていう人を募って、無菌状態の楽園で1年暮らしたら心理状態がどうなるかとかそういうのなら、非解放区のほうで実はもうやってそう」

「そういうことも、入学すれば教えてもらえるんじゃない?」

「だと面白いんだけど。生化学のほうで院進すればそのうちラボにも入れてもらえるようになるとか言ってた」

「生化研は遺伝子研究も盛んなんだよね。でもビオトープ3の解説には、そっちとの関係は何も書いてなかったね」

振り返ると、午後の遅い日を浴びてガラスの〈ドーム〉はきらきら輝き、中はもう全く見通せない。本当にまるで何か不穏な秘密を蔵しているかのようで、見学に行く前よりもいっそう謎は深まったように感じられ、沢渡は夕風にそっと身震いをするのだった。

日暮れまで2時間ほどを残すころ、ふたりは〈アゴラ〉のへりをぐるっと回るようにして東北辺の堀端までやってきた。ついでのことに〈キャッスル〉で遊んで晩ごはんを食していこうというのである。〈ドーム〉から掘の内の〈キャッスル〉へ向かうには真北から入るのが距離的には最も近いのだが、北辺がかなりの高台を形成しているため4、少し遠回りでも東北から入るのが便利だ。橋を渡ってゆるやかな長い勾配を登っていくと、桜の木が一面に植わった広々とした一角に出る。もう少し季節が進めばさぞ見事な花が見られるだろう。ところどころに座り心地のよさそうなベンチなどもしつらえられて、これを整備し木々の健康を管理しているのが〈銀鱗〉だというから驚くよねというような話をしながらそこを抜けて川べりをずっといくと、瀟洒なカフェなども見えてきたと思うといきなり裏の内門に出た。ここまでは広い前庭のようなものなのだ。裏といっても、元宮城からすれば、また現在そこに住む住民たちからすれば裏だということで、折々に遊びに来る沢渡たちのような散歩者、あるいは観光客と言ってもいいがそのような人々にとっては、寄浜(よっぱま)中華街にいくつもあるきらびやかな門のどこから入ってもそれなりに表だという程度には表である。キッチュな派手々々しさで飾られた内門を入ると、これまた中華街メインストリートに似た商店街が、所々不規則な角度で折れ曲がりながらずっと南門まで続いているということだった。ごみごみした活気のある街頭には、おなじみ肉まんの蒸し器やらケバブの肉塔やらの他に、お祭りめいた水風船をたくさん浮かしたプールやらリサイクル見切品を並べた平台やらが並び、その隙間をぬって、間口の広いのやら狭いのやら種々さまざま思いおもいの造作を――とはいえどれもどこそこ間に合わせ感を漂わせながら――こらした店の、いやほど大量に吊るした色とりどりの商品の束をまるで暖簾をかきわけるようにかきわけて入ると、中はそれこそ「土産物屋」と呼ぶのが最もふさわしいような様相を呈しているのが多かった。衣類、布類、鞄に靴に宝飾品、便利とも不便とも何ともいいがたい謎の小間物類。あるいは食品、ドラッグ、飾り物、あるいは書籍やDVD。休日のせいか通りも店も賑やかに混んで、あちこちでいろいろな言語が聞かれる。沢渡たちの耳にそれと聞き分けられる西欧系の言語は稀で、掲示物やアナウンスのほとんどがまず英語だった無菌的な白壁の〈ドーム〉とはこれまた極端な別世界のようである。シルクロードのどこかのバザールに迷い込んだような心持ちで「こういうところでは、値切らないといけないのかな?」「さあーどうでしょうねー」などと首をかしげつつ人吉が鮮やかな蝶の象嵌のついた軽いペンケースを試しにレジに持っていってみたところ、値札通りに支払ってあっさり買い物は済んでしまった。してみればここはやはり普通に日本なのである。品物自体は昨今わりとどこにでもあるようなものが多く、値段も特に安くはない。震災で壊滅的なダメージを受けた下町の由緒ある門前通りや「飴六(あめろく)」商店街の一部が引っ越してきたところに端を発したこの〈キャッスル〉本通り商店街は、今やガイドブックにも載っているちょっとした観光名所で、桜公園からこっちに並ぶ瀟洒なカフェもむしろ観光客向けの呼び水なのである。

しばらく歩いたところでぐっと大きく曲がると、通りはやや広さを増して、立ち並ぶ商店も少しく重厚さを増してきた。築年数はむろんたかだか十数年で、もとは丈夫なだけの俄か作りであっただろうものを、改築を重ねて不思議なメルツバウ5的様相を呈した家屋を、調理道具やら食器家財、生地反物や文具・用紙、はたまた仏壇神棚といった比較的に伝統的生活基盤に密着した用品の店舗が何店かでシェアしている6かと思えば、携帯ショップや旅行代理店、銀行などが普通に進出していたりする。コンビニやファミレス、大手ドラッグやスーパーは見かけない。通りをはずれた奥のほうには住民のためにひょっとしたらコンビニなどもあるのかもしれないが、通り沿いの店舗はどれも3~4階建てで、その裏がどうなっているのかさっぱりわからない。ところどころに開いた路地の入口にはやはり商店が並んでいることもあったが、路地はおおむね湾曲していて先は見通しにくかった。それに〈キャッスル〉の名にふさわしい主要建築物群がそもそもどこにあるのかも、地図で知らなければ見当がつかない。入口に看板地図があったけれど沢渡も人吉ものんきに構えてろくに覚えてこなかったから、斜めの微妙な角度で折れながら続く道をたどるうちに、いつしか方角もよくわからなくなっていた。それでも人波について道なりに歩いていけばそのうち〈キャッスル〉を経て南門に出るだろうことはわかっているから、べつだん気にもせずゆらゆら歩く。「あ! 蝶々!」と人吉がふいに歓声を上げた。「ね、ね、あれ、モンシロじゃない? モンシロですよう」「ええ? まだ3月になったばかりだよ? こんなに早く? こんなところで?」「さっき〈ドーム〉にいたじゃないですか、逃げてきたのかも。凍えちゃう」「あの厳重な気密ドームから、まさか、それに遠いし」「わかんないけど、とにかく獲ってみます!」確かに白い小さい丸みを帯びた蝶々がひらひらと弱々しいはためきで一本の路地によろめくように入っていくのを、人吉は浮き浮きと常時携帯の捕虫網を取り出して柄をスチャッと伸ばすと、ショルダーバッグを背中に回すようにして両手でしっかと網を構えつつ、おかっぱ頭を一振りして蝶の後から路地へ向かう。路地入口に露店を構えたおじさんたちが、煙草をくゆらせながら物珍しそうにその姿を目で追った。やれやれ、と沢渡は、路地にひらひら消えてゆく白いスカートの後を追って自分もそっちへ向かおうとしたが、そこでふと路地手前の写真ギャラリーの展示に目をひかれた。「アゴラから見た風景」というので、どうやら地元、すなわち〈アゴラ〉住民がそこここで撮った「外」の写真を集めて展示しているらしく、ウィンドウには、〈アゴラ〉北辺の高いところから撮ったらしい〈ドーム〉の像が飾られている。ついしばし人吉のことを忘れて小さなギャラリーに足を踏み入れ、ひとわたりフムフムと見て、〈ドーム〉のポストカードをみつけて購入するなどした後、店を出て我に返ると人吉がいない。

まだ戻っていないとは、どこまで蝶々を追っていったのやら、おぼろげな地図の記憶では確かこのあたりの裏手に池があったりなんかするはずだから、そんなあたりでエンコしているのかもと思って沢渡はさきの路地に何の気になしに歩み入り、薄汚れた高いコンクリートの壁に挟まれた薄暗い湾曲をたどって反対側から歩み出ると、そこはやっぱり何ということもない商店街というか事務所街というか、寂れているわけでもなく人通りもそれなりにあるけれども、表通りとはうってかわった地味な雰囲気。通る人たちはどうやら「地元」の人たちばかりで、立ち並ぶのは賑やかな土産物店ではなく、司法書士や弁護士事務所、不動産屋、質屋あるいはディスカウントショップ、畳屋に自転車屋、家具修繕屋、電気工事屋に水道工務店といった質実なあたりだ。ほう、と思って見まわしていると、「あーサワタリさーん」と遠くから呼ぶ声、見れば少し先で人吉が、なにやら細身の青年と挨拶を交わしている。深々とお辞儀をして別れると、人吉は何やら放心の態でトコトコと沢渡のほうへ戻ってきた。「どうしたの」「サワタリさーん。怖かったー」「え、怖かったって何が、どしたの。蝶々は?」「えーわかんない。どっか行っちゃった。今ね、引ったくりにあったんですよー」

「引ったくり!?」思わず、今しがた人吉と話していた青年の後ろ姿を見やると、まだとても若い、ティーンかとも思えるその青年はギターケースらしきものを抱えて向こうへのんびり歩いていく。「あ、今の人は違うんですよ、あの人は助けてくれたほうの人で」見ていると、向こうの曲がり角のあたりで待っていたらしいもうひとりの銀髪青年の手にギターケースを渡して、二人して連れ立って角を曲がって消えていった。「引ったくりって、大丈夫だったの、怪我はない? 荷物は?」「うん大丈夫なんですよ、それがねー」「それがって?」

きけば、脇目もふらず蝶々を追いかけていたら、後ろからきた二人乗りの自転車がショルダーバッグを思いっきり引ったくっていった拍子に、人吉はもんどりうって転んでしまい、一瞬方角がわからなくなって、ああもうだめだ遠くへ行ってしまっただろうと思いながら首をもたげて件の自転車の姿をせめて探そうとしたら、さっきの人がいつのまにか傍にいて、大丈夫かといって助け起こしてくれた、怪我はありませんか、大事なもの入ってるのかっていうから、パソコンとタブレットがって、したらその途端に遠くから何か「ハ……!」なんとかって呼ぶような声がしたと思うとその人が、ちょっとこれ持ってて、って言ってギターのケースよこして、手ぶらになって急いであっちへ駆けてったと思ったらビューンって何か飛んできたのをその人がくるくるって、ほら『少林サッカー』で女性のキーパーが太極拳のワザでボールの勢い殺しながら受けるやつみたいな感じで、ジャンプしながらその、凄い勢いで飛んできたものを受け止めて、何事もなかったみたいに、はい、って渡してくれたの見たらわたしのバッグだったんですよー。「中身壊れてないかどうか確認してくださいね、壊れててもどうもしてあげられないけど、たぶん壊れてないから」って言って、ボールが飛んできたほうを見てるからわたしも見たら、その人とおんなじくらいの年かわかんないですけど銀髪ですごい逞しい感じの人が、自転車の人のひとりにちょうど往復ビンタくらわしてるとこで、もう一人はほっぺた押さえながら自転車に寄りかかってて、いつどうやって自転車止めたのかぜんぜんわかんないですけど、それから二人ともすごいペコペコして、その白い髪の人に追い払われてた。追い払ったあとその白い髪の人と、こっちの黒い髪の人とで遠隔ハイタッチみたいな合図してて、なんか回りの人けっこう笑って見てるんだ。わたしボーッとしてギターケース抱きしめてたらしいんだけど、それそっと取り返して、立ち上がらせてくれて、スカートの裾とかぱんぱんって、よくあるああいうのやってくれたりしながら、「こんな通りをふらふら歩いてると危ないですよ。一人ですか、お連れは?」っていうところでサワタリさんが見えたんですー。

「……ほん、となの、それ? そんな映画みたいなっていうか、ひと昔前の映画みたいな話? イリュージョンじゃないですよね?」

「ほんとなんですよ、それが。最後によく御礼言って、そのときに、お名前きこうかと思ったんだけどつい訊かなかったのは、「いえ名乗るほどの者ではありません」とか言われたらどうしようっていうのがあったというか、怖かったというか」

「怖かったのって、それのこと?」

「いやー、それっていうかー、うーん。引ったくり自体は、一瞬のことだったし何だかわかんなかったから、怖いまでぜんぜん行かなかったんですけど、そうだなー、その最後にサワタリさんが来るのが見えて、サワタリさーんて呼んだときに、その人「あ、あのかたがお連れさんですね」ってサワタリさんのほうを見ながら言って、それからわたしのほうへ目を戻して、にっこりして「よかった」って言ったんだけど、その「よかった」までのほんの一瞬の間に、わたし全部見られたっていう感じがしたんだー。これも、小説とかでよくある、ほら、なんか怖い人に頭の先から爪先までを一瞥で見て取られてしまったとかっていう描写あるじゃないですか、一瞬で見透かされる感じ? わたしがどういう育ちで、どういう環境でどういうこと考えながら暮らしてる人間か、ほぼ正確に見透かされて、しかも評価までされちゃったみたいで」

「評価!?」

「んー何というか、この人――わたしのことだけど、この人は自分にとってのある種の関心の対象ではない、という判断が一瞬で下された、っていう感じだったんだなー」

「ええー、だってあの人すごい若い感じだったよ、まだ十代じゃないかな、高校生くらい?」

「そうなんだけど。でも、年上のおばさんだから関心ないとかそういう感じでもなかったんですよねー、もっとこう、違って……」

「それって、言いにくいけど、あれじゃないのかな、その人と、もうひとりの人と、自転車のふたりは全員グルで、危うくカモられるとこだったって話じゃない? 危ないなあ」

「うーん、そうなのかな? にっこりして「よかった」って言われたときに、それまで親身に介抱してくれてた人が、すっと一瞬で遠のいた気がして、しかもそのことに妙に納得しちゃった自分がいて、それが怖かったとも思うけど――キャッチ・アンド・リリースされる側に初めて回ったというか、自分がね」

リリースされてよかった、と沢渡は思うのだった。人吉がかの青年、というか少年の「関心の対象」ではないと判断されたのも幸いだった、もし自分があのとき間に合わなければ、人吉はうかうかとどこかへ連れ込まれて、どうにかなってしまっていたのかもしれないし、そうでないかもしれない。そういえば〈アゴラ〉入口の看板には、「裏通りには決して入らないでください」という注意書きがあったようにも思う。

「平凡な言い方すると」人吉は続けた、「あ、世界が違うんだなこの人はっていう。手を出したりせずに元の世界に返してあげないといけない人だねっていう、それが、確かにね、カモったら気の毒だとか単にそういうことだったのかもしんないけど、でもそういう感じでもなかったんだー。もっとこう、何ていうか、そう、敵意――みたいなものを感じたのかな」

「敵意?」

「敵意というか、軽蔑というか――侮蔑? 仮にあの人が、私が一人だったらカモろうと思ってたとして、結局カモれなくて残念だとか諦めたとかいうのじゃなくて、カモるに値しないというか、食指が動かないというか、動かすのをやーめたっていう、何かすごく冷たいものが一瞬、目の中に閃いたのがわかったんだー、その、全部見てとられちゃったって思ったそのときに。その目が怖いと思ったんじゃないかなー私」

問わず語りに話し続ける人吉の、擦りむいた膝をいたわりつつ路地を抜けて元の通りに戻りながら、沢渡は義憤に似た心持にひどく苛まれるのを感じていた。一瞥でひとを見透かすだの何だのというような小説めいた心理ワザは、現実にあるとしてもせいぜい、40越えて酸いも甘いも噛分けたような色好みのオッサンとか、海千山千の人事CEOとかにして初めて発揮しうるものだろう、それを若造のくせに、一目見ただけで、あろうことか人吉をこれはカモるに値しないと決めるなど、(本当だとすれば)実に無礼なやつではないかと思う。おかしな憤りかただと自分でも思うのだが――これは嫉妬なのだろうか、たかだか17か18の少年に対して? それとも、岸辺をのんびりと遠ざかってゆくアングラーに対して、あるいは夕空をゆったりと塒へ飛び去ってゆく猛禽類に対して、直接にその捕獲・捕食の対象であるわけではない水生生物が、にもかかわらず無意識に抱く原始的な畏怖の念に近い感情なのか? ギターケースを下げてゆらゆらと立ち去っていくふたりの後ろ姿が脳裏になんとなく焼きついている。敵意、あるいは侮蔑、と人吉は言った――〈ドーム〉とは形こそ全く異なれ、〈アゴラ〉もまた一種の実験ビオトープなのかもしれないという考えが浮かぶ。そこではひそかに何か別種の人類が育成されているのだろうか、そしてそのために、何かの連鎖リングが意図的に操作されていたりするのだろうか、誰の、何者の意図で? それはどんな操作だろう?

そろそろ日の暮れかかる商店街を、ふたたび人と色彩と、さまざまに混ざり合った匂いにいやましに酔ったようになりながらずっと歩いてくると、〈キャッスル〉のメイン・パレス・パークと呼ばれているらしい場所に出た。劇場めいた豪奢な飾りつけの二階建ての前が広場になって、ジャグラー、シンガー、パントマイマー、ダンサー等がとりどりの芸を披露するのを、足をとめて眺める者もあれば足早に通り過ぎる者もあるのを、これまたお祭りめいた数々の屋台がぐるりと取り囲む7。二階がガラス張りになった劇場様の建物は、かつて「ユメヒトくん」やその先代先々代がそこに御座ましましていたころには、めでたい正月の一般参賀に集まった信心(?)深い人々の目に、ガラス越しにその玉影が拝まれたところの由緒ある宮殿のよしだが、今はモダン・デコに飾り立てられた月替わりショーウィンドウと化している。日が傾くにつれ不夜城の灯が少しずつ灯りはじめ、さまざまな音響と音楽の断片が互いに重なり合いながら混然とヴォリュームを増してゆく〈キャッスル〉を背に、広い大通りをまっすぐほんの少し歩けば、もうすぐに南門から出られる。

気がつけば夕食をとるのをすっかり忘れてしまっていた。〈アゴラ〉を出て人心地ついてから、そこらの適当なレストランに落ち着いてよくよく確認したところ、人吉のパソコンにもタブレットにも、何ひとつ不具合は生じていなかった。「あの白い蝶々どうしたかなー」と人吉はコーヒーをすすりながら夢見るように言った。


(つづく)

2022.8.13

第24回 魔法の古書

ちょうど同じ頃、コンはコンで、千鶴と連れ立ってまた別所へ見学ツアーに出かけていた。当初年明けにはという話だった千鶴の上京がいろいろあって遅れたあげく結局3月にずれ込んだのだが、おかげでちょうど、小笹が企画に関与している「沈黙のにぎわい」展のプレ展示会の期間と重なったのである。本格的な展覧会はさらに次の年明けに予定されているらしく、今回のはあくまでも予告的な、プランニングの一環としてのお試し小規模展示会で、場所も美術館ではなく、とある印刷会社に付属するギャラリーである。都心に生き残った古本屋街の小さなビルの2階分を占める、ささやかとはいえ由緒あるギャラリーは「活字博物館」として関係者の間では知られていて、普段は古い貴重な活字のセットや初期の活版印刷機などが常設展示されて、印刷メディアに関心を抱く見習いデザイナーや学生たちにとって一度は訪れるべき見学スポットとなっている。運営している老舗の印刷会社が展覧会企画を協賛していることもあって、この場所を借りてプレ展示をやるというので、コンを含めた「マッピング」メンバー一同に小笹から懇切な招待が来たのだった。

「小笹さんは今日はおられんのやねえ、残念なー」博士課程にこそ進まなかったものの、修士課程ではコンや小笹とだいたい同期だった千鶴である。「相変わらず冬でも大汗かいて走り回っとられるんよねきっと。会いたいわあ。偉うなったんねえ」入口のガラスドアに貼られたポスターをしみじみ眺めて、「えらい綺麗なポスターやねえ。活字とか余白とか、よう考えて作っとられるんね、色やらも」

「1階が「古書をめぐる物語」、2階が「古書の流通と数奇な運命」か」コンもつられてしげしげと眺めながら、「ポスターとか誰が作ってるのかはわかりませんが、全体としては相当大規模な企画らしいですからね、デザインなんかも含めていろんな分野の第一人者が参与しててもおかしくはないですよね」ガラスドアを押して入ると、受付エントランスの向こうにはさっそく企画パネルが並び、おかしげな書物をとりどりに載せた陳列台が、しかし何やら仮設っぽい気軽な風情を湛えているのも、むしろ肩が凝らなくていい。「なんだかちょっと学園祭みたいな雰囲気ですね」

「そうやね」千鶴も笑って、「折り紙で輪飾りやら拵えて吊ったら似合いそやね。紙やし。けど本はけっこう貴重なもんやないん、これ? こんな開けっ放しで陳列しててええんやら?」

「貴重、というのが、どういう基準で貴重なのかによるんでしょうけど」間近のパネルに目を近づけながら、「別に稀覯本とかが並んでるわけじゃないらしいですよ。1階は古本にまつわるいろんな物語とそれに所縁のある書物を紹介するコーナーなんですね」

「あー「ネノファケプター王子の冒険」1や、懐かしわあ。コンくんこれ知ってる?」

「何ですか」

「古代のパピルスやったか粘土板やったかにある話なんよ。世界最古の古本物語やいうんけど、エジプトのトト神2が書いた魔法の本を、王子さまが探しに行って、黄泉の王様と対決したりするん、子供のころ神話の本で読んで、すごく好きやったんよね」

「トトって、書記の神でしたかね確か」

「月の神でもあったちいう。なんで書記の神が月の神なやらわからんけど、やっぱりあれやろか、文字を書くとか、読み書きいうんが、どっかほの暗い秘密と関わりのあるもんやったんね、きっと昔は」

「古書の冒険物語って、大抵は魔法の本とか、失われた秘密の書いてある古代の本とかをめぐる話ですもんね」

「これ、こっちにあるん、そのトトの本のレプリカやね」

「え、実在したんですか、その魔法の本って」

「いやー、どうなやら、けどお話の中では、その本はいろんな違う素材でできた七重の箱に入ってることになってて、ちょうどこんな、いちばん外側が鉄の箱、その次が青銅の箱、次が何やったか、最後は黄金の箱でーいう。へー、こんなん作ってる人いるんやねー、もの好きやね」

「これ自体レプリカのレプリカみたいですよ。19世紀のイタリアの好事家が作ったもので、これはその最近のレプリカなんだって。本物は、本番の展覧会で展示されるらしいですね……ちゃんと本が入ってるけど、これ開いてみたらダメですかね。あ、開けないようになってるんだ、鍵かかってて」

「開くと呪われるんよきっと」

「あっちに「呪いの古書コーナー」があるようですよ」

いわくつきの呪いの古書がたくさん陳列されているのかと思ったらそうではなく、「呪いの古書」をテーマにした小説本を集めて一見乱雑に散らかしてあるのだった。ごく最近のミステリや、ラノベ、マンガまで混ざっている。

「文庫本まで展示してあるところがいいですね。こっちの「古本冒険物語コーナー」もおんなじような方針のようだけど、ジョン・ダニングの古本ミステリシリーズ3なんか、そこらで100円で買えますよね」実際、陳列台に並べてある本のほとんどは手に取って見られるようになっていて、そこここに、思いおもいの本をぱらぱらめくる客の姿があった。中には、壁ぎわに設えたベンチにみこしを据えて本格的に読みふけっている者もいる。ギャラリーだか図書館だかよくわからない感じだ。

「ようこんなに集めたんね。両方のコーナー併せたら300冊は越えとるようやけど、それでもほんとは、ほんの一部やろね。とりあえず手近なところで集められるものをひょいひょいって、手当たり次第に集めてみたいう感じやね」

「最終的にはどういう方針で集めて整理するんでしょうね。手当たり次第というのもそれはそれで面白い方針だと思うけど、本番の展覧会は、さすがにそれじゃ済まないだろうしなあ」

よく見ると多くの本には栞がはさんであり、その箇所をめくると、その古本物語の核心にあたるとおぼしい文章のあたりに赤線が引っ張ってあったり、「ココに注目!」などの書き込みが欄外に見えたりする。どれも多かれ少なかれ手撚れのした本で、それら自体がもともと古本なのだろうことにほとんど疑いはなかったが、赤線を引いたり書き込みをしたりしたのが、誰とも知れぬ元の持主だったのかどうか、ひょっとしたら、それらの本をどこからか入手して展覧会に供することを決めた運営スタッフの誰かが、この企画のためにあえて新たに線を引いたり書き込みをしたりしたのかもしれない。そうでないという確証はなかった。「ココに注目!」などの書き込みはどれも、いかにも「古書展」にふさわしい個所を指示していて、およそ偶然とは考えにくいのだ。

「もしスタッフがわざとやったんなら、展覧会というものとしてはかなり画期的というか、乱暴というか、野心的なんじゃないでしょうか」

「怒る人いっぱいいそうやね。これなんかページの端折ってあるし。嘘みたい」

「ドッグイヤー4ですね。もしこれが愛書的観点から企画された展示なら噴飯ものでしょうが、でも考えようによっては面白いですねとても。この企画では書物というものを、大切に永久保存すべき文化遺産としてではなく、あくまでも日常的に手荒く使用していい消耗品として考えるんだっていう姿勢を、暗黙のうちに打ち出してることになりますね」

「けど文庫本やったら今でもそう考えてる人たくさんいるんと違う?」

「そうか。あ、でもこっちの紀田順一郎『幻書辞典』5は単行本ですよ、しかも初版じゃないかな。そこらの古本屋に安価でよく出回ってる本ではあるけど、こういうのに、ほら、大々的に赤線ひいてハナマルまで書いてる」

「「古書収集の極意は殺意にあり」――んふふ。そやねえ、元の持主が引いてても不思議はないけど、こういうの、筆跡鑑定とかできんのかなあ」

「傍線の筆跡鑑定ですか、それ面白いですね、傍線の筆圧とかハナマルの書き方とかから落書きの犯人を割り出すんですね。文字の書き込みだったら、そういうミステリありそうだけど」

展示室の奥のほうにはディスプレイがあって、ボルヘスの『砂の本』6はのモデルが表示されているらしかった。紙の書物を想定すればこそ「砂の本」はマジカルな不思議の産物だが、電子版でなら容易にモデルが作れるし、作れば電子版の「書籍」というものと本質的に合致する性質のものになるだろうというのは夙に言われてきたことだが、いざそれらしく作るとなればそれなりに手間も工夫も必要だからか、まがりなりにも実際に作ってあるのを触るのはコンも初めてだった。大きなディスプレイに「見開き」が映っていて、目次になっているのを見ると古今東西のさまざまな詩を集めてあるらしく、クリックするとその詩のページに飛び、長編詩などは普通に「次へ」を押し続けて読み進むのだが、「前へ」を押すと全然違うところへ飛んでしまう。「目次に戻る」を押すと、戻ることは戻るが、目次の内容はさっきとはぜんぜん違っているのだった。そして同じタイトルの詩を探してクリックすると、フォントや行詰めのまるで異なるページが出てきて、挿絵も、当然ノンブルも異なっている――そういう仕組みは、たわいもないといえばないものだし、一見単にバグっているようにも見えるのだが、「戻る」たびに何かしら違うところに飛んでしまうところなどは、ちょっとコンの作った霧菻舎のHPに似たところがあって、ふたりはひとしきりディスプレイの前にとどまって遊んだ。コンとしては中身つまりプログラムを拝見したいところだったが、さすがにそれはこの場で手軽に見られるようにはなっていなくて、少しばかり残念である。

2階へ上がると「流通」がテーマで、蔵書印や蔵書票が時代順に並んでいたり、書写本や貸本のかんたんな歴史がわかる展示があるのはまず順当である。「数奇な運命をたどった書物」のコーナーでは、多くの人の手を渡り歩いてきたことがわかっている本や、火事水害や戦火人災を生きのびた書物などがいくつか、これは物によっては貴重品扱いでガラスケースに入って、かつての旅行マニアのスーツケースのようにたくさんの蔵書票や蔵書印がぺたぺた貼られ捺されたトビラなどを閲覧に供されている。複数人の手になるとはっきりわかる書き込みのある見開きを呈示しているものや、修復の跡がくっきりしているものも、呼び物のひとつらしかった。

「「沈黙のにぎわい」いうコンセプトが、少うしわかってきたみたいやねえ」ほうっと息をつくように千鶴が、「沈黙どころか、えらい騒がしいもんなんねえ、本て」そう言ってくつくつ笑う。

「書物は変化する、っていう話なんですね、たぶん。本の、いつまでも騒がしく変化し続ける部分にスポットを当てているというか」

「電子に対して紙の本の特質は、出たら何ひとつ更新できない、取返しのつかないところだ、ていう話、前に田宮先生の授業できいたん覚えてる。確かに、いったん刊行されてしもうたら、著作としては更新できんし、初期のデザインも変えられんけど、それでも変容はし続けるんやね。著作としてやなく、本として」

「そうですね。それで変化するたびに、その変化の痕跡が残って、その痕跡は消せない。ぬぐったようにきれいに更新できてしまう電子とはそこもきっと違うんでしょう。それは傷といえば傷なんだろうけれども、この企画展ではたぶん、それを傷として捉えるのではなくて、何というかな、一種の経験の蓄積のようなものとして捉えようとしてるのかも」

「やっぱり人間と同じなんやね。年とっていっていろんな経験をくぐると、肌の傷跡が消えんようになっていくて、うちの親なんかよう言うてるけど、傷跡だけやなく、しわも染みも増えていくやん、手術してあちこち直したり入れ歯入れたり、いつかはもう保たんようになるまで直し直しもって生きていくんよね」

「書物を人間になぞらえるということ自体は、愛書家の間では昔からごく普通のしぐさですけど、書物に載っているテクストとか、それを書いた故人とかを、今もなお生きてる主体として大事にしようというのでなく、物体として道具としての本を、経年変化しながら爛熟しつつ崩れていくものとして考えるというのは、わりと好感の持てる考え方ですね。いわば著者そっちのけで」

「またまた、コンくんらしいこと言うてー」

「え、そう? あー、つまり本が出るというのが取返しのつかないことだっていうのは、著者の経験の蓄積としての著作という意味ではそこで完了するわけですよね。造本家も同じことだけど、そこから先、蓄積されるのは著者からも造本家からも離れた書物自体の経験でしかないし、それを経験と呼ぶならむしろその経験の主体は書物ではなくて、書物に痕跡を残すいろいろな無名の人々や、あるいは自然災害・人為災害それ自体だっていう――でもそれだと、べつに書物でなくても茶碗でも机でも衣類でも同じことになっちゃうか。人々による使用の痕跡すなわち世界の反映であるっていう、あ、なんかつまんない話になりました、すみません」

「何ひとりで謝っとられんのー」千鶴はまたふんわり笑った。特に美人というわけではないし、身なりもさして構わず、薄めの髪をいやましにぴったり撫でつけたような髪型ともいえない髪型をして、何か古風な丸襟にアクセント花模様がついたブラウスなどを着ているのだが、ふと微笑んだり笑ったりするときのたたずまいが、歌番組でときどき見る、なんとかいう歌手に似ているなとコンは思うのだった。というより本当のところは、名前もよく知らないその歌手が出ていると、ステージでゆらゆらとくつろいで揺れながら時々ふっと共演者に笑いかけるその顔が好きでつい見てしまうのだが、和むというのでもないけれども、その瞬間に舞台がとても幸せなものに見えるのである。「そやけど、机や服と、本とではやっぱり違うんよきっと。机や茶碗より、本が貯める経験のほうがたぶんはるかに雄弁なんよね。どこがどう雄弁なやら、それ確かめようち、こういうプレ展示会やらやっとられるんやない?」

「そうかもしれないです。タイチもそんなようなこと言ってましたね確か、テーマが広すぎるから、いろいろ実践してみながら絞り込むんだとか。たぶん、書物が内包する豊穣な知の世界だとか、かけがえのない文化財としての書物とか、人の写し絵としての本だとか、そういう昔ながらの凡百の書物礼賛からいかに遠ざかるか、愛書ノスタルジーと確実な一線を引くにはどうするか、それでどうやって今後の電子時代の紙の書物を構成していくのか、呈示すべきその方針をまだ模索している最中なんでしょうね」

「そうやね。他にも、最近あらためて見直されてるいうか脚光を浴びてる、技芸礼賛、みたいなとこからも、たぶん遠ざかる必要ありそうやしね」

「確かに。造本や組版の技芸はそりゃすごいものですけど、それなら別にことさら古本をフィーチャしなくたっていいんですからねえ」

「古本って、何なん? どういうのが古本なん? そういうたら、あんまり考えたことなかったわあ」

「そういえばそうですね。本屋に並んでる間は新刊なんですかね。誰かが買ったらその時点で古本?」

「ずっと売れんと何年もお蔵に入ってたんが掘り出されてもやっぱり古本やん?」

「あ、そうか。倉庫に入ってたから古本なんじゃないですねきっと。本屋の棚でも倉庫でもいいですけど、著者を含めた製作者一同の手をいったん離れた後で誰かが手にとって開いて読んだら、その時点で古本になるんだろうな」

「したら、もうぜんぶ古本やね」

「いや、どうだろう。買ったけど読まないまま人にあげたりした場合は、その人が読まずに所有だけしていた間はまだ古本じゃなく、新刊のままだということに」

「本て、読まれてなんぼのものやん、したら、古本にならんかったら価値ないいうことやね」

「社長さんのご本も、あらかじめ古本として作るといいのかもしれないですね、ひょっとすると。出版社がどこも話に乗ってくれないのは、作っても新刊書店に並べられないからなわけでしょう、それなら、古本を作って、古書店に売ればいい。どうだろう。だめかな? たわごと?」

それからひとしきり、あらかじめ古本として作るとは具体的にどうすることか、誰か架空の所有者の蔵書印を押して、適当に赤線をひいたり書き込みをしたりして、手垢をつけておけばいいのだろうか等という話に夢中になり、部数がそんなに多くなくていいなら例えば出版社でなく印刷所――この博物館を運営している老舗でもいいではないか――に印刷製本だけを依頼すれば、どんな紙とインクを使ってどこまで何にこだわるかにもよるけれども、200万円くらいあれば100部は作れるのではないか、それを社員一同とその友人一同の手を借りて一冊ずつ全国の古本屋に売って回って、うまくして1冊1000円で買ってもらえれば半分は回収できる――いやさすがに1000円では買ってくれないだろうから実際のところ費用のほとんどはやはりクラウドファンディングか何かしないと、いやそもそもそれは古本屋に対する詐欺罪にあたるのでは等々、楽しく話をしながら会場を出るときに田宮とすれ違ったのを、ふたりともまるで気がつかなかった。斉木と連れ立ってやってきた田宮のほうはコンに気づいて話しかけようとしたようだったが、次いで隣の千鶴をもそれと認めたかして、目を細めてふたりをそっとやり過ごした。「田宮くん」呼ばれて振り返る。「ね、田宮くん悪いんだけど、パネルの字が小さくて読めないのよ。読んでくれないかしら」「あらら。眼鏡をおかけなさいよ斉木さん。首にかかってますよ」「まあ、うっかりしてたわ。てっきり忘れてきたと思ったのよね」「そんなアリガチな。からかってるんでしょ。若者以上に健眼で文庫本だってすらすら読めるくせに」「眼鏡があればの話よ、でも眼鏡があれば、字は小さいほうがいいわねえ」「なんでまた」「だって一度にたくさん読めるでしょ。字が大きいと1行の字数が少なくて行数も少ないから、同じ分量を読むのにたくさん目を動かさなくちゃならなくて疲れるのよ。あら、「ネノファケプター王子」だわ。王道ねえ。懐かしいこと」「その魔法の本のレプリカ、開けたらきっとすごく字が小さいでしょうね。ああ、だから古本が好きなんですね斉木さん、字が小さいから」「最近の新刊は字がむやみに大きいから紙が無駄だと思うわ。でも古本は古本でも、ずっと古い書写本は逆に大きな字よね、手書きだから当然だけれど。昔は、月光や蛍の光でも読める大きさがきっと必要だったのね」「ファウストも最初の書斎のシーンでは確か月の光で魔法の本を読んでいますね」「そうだったかしら」「あれも、トトの魔法の本だったのかもしれませんね……」


(つづく)

2022.10.10

第25回 蛸とミミズ

◆斉木笑里『ファウストを読む』特殊講義補遺より(3)◆

……ている2人ですが、ファウストは前の場面で、自分で呼び出した古代の美女に触れ てしまっていわば感電・昏倒したような有様。書斎の奥の部屋で寝ています。ファウス トがこの書斎でメフィストと契約をかわしてからもう何年も経ったらしく、当時メフィ ストにさんざんからかわれた新入生が「学士」の資格をとって自信満々、再度メフィス トに挑みますがやはり相手にならず。このあたりの対話は例によって「当代学術批判」 といったところですが、第一部での批判は「古色蒼然とした堅苦しい無用の学問」に向 けられていたのに対して、ここではむしろ「新しがり屋の軽薄・傲慢なニューウェイヴ 主義」に向けられていると言えそうです。また、かつて新進気鋭の学者の卵たったヴァ ーグナーが今では教授の地位にいて、行方の知れなくなった恩師ファウストの後をどう やら襲っている模様。何かと損な役回りで、『ファウスト』劇全体を考える際にもけっ こう軽視されがちなこの愛すべきキャラクター、ヴァーグナーについて、もう一度その 登場を振り返ってみましょう。

✤若き日のヴァーグナー(第1部)

第1部冒頭の「書斎の場」で、自分の人生の空しさにファウストがひとり悩んでいると ころへ弟子のヴァーグナーがいわば「研究相談」にやってくるわけですが、その対話を 読んだときにみなさんがくれたコメントを改めてまとめると、だいたい以下のようにな るでしょう。

いかにも学者志望生という感じ、熱意にあふれ、学問に希望を持っている。若いか らなのか、それとも「普通の人」だからか? とても優秀そうなのにファウストに はなぜか馬鹿にされている一方で、ファウストはヴァーグナーの言うことに実はけ っこう影響され、振り回されてもいるように見える。

みなさんなかなかに鋭いところを突いています。実際、第2部では立派な(?)一流の 大学者になって再登場するヴァーグナーは第一部でもとてもまじめな勉学態度で、学生 、まあ今でいうなら人文系大学院生で博士課程に入って数年、現在リサーチ・アシスタ ント、という感じかと思いますが、そういう者としてある意味とても模範的な性質であ るようにも見えます。なのにファウストは彼をあんまり評価していないように見えるの はなぜでしょう? ファウストがヴァーグナーに反駁(説教)している箇所1を取り出し てみましょう。

a)

ヴァーグナー: 弁舌さわやかなるは成功のもと、その点のわが拙さが身にしみて おります。

ファウスト: 空っさわぎの阿呆になるな! 理性とまっすぐな心があれば、技巧 など拙くとも言葉は出る! 光彩陸離と輝く雄弁の言葉などは(……)ひとの心を 甦らす力を持たぬ。

b)

ヴァーグナー: 学術は長く人生は短しと申します(……)原典にまでさかのぼろ うと努めましても、そのための勉強は艱難辛苦。道半ばに到る前にも、あわれ私た ちの寿命はおしまいでございます。

ファウスト: 古ぼけた羊皮紙があの聖なる泉だとでもいうのか? 渇きを癒すも のはただ自分の魂からのみ湧き出るのだ。

c)

ヴァーグナー: 私の何よりの楽しみは、もろもろの時代の精神になったつもりで 、その時々の賢人がどう考えておりましたかを見てとりまして、さても今日われわ れは遠く遥かに進歩したものよと考えることでございます。

ファウスト: 君らがあの時代この時代の精神と呼ぶものは、結局のところ御自分 がたの精神で、そこに映っているのはそれらの時代の影ばかり。まったくもって惨 めな代物だ!

d)

ヴァーグナー: この広い世界! 人間の心と精神! 誰しもがその幾分かは、認 識したいと望むものでございます。

ファウスト: そう、その認識こそ災いだ! 少しばかり本当のところを認識した からと言って、不用心にもその心をさらけ出し、愚民どもに自分の感情と洞察を語 ったやつははりつけにされ火あぶりになるのが世の定め。

e)

ヴァーグナー: たゆむことなく学びの道にいそしみまして、わが知識も浅からぬ ものではございますが、私の望みは更にすべてを知り尽すことでございます。(退 場)

ファウスト: (独白)何と性懲りもなく希望を捨てずにいられるものだなあ!

「こうしてみると、なかなかいいやつだねえ、ヴァーグナーってのは。彼が言うこと自体はどれもみんな至極まっとうな、学者をめざす者ならかくあるべしっていう模範的な学究姿勢のあらわれだとすら言えるね。学生諸君に見習わせたくなりませんか、エミリさん」

「それはそうなのよね。「われわれは進歩したものよと…」云々のところだけは反駁したくなるけれど。むしろ昔の賢人たちのことを学べば学ぶほど、私たちがいかに進歩してないかがわかる、そのことのほうが大事だと思うわね、今となってはね」

「なんといってもこれは自然科学の草創期だからねえ。人類の歴史はすなわち「進歩」であるっていう進歩史観は当時最新流行の考え方の反映なんだろうね。ヴァーグナー君は古い文献の勉強に熱心なだけでなく最先端の思想にもちゃんとアンテナを張ってる優秀な学生なんだっていうことも、この進歩云々から読み取れるようになってるんだね」

「進歩って何かしらねえ。ダーウィンの『種の起源』が出たのは19世紀半ばだから、ゲーテはもちろん知らなかった。カントもね。だから彼らが生命の進歩とか、現代でいう生物多様性やなんかについて真摯な探求心から展開していた考察も、現代の科学者に言わせれば所詮は無知に由来するナイーヴな産物にすぎないって――」

「そうなの?」

「真顔でそう言われたことあるわよ、知り合いの科学者に。カントの時代の哲学者ってナイーヴな人たちだったんですねって。つい笑っちゃったら、何が可笑しいのかって詰め寄られて往生したんだけど、そういう考え方の人たちにとっては、知識を得てそれを共有蓄積してゆくことこそが進歩なのよね」

「自然科学的な知識なんて一朝一夕に得られるものじゃないし、常に万全には至りえない、その欠如を思考がどんなふうに苦闘しながら埋めていこうとするのか、っていうところに学問、というか学問史の妙味があると僕らなんかは思うけどなあ」

「そっちのほうのことをファウストはつまり主張するのよね。何かを知識として得ることがイコール進歩なわけじゃないし、仮にそうだとしても、進歩が全てではない。ファウストとヴァーグナーの論争そのものが、昔から進歩してない、万古不易の学術論なんじゃないかしら。今ふうに書き直してみたらこんなふうになりそうよ」


W: 論文やレポートのちゃんとした書き方が僕はまだよくわかっていないので、そ こがダメですね。

F: ちゃんとした書き方なんかどうでもいい。何を書けばいいのか心底からわかれ ば、書き方も自然にわかる。

W: それに文献探索ってほんとに大変ですよね。でもこれができないと大成できな いと思うと辛くって。

F: 文献々々言うな、そんなのは二の次だ。それより、何を書けばいいのか心底か らわかることが先決だと言っているだろうが。

W: でも文献読むのは大事でしょ? いろんな時代々々の考え方を知ることがいち ばん楽しいし大事だと思うんですけど。

F: そりゃ大事かもしれんけどね、君たちが「時代々々の考え方」がわかったー! とか思うときは、たいてい、自分自身の考えをその時代とやらのイメージで色付け してるにすぎないんだよ。思い込みだよ。

W: といったってやっぱり、他の時代とか、他の国とか、広い世界、長い歴史を学 んで何かは認識したいと思うもんですし、それで重要な包括的認識が何ひとつ得ら れないってわけでもないはずでしょう?

F: 確かにね! だけどそうやって何か重要な認識とやらを得たとしよう、それを 一言でもツブヤイたりブログに書いたりしてみろ、たちまち炎上だ、世の中所詮そ んなもんなんだ。下らん。

W: はあ。まあともかく僕は頑張ってみます。これまでもがんばったけどもっとが んばって、何もかも知り尽くす勢いでやりたいと思ってます。

F: きみは希望に満ちてていいね。

……と、こんなふうに書き直してみると、どうやらヴァーグナーは、ファウスト自身が 若くて希望に満ちていたころきっとこうだったろうなあと思えるようなキャラだと気づ くのではないでしょうか。論文もちゃんと書きたい、文献も余さず読んで、古い時代や いろんな時代の考え方を知りたい、そして広い世界、長い歴史から多くの認識を得て、 やがては全てを知り尽したい……そういう姿勢自体は、ファウスト自身がこれまで歩ん できた正統派の「学者」の道のりにおいても当然要請されたものでしょう。ファウスト が冒頭で「俺は何をおいても哲学を学び、医学・法学・神学を学んだ…」と言っている 、その、懸命に学んでいたころのファウストは、おそらく現在のヴァーグナーとそっく りだったに違いありません。いわばファウストはここで、希望に満ちていて怖い物知ら ずだった若き日の自らに自分ツッコミを入れている。今のファウストは、どんなに一生 懸命学問をして文献を読んで古人の考えを知ったところで、その行き着くところは結局 、細部を知っても全体が見えない「相変わらずの阿呆」であり続けることでしかないと いうことを知っています。それゆえ、それをまだ知らないヴァーグナーは、ファウスト の目から見れば若き日の彼自身の戯画のように見えるので、ほとんどイチャモンにも似 たヤサグレたツッコミを入れずにはいられないのでしょう。それと同時に二人は共通す るものを持ってもいて、「書斎に閉じこもっていないで広い世界を見なくては!」とい う意欲さえ共有しています。だから、今の落ち込んだファウストにとって、ヴァーグナ ーは自分自身の鏡のように叱責・批判すべき対象ではあるけれども、同時にどこか似た 者どうしで可愛がっている愛弟子でもあるのです。連れだって街中に出れば、互いに打 ち解けた様子です。

 ヴァーグナーが去った後ファウストは「あんなつまらぬ人間……」とヴァーグナーを 評します、「欲深い手で宝を掘り出そうとして、みみず一匹でもみつかれば喜んでいる 」と。これは一言でいえば「学者として極めて凡庸」という意味に他なりませんが(「 業績」をひとつでも多く作ろうとして、単に「まだ誰も論じていない」というだけの理 由でごくつまらない小さいことを論じて得意がっている学者、みたいなイメージ)、一 見模範的なヴァーグナーに対して酷な評価のように思えるかもしれません。しかしその 後いろいろ葛藤を経て彼の落ち込みは極限に達し、「もう肝に銘じて判った、塵あくた を掘り返すミミズにこそ似る俺なのだ」と言います。つまり「今の俺の目から見ればヴ ァーグナーは哀れな俗物のミミズ堀りだが、俺ときたら、それ以下だ、ミミズそのもの だ……」ということになります。それで服毒自殺未遂、という顛末は初夏のころに読ん だ通りです。

✤実験室のヴァーグナー(第2部)

第2部で再登場したヴァーグナーは、ファウストが道を踏み外さなければこうなっていた かも、と思えるような、まじめで敬虔な大学者となっています。やってることは自然科 学に近いのでしょう。今なら遺伝子工学とかやっていそうです。せっかく丹精したホム ンクルスにあっさり旅立たれてしまって可愛そうなのですが、逆にいえば彼ヴァーグナ ーが生みだしたものは、おそらく彼自身が予測していたよりもはるかにスゴイものだっ たんですね。フランケンシュタイン博士が予想を超えた怪物を産んでしまったのに似て います。メフィストはファウストを癒しかつ念願のヘレナに会わせてやるために、ホム ンクルスの力を借りて「古典的ヴァルプルギスの夜」の舞台へ飛翔していこうとするら しい。なんでまたホムンクルスがそういう妙なお祭り舞台へ二人を連れていく力がある のか、ともあれそういうことになっており、そういう力を持つものを、よりによってフ ァウストの弟子であるヴァーグナーが作ってしまったということなんですね。ある意味 、ヴァーグナーはファウストの分身であり、もし妙に極端な躁鬱気質の持主でなければ ファウスト自身が地道な研究の結果ホムンクルスを作っていたかもしれないわけで、フ ァウストから受け継いだある種の営々たる探求精神を以てヴァーグナーが生み出したも のが、めぐりめぐってファウスト自身を、その夢の地へと導くことになるのです。この 戯曲は「ファウスト」というタイトルで、ファウストが主人公でもあり、一読した限り ではもちろん「天才」ファウストに対する「凡庸」なヴァーグナーという対比が描かれ ているように見えるのですが、以前にもお話ししたように、ここでいう「天才」という のはあくまでも「メランコリック=ポエティック」なそれで、「アップダウンの激しい 、時としてひどく落ち込み自己嫌悪に陥るが時として天上へ飛翔する詩的人格」「の代 表的モデルケースのようなものとして造形された」ファウストが悪徳と憂鬱の代償であ るかのように発揮する「天才的精神性」のことである2。当時そういうアップダウンの 顕著な人格に一種の詩的特権を与えるということがかなり一般的な風潮となっていて、 「ファウスト」においてこの特権は、悪魔メフィストによって選抜されてこれと契約を 結ぶ、という形で明示されます。ファウストとヴァーグナーの対比は、正確に言えばそ ういう詩的特権を持つ者と持たない者の対比であって、学者としてファウストは天才だ けどヴァーグナーは凡庸だとかそういう対比ではないのですね。ありていにいえばファ ウストは学者としてはぜんぜん大成できなかったのであって、ヴァーグナーのほうがは るかに優れていたのではないでしょうか。結局のところ「ファウスト」は学者の物語で はなく「行為する詩人」の物語ですから、学者として優れていても詩人ではないヴァー グナーはそういう意味では「普通の人」として、どうしても損な立場に置かれてしまう わけです。

「いよいよ「古典的ヴァルプルギス」のところにさしかかってくるんだね。次回あたり読むんなら、また参加させてもらおうかな」

「それは嬉しいわねえ、でも実はまだ第1部のヴァルプルギスのところもちゃんと読んだとはいえないし、錬金術のところなんかもね。暮れ頃からあんまり頻繁にやれなくて、中途半端なまま残してるところが多いのよ」

「忙しかったの?」

「ええ、少しね。実はね、私ね、母がいるのよ」

「……あ、そう。それは意外だね、エミリさん。てっきりきみは海の泡かなんかから生まれたんだと思ってたよ」

「あらあ、お世辞がお上手ねえ。でも確かに私もそんな気がしてたのよね、でもどうやら違ってね、いま施設にいるのよ。っていうか入れたのよ。認知が刻々とひどくなっていくもんだから。それでも始終行ってやる必要があってね」

「それは大変だねえ」

「老々介護よ。おかしいわよ、ものをすぐ忘れるのを自分でもわかっててひどく気にするから、いいのよ忘れたって、忘れるっていうことは覚えておく必要がないということなんだから、なんて言って励ましてると自分もだんだんそんな気になって、ますます物覚えが悪くなるようよ。どうせ10年もすれば何もかも忘れるのに、何か覚えてどうするのかしらって。覚えることに意味があるとすればそれは、覚えておいて、何かいい機会があったらすかさず他人にそれを教えるため以外ではないわねきっと」

「そうだとすると、今では正確で簡便な記憶・記録媒体がいくらでもあるから、どこかに残しておきさえすれば基本的に人間自身は何も覚えなくていいことになりそうだね。考えてみれば、紙に何かを書き残すっていう行為自体、記憶の外化だものね。それが印刷媒体を経てパソコンとなれば、ますます外付けハードディスクみたいなものだね」

「そう、それはとても便利なんだけど、そのハードディスクの起動のさせかた、使いかたそのものを、年をとれば忘れてしまうのよ、遅かれ早かれね――そういえば、ミズダコがあんなに頭がいいのに人類みたいな地球規模の繁栄を遂げないのは、ミズダコの母親は卵が孵ると同時に必ず死んでしまうからなんですってね。智恵の継承が全く不可能なんだそうよ」


 さて、では彼が生み出したホムンクルスはどうでしょう。彼はヴァーグナーよりもフ ァウストのほうにより強く(しかも瞬時に)惹きつけられるようですが、果たして彼も また「詩人的」なのだろうかといえば、特段にメンタルなアップダウンもないようであ る。そもそも彼に「メンタル」と呼べるようなものがあるのでしょうか? ホムンクル ス(人造人間)と称されているもののこの戯曲では「小さなフラスコの中で明滅する光 」であると記されている彼自身は、「わが心身を完成させる最後の要素をみつけ」フラ スコの外へ出て「本当の生命とな」るという「偉大な目標」を達成しようというその一 念で生き急ぎます。ファウスト・メフィストが迎えにきたのを幸いに欣喜雀躍として旅 立つに際し産みの親に別れを告げますが、「じゃあねバイバイ、ボクはボクの道を行く けど、あんたはあんたで普通の道を地道に歩みなよ、それだって悪くはないよ、長生き してね~」という感じ、まあー自立のために家を出る男の子なんて大体そんなもんだと 思うのですが、もうすこし優しく言ってやれよという意見があったし、ホムンクルスが 「感情がないかのよう」「非人間的」という意見もありましたね。それはちょっと措い ておくとして、ともあれこの第2部第2幕「古典的ヴァルプルギス」の場面は最初ファウ ストの書斎からはじまって3人で旅立つので「ファウスト」の物語の続きなんだろうな と思うわけですが、古典的ヴァルプルギスのお祭りの途中でファウストもメフィストも 第3幕へ向けてさっさと退場してしまい、第2幕自体の残りはホムンクルス単独の物語と なります。ヴァルプルギスは一種のワームホールのようなものですが、ファウスト・メ フィストは途中でこのワームホールから脱出してしまい、この二人の物語は第2幕の途 中から残りをすっとばして第3幕へ直結してしまう。そのため、ひとり残ったホムンクル スの出立の物語は一見、ファウストたちとは何の関係もないように見えます。しかし考 えてみれば、ホムンクルスの「ほんとうの生命になりたい」という欲求は、ファウスト 自身が本来いだいている「この世界を成り立たせている全ての要素、その諸力、その根 源を知りたい」という欲求と本質的にほぼ等しいのではないでしょうか。等しいという とひとまず言い過ぎでしょうが、後者の欲求を、「なぜ世界はこのようで、自分を含め てありとあらゆるものが、なぜどうしてこのように生きているのか」という問い――誰 もが一度は持つであろう問いに置きかえてみれば、ホムンクルスが求めている「答え」 は、まさにこの問いに対する答えに他ならないのではないでしょうか。

 生まれたてのホムンクルスのこの問いと、答えに対する欲求は、老いた学者ファウス トのそれよりもはるかに純粋・性急であり一途です。ヴァーグナーがある意味ファウス トの息子のようなものとすれば、ホムンクルスは孫のようなものであり、ヴァーグナー がファウストの分身であるなら、ホムンクルスもまたファウストの分身なのですし、フ ァウストおよびホムンクルスの問いはまたヴァーグナーの問いでもあるでしょう。「い つかフラスコを出て本当の生命になる」ことをめざすホムンクルスは、このお芝居では 「人造人間」というよりはいわば地球生命の源である有機アミノ酸みたいなものですが 、そんなものを抽出してしまったヴァーグナーもやはり並大抵の科学者ではなかろうと 思います。

 ファウストは今のところ、その問いは持ち続けながらいささか女に迷っており(!)、 いわば壮大な道草をくっているのですが、その間に孫息子の有機アミノ酸たるホムンク ルスは、じいちゃんをはるかにしのぐ純粋さと性急さとをもって「冒険」に出かけてい き、やがて答えを得る(生命へと進化する)ことでしょう。彼の手引きをしたのは悪魔 ではなく古典古代の異形のものたちであるのですが、「ホムンクルスの冒険」は、その ような意味で、「ファウストの冒険」のもうひとつのヴァリエーションだと考えること ができます。

 「ファウスト」は、第1部=個人のドラマ、第2部=世界(宇宙)のドラマ、であると 言われます。実際、第1部ではファウストという個人の葛藤や行動やドラマが時間軸に (おおむね)沿って展開しますが、第2部にはそのような要素はみつけにくく、確かに 「ファウストがヘレナを求めている」とかそういう一見個人的なドラマ要素もあるので すけれども、そういう要素はぐっと背景に退いています。ホムンクルスの物語も、ホム ンクルスという「個人」の物語というよりは、地球誕生→生命誕生という、ナショナル ・ジオグラフィック的な「ドラマ」が擬人化されて語られているというほうがふさわし いようです。上に、ファウストとホムンクルスの「問い」はほぼ等しいものだと書きま したが、本質的に同じような問いでも、ファウストのそれは「世界の成り立ちを知りた い」という、「人間が知識・認識を求める、その希求のありかた」を前景化しているの に対して、ホムンクルスのそれは、「生命はどうやってうまれるの?」という非常に素 直で素朴な問いを前景化しているといえましょう。いうなれば前者は人文学的な問いで あり、後者は自然科学的な問いです。このふたつの問いのありかたにゲーテは優劣をつ けてはいません。ふたつの問いは互いに裏表で、裏表になったその問いが循環しながら 人間の世界内営為を織り上げている、というのがおそらく「ファウスト」の世界観なの でしょう。

 メフィストは「近代の悪魔」ではありますが、悪魔であるからにはその出自はキリス ト教的なものです。つまり、キリスト教的な道徳の領域にその出自を持つものですが、 「宇宙はどうやってできているの?」という自然科学的な素朴な問いとその答えに道徳 が介在する余地はないでしょう。だからホムンクルスの物語においてメフィストは出番 がなく、なんとなくアウェイでもってスフィンクスらと会話を楽しんでいるしかないの ですね。ファウスト・メフィスト組も、そもそもキリスト教的道徳観から離れたところ で「人間とは何か?」という問いに立ち向かっていくペアなのですが、彼らは出自がキ リスト教世界なので、道徳と関係のないところで生き方を求めるといってもその根底に は道徳があり、その道徳からいわば「身をもぎ離す」というプロセスが必要でもあり重 要でもあります。しかし有機アミノ酸ホムンクルスはそもそも根本的に道徳などという ものと全く無縁の存在で、身をもぎ離すもなにもない。それゆえ逆説的に「感情がない 」「非人間的」なキャラに見えるし、ヴァーグナーに対して「やさしくない」ように見 えもするのでしょう。こうしたホムンクルスの物語を成立させるために、キリスト教そ のものと無縁の世界、すなわち「古典古代」の神話世界という舞台が必要だったのだと 考えれば、ホムンクルスがなぜまたファウストたちを「古典古代」の世界へ連れていく 能力を持っているのかも、おのずからわかるのではないでしょうか。

「「ファウスト」第2部だけでけっこう19世紀前半の学術地図が書けそうだね。論文にでもしたらどう」

「いやあよ、そんな面倒なこと。それにそんなのもう幾らでもあるわよきっと。でもそうね、最近ほら「文理共創」とか「文理融合」とかいう理念が改めて流行ってるじゃない、あれはあれで今ひとつ具体的なイメージに欠ける理念だけど、その理念の、何ていうか、忘れられた形というか、あるべき形のモデルにはなるかもしれないわね」

「「ファウスト第2部にみる文理共創のありかたについて」、いいじゃないの。エミリさんだってたまには論文くらい書いたってバチは当たらないんだよ」

「私はミミズ掘りになるよりミミズでいるほうがいいわ、そのうち何かに進化するかもしれないもの。わかってるくせに」

「科長補佐なんてエミリさんらしからぬポジションについてるから、心配しているんだよ。大学は今けっこう色々大変そうだから」

「やさしいのね。ありがと、でもどうってことないのよ。大学といえばこの間、一箸大学が政府の指定する「大学トップ・テン」だったか何だかに選ばれちゃったらしくて、大学の上のほうがテンテコ舞してて面白かったわね。産学連携とか、国際的業績の増強とかを求めるハッパの嵐がいよいよ一箸全体に吹きまくりそうな気配よ」


(つづく)

2022.12.10

第26回 瓶割刀(2)

「トップ・テン指定大学って、そういえばしばらく前からJINOでも話題になってたなあ。ヒットチャートみたいだって、御大たちがさんざん可笑しがってたけど」

「いいわねえJINOは気楽で。当事者の国立大学にとっては笑いごとじゃないのよ、ヒットチャートに入れるかどうかで予算配分がものすごく違ってくるんだから。どこも必死よ」

ふたりが腰を据えているのは例のジャズパブ「駅馬車」のカウンター。スクリーンに近い奥の席だが、今日は映画はやっていなくて、更けゆく夜にふさわしい穏やかめのヨーロピアン系ピアノトリオが鳴っている。

「エミリさんがそういう話してると、なんだか異世界にいるようだよ」

「あらそうお。私自身は意外にそうでもないのよね。人手が足りなくてこんな役についちゃったおかげでいろんな上のほうの会議につきあうはめになったけれど、それはそれで面白いのよ、人間観察というか、まあやっぱりお芝居を見ているみたいなのよね、会議って。いろんな利害がぶつかって、それでもお互いに敬意と礼儀を持って、あくまでも繊細で優しい腹の探り合いというかねえ」

「GenSHAの会議はお芝居というより気のおけない飲み会みたいだったけどね、昔は」

「今は残念ながらそうでもないようよ。なにしろ上がそんなふうで、なんとかして国から高い評価を得て優遇措置を獲得しようって、そこにばかり血道を上げているから、それがどうしても下へも波及するのよね。かろうじて配分してもらった予算を今度は大学が研究科や学部へ配分するのに、おんなじような傾斜配分メソッドを導入するわけ、大学への「貢献度」とか何とかで部局どうしを競わせてね」

「貢献度ねえ」

「国際的に評価される英語の論文をいくつ生産したかとか、お金持ちの企業や省庁との共同研究でどれだけ「外部資金」をくわえてきたかとかよ。そうすると今度は研究科がね、各教員に配る個人研究費を――」

「貢献度の高い人に傾斜配分?」

「そうなのよ、うふふふ。アリストテレスじゃないけど、紙に火が燃えつくように第一原因から形相がマテリアへ順次伝達されるっていうのを思い出しちゃって、うふっふふふふ、笑っちゃいけないのかもしれないけど、つい笑ってしまって悪いわあ、真弓くんに」

「真弓くん真面目だからなあ」

「とにかくそんなようなことを何か検討しろって上から強く言われてるみたいで、真弓くん悩みきってて可哀そうみたい、会議でも目を伏せちゃって「これはどうしてもやらねばならないことなんでしょうねえ」って」

「それは真弓くん的には「私は絶対やりたくないのですが」っていう意味だったね。懐かしいなあ」

「みんなだってシンとしちゃうじゃないの。個人研究費なんか要らないから、傾斜配分なんてみみっちいこと考えてないで、そのぶんのお金でみんなで面白いことしよう――って誰か言えばいいのにねえ」

「きみが言えばいいじゃないの」

「私なんかが言ったって白い目で見られるだけよ」

「よほど日頃の行いが悪いんだなあ、きみって。だけど、まあ贅沢な悩みかな。JINOは研究費の名目で多少のお金をくれるけど、給料ってものがそもそもないからねえ」

「みなさん兼業なのよね。貴方は本業ってどれなの、劇団? 舞台監督? それとも演劇学校の講師?」

「本業はむしろピアノのほうかなあ。夜のピアノ弾きが一番安定的にお金になるといえばなるね。劇団はただの趣味みたいなものだよ、活動すればするほどお金が出ていく一方だもの、今ほら、お芝居がもうあんまり流行らないしね。大規模なオペラの舞台監督の仕事がたまにあれば儲けもので、そういうときに貯めておいてちびちび使うんだ」

「ある程度もともと生活が安定してる人でないと誘えないっていうのが、JINOの一番の問題なのかもね」

「そうそう、そういえば御大たち最近やっと福富ショックから抜け出してね、後釜じゃないけど今度は塙保さんに声かけたって」

「塙保さん? 政社研の?」

「四月からさっそく来るらしいよ」

「あらまあ大変。政社研のホープじゃないの、社会思想史系の。引き抜かれたら政社研が恨むんじゃない?」

「引き抜きはしない、やっぱり掛け持ちだってさ」

「あらーますます大変ね、ただでさえものすごく忙しいかたなのに。大型科研費を常時2つか3つ持ってるでしょあのかた」

「だから大学やめにくいってこともあるんだろうし、研究環境としても所詮は比較にならないからね。けどそれ以前に、そもそも学問をするのに大学を捨てて民間に走ることは自分としては肯んじられないって、彼、言ったらしい御大たちに。オルタナティヴな学術機関がいろいろあるのはいいし、そういうものとしてのJINOの価値も功績も大いに認めてるけれども、あくまでもオルタナティヴとしてであって1、研究と教育の役割を兼ね備えた大学という無類のシステムは最善の形で維持されるべきだし自分はそれに力を尽くしたい、むしろそこに資するためであればJINOに加わってもいい、とかで」

「あらあ、はっきり言うのねえ、塙保さんらしいわ」

「きみもまた遊びにおいでよ。そうだ、それで連休ごろに歓迎パーティをやるとか言ってるから、ぜひ来るといいよ、田宮くんと一緒に」

「ええ行くわ、貴方がピアノを弾くんなら」

じゃあそろそろ、と二人して席を立ち、会計を済ませて出口へ向かうと、ドア近くのちょっと奥まった例の6人掛けのコーナー席を占領して何やら話し込んでいる4名、ほの暗い照明のなかで、こちらを向いて座っている角刈りの中年男性と吉井の目がふと合った。

「あれっ、吉井さん! 珍しいなあ、こんなところで!」

「おやおや塙保さんじゃないですか。なんだ、噂をすれば影だなあ」

「え、噂? 聞き捨てならないね」ちょっと小笹に似た快活さでパッと笑うと四角い顔が丸くなる塙保である。「あ斉木さんどうも。なにこの店はよく来るの?」

「ええたまに。吉井さんに教えていただいたの」塙保とはこのところ何かと会議で同席する機会が増えている斉木だが、共通の話題があまりないので親しいというほどでもない。昼の会議でも目礼を交わしたばかりだ。ふと塙保の奥隣を見ると、年喰って少しく分別がついた野生児という趣のぼさぼさ頭は斧ゼンキである。

「あら副学長、こんなところでおくつろぎ?」

「やあ斉木さん、さきほどはお疲れさま。そちらも夜ふかしで結構ですな。吉井さんとはお初に、斧です」

「吉井です。副学長とはまた、昨今たいへんなお役目ですね」

「いやいや。吉井さんはしばらく前までGenSHAにおられたかたですな。「象牙の魔術師」だとかねがねこちらの和久さんから伺っておりますよ」見ると斧の向かい、いちばん影になったところで和久が焼酎のお湯割りをうっとりと舐めている。

「いやだなあ和久さん、そんなところに隠れて、人の悪い」

「あいや別に隠れているわけでは。どうもお久しぶりです吉井さん、福富さんを偲ぶ会以来ですね。匡坊にいらしたんなら寄ってくださればいいのに」

「いや今日はちょっとそこの楽譜屋に用があっただけなので。また近々寄らせてもらいます」

「斉木ゼミに参加なさってるんですってね」温厚な笑みで、「それで塙保さんの噂って何ですか」」

「あれでしょ、JINOの件でしょ」と塙保、「いいんだ、誰はばかることでもないから。今さっきもその話してたとこでね。JINOがそもそもどういうとこかっていう説明を、この――そうそうこちらは役員補佐の川路さん。若手のピカ一だ」

「そんな、恐れ入ります」御子神を小粒化して女性にしたようなキリッとした鋭さが見え隠れする川路補佐は、リクルートスーツめいた紺の上下を端正に着こなして、丁寧に畳んだスプリングコートをきっちり膝上に置いた姿でわずかに頭を下げると、おもむろに吉井のほうへ初めましての挨拶をする。

「こんばんは。へえ、なんだか錚々たるメンバーで、これ、何かの政治的密談なの?」

「密談だなんて、なにグチだよグチ、政治的グチ。この店は学内関係者はあんまり来ないからね、ジャズを聴きながらしばし気散じにオダを上げてるのさ。よかったら君たちもどう、ふたりぶん空いてるよ」

「いやー今日はもう遅いし、お邪魔してもあれですから。でもお目にかかれて嬉しかったな」

「4月からいくらでもお目にかかれるよ。これからよろしくお願いしますよ、もうね、シッチャカメッチャカだ。息子がこの春からやっと大学行ってくれるからいいようなものの」

「そういえば塙保さんJINOで、自分はあくまでも大学がメインでそっちサブだからって宣言したんだって?」

「サブとは言ってないけど、ま、そうなんだよ。さすがにちょっと言い過ぎたかなと思ったらさ、薄田さんも小池さんも何だか却って喜んじゃってさ、いいネいいね是非それで!みたいな反応だったよ、何考えてんですかねあの人たちは」

「来れば、もっとシッチャカメッチャカだってわかりますよ。ご無事を祈ってます」

「怖いなあ!」

それじゃまたと挨拶して改めてドアを開けて出ようとするところで、狭い階段をえっちらおっちら下りてきたひとりの老人と鉢合わせ。ドアを支えて待つ吉井に目礼して老人はゆったりと店に入り、コーナー席にちらと目をやると、ほど近いカウンターの端によっこらしょと攀じ登った。

「いらっしゃいませ、これはこれは」

「こんばんはマスター。しばらくぶりだすな」

「お元気でしたか。お風邪でも召されたのではと少々気になっていたところで」

「なんの、風邪やらここ30年ほどはひいたことおまへんけえどもな、ちくと忙しうしとりましたさかい、ご心配かけてもてえろうすんまへん」

「今日は何にいたしましょう」

「そうだすな、何ぞみつくろってスモーキーなんをひとつ貰おか」

「ロック、ダブルで」

「へえおおきに。相変わらずご繁盛で結構だすな」

「ありがとうございます、おかげさまで」

「今夜はまたえろう混んどりますな。ほんでいつもと少うし客層が違いますやろか。あのスミッコ席においではるのん、珍しう大学関係の人と違いますか」

「よくおわかりになりますね。うちは大学関係者はめったにおいでになりませんが、あちらの方々は時々お見えになりますよ。けっこう贔屓にしていただいています」

「さよだっか。向こう側の奥にいてはる人、確か副学長のひとりやね、一箸のサイトで見たことおます」

「大学のサイトまでご覧になるんですか須崎さん」

「そらあんさん、これでもコテコテの匡坊市民だっせ。ど真ん中に聳えてある最高学府のことや、それなりに気になりますがな。他のお三方も偉いお人なんやろか」

「さあそこまでは私には」砕いた氷の上にトクトクと琥珀の酒をつぎ、お通しのナッツを添えて供しつつ、「リクエストのほうはいかがなさいます」

「いっつも我儘きいてもろて。ほな今日は久しぶりやし、なんや懐かしいもんがよろしな」

「ソロで?」

「せやね。夜も遅いことやし」

「それじゃあ――定番ですが、目先を変えてギターソロにしましょうか」

「ギターは、ピアノとまた違うナチュラルな華やかさがあって、よろしおますな」

ジョー・パスの『Virtuoso』が流れ始めると、風に揺れるレース編みに似た弦の音をそっと掻いくぐるかのように、須崎はダブルのスコッチを舐めながら斜め後ろの4人の会話に、その地獄耳をそばだてるともなく静かにひととき傾ける。

「……いやつまりJINOってのはね、日本では珍しい民間の人文学研究所なわけ」酔っても乱れぬ活舌で塙保が調子よく喋っている。「国立〇〇研究所とか、大学に付属した研究所はたくさんあるけども、国からも他のいろんな機関からも完全に独立してて、しかもかつてはそれなりに国家的な役割を果たしたこともあって、なおかつ現在でも一応活動を続けてるっていうのは他に類を見ないんじゃないかな。今では鳴りを潜めちゃってるから川路さんなんか知らないかもしれないけど」

川路「いえ聞いたことはありますけど、そんなちゃんとしたものだとは。最近よくある、なんとかカフェの類かと思ってました、学問を大学なんかに任せてはおけない、在野こそ力だとか、〈場〉の創生だとかを謳うクラブみたいなのが雨後の筍みたいにニョキニョキ生えてきてるじゃありませんか、ポーズは越境、オレたち最強、みたいな――」

斧「うまいね川路くん!」

川路「そういう鼻もちならないノリの、てっきりああいうのかと」

和久「ああいうのって、きっとデリダの「境界なき大学」の真似ごとなんでしょうね。「条件なき」でしたっけ」

塙保「あれ自体が完全に失敗に終わってるというか、失敗を運命づけられてると思うけどねえ」

和久「というか実際に組織しようとする時点で失敗ですよね」

川路「和久先生や斧先生はJINOには関わっておられないんですか」

斧「直接の関わりはないけどね、昔はJINO叢書ってのがあってよく読んでたな、薄田さんの酒歌論とか、小池さんのロマン主義論とか、面白かったね、何だっけなタイトル、ロマン派伝説――?」

和久「「ロマン主義という神話」でしたかね。薄田さんのそれは「酒・ナガレ・歌――砂場から昇天」ってやつでしょ、私も読みましたよ。面白い叢書でしたけど10年くらい前から見なくなっちゃってちょっと残念ですね。いま何やってるんですかJINOは、ひょっとして公開講座だけ?」

塙保「機関誌はあるけど、本屋には下ろしてないって言ってたね」

斧「やる気あんのかね? 塙保くん、そんなとこ行って大丈夫なんかい? ちょっと心配になるなァ」

川路「心配といえば、JINOというのは〈銀麟〉の援助を受けて運営されてる組織だって聞いたことがあるんですけど、そのへんはそのう、大丈夫なんでしょうか」

和久「厳密にいえば、〈銀鱗〉の援助を受けたことはないんですよ、創立時からずっと、あくまでも祖父江さん個人の、個人資産による援助だっていうところがポイントらしいですね」

斧「和久さんよく知ってるね」

塙保「あ、だって福富さんと一緒に来ないかって誘われたんだよね去年ね? そんで断ったそうじゃないの」

和久「ああ、ええまあ、そのときは家庭の事情もあったしね、御大と呼ばれる人たちについて洩れ聞く話からして、どうやらそれほど気が合いそうにない気もしましてね」

川路「あの和久さんって、人文系研究科のGenSHAの中ではかなり社会科学寄りのことをやってらっしゃいますよね。JINOは人文学研究所だということですけれど、塙保さんだってバリバリの社会科学じゃないですか?」

塙保「そう見える? 川路くんはハエヌキの箸者(はしもん)だからそう思うかもしれないけど、で私も自分では社会科学だと思ってるけれども、JINOは人文学を謳ってても昔から半分くらいは社会科学なんだよね、経済学者もいたし、今でも経済史家や法学者がいたりね。JINOが考えるような広い意味での人文学はもともと社会科学も相当範囲含むんだよ」

斧「そうそう、一箸あたりにいると、人文科学は社会科学の一部というか、社会科学へと進化し損なってる駄弁の端くれだくらいに思うだろ。世間では「人文・社会科学」って一緒くたにされて「自然科学ではないもの」って意味で理解されてるしねえ。だけど自然科学者や社会科学者の考える人文科学と、人文学者の考える人文学ってのは、実はまるっきり違うんだなあ。和久くんどう、GenSHAでは」

「どうなんでしょうね、実のところ。そういうことについてメンバーの合意があるわけじゃないし、特に話し合ったりしたこともないですから、人によって考えはまちまちなんじゃないでしょうか。研究科としての定見があるわけではないですね。私自身は言語学含みの民俗学で、社会調査なんかもしますから、川路さんのおっしゃった通りGenSHAの中では社会科学寄りなほうだと思いますが、さっきの斉木さんとか吉井さんは、社会科学から一番遠いクチかもしれません。自然科学の他には人文学しかないと思ってるんじゃないかな、つまり社会科学と人文学を分けることに関心がないというかね。そういう意味でJINO向きなんでしょうねきっと」

川路「そういう意味といいますと?」

和久「うーん、つまりさっきの、ポーズは越境、みたいなのとは真逆でね、JINOの人たち、特に両御大を中心とするコアなかたがたにとっては、そもそも境界ってものが元々あんまり意味を持ってない、境界を境界とも思わない人たちですから、何かの境界を無鉄砲に乗り越えていると傍から見えるときにも彼ら自身としては普通に自然体で、別にことさら何かを乗り越えてるつもりでもない、だから越境とかその手の理念にもほぼ全く関心ないんですよたぶん。吉井さんもたぶんそうで、自分のやってることがナニ学に当たるのかとか、およそどうでもいいんだと思いますよ」

斧「んじゃ、福富さんに目をつけたり塙保くんを誘ったりするのも、JINO内部の分野バランスを考えた結果だとかいうことは全然――」

和久「ないでしょう、ただの直感でしょうね。匂いで選んでるんですよきっと」

塙保「おれもなんだか気が合いそうにない気がしてきたよ。どうしようオレ、間違っちゃったかも」

斧「私は合いそうな気がするなァ。こんど飲み友達に紹介してくんない?」

川路「あ、すみません話を逸らしてしまいましたが、それであの、さっきの祖父江さんというのは?」

和久「あそうそう、祖父江公義っていうのは〈銀鱗〉の先代ヘッドなんだけどもJINOの御大たちの親友で、創立のときも復興のときもJINOにずいぶん肩入れして助けてくれたらしいんですね。それで数年前に亡くなったときに遺言で多少まとまった寄付を残してくれたので、JINOでは今はそれを運用して基盤的な経費に充てているそうで。ビルの補修や環境整備、事務職員の雇用とか、機関誌の発行とかその他いろいろな必要経費はそこで賄えてるんだけど、JINO自体の収入といえば現在は講座の受講費しかなくてそれもとても安価だから、研究員の給料まではなかなか回らないんですってね」

斧「給料はないんだそうだぞ、塙保くん」

塙保「知ってますよ。「給料は出ないからまァ気楽に来てくれ」って言うんですよ、ひどい話じゃないですか? そこでハタと思いましたね、給料さえ出さなければ気儘勝手な情実人事だって幾らでもやり放題なんだなあとね。それにしても和久さん詳しいね、誰に聞いたの」

和久「そりゃ福富さんと、あとウチのRAからですね。そっち方面の研究をしてる子がいるもので。彼女によれば、そんなわけでJINOと〈銀鱗〉の間に直接の関係はなくてあくまでトップどうしの個人的なつきあいがあっただけなんだけれども、もし暴排条例の次の段階がきてね、かつて反社会勢力の構成員だった者からの過去の利益供与、までが遡って取り締まりの対象になってくると、かなりまずいだろうと」

斧「そんな段階まで行くかねえ、そりゃつまりAISA次第ということかな、現状では。それで、するとJINOは〈銀鱗〉の今のヘッドとの付き合いは一切なし?」

和久「トニ・リーファンとは、直接の面識は薄田さんも小池さんもないんじゃないですかね」

塙保「香港ふうの響きの名前だけど、実際はどこの人なの? 日本人?」

和久「らしいですけどね、そのRAの子によれば。でもよくわからないです。祖父江さんの後をリーファン氏が継いだときにも別に内部抗争もなかったみたいですしね。でもそれ以上によくわからないのはむしろJINOよりAISAと〈銀麟〉の関係ですよね」

斧「そっち方面はひょっとしたら川路くんのほうが詳しいんじゃないか?」

川路「えっ、全然詳しくないですよ、そんな。御子神先生ならAISA本社の事情もよくご存じかもしれませんが」

斧「でもさ、今きみ情報学部設置ワーキンググループに入ってくれてるだろ、教員構成の当たりをつけるやつさ、で実務家教員としてAISA本社から一人ふたり呼んでくることになってるだろ今んとこ」

川路「本社から呼ぶというより、本社から誰か紹介してもらう段取りをつけてるところです」

斧「AISAの管理職には一箸出身者がけっこういるんだよな。そもそも先々代の社長がハシモンだし」

川路「ええ、なので後援会を通じて、と考えていたんですが、いろいろあって結局テンゼン・コネクションになりました」

斧「テンゼン・コネクションか。すごいよねえ御子神くんは。この際だから諸君に言っとこうと思うんだが、テンゼンのゼンキのといっていろんな下馬評が飛んでるらしいけれども、私は次の学長選に出馬するつもりは全然ないんだ。本当だよ。実際こうやって思いがけなくトップ・テンに受かってしまって、その交換条件みたいに突貫工事で新学部も作らにゃならんという、それこそシッチャカメッチャカな事態を収拾しつつどうにかして先へ先へ物事を進める力わざを、御子神くん以外の誰にやれるかね?」

塙保「そうはいっても、彼は非常に強引なところがあるしね、政社研でも特に人文寄りの人たちの間では、テンゼンは理解がないこともゼンキならわかってくれるに違いないというので、斧さんを推したがる声は相変わらず高いですよ」

斧「私自身が政社の人間だからそりゃ無理もないかもしれんし、御子神くんは確かに厳しいけれども、あれでわかるべきところはちゃんとわかっている人だよ。それで彼の偉いところは、自分で泥をかぶることを厭わないところだな。だからこそ他人に対しても甘っちょろいことは言わないんだが、教員はともかく事務方はそれがよくわかってるから、無茶なことを言われても、泣きながらでも彼にならついていくね。塙保くんは彼のこと嫌いだろうけどさ」

塙保「いや嫌いというわけでは全然ないですよ! 少なくとも今はね、いやこの人には敵わないなあっていうのが以前は悔しかったりしたけども、敵う必要なんかないんだと思い至ってからはむしろ非常に高く買ってるくらいなんだ。指揮官なんだねあの有能さはね、指揮官のそれ。川路さんなんか補佐やっててそのへんは肌身で感じるんじゃないですか」

川路「そうですね、私も時には反発を感じもしますけれども、常々敬服するのは、あの人は何に関しても決して言葉を濁すことがないという点ですね。なんとか考えてみましょう、とか曖昧なことを言いながら結局いつまでも何もしてくれないとか、そういうことが一切ない」

斧「耳が痛いなァ!」

川路「何か考えてみますと言ったら何であれ、何かしらは絶対しますからね。しかもそのスピード感がハンパない。反発を感じはしても、この人がこれこれの問題をどうするか、次に何をしてくれるのか見たい、という気持ちのほうが結局は勝ってしまうんですね」

斧「不利を無理やり気概で利益に転ずるところがあるね。情報学部の件でも、設置するとなったら徹底して入れ込んでるのは全く大したもんだが、それというのも、一気に学部・大学院を作っちゃうことで、本格的にAISAに協力を仰ぐ、ひいては協働を申し込めるというのがあるからさ」

和久「AISA系列の企業との提携や合同研究は今でもけっこうやってるんじゃないんですか一箸でも」

斧「そりゃね、今や情報インフラ、のみならず国家的生活基盤インフラに関わるほぼ全ての企業はAISA系列かその子会社だし、関連省庁だってAISAの息のかかってないところはないんだからさ、商経研でコマゴマした産学連携やってる相手の相当数はすでにAISA系列だけれども、御子神くんとしては、もっと情報インフラの根幹構造にかかわるところに一箸として噛みたい、噛むべきだと考えているんだよ。むろんそういうポジションは、ある面では東大をはじめとする大規模総合大学の情報工学・情報科学あたりにとっくに取られているわけだがね、社会科学の総合大学として一箸はそこにこそ独自の進出をはかるべきだというんだな。基本的人権の基盤をなすウェルフェアの創出という社会的観点からね」

塙保「ああなるほど、つまりJIP制度の改革ですね」

斧「改革という形になるんかどうか、誰がやるにせよそろそろ本気で手をつけなきゃならんことは誰の目にも明らかで、そこに幾らかでも食い込んでいこうと思うならAISAのそれも中枢と何かしらぶっといパイプを持つ必要がある、情報学部の設立をそのひとつのきっかけにできれば、というのがね、しかしどのくらいタヌからざる胸算用なのか、正直言っておれなんかには全然わからんけどさ」

和久「JIPをいじるということは必然的に、かつての諮問委員会ひいてはJINOの功績、というよりヤッチャッタことというべきかもしれないけども、それをひっくり返す、とまではいかなくとも彼らが残した制度の欠陥を本格的に是正するということになりますよね。御子神さんはJINOのこととかどう考えてるんでしょうね」

塙保「私なんかがJINOと二股かけると、過去のインネンからして何か叛旗を翻してるみたいに思われそうだなあ」

斧「いやあそんなこともないだろ。こう言っちゃ悪いけども、彼は今のJINOなんかほぼ眼中にないんじゃないか。けど、塙保くんが二股かけて、吉井さんがいるところへそのうち和久さんや斉木さんもJINOへ行ったりして、芋づる式に政社・GenSHAの引退組がぞろぞろJINOへ出入りしはじめるようなことになったらさ、そんで一方では情報学部や商経研を中心に一箸とAISAがガッチリ手を組むようなことになったらさ、そりゃ、ま、学内的にはちょっと妙な感じのことになるかもしれんわな」


(つづく)

2023.2.10

 

おりば・ふじん/一橋大学大学院言語社会研究科